第九食 自分の臭いはわからない

「詳細は偵察部から聞いた」

 朝方が話す。

 あの時、衣素は誰かに電話をかけていた。大将は植瑠暖ウェルダンに連れてこられていたようだ。

「掌を売ろうとしたことは認めてるらしいが、誰に命じられたのか、誰と取引しようとしていたのか、何をしても白状しないらしい。偵察部が俺に泣きついてきた」

「普通、被害者と犯人会わせるか? 掌がかわいそうだろ」

 衣素が文句を言う。


 ――そんなこと以上に酷い目に遭ってるんで、別にいいです。

 

 朝方は構わずに続ける。

「まあ、俺一人で十分だが、こいつをここに連れてくれば何か思い出すかもしれないと思って、一応連れてきた」

 朝方は再び大将に目隠しをつける。

 ポケットからケースを取り出すと中からニンニクを取り出した。彼はそれを一口かじると、右手を掌の方へ向ける。

 朝方も膳繊手のようだ。右手の中央から左あたりに、矢印の始点を二つ合わせたような属繊がある。数学で扱うベクトルのような形だ。

 双方属繊そうほうぞくせんだ。

 出力形態は<変質へんしつ>。属膳の持つ効果を別の効果へと変化させる力があったはず。

「俺は逃げるぞ――」

 衣素が退出する。

「え……」

 朝方は大将の頭に袋を被せる。

「見てな――」

 朝方がそう言うと、彼の右手からスプレーのように、灰色の属膳が噴出した。袋の口から容赦なく属膳を叩き込む。

 口を縛られた大将は、苦しそうな声を上げる。


 ――何をしたんだ?

 

「うわっ、臭っ!」

 その時、鼻孔を引きちぎるような、おぞましい臭いがした。鼻を腕で覆う。

 離れていてもこれだけの臭いだ。袋を被せられ、頭部を捕らわれた大将にとっては、この上ない苦しみだろう。

「うわっ! やっぱきついわ、この臭い!」

 逃げたはずの衣素が扉を開けて戻ってくる。

「お前、逃げたんじゃなかったのか?」

「そうなんだけどさ。ほら、怖い映画とかって眠れなくなるの覚悟で見たくなる時あるだろ? それと似たようなもんさ」

「ったく、エンタメじゃねえぞ」

「これ何?」

 目に涙を浮かべる掌の問いに、衣素が答えた。

「これが朝方の属膳――刺属膳しぞくぜんだ。効果は【芳香ほうこう】」

「芳香? これのどこがいい香りなんだよ!」

「それを双方属繊の<変質>で効果を【異臭いしゅう】に変えてる。へそが曲がったこいつにそっくりだ」

「誰がへそ曲がりだ!」

「しょーもな!」

 掌は思わず言ってしまった。

「しょーもないとは何だ!」

「しょーもねえだろ」

 衣素が追撃する。

「しょーもねえのかなあ! 少なくともここでは役に立ってると俺は思うけどね!」

 朝方は大将の目隠しと口に噛ませた布を外す。

「どうだ? 少しは話す気になったか?」

 大将は荒い呼吸をしている。

「話す気はない――」

 朝方が袋を被せる。

「ならもう一度、これをくらえ!」

 袋に刺属膳を注入する。

 大将はむせている。

 強烈な臭いに耐えきれず、掌は後ろを向いた。


 ――俺はなぜ、こんなことに巻き込まれているんだ。そもそも大将あいつが俺を利用しようとしなければ、こんなことには……。


 背後から朝方の声が聞こえる。

「掌。お前の力を見せてみろ」

「結局、人頼みなんかい! 自分じゃどうにもならないからって!」

 衣素がヤジを飛ばす。

「うるせえな、お前は黙ってろ!」

 大将があざけるような笑い声を上げる。

「俺は小僧に二ヶ月近くタダ飯を食わせてやったんだ! 文句を言われる筋合いはない! 恩に着たってバチは当たらねえと思うがな!」


 ――俺はチラシで見た店に通っただけだ。サーモンだって、お前が金は要らないと言うから食べたまでのこと。それなのに……。

 

「聞き捨てならねえな」

 衣素が口を出す。

「お前は掌を売ることで、自分だけ大金を得ようとしてたんじゃねえのか? 恩だと? ただの先行投資だろうが――」 

 掌は走り出すと、大将に跳び蹴りをくらわせた。

 乱暴に目隠しを外し、喚食であるサーモンを食べる。右手の属繊から、爪楊枝を次々に取り出した。五本まとめて大将の頭に突き刺す。

 叫び声を上げる大将の口を片手で押さえつけた。

「うるせえよ」

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