記憶粒子の世界 9

 いつから一華との距離感が自分の中で分からなくなったのか、それを推測してみると本当の意味で僕が一華と仲が良かったのかの方を疑ってしまう。

 出会った最初の時点では確かに仲良くできそうな雰囲気が存在していたはずなのだが、その日のうちに僕達の間には確かな溝が生まれているように思えた。

 間違いなく生まれていたはずだ。

 勝ちにこだわる一華と特にこだわりのない僕、上手くいく訳がなかったのかもしれなかったけれど、僕に初めて『楽しい』を教えてくれた彼女がどうしようもなく好きになってしまった。

 だけれど僕が彼女に「好きだから付き合ってほしい」と告白する? 僕が言えば彼女は僕の隣にいてくれるだろうか? そもそも彼女は僕が好きなのだろうか?

 そんな疑問がいつだって僕の脳裏に過り、いつだって前に進むきっかけを奪う。


「何故一華は僕を好きだって言ってくれないのか? 彼女はどうして僕に話しかけたのか? 所詮僕は彼女の一友人でしかないのか?」


 そんな言葉を一人吐き出しては飲み込んで、吐き出しては飲み込んでを繰り返す僕は成長を感じさせてくれない。

 喧嘩をしては仲直りをしてまた喧嘩をするを繰り返しているだけ、喧嘩をする度に沙喜に聡に呆れられているが、僕としては何故喧嘩が始まるのかすら分からないのだ。

 難題を乗り越えることが出来る僕が未だに乗り越えられない難題、成長では解決できない何かがあるのかもしれない。


 結局で僕は何を研究するのか全く決めないまま帰ってきてしまったのだが、家に帰りドアのカギを開けると同時に聞こえてくるあの『声』に僕はヴァイスの入っているインコムを睨む。

 ヴァイスは「直す」と一言いうだけで直すつもりがあるのか全く分からないのだが、まあ信用するしかないけれど。

 明日出かけるときに直ってなかったら僕はキレると事前忠告し、中へと入っていくのだが、すると部屋の玄関が綺麗になっていた。

 いや、別に部屋が壊滅的な状態だったわけじゃないが、普段はそこまで綺麗に整えられていない靴が全部綺麗に靴箱へと入れられており、その奥の廊下も雑巾か何かで綺麗に吹かれているのか、フローリングがピッカピカだった。

 凄い嫌な予感がしたわけだが、僕はヴァイスに「直したんだよな?」と聞いてみると、ヴァイスは「そういえばそうだな」とだけしか返事しない。

 あの仕組みを施した人間が別にいると考え、僕はリビングへの扉を開くとメイド服姿の黒髪の長身の美女が立っていた。


「おかりなさいませ。お坊ちゃん」

「人の家に勝手に入るな。玄関の音を弄繰り回すな。勝手に部屋を掃除するな。来るのなら一言いうのが常識じゃないのか? 突っ込みどころをいくつも増やすな!!!」

「流石お坊ちゃま。それだけ突っ込むことが出来るとは。この理亜は敬服いたします」

「しなくていい。直せ。あの音はもはや今朝がた受けた嫌がらせだ」

「? どなたですか? 私と同じレベルの嫌がらせが出来る人間は」

『私だ。この女性はユニークだな。真。婚約者かな? おお。鬼みたいな顔をしたな…』

「するよな? 言っていいことと、悪いことがあるとは思わないか? お前はどれだけ空気が読めないんだ?」


 なんか玄関から入ってくるだけで疲れてしまったが、いつの間にやってきたんだ?


「はて? 私はてっきりヴァイス様から説明を受けているのかと思いまして…」


 今度は別の意味でヴァイスを睨みつける番であり、僕は一言も言われていない何件なのでこいつには追及する権利が存在すると思うのだが?

 ヴァイスは一瞬だけ黙り切り「説明をしなくていいとお前の祖父から言われた」というユニークな言い訳を繰り広げる。

 理亜は「はて?」と聞き覚えがないみたいな顔をしているが、ヴァイスは「ボケているんだろう」とこれまた言い訳を繰り広げた。


「ユニークな人工知能様ですね。ヴァイス様は恐らく話を聞いてはいても優先順位を下げておいでなのでしょう」

『私が聞いていたのは「いずれ行く」という話だけだ。こんなに早く来るのなら一言言うべきだと思うが?』

「お坊ちゃまの驚く顔が見たくて」

「両方反省しろ! 言わなかったヴァイスも悪いが、予定スケジュールを前倒ししたお前も悪い! どうせ来るなら何故一緒に来ない?」

「? お坊ちゃまの驚く顔が見たくて…」


 悲しげな顔をしても僕は騙されない。

 この宝塚女優顔負けの演技力め、鬱陶しい事この上ないこの女を黙らせる方法を教えてほしい。


「はぁ…もういい。疲れた」


 色々ありすぎて正直追い出す元気も存在しないので、このまま放置することにしたわけなのだが、考えることが今のところ多く、この際理亜に話を聞いてもらうことにした。

 ちなみに、僕は理亜のフルネームは知らない。

 教えてくれない。


「なるほど。一華様がですか…お坊ちゃまはどうして一華様がお坊ちゃまに喧嘩を振るのか分かっておいでですか?」

「え? 気に入らないからとか?」

「はぁ…なら話しかけないでいればいい。そうでしょう? 気に入らないならもっとやり方があるはずです。人が何故争うのか、争いで何をつかもうとしているのか、お坊ちゃまが理解しないと大変な事態になるのではありませんか?」

『人の歴史は争いの歴史だ。人は争うことで何かを奪って生きてきたが、同時にその争いの中から何かを生み出してきたはずだ。お前達は争うばかりで生み出そうとしていない。争うのなら何かを生み出す努力をするべきでは?』


 争いの中から生み出すモノ?

 そんなものがこの世にあるのか?


「一華様がウイルスチップを使っているのか確かめるのは良いですが、もし使っていることが分かってもその場の行動次第で一華様との関係を滅茶苦茶にするだけですよ?」

「それは分かっているけれど。じゃあ、何が正解なんだ?」

「はぁ…正解なんてありません。本来、人との付き合い方にその場で答えを出す以外にあると思いますか? 臨機応変にと言えば言い訳に聞こえるかもしれませんが、結局でその場で素早く決断することが大事でしょう。ウダウダと悩み事態を先送りする。相手を思いやり、相手が考えていることがどういうことなのか、それをお坊ちゃまは理解をしていますか?」

「一華の悩み?」

「小さい頃お坊ちゃまに話しかけた事、覚えていますか?」


 勿論だ。


「では、どうして話しかけたか理解していますか? 一華様がどうして一人でいるお坊ちゃまへと話しかけたのか。じゃあ、どうして一華様は一人でいたのか…分かっていますか?」

「………寂しかったから?」

「それは私にはわかりませんよ。それこそ推測することであれば簡単にできますが、それをお坊ちゃまに教えることが正しいことだとは思えません。それでは気づきにはならないと思いますから。ですが、お坊ちゃまはお坊ちゃま自身が思う以上に自分の事しか見えていないのですよ?」

「………」


 一華も僕と同じように寂しい思いをしていて、そんな時に同じように寂しい想いをしていそうな僕に話しかけた。

 遊んでほしかったのかもしれないが、結果僕はあいつのプライドを傷つけてしまった。


「お坊ちゃまの所為だとは思いません。勝負なんてどちらかが勝ち、どちらかが負けると決まっています。それを受け止められなかった一華様の責任でしょう? 問題なのはそのあとのお坊ちゃまの態度だと思います」

『一族揃って恋に対して難題を抱える性格をしているみたいだな。まあ…無理だとは思うがな?』

「そうですね…人との付き合いが苦手な一族揃っての性格、恋物語においてこの世で最も増えてな一族。好きな相手ほど悪戯を仕掛けたくなり、素直になれない性格」

「もういい。黙っていてくれ。どのみち明日一華の試合を見てからだろう? そのために参加したくもない授業にわざわざ顔を出すんだからな」

『参加したくなければ聡に任せればいいだろうに』

「お前が行かないでどうするよ!? お前だけだぞ!? チャック出来るの!」


 僕は叫びながらヴァイスの方を見ると、ヴァイスは「はて?」ととぼけるだけ。

 こいつは相当僕を馬鹿にしているようだ。


「私は夕食の準備に入りますので、喧嘩なら静かにお願いいたしますね」

「はぁ…疲れるから良い。それより、理亜は沙喜が昔病院に居た理由は知ってる?」

「ええ。あれは脳内に付与した機械を通じて記憶粒子を流し込み、欠損した脳部位を不足するという治療技術のためです」

「やっぱりか…じゃあウイルスチップの大元を作ったのは?」

「はい。沙喜様でしょう。最も作ったのは初期型だけで、その後は知らないはずです。彼女があの場に居たのはご主人様に頼みたいことがあったからです」

「?」

「彼女のお母様は前より脳に欠損があり、言語能力や運動能力に欠損がありました。その治療と技術確立のためにはどうしても費用が必要だったのです。その費用を賄ってほしくご主人様にお願いに来たのです。その際にご主人様から真様の事をお願いされていました」


 今明かされた真実を前に僕の知らない裏事情を知ってしまったが、これって僕が知っていいことなのだろうか?


『それはこの男が知っていてもいい話なのか?』

「大丈夫でしょう? ご主人様からは特に何も言われておりませんので。まあご主人様が何も知らないだけのような気がしますが…」

「全然大丈夫じゃないだろう? その話。まあいいや…でも、その後のその治療機器の行方は?」

「さあ? 様々な病院や研究施設を転々としたと聞いています。ご主人様も分からないそうです。何せ取り掛かった事業の一つでしかなかったと」

「自分でした事業に自分で処理をしないとは…これはどうなのだろう?」

「頼まれたからだと言われていましたね…まあ、あまり興味のある案件ではなかったようです」


 だろうな。

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