記憶粒子の世界 4

 先生は大きめに息を吐き出すと自分で用意したコーヒーにこれでもかというほどに角砂糖を次々と投入していく。

 正直先生の体が本気で心配になってしまうわけなのだが、この人恰幅が良いなんて言い方をしたが、はっきりと言えば太っているんだよな。

 まあ多少は鍛えているからただのデブではないが、基本はあまり健康診断的にはよくないと聞く。

 実際この人去年の健康診断で散々な結果だったと聞いているし、一時期健康に気を遣うあまり味っけない食事ばかりをとっていたはずだが、どうやらその制限はいつの間にか解放されてしまったようだ。

 個人的には健康的に過ごしてほしいが、この人未だに別居中なのだろうか?

 確か二年前に話を聞いたときは別居していると聞いていたが、それとも正式に離婚したのか?


「先生って今でも別居中? それとも離婚した?」

「君は相も変わらず聞きずらい話を喜々として聞くね。まあ、まだ別居中だよ。今のところ離婚するつもりは双方ともに無いんだ」

「あれ? そうなの? 二年前の話では離婚しようと考えているって言っていなかった? 確か理由は仕事だったかな?」

「あの後話し合ってね。仕事が一段落したらもう一度一緒に過ごそうって話になっているんだよ。いい加減妻から愛想をつかされたかなってあの頃は不安だったからね」

「? なんで?」

「私は妻との間に子供ができなかったからね。何度も何度もチャレンジしてみたが、どうにも私の体質らしくてね。医師からもはっきりと「できない」ってお墨付きを貰ってしまったし。妻は子供を欲しがっていたからね」

「? 子供居るって聞いたよ? 二年前の時点で。あれって確か先生の子じゃなかったっけ? 生まれたばかりの子供を会った気がするけど?」

「ああ。当主に相談したら色々とね…」


 苦笑いで誤魔化されてしまうが、どうにも如何わしい気配を感じてしまい突っ込んで聞くべきだと判断して詳しく聞いてみたが、答えてはくれなかった。

 まさか…別の人の子を?

 ありえない話じゃない。


「私の子だよ! DNA検査もしたんだ!」

「………データ改ざんとか? それとも…う~ん」

「信じてくれないね。百年前には何もできなくても今は出来るんだよ。遺伝子研究の分野も日々進歩しているからね。その分少々危険な橋を渡ったからね」

「危険な橋……如何わしい気配が…」

「そこまでじゃないよ。全く…君は相も変わらず掘り下げようとするね。まあその際の貸しもこの前返し終えたからね。こっちに集中できそうだよ。ここ二年は研究どころじゃなかったからね…大学も二年前に辞めてしまったし。新しい職場は当主が紹介してくれたからね」

「? 辞めたの?」

「ああ。というのも大学そのものの方針と私の方針が少々食い違ってね。そもそも辞める気だったんだよ。良い踏ん切りがついたよ」

「如何わしい店で体を?」

「違います! 本当にそういうお店で働いていないから。そもそも考えてみたまえ! いるかね? 私!」

「いらない。でも趣味趣向は人それぞれだからさ。マニアックな人が先生を…!」

「君とは常識という範囲を学びなおす必要がありそうだね。まあ、隠すようなことじゃないから良いけどね。正直に言えばね遺伝子を使った受精は少々値が張るんだ。それこそ大学教授の給料じゃ払えない分のね。かといって妻には無理をさせたくないからね」


 僕は「やっぱり…そこで…」と茶化す。


「記憶の一部を売ったんだよ…」

「???」

「まあそうなるよね。脳を売り飛ばしたとかではなく、正確にはある人から「君の頭脳を活用したい」と言われてね。ある研究を手伝っていたんだ。その話を持ち込んだのが当主でね」

「爺が? 何々?」

『私達の封印を解くということだ。私達が封じた封印はその辺のコンピューターで出来ることじゃない。AI研究の研究者達が私達の存在に興味を持ってな。別の方面からのアプローチで似たAIを作ろうとしたんだ』


 ますますわからない。

 記憶粒子の研究しかしてこなかった先生がどうして必要なのか?


「簡単に言えば優秀な頭脳を持つ人間を使って複数のアプローチで実験をする。その実験体になる優秀な人間を探していたんだ。それも大学なんかで研究職の中心で、尚且つ実績を残していると良し。無論、普通に考えればそんな好都合な条件を持っている人間なんているわけがない。でも、その都合のいい人間が現れたというわけだよ」

「それってどんな実験?」

「簡単な会話実験だね。人工知能と何度も何度も会話したり。ほかには私の脳を全てスキャンしてデータ化させるとかね。色々したよ」

「あれって大丈夫なの? 脳をスキャンって…」

『できんわけじゃないぞ。正確には似た視点で私は作られているしな。似ているだけで同じわけじゃないが』

「そういうことさ。まあそのまま使えないから私の脳データをスキャンしてその後、いくつかの分野の記憶に変換しなおすんだ。必要のない記憶は消し、必要な記憶を持った人工知能と私を更に会話させるんだ。すると、人工知能に感情と言ってもいい部分が生まれるんだよ」

「それがこいつの封印とどう結びつけるわけ?」

「その完成した人工知能に封印を解いてもらうんだ。この子達が自らにかけていた封印は同レベルの人工知能だけ解析できるようにインプットされていたかね。と言っても先ほどまでのレベルではまだまだ遠いんだけど。そこからが大変だったよ。何度も何度も自己崩壊するからその都度角度を少し変えて似たことの繰り返しさ」

『実際私が作られた時も似た結果になっていたからな。生き残ったのは私を含めて四機だけだった。人間の脳データをそのまま使うとどうしても何処かで自己の存在に疑問を持ち始める。そのうち存在証明ができなくなり…事故消滅する』

「そうなんだ。曲がりなりにも私を模してしまったからね。賢すぎて自己崩壊してしまうんだ」


 それ先生を選んだ時点で選択ミスをしている気がするけど、どうやって解決したんだ?


「簡単だよ。私が優秀すぎるから自己崩壊してしまうのなら、私の脳レベルを落とせばいいんだ?」


 引く僕。

 え? 何それ? 笑うところ?


「脳に制限を付けて会話をしてもらう。まずは脳データをコピーしつつその間に私の脳に制限を設ける。理論自体は私が開発した記憶粒子によるバックドアシステムがあったからね。正直人体実験は出来ないから理論だけになってしまっていたが、私自身が人体実験の対象になるとは思っていなかったけどね。知能レベルを大体幼稚園程度まで落とし少しずつレベルを上げていくんだ。ゆっくりと」

「それって解除されているんだよね?」

「まあね。というよりはその時の記憶を私は持っていないんだが。消されているんじゃなくバックドアシステムを外した時につけていたころの記憶がごっそり抜けているんだ。これは研究段階で分かっていたんだが…こうしてみると正直怖いよね。私がどんな会話をしていたのか私は分からないんだ」

「それ。見たの?」

「後で見せてもらったよ。正直笑えないね。制限が掛かるのは性格や言論や知能レベルだからね。記憶まで制限が掛からないからまあ違和感たっぷりだよ。最初はお互いに会話が成立していないんだが、次第に相手が私の言論を理解したようでね。そのうち私のレベルも開放していくんだ。それでも最後は自己崩壊してしまったよ」

「意味ないじゃん!」

『いや。意味はあったんだよ。自己崩壊前の状態の人工知能をコピーして保存。その後は記憶粒子を使った実験が行われたんだそうだ。記憶粒子で人工的な肉体を形成し、その存在に同じ生活をさせる。これはベクトルこそ違うが私達にも似た実験があった。私たちの場合は記憶粒子を使って作り出した兵器での殺し合いだが…』


 今ものすごい物騒な話を聞いた。


「真君忘れてくれ。ただ記憶粒子の世界はそれだけ広く闇が深い。私の時は私の肉体を記憶粒子で構成し数か月一緒に生活させる。流石に食事までは同じというわけにはいかないが、起きてから寝てまで同じ場所で生活させるんだ。最も食事ができない相手の前で食事を取れば自己崩壊を招きかねないのでその辺は研究職の人間がずいぶん拘っていたよ」

「結局どうしたの? それは成功したんだよね?」

「ああ。研究開始から二年近くが経過してね。まあ大変だったよ。寝ている間に栄養剤を投与し続けるんだ。相手の体もその間に電流などを使った補充を行う。私の肉体は二十四時間体制で常にメンテナンス状態。もはや私が機械になった気分だったよ。だが完成した人工知能に封印を解いてもらったんだよ」

「でも何も飲まず食わずだと流石に食道や胃袋なんかに悪影響があるんじゃ…」

「その辺も週一のメンテナンスさ。周囲に一回お互いに寝たっきりで色々弄り回す。私の場合は先ほども言った通り肉体が変化しないように一週間前へと戻す工夫がなされるわけだ。だから私はその約一年半の間全く飲まず食わずだったんだよ。だから甘いものをつい求めてしまってね。はぁ…また医師から色々言われそうで怖いよ」


 なら止めればいいのに…甘いものを食べようとするの。

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