記憶粒子の世界 3

 入学式が始まるまで後三十分ほどあるし、このまま一旦中まで入って大人しくしていようと聡に提案、聡もこれに同意して中に入ろうと思って行動の出入り口へと足を踏み込もうとしたまさにその瞬間に声をかけてきたその主によって呼び止められた。

 いったい誰だろうと思い振り返ると口周りに髭を蓄えた恰幅の良い大男、身長も二メートルもあるので大きな壁に見える。

 茶色い瞳は優しく見せているが、まあ優しいという点では決して間違っていないのだが、まさかここで会うとは思いもしなかった。

 聡が俺の耳元で「この人誰?」と囁きかけてきたが、それに返事をしたのはヴァイスだった。


『環太平洋連合大学で記憶粒子やそれに基く機器の開発を担当している大江田ウォンだ。海谷家専属の技師でもあり、海谷家本家が信頼している博士号を持っている人間の一人だ』

「やあヴァイス君。一か月と三日ぶりだね。君の起動に立ち会った際以来かな?」

『ああ。そういう貴方は一回一回まめに記憶しているようだ。人間にしてはマメな人物だな』

「真は知っていたんだな。本家であったのか?」

「ああ…まあ……そういうわけじゃ…」

『怪しい関係なのかな?』

「これこれ。ヴァイス君。私と真君の関係は家庭教師と生徒だよ。と言っても小学校の時に一週間に二日だけだがね。これでも教員資格もついでに取ったからね。それで本家から頼まれたんだよ」

「僕は頼んでいないけど…ここにいたの? 大学に出てたんじゃ…」

「いや。何。そもそもこの建物を作ってほしいと頼んだのは私なんだよ。此処は私の故郷だしね。それにウイルスチップもどうにもここだと私は睨んでいるんだよ。何せ私はあれと似た技術を一度だけ見たことがある」

『それは初耳だ。なぜ起動時に言わなかった?』

「後ろめたい事情というやつだね。それに確信がその時は持てなかったから。確信を持ちつつ同時にこの町での拠点が欲しい。そう本家に頼み込んだんだよ」

「じゃあ犯人もこの町の人間で発信もこの町?」

「いや。どうやら発信の切っ掛けも発信した人間もこの町じゃないらしいんだよ。どうにも分からないんだが、その大本の技術は治療がらみで作られた技術でね。これは当主も同じ意見なんだ」


 爺とウォン先生はヴァイス起動後に話し合ったようで、ヴァイスはそれを教えてもらえなかったということになるが?


『ではなぜ私にそれを言わなかった?』

「理由は二つ。先入観を持たせたくない。確定した情報ではなく私達の憶測で証拠がないが理由だよ。それに、真君にはいずれ教えなくてはいけないことだからね。憶測を持たせないというのも理由かな? どのみち私はこの街に帰ってきたというわけだ」

「じゃあ先生は自宅に? あれ? でも、前に自宅は売り払ったって…」

「実は今日つい先ほどヘリで到着してね。早速ウイルスチップの生徒を調べていたらきみの話を聞いてね。海谷家の人が来たと聞いて「真君がここに来た」と思ってね。少しばかり先ほどの状況を話してほしいんだ」


 僕は「ああ。そういうことですか」と言いながら聡と一緒に大まかな話をウォン先生にした。

 話を聞きながら終始「なるほど」と言いながら話を聞いていたウォン先生、腕時計を確認しながら「そろそろ入った方がいいね」という。


「入学式が終わったら私のゼミまで来てくれないか? 細かい話はそこで聞こう。私のゼミは先ほどの建物の十六階にある」

「俺は無理っすね。終わったらそのまま剣道部ですし。真に任せていい?」

「はぁ…まあいいけど。じゃあ僕が行きますよ。一人で良いですよね?」

「ああ。構わないよ。じゃあ後でね」


 そういってウォン先生はそのまま来た道を戻っていった。

 僕達は行動へと入っていくと全三階の席の半分ほどはすっかり埋まっており、僕たちは目立たない二階の端っこへと座る。

 すると沙喜と一華は一階の最前列で椅子に仲良く座っていた。


「この後解散して終わりだよな?」

「ああ。明日本格的にホームルームで授業などの説明や各施設の案内があるはずだ。ゼミやクラブ活動は早速今日から解禁らしいけど。入学式一時間、その後ゼミの説明が一時間だったかな? さっさと帰る生徒もいれば残っている生徒もいるんだろうな…」

「ほとんどは残るだろ? クラブ見学やゼミの見学。やることは多いぜ。俺だって部活に出るし。というかこんな設備のいい学校に入って何もしないとかあるのか?」

「あるだろ…別に珍しいとは思わないし。始まったぞ」


 学年主任らしい先生が「では入学式を始めます」という一声で会場が一瞬で静まり返り、会場の意識が白いスーツに赤い花を胸につけている女性主任へと向けられる。

 つつがない進行が続いていき、学園長の簡単な学園の行動指針などの説明が入ってから生徒会長の挨拶、学年主席の挨拶。

 その後、明日以降の一年生の行動の説明をしたところでいったん入学式は終了、そこからゼミの説明と学校内にあるゼミの紹介が始まった。

 全く知らない先生たちであるため僕と聡は興味がなさそうにみているとあっさりと終わってしまった。

 最後に再び学年主任の説明が始まったところで聡がひそひそ話を僕に持ち掛ける。


「なあ。あの髭熊先生もゼミやるんだよな? でも、さっきの紹介ではなかったよな?」

「ああ。僕も思ったよ。ゼミに居るって言っていたからてっきり説明時にあると思ったんだけど…まあその辺も聞けばわかるから。終わったら会おう」

「俺結構時間かかるぞ」

「じゃあ剣道場に行くよ。場所ぐらい分かるし…ヴァイスが」

『私か? まあ構わないが…』


 入学式が終わって二人で一階まで降りたところで沙喜と一華に遭遇した。


「お二人さんはこの後どうするの? 私と一華は二人ほど寄りたいゼミがあるんだけど?」

「沙喜ちゃんと『イーゼル・ラン』先生と『岳人誠二』先生のゼミに行くの」

「俺は剣道部」

「僕も行くところができたから別行動。今日はそのあと聡と一緒に行動する」

「あっそ…じゃあ行きましょ。一華。仲良く男子同士でいたいそうよ」

「「誤解招く言い方するな!!」」


 僕と聡は沙喜に力一杯突っ込んでから講堂前で解散、僕はそのままウォン先生のゼミまで一直線に向かった。

 十六階にあるというゼミ、ドアをノックして入っていくと、まだまだ使っていない感じのする綺麗な部屋が視界に飛び込んできた。


「真君いらっしゃい。今さっき荷物を開けてね。何か飲み物を飲むかい?」

「じゃあブラックコーヒーで」

「フフ。相も変わらず甘いものは苦手かい?」


 先生がコーヒーを入れている間に僕は本棚をボーっと見ていることにした。

 記憶粒子に関する論文やそれを活用した機器の研究資料などがびっちりと置かれている。

 その内の一つが目に止まって手に取ってみた。


『記憶粒子を活用した脳細胞の疑似再現と復元技術について』


「それこそ私が二週間前に大学内にある古い資料と共に発見した最近の論文だよ」

『誰が書いたものだ? 論文なら誰かが書いたのかわかるだろう?』

「真君。その論文の記述者の名前を見てみたまえ」


 僕は先生の言われた通りに記述者の名前を調べてみるが、そこには何も乗っていなかった。

 というよりは論文者の名前は『匿名』としか書かれていない。


『なんだこれは?』

「やはりそう思うかい? 私のように論文を書く人間からすれば研究内容をまとめる際に自分の名前を書くものだが、この論文は書いた場所もその際に使った研究所や大学などの施設、それどころかそれを匂わせる記述すら存在しない。おかしいと思わないかい?」

「うん。パラっと見てみたけど。確かに書いてないね。意図的に消されているみたいだ。書くときに意識的に消して自分につながる痕跡を途絶えさせている」

『真。私は…』

「私もこんな論文を書く人間は一人しか候補が居ないと思っているんだ。でもね…本人が隠している案件に証拠もなく突っ込んでもはぐらかされるか逃げられると考えているんだ」


 僕たちの脳裏に『沙喜』の存在がチラついた。


「先生は沙喜に会ったことがあるはずだよね? あの病院で…だったらその病院を調べたら」

「それがね…」

『その病院は潰れている。中のデータも回収できないだろうな…』

「海谷家が調べているんだよ。ちょうど三日前にね。でも何も見つからなかったよ。データは全て削除して本体ごと壊されているし、研究に使った機器も持ち出された痕跡がある。それも…」

「最近持ち出された?」

「そうだ。最近というとここ数日と思うかもしれないが、実際はここ数年というべきだね。時期がはっきりしないから何とも言えないけど…」


 先生は僕にコーヒーを手渡した。

 その表情は少し曇っているのだった。

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