二章 本気になるということ
第8話
外灯が頼りなく夜を照らす。温かみのあるはずの橙色の光は、むしろ夜の闇の深さを助長させているような気がする。月は出ていない。外灯のまわりには羽虫がきらきらと飛んで見えた。
俺は息を切らしながら、公園内のランニングコースを走る。汗がびっしょりと滲んだシャツが体に張り付いている。自分の中では限界ぎりぎりのペースで、できるだけ長い時間を走る。
大事なのは、しっかり下半身で走ることと、どれだけきつくても足をしっかり動かし姿勢を崩さないこと。疲れているときにこそ、力を発揮すること。
もう少しで、自分の中で決めたノルマの距離に達する。ペースを上げる。ペースを保てるか保てないかギリギリ。このまま、落とさないで速度をキープする。そして最後の最後。「はあっ、はあっ」とさらに息が荒くなる。顔がゆがむ。風を切る感覚が大きくなる。肺がいっぱいいっぱいだ。
ゴール。
速度を緩め、やがて歩き始める。まず大きく呼吸をして息を整える。
「あー、きっつ」
イヤホンを付けている俺の耳には、ぼんやりとしか自分の独り言は聞こえない。
「くそ、全然、体力が戻ってきてる、感じがしないな」
背筋を伸ばすことを意識する。無理をすることは駄目だけど、無理だと思ったときに頑張れることはきっと思った以上に大事なことだ。俺は無理ができない甘ったれなタイプだから、限界よりもうちょっと頑張っても、決して無理にはならない。
ここ
ランニングコースは一周が一・六キロ。五周を走って、一周を歩くのが最近の俺の日課になっている。
歩きながら、「また野球部に入ってしまったなあ」と思う。いろいろと懲りたはずなのに、結局戻ってきてしまった。
中学時代の最後の試合は、二年生の七月だった。
俺はエースとして先発して、初回に四点を失い、二回にも無死から四球で出した走者を還されて二点取られたところで降板した。いまとなっては申し訳ないな、という気持ちもある。好きじゃなかったとはいえ、仮にも一つ上の先輩らの最後の大会を俺が終わらせてしまったのだから。
でも当時はちがった。被害妄想じゃないと思う。あのとき、野球部のだれもが俺の失敗を望んでいた。例外はきっと、
そして、俺は逃げるように野球部をやめた。
イヤホンから聞こえてくる曲が変わる。イントロですぐにわかる。『BUMP OF CHICKEN』の『HAPPY』だ。
『片付け中の、頭の上に、これほど容易く日はのぼる』
日はのぼるという言葉。ほかにも、「明けない夜はない」なんて言葉はよく聞く。それらの言葉すべてには、前向きな意味しか含まれていないものだと思っていた。
でも、この曲を聴くとよくわかる。明けてほしくない夜だってあるのだと。来てほしくない朝だって、ときにはあるのだと。
『戦う相手さえ分からない、だけど確かに痛みは増えてく』
いくつか、フレーズを声に出さずに口ずさむ。
明るくてどこか無理をしている、そんな空元気のようなメロディーが心地いい。
歩き始めての一周を終える。最後のサビの手前。
『なんか食おうぜ、そんで行こうぜ、これほど容易く日はのぼる』
一度目の「日はのぼる」はどこか皮肉めいて後ろ向きだったのに、今度の「日はのぼる」はほんの少しだけ前を向いた響きを持っていた。
そう、どんなに億劫だって日はのぼってくるのだ。
だから。
しょうがないから、怠い体に鞭打って、寝癖がついて、あくびが我慢できなくて、布団の中に戻りたくて。それでも、冷たい水を顔に浴びせて。
つらいときでも、しょうがないから、前を向く。つらいとき、いつまでも後ろを向いていたってしょうがないから。
最初はそれでいいのだ。たとえ意気揚々と前を向けなくても、仕方なくでも前を向ければ、それでいいのだ。
『悲しみは消えるというなら、喜びだってそういうものだろう』
とても卑屈な歌詞だと思う。でも、ひとというのは大抵、ロマンチストのきれいごとより卑屈屋のきれいごとのほうが共感できるものだろう。
なんだっただろうな。
悲しみは消える。
どこかで聞いたなと記憶を探ると、ふと思い出す。
ああ、そうか。『王子さま』が『ぼく』に言ったのか。
夜空を見上げる。
もしかしたら、『ぼく』は『王子さま』にそう言い返したかったのかもしれない。
汗で冷えた体をぶるりと震わせながら、そんなことを思う。
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