第5話 初めての夜会 後編

 あっという間に夜会の日はやってきた。

 この日のためにとしつらえた青のドレスはリデッドの瞳の色とよく似ていて、ところどころに入った白をアクセントに金糸の刺繍が目にも美しい。首元が詰まったデザインで、慎ましやかな胸が目立たないところが特に気に入っている。

 平凡な栗色の髪は結い上げて飾りをつければ見違えるようだ。化粧もすべてお任せで、仕上がった鏡の中の自分を見てセフィーナは感嘆のため息をついた。


「……これほんとにわたし?」


 化けてよそおうとはよくぞ言ったもので、まるで別人になった気分だ。

 カミラをはじめ使用人たちの反応も満更ではないことからうまく化けることができたらしい。

 眼鏡をかけたことを露骨に残念がられたがこればかりは外せない事情がある。視えるのも困るが、見えないのも困るのだ。


 先に準備を済ませているというリデッドの元へ赴くと、とろけるような笑みで迎えられてしまった。


「うん。よく似合ってる。セフィ、綺麗だよ」

「あ、ありがとうございます」


 絶対、室長の方が綺麗だと思う――そう言いたいのをぐっとこらえてセフィーナは笑顔を返す。

 端正な人が盛装すればそれは様になるに決まっているというもの。

 リデッドの装いはセフィーナのドレスと色合いが同じで、並べばお揃いということがよく分かる。カフスにあしらわれた白鳥はセフィーナの髪飾りのモチーフにもなっていて、細かいところに至るまで抜かりがなかった。


「リデッド様、もうそろそろお時間です」


 執事のステファンの一言がうっかり見惚れてしまったセフィーナを現実に引き戻す。


「分かった。それじゃセフィ、お手をどうぞ」


 リデッドにエスコートされ、馬車に乗り込んだ。




 初めて足を踏み入れるプラウ侯爵邸はシグニス侯爵邸の比にならぬほど大きく、立派だった。大規模なホールは宮廷にあるものにも負けず劣らずで、大勢の人がひしめき合う様はさながら戦場のよう。

 否、ようではなくセフィーナにとっては正しく戦場だ。

 侯爵令息夫人としての初仕事の場、抜かりなく済ませなければならない。


 挨拶は事前に頭に入れておいた招かれる可能性のある者の名前と爵位、出身地といった簡単な情報を駆使してこなすことができた。もちろん随時リデッドがフォローしてくれたというのも大きい。

 セフィーナは職業柄、薬草には目がない。実験器具の元となるガラス工芸や陶磁器にも興味があるため、それらが名産地となる令嬢や令息に対しては話が弾んでしまうこともあった。


 心配していたダンスもあれから侯爵邸で特訓した甲斐があってなんとかなった。近すぎるリデッドとの距離もダンスの間だけなら慣れることができ、表面上は笑顔を保つことができたはずだ。

 踊り終わり、額に浮かんだ汗を拭おうと一瞬眼鏡を外した時。

 視線を感じる方へ顔を向ければそこに赤いへびのようなものが視えた。その主は紛れもないクージャ・セルペンス子爵令息――断った見合い相手で、ひゅっと喉が狭まる。

 裸眼では表情までは見えないが、へびに黒いもやがかかっていることから悪感情を抱かれていることは分かった。


(恨まれてる……のかな。いやでも、わたしを嫁にもらうメリットもないと思うのよね)


 援助をする代わりに受け取るものがナターシャならともかく、セフィーナでは見合わないと思うのだ。

 現に今もクージャの隣にはきらびやかなドレスをまとった女性がいる。どこのどなたかは存じ上げないが、セフィーナにはあの華やかな雰囲気を出すことは難しそうだ。

 なによりもシグニス侯爵家からそれなりの補填はされている。見合いの横取りという形ではあったが婚約すらしていない状況であの補填内容は破格だったはず。


(よし。見えなかったことにしよ)


 ハンカチで汗を拭い、視線を外して眼鏡をかける。リデッドが呼び止めたウエイターからドリンクを受け取って何事もなかった顔でそれを飲み干した。


 主催のプラウ侯爵は政治の場をのぞいてあまり人前に出ないという人で、リデッドであってもお目通りは叶わなかった。招いておいてそれはどうなのと思ったが、いつもそういう感じなので気にしなくていいとリデッドは気楽なものだった。


 リデッドに声をかけてくる者は男女問わずいて、男性は侯爵の名に釣られておべっかを使う者が多かった。女性や妙齢の娘を持つ者は結婚した件について残念そうな顔をしていたが、リデッドがセフィーナの腰に手を回して親密ぶりを見せつけると言葉少なに去っていく。

 追い払うためとはいえ溺愛ムーブをかまされてセフィーナは内心冷や汗ものだった。


「僕の方から口説き落としたんです」


 やら、


「そう、式はこの後で……形だけでも先に結婚したくて」


 やら、歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく口にされて笑顔の仮面が剥がれないか気が気でない。

 寄る人の波が一段落してもぴったりとくっつかれたままなのにはさすがに参ってしまった。


「室長、ちょっと近くないですか?」

「セフィ、呼び方」

「あっ。す、すみません」

「セフィ、ここは職場じゃないからね? それにこうでもしていないと、別の誰かにダンスを誘われても困るだろう?」

「そんな奇特な方はいないと思いますが……」

「いるよ。中身はもちろん、セフィは魅力的だから。……他の誰にも奪われたくないと思ってる」

「え、えぇ……?」


 お世辞にしては度が過ぎていないだろうか。

 真摯な眼差しで見つめられて言葉に詰まってしまう。


「…………冗談、ですよね?」


 セフィーナの問いにリデッドは微笑むだけで答えてはくれなかった。




 夜会も中盤になり、ちらほらと二人で抜け出す者たちが出始める頃。

 セフィーナは後ろから声をかけられた。


「こんばんは、セフィーナ様」


 呼び止められて振り向けばよく見知った顔がそこにあった。


「アレク、あなたも招かれていたの?」

「あぁいや、俺は仕事で……と、その前に。閣下、ご夫人にいきなり話しかけてしまい申し訳ありません」

「構わないよ。で、君は?」

「宮廷騎士団第一小隊所属、アレクセイ・ミザールと申します」


 ひざまずいて所属を名乗ったアレクセイの姿をよく見れば騎士服で、夜会の参加者という体ではなかった。

 そもそもプラウ侯爵家の夜会は選ばれし者のみが参加できる狭き門だ。招待状は大前提として、その招待状が送られる条件が今ひとつ定かではない。リンクス伯爵の令嬢であるオリガは招待されていないというので爵位の高さというわけではなさそうだ。

 アレクセイの家はセフィーナと同じ子爵位で、同じように領地を持たないと言っていた。参加者予想名簿にもミザール子爵の名はなく、仕事という言葉と騎士服であることから警備としているのだろう。


「あの、アレクは学生時代からの友人なんです」


 学科は違えど同級生で、なんとなく気が合う友達として付かず離れずの関係だ。宮廷勤めになってからも宮廷内や食堂で会えば他愛ない話をしていた。

 ベロニカとも旧知の仲で、仲違いした際には板挟みにしてしまい申し訳なく思ったことは記憶に新しい。


 確か最後にアレクセイと会って話したのは結婚前。

 思わぬ形での再会に驚いたが、品定めをされるような視線にさらされることなく会話できることにセフィーナは安堵した。


「セフィーナ様に結婚の祝福をと思いまして。このたびはご結婚おめでとうございます」

「ありがとう……というか、いつも通りでいいよ? アレクに敬語使われるのは違和感があるなぁ」

「はは、それは俺も」


 にかっと笑うアレクセイにつられてセフィーナも破顔する。

 ずっと緊張しっぱなしだったのもあってか、夜会に来てようやく心から笑えた気がした。


「――用件は以上かな?」


 ひざまずいたままだったアレクセイを見下ろすリデッドはどこか冷淡でそっけない。顔には笑みを浮かべているが、目元が笑っていなかった。


「そうです、と言いたいところですが……閣下は『星の船の力』をご存知ですか?」


 返すアレクセイの声色もどこか平坦で、感情が読めない。


「……知っている、と言えばどうなるのかな」

「現時点ではなにも。……均衡が破られることに危惧の念を抱いておられます。その点ご留意いただければと」

「アレク……?」


 一体何の話をしているのか、セフィーナにはさっぱりだった。

 二人を交互に見つめるセフィーナの身体を引き寄せ、リデッドはきっぱりと言い放つ。


「『力』を求めたわけではない、と伝えておいてくれるかな?」

「かしこまりました」


 頷いたアレクセイを一瞥し、リデッドはさて、と声色を変えた。


「セフィ、僕たちはそろそろおいとましようか」

「あ、……はい、分かりました。アレク、またね」

「おう。また」


 アレクセイのセフィーナに向ける顔も声もいつもの気安さがにじむもので、リデッドに向けるものとはまるで違う。

 もうじき十年来になろうかという友人の見たことのない一面を目の当たりにして、セフィーナの初めての夜会は幕を閉じた。




 ホールの外には満天の星空が広がり、春らしからぬ熱をはらんだ空気が肌に張り付いてくる。

 帰りの馬車の中で、セフィーナは『星の船の力』とはなにかとリデッドに尋ねてみた。

 先程の様子からはぐらかされるだろうという予想は当たり、大したことじゃないと首を横に振られてしまう。


「そんなことより、今日は本当にご苦労さま。頑張ってくれたご褒美をあげたいのだけど」

「いえそんな、ご褒美とかとんでもないです」


 大きなへまこそしていないと思うが、せいぜい及第点といったところだろう。


「至らなくてすみません。室長のご迷惑にならないようにしないといけないのに、」

「――リディ、と」


 言葉尻を重ねられて一瞬きょとんとしてしまった。


「セフィ。さっきもだけど、名前で呼んでほしいな」

「あっ、す、すみません……」

「…………外堀から埋めてったのは悪手だったかな」


 ぽつりとごく小さく紡がれた言葉はセフィーナの耳には届かない。


「? すみません、馬車の音でよく……」

「あぁいいんだ。――ねぇ、セフィ。君は自分の価値を知った方がいい。仕事でもそうだけど、僕の妻としてももっと自信を持つべきだ」

「……そう言われましても……」

「今日だって、上出来すぎるくらいだったよ。多分今までで一番声をかけられたんじゃないかな。みんな、セフィが気になったんだよ」


 それはまぁ、麗しの侯爵令息を射止めた者の顔を見たいとは誰だって思うだろう。

 つい内心で卑下してしまうあたり、自信を持てと言われたところで急には変われない。


「あくまでわたしはおまけで、リデッド様がお目当ての方が多かったように思います。お名前が広く知られているというのも大変ですね」

「侯爵家に生まれて人並み以上の恩恵を受けているんだ、そこは仕方ないと諦めてるよ。うまく折り合いをつけて立ち回ることができなくてどうするって幼い頃から仕込まれたからね」

「高貴なるものは義務を負う、ですか」

「そういうこと。まぁ、結婚という義務は見て見ぬ振りをしていたわけだけど、気が変わったんだ」


 まるで内緒話をするかのようにリデッドは身を乗り出す。


「あの時の『仕事を辞めたくない、みんなと離れるのは嫌だ』っていうセフィの言葉。あれ、本心だよね?」

「…………はい、まぁ」


 醜態を思い出してしまい穴があったら入って埋まりたくなった。


「希望を叶えられたと思っているけど、実際のところはどう? もし嫌な思いをさせているのなら善処するよ」

「いえそんな、嫌だなんて。分不相応すぎやしないかと思っているくらいです。わたしこそ、リデッド様の負担になってなければいいな、と……」

「大丈夫。負担とも迷惑とも思ってないよ」


 リデッドの紺碧の瞳が細められる。

 その眼差しは優しい光を帯びていて、セフィーナを捉えて離さない。


「屋敷の者たちから聞くセフィの評判も日に日に良くなっていくしね。セフィはちゃんと受け入れられてるから」

「ありがとう、ございます……」


 セフィーナは俯き、膝の上でぎゅっと拳を握る。

 単なる社交辞令かもしれないが、あえて口にする必要もないことをわざわざ伝えてくれる心遣いが嬉しかった。


「セフィ。嫌な顔ひとつせず付き合ってくれて、本当にありがとう」


 揺れる馬車の中、向かい合わせに座るリデッドの手がセフィーナの手にそっと重なった。

 とっさに腕を引こうとするもかなわない。逃げることもできないまま、セフィーナはたどたどしい言葉を返すことしかできなかった。


「い、いえ……約束、ですから」


 そう、これは契約結婚にすぎないのだ。

 今日に限れば、最低限の社交をこなしただけ――そのはずなのに、リデッドはひどく優しい。

 頑なな心を少しずつ溶かされていく。ともすれば自惚れてしまいそうで、いつか来るであろう終わりの日を迎えることが怖くなってくる。


 じわりと冷えた指先を包み込むようなリデッドの手は温かく、心地良い。おそるおそる顔を上げれば紺碧の瞳がまばたきひとつせずにこちらを見つめていた。

 顔に熱が集まっていくのは、きっと、繋いだ手の熱さのせいだ。

 ぎゅっと胸が締めつけられる感覚に襲われ、セフィーナは顔をそらしてしまった。



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