第1話 魅力的なお品書き
ここは宮廷薬務室、第一支部。
宮廷と冠するものの限りなく敷地のはずれにある大小二棟並んだ建物の一室で、セフィーナはごりごりと薬研を動かしていた。
「はぁ〜……」
窓から差し込む春のうららかな陽射しとは裏腹に、セフィーナの口から盛大なため息がこぼれ落ちる。
セフィーナ・アルゴー、二十五歳。
花も恥じらう年齢は通り過ぎても、些細なことを気にしてしまう性分は変わらない。
栗色の髪をひっつめ、目元を遮るように眼鏡をかけたセフィーナは薬研の中の薬草の状態を確認する。
粉状にまで細かくしたそれを天秤に移し、重さを測った後、かたわらの乳鉢へ。乳鉢にはすでに別の薬草を粉末状にしたものが入っており、乳棒を使ってよく混ぜ合わせていく。
同じ薬草でも、色合いや状態はわずかに異なるもの。
じっと乳鉢の中の粉を見つめ、思案すること三秒程。セフィーナはかたわらに置いてあった小瓶を手に取った。蓋を開け、乳鉢の中へ慎重に一滴ずつ中身の液体を落としていく。
「これなら十……いや、九滴、かな」
独り言の通り九滴落として混ぜ込んでいけば、乳鉢の中の粉は濁った緑から透き通った液体へと色と姿を変えた。
問題はなさそうで、いつも通りの仕事ができた。
ふうと安堵の息をつき、横に置いてあった空の小瓶へ液体を移し入れる。同じ作業を何度も繰り返せば、セフィーナの前にはいくつもの小瓶が並んでいた。
ひとつずつ光にかざし、不純物がないかといった状態を確認しながら、セフィーナは再びはぁ……と長いため息をつく。
「ちょっとぉ、辛気臭いのやめてくんない? かび生えちゃいそう」
「さっきから何度もため息なんてついて。どうかしたのかい?」
声をかけてきたのは同僚のオリガとセルゲイだ。
オリガの手元には
セルゲイは問いかけてはくるものの分厚い本から目を離す様子はなく、悠然と椅子に腰掛けたままページをめくっていた。
「別に、いつものあれですよ。今週末とうとうお見合い相手と顔合わせだと思ったら、つい……」
「そんなに嫌なら断っちゃえばいいじゃん。おんなじ子爵位なんでしょ?」
「気軽に言ってくれるけど、領地も持たない名ばかりのうちとあのセルペンス家じゃそもそも格が違うのよ。資金援助もしてくれるって言うし」
「これぞ政略結婚って感じ? やだ貴族っぽい〜!」
「ぽい、じゃなくて貴族だからね。一応。わたしだけじゃなくてオリガもセルゲイも」
けらけらと笑うオリガにセフィーナは呆れたように眉を下げて見せた。
――研究者なんて総じて変わり者が多いもの。
それは主に貴族の子女が働く第一支部も例外ではなかった。
「笑ってるけどさ、オリガは親からお見合いの話が出たりしないの?」
「あたしまだハタチだし、男きょうだいがいるからねー。それに親になんて言われてもお見合いはヤだな〜。相手は自分で見つけてこそっしょ」
「セルゲイは? 三十過ぎて未婚ってなんか言われない?」
「俺のところはすでに兄貴が家督を継いでいるからね。自分の食い扶持は自分で稼げるし、結婚なんて煩わしいものは不要だな」
「うぅ……二人とも強い……」
同時に確固たる意思を示すことができて羨ましいとも思う。
貴族の家に生まれた以上、いずれ結婚はしなければいけないものだと覚悟はしていた。
アルゴー家の長女として生まれ、いずれ婿を取るのだと言われていたのに親が持ってきた話はセルペンス家への嫁入りで。実家はどうするのだと聞けば四つ下の妹であるナターシャに婿取りをさせ、家督を継がせるのだという。
そこでセフィーナは悟ってしまった。
自分は売られるのだと。
セルペンス家は裕福で、嫁となる者の実家への援助を惜しむことはないだろう。けれど次期当主であり見合い相手でもあるクージャの評判は芳しくない。女関係がだらしないというのが最たるもので、金にものを言わせて幾人もの美女を夜の街で侍らせているのだという。
(身代わり、か……)
おそらくこの話は妹に来たものだろう。けれど相手が母のお眼鏡に適わなかった。
可愛くない姉を金づるとして差し出し、可愛い妹を手元に置いて婿を取らせる――母の考えはそんなところだろうか。
空気な上に母の尻に敷かれっぱなしな父がどう思っているかは知らないが、セフィーナと違い、ナターシャは母に愛されている。
幼い頃は病弱だった妹は母似の愛くるしい外見に加え、ころころと豊かに表情が変わる。
かたや姉であるセフィーナは祖母似で、やれ地味だやれ無愛想だと散々な言われようだった。
衣食住に困ったことはなく、虐げられたというわけではない。ただ、全てにおいてナターシャが優先され、セフィーナが二の次だっただけ。
そんな幼少期を過ごしたからこそ、セフィーナは勉学に励んだ。
得た知識は孤独を埋めてくれると同時に家から離れる口実も与えてくれた。
高等学校の寮に入って以降、家に帰ることは年に数えるほど。宮廷薬剤師として勤めるようになってからはほとんど顔を見せていない。幸か不幸か仕送りさえすれば口うるさく言われることがなかったのだ。
地味で眼鏡なセフィーナとは違い、器量よしのナターシャであれば縁談の話も来るというもの。
妹が家を継いでくれれば、もしかしたらこのまま仕事に生きることもできるのでは……?
ここ数年はそんな淡い期待を抱いていたが、そう簡単に事は運んでくれないようだ。
「――世間話も結構だけど、手が止まってないか?」
「あ、室長〜」
カランコロンと扉につけられた鐘と共に部屋に入ってきたのは第一支部の室長――リデッドだった。
片手に書類を抱え、もう片方の手で頬にかかる白金髪をかき上げる。夏の陽射しのような紺碧の瞳は涼やかで、端正な人は苦笑する様すら麗しいのだと頭の片隅で感心した。
「部屋の外まで声が聞こえていたよ」
「す、すみません……」
「仕事はちゃーんとしてますよ。ね、セフィ」
オリガが示す指の先には先程詰めた小瓶が並んでいる。それを確認してリデッドは満足げに頷いた。
「であれば結構。……と言いたいところだけど、その、作ってもらった追加分は残念ながら保管庫行きだ。いつも通りの量でいいそうだ」
「そうなんですか?」
「あぁ。数字を書き間違っていたらしいよ」
「書き間違い〜? 一桁間違うとかそんなことあります?」
「そこは僕たちが推し量るところじゃないからね。あちらにも色々事情があるそうだよ」
怪訝な顔をするオリガをなだめつつ、リデッドは手元に抱えた書類から紙を一枚取り出した。
「これ、先日申請した新しいポーションの結果。無事に承認されたよ」
「ホントっすか!? やったー!!」
ぱっと花が咲いたように破顔するオリガ。勢いそのまま抱きつかれてしまい、あやうく倒れそうになってしまった。
「おめでとう、オリガ」
「ありがとー! それもこれも手伝ってくれたセフィのおかげでもあるし〜、よし、飲みに行こ! 今ならいくらでも愚痴聞いてあげちゃう」
「その話、僕も乗っていいかな? お邪魔じゃなければ、だけど」
リデッドが混ざってくるとは珍しいこともある。
目をしばたいたのはセフィーナだけでなくオリガもそうだ。けれどオリガの方が復帰速度が早かった。
「いいですよ〜。せっかくなんで美味しいお店連れてってください!」
ちゃっかり希望を伝えることは忘れないオリガだった。
***
仕事終わりに訪れたのは王都の中でも予約が取れないと噂の隠れ家的なお店だった。
飛び入りで大丈夫かと不安に思ったのもつかの間、入り口でリデッドが名を告げると店のオーナーが飛び出てきてどうぞと中へ案内される。
通されたのはゆうに十人は入れそうな個室で、鈴を鳴らせば店員が来るという。逆に言えば呼ばない限りは誰も来ないわけで、これはどこぞのお偉いさんが密会に使う場所なのではと感覚が庶民のセフィーナは身震いした。
「侯爵令息ともなると予約なしで入れちゃうんですね〜」
オリガは店員が去るやいなや、よく聞けば失礼なことをさらりと言ってのける。
嫌味に聞こえないのは普段の言動のせいか人徳が成せる技なのか、リデッドは気にした様子もなくソファに腰掛けた。
「こういう店は一部屋は空けているものだからね。人に聞かれたくない話をするなら個室がいいだろう? あぁほら、セルゲイとセフィーナ嬢も座って」
リデッドに促されてようやくセフィーナとセルゲイはそれぞれ一人がけのソファに座る。
テーブルの上のメニューを手に取ると値段が書いていなくてセフィーナは固まってしまった。
(世界が違いすぎる……)
まさか時価? 手持ちで足りるだろうか。
考えていたことがそのまま顔に出ていたのか、リデッドがくすりと笑みをこぼした。
「まさか部下に払わせることなんてしないよ。ここは僕が持つから」
「やった、ゴチになりますー!」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます、室長」
口々に礼を述べ、頭を下げる。
「遠慮なく頼むといいよ」
そう気軽に言ってのけるリデッドは本来であれば住む世界が違う人だ。
リデッド・シグニス侯爵令息。
ここトレミー王国に七つある侯爵家の中のひとつ、シグニス侯爵家の嫡男で、魔術の才にも溢れている。元々は宮廷魔術師団に所属していたところ、セフィーナが薬務室勤務となった翌年に薬務室へ転属してきたという一風変わった人でもあった。
「――それで、セフィーナ嬢のため息の理由はお見合いだとか?」
オリガの新ポーション承認のお祝いとある程度の腹ごしらえが済み、酒のペースが上がってきた頃。グラスを傾けながらリデッドが話題を変えた。
「そうなんですよ〜。最近セフィってばため息ばっかりで。そんな嫌なら断ればいいって思いません〜?」
答えたのはセフィーナではなくオリガで、すっかりできあがっている。
いつも以上に笑い上戸で、けらけらと笑う様は見ていて微笑ましいがそろそろやめた方がいい。
セルゲイもそう思ったようでさり気なくオリガの手元に水の入ったコップを寄せていた。
「もう、オリガってば。……断れるものならとっくに断ってますよ。それができないから困っているわけで」
「ほう。それは何故?」
「親が乗り気で。恥ずかしながら、うちは貧乏子爵で……援助してくれておまけにこのままじゃ行き遅れ間違いなしの娘も処分できるしで一石二鳥なんだと思います」
ついでに爵位は美人な妹が婿取りして継いでくれるだろうから本当は一石三鳥なんですとは情けなさすぎて口にできなかった。
「セフィーナ嬢自身は結婚したくないと?」
「はい。今の仕事を辞めたくありません」
おそらく結婚すればそのまま退職し、相手の家に仕えることになる。
「その、お役に立てているかは微妙ですが……」
オリガのように新薬を開発する才能があるわけでもなく、セルゲイのように一度読んだ本の内容を忘れないといった特技もない。
セフィーナにできるのは、ただ、目の前にある薬と同じものを作ることだけ。
同じ効能となるよう、材料を配合する際に少し気を使いはするものの、いずれ魔道具といった人の手を必要としないものに取ってかわられてもおかしくはなかった。
「そんなことないよぉ〜。セフィが作る薬は質がいいって評判だよ?」
「全くだな。均一な質のものを作り上げるのがいかに大変か、セフィーナはもっと自分の価値を知った方がいい」
「ありがとう二人とも……」
オリガとセルゲイに励まされ、涙腺が緩む。
これくらいで泣きそうになるだなんて結構酔いがまわっているのかもしれない。
「それは僕も同意見だね。セフィーナ嬢を失うのは惜しい」
悩ましげに眉を寄せるリデッドにお世辞を言っている風はなく、本心から言っているように感じられる。
尊敬する上司に褒められて嬉しくないわけがない。
なにより同じ必要とされるのでも家のために売られるのとセフィーナ本人を認めてくれるのでは天と地の差だ。
(あ、やば……ほんとに泣いちゃうかも)
ごまかすために俯き、グラスに口をつける。
しんみりした雰囲気になってしまった中、オリガがおもむろに立ち上がった。
「うっし。もう遅いし、あたしそろそろ帰ろっかな」
「あ、じゃあわたしも……」
「セフィはもうちょっと飲んでいきなよ〜。ってことでセルゲイ、送ってって」
「……はあ?」
セルゲイは露骨に嫌な顔をした。
「なにおう〜こんな可愛い女の子を一人で帰すとか信じらんない。ねぇ、ホロロジー子爵令息サマ?」
オリガの目は完全に据わっている。不満げに唇を尖らせるオリガから見下ろされたセルゲイは、諦めのため息をついた。
「しかとお送りさせていただきますよ、リンクス伯爵令嬢様」
「セフィ、室長、じゃあね〜」
「ご馳走さまでした。お先に失礼します」
「う、うん。また明日」
陽気なオリガとなんだかんだと面倒見のいいセルゲイを見送ればその場にはセフィーナとリデッドだけが残される。
広さはあるとはいえ、個室に二人きり。横に座っていたオリガが去り、リデッドとはちょうど向かい合う形になる。そんな中、何を思ったかリデッドは空いたオリガの席へ移動してきた。
「とりあえず、もう少しゆっくりしていこうか」
「は、はい」
断る理由などなく、セフィーナはこくこくと頷く。
いつの間にか涙はすっかり引っ込んでしまった。
そうしてリデッドに勧められるまま食べて飲んでをしていたら、魅力的なお品書きを提示され、契約結婚に頷いてしまっていた。
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