第11話 週初め

「一生忘れられない相手、か……」


独りぼっちの部屋の中で、仰向けに転がったままで私は呟く。


今日、成ちゃんが昼間に言っていた言葉は、私にはない言葉だった。


私も恋をしたことはあるし、お付き合いをしたこともある。でも、別れた時は、合わなかったんだから仕方がない、としか思わなかった。


どうやったら、そんなに人を好きになれるんだろう。


そんな風に人を愛せる成ちゃんが、ちょっと羨ましかった。


誰にも言ったことはないけど、私は社会人になってから誰かを好きになったことも、出会いを求める行動に出たこともない。


初めは恋人ってどんな感じだろう。キスって、セックスって、気持ちいいんだろうかと興味もあった。でも、一度経験してしまうとその情熱も薄らいだ。


それよりも、仕事をしてお金を稼いで、自分が生きて行くことに一杯一杯になって、恋愛に対して特別感も持たなかった。


疲れを癒やす何かは必要だけど、それは恋愛でなくてもいい。


むしろ、恋愛はストレスになる可能性もあるから、私は飛び込めなくなってる、かな。





週明け、私はいつものように会社に向かう電車に乗る。


十分に寝たはずなのに、月曜日って何でこんなに眠いんだろうと、目を瞑ってつり革に揺られる。


「八重垣さん?」


不意に背後から声が掛かって視線を向けると、斜め後ろの人の中に見知った存在がいるのを見つけた。


「戸叶さん?」


名前を呼ぶと、人を押し分けて戸叶さんが私の方に近づいてくる。


「おはようございます」


「おはようございます。八重垣さんはこの路線だったんだ」


戸叶さんの笑顔で、それまであった眠気は霧散する。一人暮らしって、家では言葉を発することもないので、外で誰かとしゃべって、やっと目覚めた感がある。


「はい。戸叶さんは違いませんでしたっけ?」


先日の飲み会の帰り、解散する時に戸叶さんは別の路線のホームを登って行った。


方向も違うので、何か事情があって、乗り換えしてきたとも考えづらい。


「昨日実家に泊まったから、今日は実家から来たの。だから、この電車は久々かな。でも、月曜日の朝って電車が特に混むし、憂鬱だなって思ってたら、八重垣さんが見えたから声掛けちゃった」


「憂鬱って、戸叶さんでもそう思うんですね」


「思うよ。会社に着いて仕事を始めたら忘れるんだけどね」


「そうなんですよね」


朝から元気いっぱいに見える人が、自分と同じことを考えてるって思うと不思議だった。


「八重垣さんは、この週末は何してたの?」


「私、ですか? 今週はたまたま映画の招待券をもらったので、成ちゃんと一緒に見に行ってきました」


「同期だし、やっぱり仲いいね」


「成ちゃんと休日に会うのは、入社してから初めてでしたよ。たまたま旅行委員をしている関係で、大木さんが私たちにって招待券をくれたので、2人で行こうになったんです」


2人で行くことを拒否されなかったので、成ちゃんにとって私は、その程度には友達づきあいをしてもいい相手なのだろう。


でも、成ちゃんは群れの中にいるよりも、自分のペースで一人で歩くタイプなので、仲がいいって言っていいのかは計りかねている。


「大木さんは、時々映画の券貰ってくるよね。ワタシももらったことある。でも、成瀬さんとなら、恋愛映画?」


「そうです。よくご存知ですね」


「前に成瀬さんと映画に行った時に、血が飛び散るのが苦手だって言ってたからね。でも、そうなると選択肢がほとんどないのよね〜」


アクションにしろホラーにしろ、血が出ない映画を選ぶのは中々大変だ。アニメだって、観られるものは限定されてしまうだろう。


「今、一番人気の映画が恋愛ものだったので、選んだだけでしたけど、ホラーにしてたら成ちゃんつきあってくれなかったかもですね」


「前に誘ったら、『一人で入ってください』って捨てられかけたかな」


「成ちゃんなら言いそうですね。でも、戸叶さんって、成ちゃんとプライベートでも、よく遊んだりするんですか?」


先輩後輩だからよく飲みに行くのは頷けたけど、それ以外でも会うっていうのは、共通の趣味やよほど気が合うじゃないと、中々ない。


「……一時期、成瀬さんが落ち込んでいた時があったから、ワタシから遊びに出ようって誘ったの。これは成瀬さんにはないしょね」


戸叶さんは少し間を置いてから、指先を唇の上で立てたままで私を見る。


「それは、春くらいのことですか?」


「春? いえ、もう何年か前のことだから。最近の成瀬さんはその時に比べると不安はなくなったよ」


戸叶さんも成ちゃんの失恋に気づいていたのかと思ったけど、戸叶さんの答えは別の期間を示した。


でも、私が社内にいなかった時期なので、何があったのかは推測がつかない。まさかその時も失恋した、じゃないよね。


「それを、私が聞いちゃっていいんでしょうか?」


「八重垣さんは、誰かにしゃべったりしないでしょ? それに、成瀬さんって、苦しくても誰にも助けてって言えないタイプだから、何かあった時に成瀬さんに声を掛けられる存在は多い方がいいなって思ってるの。成瀬さんにとったら余計なお世話なのかもしれないけど、ワタシは成瀬さんのOJT担当でもあったから、つい心配になちゃうんだよね」


「戸叶さんって、面倒見の良い先輩ですよね。私はOJT担当の先輩とは、2年目になった途端、全く連絡し合わなくなりましたから」


「同じ女性っていうのもあるかな。ワタシと八重垣さんたちとの間に、新人で女性が入って来たことがあったんだよね。でも、その子は前触れもなく急に出社しなくなって、そのまま辞めちゃったことがあったの。何が原因かは結局分からず終いだったから、成瀬さんはそうはしたくないなって思いがあったんだよね」


元々の戸叶さんの面倒見の良さに加えて、そんな過去があったのなら、成ちゃんに対して心配性になって、世話を焼くのは頷けた。


「社内に戻って来た時に、成ちゃんが新人の頃と感じが変わったなって思ったんです。何があったんだろうって思ってましたけど、戸叶さんの影響な気がしてきました」


今まで漠然としたモヤモヤが成ちゃんにはあったけど、成ちゃんが変わった原因に、戸叶さんってピースが当てはまる。


以前と違って、成ちゃんは人を突き放すことをしなくなった。


だから、私からの映画の誘いも断らなかったのだ。


「悪の道には誘ってないんだけどな〜」


そう言いながら戸叶さんは首を傾げる素振りをする。


「成ちゃんは、悪の道には一人で行ってくださいって、突き放すタイプですよ」


「そういうところはカウント厳しいよね、成瀬さん」


「委員長タイプですからね」


「確かに。二日酔いで頭が割れそうなのに、説教してくるんだもん、成瀬さん」


「それは戸叶さんが悪いんじゃないでしょうか」


成ちゃんあるある、の話をしている内に会社の最寄り駅に着いて、そのまま戸叶さんと並んでビルに向かう。


その頃には、月曜日の気鬱さもかき消されてしまって、前向きに仕事に入れていた。

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