第7話 少しずつ世界は広がって行く

煙草を吸いに行っていたとおぼしき磯山さんが、戻ってくるなり私に缶コーヒーを渡してくる。


「くれるんですか?」


「戸叶への礼だ」


律儀な磯山さんは、戸叶さんの言葉通りにリクエストを実行したらしい。


私に持っていけということだと分かって、席を立って戸叶さんの元に向かう。


戸叶さんの席は成ちゃんよりは一つ手前の島にあって、同じグループでもプロジェクトは違うのかもしれない。


「戸叶さん」


声を掛けると、キーボードを叩いていた戸叶さんが手を止める。


さっき言っていた通り、戸叶さんのモニターには設計書らしきものが映し出されていて、文字がぎっしり書かれている。


戸叶さんが設計してる機能って、めちゃくちゃ複雑そう。


「あれ? 八重垣さん、どうしたの? また動かなくなった?」


「いえ。それは大丈夫です。これ、磯山さんからです」


私は手に握り締めていた缶コーヒーを差し出す。


「本気にしちゃったんだ。相変わらず律儀な性格だな〜 あの人」


「はい。なので、どうぞ」


私もこれを持って帰るわけには行かないので、戸叶さんに受け取ってもらう他ない。


「じゃあ、ありがとう。ごめんね、こんなことの使いっ走りにしちゃって」


「いえ、私が抱えていた問題を解決して頂いたので、私が来るのは当然ですから」


「初々しいよね。八重垣さんって」


笑顔で言われてしまったけど、


「一応入社して5年目なんですけど……」


「もうそんなに経ったっけ? ごめん、ごめん。じゃあ、自社に慣れてないからかな」


「まだ、めちゃくちゃアウェイですね」


自分の周りは何とかなったとしても、社内はまだまだ見知らぬ人だらけだった。顔は見た覚えがあっても、名前を知らない人もたくさんいる。


「八重垣さん、1グループだしね。そうだ。1グループは社内に人も少ないから、困ったことがあったらこれからも声掛けてくれたらいいよ」


その言葉で、私は戸叶さんは頼っていい先輩だとフラグを立てる。


「有難うございます。何かあったら相談します」


「磯山さんに無茶振りされたとかの愚痴も聞くからね」


笑いながら、もう一度戸叶さんに礼を言ってから、私は自席に戻った。


今日は朝からトラブルでバタバタしたけど、終わり良ければそれで良しかな。





それ以降、戸叶さんとは、戸叶さんが私の席の近くを通る時に話をすることが増えた。


戸叶さんは総務や営業事務の女性と仲がいいようで、席を立った時によく回り道をしてくる。


「八重垣さんって、成瀬さんと同期なんだ。新人で女子2人の年があったのは覚えてるんだけど、年取ったせいか、誰と誰が同期かって全然覚えられなくなったんだよね」


「戸叶さんはまだ年っていう年齢じゃないですよね?」


戸叶さんの年齢を聞いたことはない。でも、見た目よりも年齢が上の可能性があったとしても、40代ってことはないだろう。


「30過ぎたら老化が始まるんだよ。八重垣さんもやりたいことをやるのは今の内だよ?」


「私は普通に生活できたら十分ですから」


「最近の若い子は夢よりも現実だよね」


「一人暮らししていたら、そうなりますよ」


やりたいことがあって、夢を追いかけてるような友人もいる。でも、私は就職して、目の前の仕事と自分の生活で精一杯で、たまにちょっと贅沢してスイーツを買ったりするのが精々だった。


「八重垣さんも一人暮らしなんだ?」


「はい。大学の頃から一人暮らしです」


「成瀬さんもそうだったよね。じゃあ、同期だし2人で遊んだりとかしてるの?」


どう返すのがいいかとちょっとだけ考えて、でも、そのまま言うしかないかな、と答えを決める。


「……ここに帰ってくるまでは、なかったですね。最近は2人とも旅行委員をやってるので、一緒に帰ったりすることありますけど」


「もしかして仲悪い?」


そう取られるかも、と予測した通りの質問が戸叶さんから返ってくる。


「そんなことないですよ。ただ、成瀬さん……私は成ちゃんって呼んでるんですけど、成ちゃんは新人の頃から、仕事とプライベートは分けたいタイプだったので、外で会ったりまではしなかっただけです」


「確かに成瀬さん、ちょっと取っ付きにくい所あるか……」


思い出したように戸叶さんは小さく溜息を吐く。


「戸叶さんは成ちゃんと一緒に仕事をしたことがあるんですか?」


「前のプロジェクトは一緒だったからね。そうだ。今度3人で女子会しない?」


「女子会ですか?」


「そういうの好きじゃない?」


「そんなことないです。女子会に誘われたことがなかったので……」


「うちの会社男性多いし、女性でも子供がいる人は定時後無理だしね。ワタシと成瀬さんは今までに時々2人でやったりしてたんだけど、八重垣さんが嫌じゃなかったらどう?」


「予定さえ合えば大丈夫です」


「じゃあ、成瀬さんも誘っておくね。料理の希望とか、駄目な食べ物とかあったら、チャットででも送っておいて」


「分かりました」


私が誘うと言った方がいいんだろうか、と思いながらも、戸叶さんは成ちゃんとも親しそうなので、成ちゃんを誘うのはお任せすることにした。


でも、私は成ちゃんとの距離をなかなか縮められなかったのに、戸叶さんにかかると一瞬で予定が立ってしまった。


そして、行動力のある戸叶さんから、翌日には成ちゃんにOKをもらったと連絡が入って、翌週の水曜日に3人で集まることになった。

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