第5話 旅行委員の仕事

旅行委員の中で一番年長なのが大木さんで、今回のリーダをしてくれるということだった。大木さんは過去に何度か旅行委員をしたことがあるらしく、頼りにするつもりだったけど、初っぱなからそれは挫かれることになる。


「俺は外回りで社内にいないことも多いから、成瀬と八重垣で旅行会社との打ち合わせは進めてくれないか? 向こうから訪ねてくるし、適当にプラン作ってくれるから、聞いておくだけでいいし」


大木さんの言葉通りなら、旅行会社の人との打ち合わせも大したことはなさそうだけど、どうしよう、と隣にいる成ちゃんを見る。


「やってみますけど、無理そうなら大木さんも入ってくださいね」


「分かってる。分かってる。八重垣もそれで頼めるか?」


一人でなら引き受けなかっただろうけど、二人でならなんとかなりそうだと、私も頷きを返した。


私の会社の社員旅行は、近場で1泊2日で行くのが恒例で、観光を楽しみたいというよりも、ゆっくりできて美味しいものが食べられて飲めればいい、が大部分の意向だとは周囲からの声で聞いている。


確かに、私が唯一行った社員旅行の時も、出発してすぐに缶ビールがバスの中で飛び交っていたし、おじさんが多いのでそんなものなのだろう。


今日は定時後に1社がプランの提案に来ていて、その説明をさっきまで成ちゃんと2人で受けていた。


旅行会社の人を見送ると、時間はもう19時を過ぎていて、そこから残業をしようなんて切り替えができるわけがなかった。


成ちゃんもそれは同じようで、駅まで一緒に帰ろうと話をして、この前と同じように並んで会社を出た。





ビルの外に出ると、まだうっすらと空は明るくて、夏が近いことを知らせる。


湿気を含んで居心地がいい季節ではないけれど、暑さが冬の間に閉じていた心を強制的に開放へと引きずり出すようで、嫌いではない。


ビルを出て、行列にはなり得ていないけど、駅に向かって歩く流れに私と成ちゃんも乗る。


成ちゃんはリュックの紐に両手を掛けるのが癖なのか、手の位置はずっとそのままだった。


「そういえば、成ちゃんって、毎年社員旅行に行ってるの?」


「行ってる。社内にいると、行かないって言い難いから」


「そうなんだ」


社員旅行は強制参加ではないけど、付き合いとして参加する人もいる。


ずっと社内で作業をしている成ちゃんもその一人のようだった。


とはいえ、新人の頃の成ちゃんなら絶対行きそうになかったので、成ちゃんはポリシーを変えたのかな。


「明梨は社員旅行は全然来てなかったのに、どうして今年は旅行委員を引き受けたの?」


「1グループの社内にいるメンバーで、やってないのは私だけって言われたんだもん。どうせ1回はやらないといけないって聞いてたから、今の内にやっておこうかなって」


「1グループって常駐メンバー多いから、社内にいる人って言っても限られるよね。でも、明梨が引き受けてくれて、わたし的にはよかったけどね」


「どうして?」


「こういうの一人でやらないといけなかったかもしれないでしょ。明梨なら気を遣わなくてもいいしね」


「3グループって、人間関係ややこしいの?」


私も成ちゃんなら心易いところはあるけど、過去に何かあったんだろうかと思わずそんなことを聞いてしまった。


「わりとみんな黙々と仕事はしてるかな。そんなにやり辛さも感じてないよ」


「なら良かった」


同じシステム開発をしているはずなのに、他のグループがどんなことをしてるか私はあまり知らない。


でも今いるグループに問題はなさそうなので、成ちゃんの警戒心高めな所は、元々の性格かな。


「明梨の方が社内に戻ってきてどう?」


「1グループの島は人が少ないから、ちょっと寂しいなって思うことはあるけど、それ以外はあまり気にしてないよ。私って、いつでもどこででも寝られるタイプだしね」


私は器用でも頭がいいわけでもないのに、無人島で最後まで平和に暮らすタイプだって言われたことがある。


のほほんと人生を生きたいだけなんだけどな。


「確かに明梨はそうかも」


成ちゃんにも同意されてしまった。


「成ちゃんは気にしそうだよね」


「明梨が気にしなさすぎるの。この前だって、あっという間に寝てたじゃない」


この前とは、成ちゃんが泊まった日のことだ。


狭いベッドで一緒に寝て寝付けなかったかというと、あっという間に寝落ちていたのは確かだった。


「どこでも寝られるから、私が床で寝るって言ったのに、ベッドに引きずりこんだの成ちゃんじゃない」


「だって……」


成ちゃんが言葉を濁したのを見て、失言だったと、話を誤魔化した。


あの日の成ちゃんは弱り切っていた。


だから、私を、誰でもいいから温もりを感じていたかったのかもしれない。


「あの日のことは気にしないでいいからね」


「……明梨、あの日、失恋したんだ、わたし」


雑踏にかき消されてしまうような小さな声だったけど、それは私の耳に届いた。


少しだけその可能性はあると思っていた。


クールな成ちゃんが、って思いはあるけど、成ちゃんだって適齢期の女性だ。


恋をしておかしいわけじゃない。


「相手は社内の人ってことだよね? 告白をしたの?」


プライベートで起きたことであれば、あんな場所では泣いていないだろう。そうなると、失恋は社内で起きたことになる。


「誰かは聞かないで……告白もしてないけど、恋人がいるって知ったから」


誰だろうと社内、特に成ちゃんの席の周りに座っている人を浮かべるけど、どの人が独身かなんて私は知らない。


「それで諦めたの?」


「元々、告白する勇気もないし届かない恋でいいって思っていたから。でも、我慢しきれなくてトイレで泣いちゃったんだけどね」


告白することを考えないで、ただ見続けたなんて成ちゃんらしい。


「それだけ好きだったってことだよね」


それには成ちゃんははっきり頷く。


「今もまだ好きなの?」


「そんなにすぐこの想いは消せないから」


「そっか……会社で顔を合わせるのは大丈夫?」


「……あまり見ないようにはしてる。見ちゃったら好きだって想いが溢れちゃうから」


成ちゃんは恋した心を昇華しきれずに、まだ苦しんでいることはそれで分かった。


「成ちゃん。逃げたい時は私のいる島に来なよ。逃げ場くらいにはなるから」


「ありがとう、明梨に迷惑を掛けてばかりだね、わたし」


「同期の女子は2人だけなんだから、こういう時くらい頼ってよ」


友人として私が成ちゃんにできることは、そんな小さなことでしかなかった。


でも、今の成ちゃんは少しらしくない所があるので、以前の成ちゃんに戻って欲しいという思いはある。

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