第4話 上司からの依頼
成ちゃんが泊まったあの日から、私は自席でふと手を止めたタイミングで成ちゃんを見るようになった。
私の席と成ちゃんの席は離れているので、よほど大きな声を出さない限り声はほぼ届いてこない。遠目に見える成ちゃんの表情から状況を伺うしかないけど、普段通り仕事をしているように見えていた。
成ちゃんの泣いていた原因は、まだ分かっていない。
成ちゃんにだって私に言えることと言えないことはあるだろうし、今は落ち着いているように見えているのだから、無理をして聞き出すことでもない。
そうだと頭では考えているのに、気になってしまうのは私が出歯亀なだけなのかもしれない。
仕事で接する機会もないので、毎日成ちゃんの顔は見ても、話をする機会がないままの日々が続いていた。
「八重垣、ちょっといいか?」
定時前に私に声を掛けて来たのは、所属する1グループのリーダの
上司の用件に心当たりはなくて、首を傾げながらパーティションで仕切られたスペースに入る。
そこには会議用のテーブルセットが据えられているけど、磯山さんはそれに座ることもなく、立ったまま私を待っていた。
「何でしょうか?」
「八重垣、悪いんだか、今年の社員旅行の旅行委員に入ってくれないか?」
私の会社は社員旅行という古き風習が残っている。新人の時に1回参加しただけで、それ以降は客先に出たこともあってずっと不参加を続けていた。
「どうして私なんでしょうか?」
参加率の低い私が指名された理由が思い当たらなくて、上司に問い返す。
「社員旅行は、旅行会社とのやりとりも多くなるから、社内にいるメンバーを優先して声をかけてるんだ。うちのグループで今社内にいるメンバーは、八重垣以外はやったことがあってな」
つまり、消去法で私に依頼がきたことは分かった。同時に、ほぼ強制に近い依頼であることも知った。
一回はどこかでやらないといけないと私も聞いていたので、ここで断ってもいずれまた話が出るだろう。それならば、責任が軽い内にやってしまった方がいいかと思って、それを承諾することにした。
「分かりました。社員旅行は1回しか行ってないので、役に立つかどうか分かりませんけど、引き受けます」
「やってくれるか! じゃあ、旅行委員が出そろったら連絡が行くと思うからよろしくな」
今年の社員旅行は、これで参加が決まってしまった。
他に女性で参加する人はいるんだろうか、と一瞬不安にはなったけど、まあ何とかなるだろう。
数日後、営業の
大木さんは直接仕事で関わったことはないけど、営業だからなのか、気さくに声を掛けてくれる人で、何度か話しをしたことはあった。
一人は顔見知りであったことをに安堵する。
あとは、各グループと営業で1人づつ選出するのが慣例らしいので、2グループと、3グループで一人ずつ選ばれているはずだった。
顔合わせの日、指定された時間の少し前に会議室に入ると、そこには既に男性が一人座っていた。鞄を隣に置いているので、常駐先からこのために帰社してくれたのだろう。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
声だけを掛けて私は男性の対面に腰を下ろす。顔には見覚えがあるのに、名前が浮かんで来ない。
とはいえ、今更名前を聞くのも失礼なので、そのうち分かるだろうと今は口を噤むことにした。
私の後に入ってきたのが大木さんで、開始時間ぎりぎりに入って来たのは成ちゃんだった。
「すみません」
成ちゃんはドアに一番近い席に腰を下ろして、これで全員揃ったことになる。
「じゃあ始めるぞ。今年の旅行委員はこの4人に決まった。
「荷運びってことですね。大木さんも手伝ってくださいよ」
「分かってる。分かってる」
浅野さんは取っつきにくい人ではなさそうで、胸をなで下ろす。
「成瀬と八重垣は話をしたことあるか?」
「はい。グループは違いますけど、同期ですから」
旅行委員は何かと連携しないといけないことも多いので、大木さんなりに気を遣ってくれての質問だろう。
「そうか。なら大丈夫だな」
その後、大木さんから過去の社員旅行の情報共有があって、まずは場所が決まらないことには進められないと、その日は解散になった。
「明梨」
自席に戻ろうとした所で、私は成ちゃんに呼び止められて、成ちゃんの前で足を止める。
「この前借りたやつ、いつ返せばいいかな? 会社で返していい?」
「うん。いつでもいいよ」
シャツを貸していたままになっていたことを、それで私は思い出す。
どう返そうって悩むところが、真面目な成ちゃんらしい。
「じゃあ、今度持ってくるね」
「別に急がないから、荷物が少ない時でいいよ」
成ちゃんとは、話をすれば新人の頃のように会話ができる。
でも、距離を感じてしまうのって、私が気にしすぎなだけなのかな。
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