孤老

第1話


伊田裕一は、今日も色褪せたベンチに座って無心に遊ぶ子供たちを見ていた。

唯、子供たちの姿を焦点の定まらない目で追っているだけなのだが、

他の人から見れば、孫の遊ぶ姿を微笑ましく眺めている祖父として映るやも知れない


それ以前には 妻のかおりと買い物帰りに「一休み」と小半時このベンチで過ごしていた。

思えばあの頃から かおりは病魔に侵されていたのかも知れない

気づいてやれなかった事を今更幾ら悔いても取り返しはつかない

彼女の笑顔はもう二度と見ることは出来ない

妻を亡くしてから 自然と此処に足が向いて暫く過ごすことが多くなった


静寂とした家にいると息苦しくなり 押しつぶされそうになるのだ

しなければならない事は色々とあるのだが、手に付かないのだ。

妻は、自分の亡くなった後の事を考えて裕一が慌てないようにこと細かく、あいうえお順に大学ノートに記載してくれていた

洗濯機を操作するのでさえも あたふたしている。

几帳面なかおりが 毎日してくれたように、寝具カバーは毎日替えた。

風呂の掃除、部屋の換気も忘れずにしている。

シンクに洗い物を溜めないようにもしている。

空ろな目をした男が1人ベンチでぼーっとして居たら母親達は

怪訝に思うことだろう

かおりと取り分け会話が弾むというわけでもなかった

でもこうして一人になってみると冷凉な空気に身も心も凍り付きそうなのである

テレビを見ても 何も入ってこない

この寂寥とした世界に頭が可笑しくなってしまうのではないかと思うのであった

窓を開け外気を吸い人の気配を感じるだけでもどうにか寂しさから逃れる事ができるのだ。

世間では連れ合いを亡くしても第二の人生を羽ばたいて、生きる望みを繋いでいく人もいるというのに何という体たらくであろうか

何処に何を仕舞ってあるのかノートを片手に探し回らなければならないが

かおりは、自分が先立つ事を予知してたのか 物置、押し入れに至るまで付箋をしていてくれていた。

台所の引出し,箪笥、全て一目瞭然であった。中に入っている物が分かるように

貼ってあった。


男寡に蛆が湧くと言われないように 

使った物は元に戻すように常に念頭に置いて整理整頓を心がけた

テレビの前に座ったままで居ないように 立ち上がって物を取りにいくようにもした。運動不足になりがちな裕一には 無駄な動きも不可欠な事である。

家に幾らの預金があるか?知る由もない。家のローンは終わっている。借金はない。    

「お父さんにも話しているけれど忘れているかもしれないから、貴方達にも話しておくわ」と、通帳、権利書等の類は言い渡してあった

案の定、裕一はすっかり忘れていて、葬儀の支払いにも狼狽える始末であった

几帳面なかおりが、働く女性なら仕事の出来る兼備な社員であったろう

専業主婦を望んだのは、かおりの方であった。

裕一はお陰で安穏とした日々を送る事が出来たのだった。

気障な言葉を借りるなら(生まれ代わってもかおりともう一度結婚したい)そう

何時も思っていた。

顔を洗い、拭いたタオルを洗濯機に放り込み、まだ温もりのあるパジャマも脱ぎ入れ、慣れない手付きで洗濯機のダイヤルを回す


「枕カバーは毎日取り替えて下さいね」 と入院中よく言われていたのを思い出し

急いで二階に取りに上がった

忘れてはないよ と一人ごとを言いながら苦笑する

昨夜の残り飯を飯碗に注ぎながら 卵焼きとサラダを作る

魚は缶詰を利用する。何かの番組で缶詰の方が消化吸収も良く栄養も変わりないと言っていたのを観てから専ら刺し身以外は缶詰を買いだめしている

焼き魚はスーパーの惣菜を買って来てレンジで温める。味噌汁はお椀一杯だと味噌は、梅干し位の量だと料理番組で言っていたので真似をしている

かおりが書き留めていたノートも役立っている

長年勤めた会社を定年退職してからは余計に一日がとても長く感じている

働いている時間は忙しくて現実逃避も出来たが、家に帰り暗い部屋の灯りを点ける瞬間がたまらないことがある。

孤独感が込み上げてきて吐き気さえしてくるのだ

部屋の照明をタイマーにする事にした。

家にはかおりが居て、帰ると笑顔で出迎えてくれる

それが当たり前と思っていた。

子供たちがそれぞれ就職し、家を出て二人の生活にも慣れてきた頃、かおりの体調に変化が見られた。

裕一を送り出すと家事の合間に横になって居ることが多くなったらしかった。

入院してから、かおりが親しくしているご近所さんからそのことを聞かされた

子供達は裕一を責めた。

責められても仕方がない、気がつくべきである

かおりはこれといった趣味はないが、草花を育てていた。花を通して言葉を交わすようになった花友が何人かいたようだ。

裕一も趣味は金が掛かると夢中になっているものはない。

仕事上、メンバーが足りないとお呼びが掛かって参加するくらいだった。

ゴルフや釣りには,付き合う事はあっても、麻雀や馬、ボートなどは断る。

賭け事は昔から負けると分かっているからやらないと決めている

老人会から囲碁や将棋の誘いがあるが今一つ腰が引けるのである

仕事をしている頃は人と会う事は必然的なことであったが 今の裕一には人との会話は苦痛でしかない。

一人でいる方が気楽であったし、相手に同調し相槌を打ち、反応に気遣うことにも疲れていた。

だが、家にいると絞め付けられる胸の痛みを感じる。

ぽっかりと開いた空洞は、日増しに大きくなる。煩わしい筈なのに人恋しくなる。

何処に居ても 自分の居場所はない

外の空気を吸いにふらっと出るといつの間にか公園のベンチに来てしまうのだ

胡散臭い老人が 一人毎日のようにボーっと座っているのだから

疎んじがられ、不躾に氏名や住まいを尋ねて来る人もいる

一度は、誰かが通報したのか?巡査から職務質問をされた事もあった。

不審者扱いをされたその日は、鏡を何度も見て「怪しい顔には見えないが」と自問自答したりもした。

丁度通りかかった近所の人が説明をしてくれ「怪しいおじちゃん」のレッテルは

払拭する事が出来たが、落ち込んで仏壇のかおりに問いかけもした。 

とても傷ついた。幼い子供をみていると、我が子等の昔を思い出されて穏やかな気持ちになれる。

一人機嫌よく遊んでいる子にちよっかいを出す子もいる。おもちゃを取られ泣く子も。平気で次の遊びをする子、色んな子供たちを細い目を更に細くして追う。


人間付き合いの苦手な裕一が、此処に来ると自然と人間観察をしてしまうのである。

親にも色々な人が居る。

泣いている子の親の中には、泣かせた子の事をコソコソと噂するのもいる

たかが子供のしたことと、済まされないらしい。

我が子を守ろうとする意識の強い親ほど、極端に変貌する。「あの子と遊んではいけません」と親から要注意人物とされた子は、いつの間にか弾かれてぽっつんと遊ぶこととなる。

幼き頃から人に揉まれてと、見ていても切なく思うのであった。

裕一の母は物を無駄にする事を嫌った。

父は厳しい人ではあったが 温かみのある男だった。

父に似ていると言われる事は嫌でなかった。

優等生ではなかったが 反抗期も覚えはない

「人は苛めるな 悪口を言うな」父の口癖であったがそんな父も 母には弱音を吐く事もあったようだった。

近頃はモンスターペアレンツたる親が少なくないそうだ

ママ友らがタッグを組んで気に入らない親子を村八分に追い込む悲しい事件さえ起こっている

我が子を思う気持ちはよく分かる。だからと言って何もよく分かっていない小さな子供に冷たい態度をとっていいとはおもえない。

我が子が 可愛いのは誰しも同じだ

だが 可愛さのあまり見えてない部分もありはしないだろか

被害者と思っている我が子が実は原因を作った張本人であったりする

守ることも大事だが、広い心で観察してみるのも子供の為に必要なことかもしれない。

裕一は 子供の喧嘩は口出すな、でも目も離すなと言ってきた

かおりは、叱らず何故そうなったかを問い質していた。

子供たちと向き合う事もしなかった裕一には子供たちの気持ちなど計り知れないことだった。

進学の事すらかおりと子供たちで決めた。裕一が知ったのは、決定した後である。仕事が忙しくゆっくり話す時間さえもなかったのも事実だ

昔、目にした本だが サリドマイド薬害で生まれた我が子を健常者の子らと同じ世界で生きていけるように育てたいと願っていた母親は、子供が転んでも手を貸さなかった

じっと起き上がるのを待った。 手が短くて自分の体を支えられないその子は

泣いて母に手助けを望む。辛いのは母も同じ

何時かは一人で生きていかなければならない。心を鬼にして娘が起き上がるのを待っていたのである。

悪辣な罵声を浴びせる人もいる。子供たちは指を差してからかう。

母は声を荒げる事はしなかった。 彼女は相手の心に訴えた

年端もいかぬ子に人の痛みが分かろう筈もないとそう思ったのであろうか

人生の酸いも甘いも知り尽くして居る筈の大人でさえ平気で人を貶める世の中である。

命ある限り好奇な目で見られる。不憫でならない。何時まで庇ってやれるであろうか。注意されたり叱られたりすると 逆切れされ、腹癒せに報復される事も無いとは言い切れない。

裕一の息子達もよく怪我をして帰ってきた。かおりはどう対処していたのであろうか。

先に手をだすなと言ってきたが 子供も自分に不利な話はしないものだ。

我が子を信じたいが全てを把握してる訳でもない

況してや 仕事にかまけて、家庭の事はかおりに任せてばかりであった。

裕一が休みの日でも 部活と称して朝からどの子もうちには居ないことの方が多かった。

かおりが気を利かせて子供たちの近況を 耳に入れてくれる

深く掘り下げて話す事もなかったが 物事の善と悪を胸を張って教えられる親でいたいとは 思っていた。

自分の姿を子供達は どの様に見てどう咀嚼していてくれたのかは分からない。

親父不在の母子家庭くらいにしか思っていないかもしれない。



公園の子らのなかに、一人弾かれた男の子がいた

近寄り一言話しかけた。

怪訝そうに裕一を見上げていたが その内にニッコリと笑い頷いた。

その光景をおしゃべりをやめた母親たちが訝しげに見ていた

裕一は家路に急いだ。

空模様は今にもひと降りきそうである

干し物を取り入れ、コーヒーを淹れる

今晩は何を作ろうかと かおりの料理メモを捲る

手軽に作れそうなのを選ぶ。金がかかった割には今一ってこともある

美味しものが食べたくなった時は 外食する事にしていた。

小洒落た店で料理長 自慢の品を頂く方が下手に挑戦して失敗するより経済的にも

いいことだ。評判とは違った店もあるが、人には好みもある、そう思って納得している。

冷蔵庫にある物でサラダを作る。一人だと中々食品も減らないものである

気を付けていないと賞味期限が過ぎている物もある、少々のことは気にしないが

一応、臭って確かめてはいる。

味付けに失敗しても文句を言う者もいない、不味くても胃袋に入れば同じだ

母の教えどおり無駄にはしない

工夫することも 苦ではない。寧ろ最近では楽しんでいる

昔の人は、男子厨房に入らずという人もいたようだがそれを気にした事はない。

二人の時はコーヒーを淹れるのは、裕一の役目であった

やれば出来るものである、幾品か得意とするものも作れ出した

息子達を驚かせてやろう、秘かにワクワクしているのだが、その機会がまだない

味噌汁の味をみる。唇が綻ぶのを止められない

かおりは、自宅療養を望んだが、傍に居てやれる者が居ない

病院に居てくれる方が安心していられた

今更だが家政婦を頼んででも連れて帰ってやるべきだったと悔やまれる事が幾度とある。

かおりはじっとして居られない性格だから余計に悪化させることになりはしないかと悩んだ末に決めたことだった。


少し早いが退職して世話をする事も考えたが、裕一がする事を黙って見ていられないのではないだろうか、息子達と話し合い,可哀想だが連れて帰るのはやめた

近頃では、共稼ぎを望み家事も助け合うことが結婚の条件となるらしい

大学は寮に入っていたので、自炊の経験も無い、電化が進んだ今の時代に

何も出来ない方がマイノリティーと言えるかも知れない。衣服を脱ぎ捨て、

「飯、風呂、寝る」などと、非協力的な旦那は時代錯誤と言われるだろう。

三つ指ついて、旦那様をお迎えする時代は当の昔の話しだ。三つ指こそ付かないがかおりは,膝をついて鞄を受け取っていた。

「何それ?丁髷の時代?」と顰蹙を買いそうである。生活スタイルが変わったのだ。

自家用車は、レンタルかリースにした方が、メンタル、コスト面でも交通機関の良い都会では合理的であると考える時代になってきている

子供にもお金が掛かる。大学に行くとなれば、学費だけでは済まない。

定年した知人が、「これからは、夫婦でのんびりと暮らそうと思っていたのに、

女房がパートに出ると言い出してね、金が無いのか?と聞くと」「社会と繋がっていたいの」「そう言うんだよ、俺はやっとホットした生活が出来ると思っていたんだが、それからは、ゴミ出しだの、洗濯物を取り入れてだの、取り入れたら皺がいかないうちに畳んでしまってくださいねときやがる。今日は友達と食事の約束をしてるから、何か適当に食べて下さいね。とか言いやがるんだよ」最早、愚痴しかない。

裕一は、もう少し先のことと聞き流してしまっていたが、思わぬ事に自分の身に起こってしまった。

その話を、かおりに聞かせた時、「家族の事を考え、欲しいものを我慢して、偶に友人と食事に出かけても財布と相談、夕食の心配。やりたい事も自分の事は二の足を踏んでしまう。お子さんも大きくなって、やっとご自分の時間を作ることができたんでしようね」微笑みながらそう言って目を閉じた。

かおりの、寝顔を見ながら 今の話はかおりの気持ちでもあるのだろうと納得した。

一度もかおりが不満を口にした事はなかった。否,聞く余裕すらなかったかも知れない。かおりには、それがよく分かっていた。

言っても無駄なことは口にしない女であった。一人で過ごす時間はやけに長い。

閑散とした空間に裕一の足音が木霊して虚しさと寂しさでいたたまれない気持ちが極限となる。


自然と足が公園に向いていた。ざわめきが孤独から解放してくれる。

日毎に、痩せていく妻を見るのが辛かった。細い腕が痛痛しかった。

同室の人への配慮もあったが、会話らしき会話もせず、顔を出すだけで帰った

随分、薄情な旦那と思ったことであろう

小さな声で、「又、明日ね」とかおりは云う

明日も来てねと、催促しているのだろうと、裕一は承知していた。自分の身体のことよりも、裕一の元気な姿を確認したいのだと、そう裕一は思って

疲れた顔、だらしない格好は見せないように心がけた。

夜食をどうにか、詰込み風呂に入る。

バスタブに顔を埋め、泣くのが毎晩のことのようになっていた。

子供達は、儀礼的にメールをよこす。三人が打ち合わせしてるかのように、

被ることもなく、別々に送ってくる。腐った屍で発見されたら世間体も悪い。

裕一が察するには、かおりに言い含められていたのであろう。

長男の貴志は、フランス人の女性と職場結婚をし、二人の男の子がいる。

孫たちはかおりを慕って、よく訪ねて来ていた。

大きくなるにつれ足は遠のいていたが、かおりが亡くなってからは、全く顔を見せなくなった。

嫁さんは、日本語を話せるが、裕一はどうも苦手であった。

かおりとは、気が合うようで、お互いに教え合っていた。

次男の裕人は札幌支店に単身赴任だ。

嫁さんは教育熱心な女性だから、東京を離れたがらず、有名校に行かせたがっている。

二人の子供たちも知らない土地に行くのは嫌がった

嫁さん自身が有名大学を経て一流企業の秘書をしていたのもあってか、プライドが高い。かおりに一度、裕人が、「結婚したのは、失敗だった。」と漏らした事があった。

三男の一樹はまだ独身である。兄らをみていて、一人の方が気楽だと、焦る様子もない。

旅行会社に勤務しているので、拠点が定まらず独り身の方が煩わしさもないのであろう。

口下手な裕一は、子供たちと距離を置くことで、平和な親子関係が保たれていたとも思える

かおりが亡くなって、一緒に暮らそうと言って来たのは一樹だけであった。


四十九日が終わり、玄関で靴を履きながら「独り身の俺と暮らす方が気楽だろう?」

と言い残して帰って行った。それからも「冗談じゃないからな」とメールを何度かよこした。心の中では涙が出るほどに嬉しかった。

「俺の所為で、結婚できないと、言われるのは嫌だからな、止めておこう」と可愛気のないセリフを口にしてしまった。

「ふん」と一樹は鼻で笑っていた。その後口にすることはなかったが、旅先の名産品を送ってきてくれる度に、「着いたぞ」の返信メールで一樹なりの安否確認をしてくれているようだ。


会社組織の中で、悔し泣きをしたことも幾度か経験した。

家族が路頭に迷わないようにと頑張ってきたが、かおりがいたから子供たちも何事もなく暮らせてこられたのであろう。挫ける事なく生きて来られたのは、父や母のお陰、そして、かおりのお陰なのだ。

独りになって尚の事、痛切に感じている

何れ、子供達も裕一の歩んだ道を辿る事になるやも知れない

配偶者が協力者とは限らない。お互いに矯正しあって助け合うしかない。

夫の死後、義父母の面倒を見たくないとか、嫁ぎ先の墓には入りたくないとか

死後離婚する人もいるという。

他人には分からない確執があったのであろうか

自分が選んだ相手ではあっても生活を供にして行くうちに感情の行き違いも起こったとしても、致し方ないことかも知れない

何とも味気のない時代になったものだと裕一は、軽いため息を吐きながらテレビのスイッチを切った。


貴志も裕人も住まいは、裕一の住む都内であるが、かおりのいなくなったこの家には滅多に訪れる事はない。

墓参りも、盆も家族旅行の方が優先している

三回忌は流石に集まったが、それ以外に仏壇に手を合わせにくることはない。

裕一はかおりと自分の永代供養を寺に依頼している。墓を継承するかどうかは子供達の決めることだ。

遺された者が困らないように身辺整理もやり始めた。自分の物は未練なく処分できるのだが、かおりの物は躊躇がある。

押し入れの奥にきちんと紙に包まれたバッグと服があった。

兄嫁が(高かったのよ、良かったらかおりさん使って)と恩着せがましく置いて

帰ったものだ。

一度も使わずに防虫剤を入れ仕舞って置いたものだろう

「私には似合いませんから何方か他の方に」と断っても「いいから、いいから貴方は地味過ぎるのよ、これくらい身に着けて外食でもしなさいよ」

強引に置いて帰ったと珍しくかおりのぼやくのを聞いた覚えがある

「お気持ちです」と幾らかのお金を包み渡す。「あら、お気持ちなら頂くわ、でも次からはこんな事なさらないでね」と帰っていくのだ。

兄嫁だし、悪くは云いたくないが、裕一も苦手であった。

兄とも幼い頃から気の合う方ではなかったが、このような事が幾度かあってから

「かおりの服くらい俺が買ってやるから、お古を押し付けないでくれ」と兄に言った。

その後は、親切ごかしのお古の押し付けはなくなっていた

押し入れの奥に仕舞い込んでいたという事は、捨てるに捨てられない複雑なかおりの気持ちが推し量られた。


人との諍いを嫌い、波風を立てないよう生きてきた妻の悩みの種をどう処分したものか思案した挙句、一言断りを入れることにした。

「遺品整理をするが、頂いた品物も処分しても良いだろうか?」 以外な言葉が返ってきた。「あーら、では引き取りに行きますので置いててくださいな」

ブランドの物だからリサイクルショップに持って行くと言うのだ

中々の強者である。受話器を置いた後やたらと喉が乾いた。兄が家族に初めて紹介した時の初々しさは何処かへ忘れて来たのであろうか。


かおりが一度だけ強請ったことがあった。

「定年になったら北海道につれて行って欲しいの」 「いいよ」と軽く返事をしたが実現しないままに終わった

義姉の言葉ではないが小綺麗に着飾って外食に出かける事もしてはやれなかった

子供が幼い頃は幾度か遊園地や動物園に出かける事はあったが、子供が大きくなるにつれ、家族での外出はなくなった。

楽しい人生だったのであろうか? 衣服を整理しながら心が痛んだ。

子供達が大きくなってからは母の日や誕生日には、ブラウスやスーツをプレゼントしてもらったりしていたが、それらも大事に仕舞っていた。 

それらを身に着けて外出したかったであろう。

かおりと子供達はよく話をしていた 

かおりは気を利かせて輪の中に裕一を引き入れようとするのだが、「あー」とか「そうか」くらいの言葉しか返さなかった。その内、子供達の方が会話を避けるようになってしまった。

父親不在の状態が続くと変革には時間が掛かる

「学校は どうだ?」と聞いてもどの子も「まーね」としか返って来ない

親父の苦労など知る由もない

やがては否応無しに家庭を持てば責任は掛かってくる

かおりの躾けなのか?親父だとの認識があってか?「いってらっしゃい、お帰りなさい」は必ず声かけしてきた。


小鳥の囀りに何時もより早く目が覚めた

洗濯機を回している間に掃除機をかける。段々と手順が分かってきた

植木に水をやり、庭の花を切り仏壇に供える。

手を合わせながら、毎回思う。「お前の居ないこっちはちっとも楽しくないぞ」

手洗いや浴室の掃除を済ませて熱い珈琲と目玉焼き、食パンを焼き、フルーツを食べる。かおりはスープか味噌汁、ヨーグルトとバランスを考えて出してくれた

家計は楽ではないが、文句一つ言った事はなかった

父の日に子供達から派手なシャツとウィスキーが届いた。一樹はウィスキーのつまみにと干物を送ってきた。顔を見せには誰も来なかったが贅沢をいっちゃあいけない感謝しなくてはとかおりに報告する。朝食を済ませて、ゴミを出しに行く

収集所まで347歩、家の中をウロウロしたところで一日2000歩くらいだ、足も衰えてきている。スーパーに行っても階段を使う。寝たきりにはならずにぽっくり逝きたいと願っている。3日程、公園にはいっていない

墓参りや不要品の整理をしていたからだった。

一樹の許可をもらい,お気に入りだったレア物のミニカーをTOTOバッツクに入れ公園に向った

何時ものベンチに腰を掛け子供たちを目で追った

景色は何時もと変わらない

男の子が一人で他の子らと離れて、枝切れで砂を掘っている

どうやら彼は爪弾きにされたようだ。他の子がする事にちよっかいをだすものだからママさん達の琴線に触れてしまったらしい。

数人のママさん等は噂話に花を咲かせ乍らも鋭い目を光らせている

彼が近づくと 他の子らはサッと移動する。彼が後を追うと「こないで」ときつい言葉で拒絶されている。

自分だけが仲間に入れて貰えない理由が彼にはわからないようだった

誰かが言って聴かせないと彼は嫌われ者で成長してしまう

大人たちは引き離すことでトラブルを防いでいると考えているのであろうが

裕一は彼と同じくその母親たちに育てられた子達も案じられた

彼と目があった。男の子はニッコリ笑って駆け寄って来た

「ようー」と裕一は手を挙げた。幼子は「ベンチのおじちゃん」と云いながら


ちょこんと横に座った。母親たちは話すのを止め一斉に2人を見入った

特に裕一に向けられた目は突き刺すように鋭かった

一言も聞き漏らさないように耳を欹てているのが感じ取れた

要注意人物の二人がベンチで楽しそうに笑っているのだ

「大丈夫?かしら」の声も聞こえる

男の子の名は「宇宙」そら君と言うらしい

大きな心の人間になって欲しいと親は思ったのであろうか

まだ生え揃っていない歯を見せよく笑った

宇宙は素直な子のように思えた。乱暴に見えるのは要領が分からないからではないだろうか.興味の或る事に 気持ちが先走って手が出てしまうのであろう。

「みんなと一緒に遊びたいかい? じゃあー 他の子の邪魔をしてはいけないよ」

裕一の言葉に 宇宙は小さく頷いた。

TOTOバックの中からミニカーを取り出し宇宙に手渡した。

宇宙はありがとうと言って駈け去って行った。

我が子の笑顔さえじっくりと見る余裕さえなかった。兎に角働いた。

不器用な裕一は上司に取り入る術も知らなかった。要領の良い同期は部長に昇進した者もいる。

裕一はやっかむ事もなく「自分は自分」そう思っていた。

出世に興味が無い訳ではない。手当も増えるし家族にも楽をさせてやりたいと思ってもいた。

宇宙の小さな背中を見送って公園を後にした。親が心配しないようにミニカーの裏に、「子供のお古で申し分けないが、使ってもらえると有り難い」と書いた紙を貼った。

余計な心配をさせたくないからだった。

冷蔵庫の中身をチエックして足りない物を書き止めてきた。今の時間はスーパーも

割と空いている。 帰り道、本屋に立ち寄った。

一冊の旅行雑誌を買い求めた。 目的地は北海道だ。富良野にも寄ってみたいと話していた。

子供達には 相談せず旅支度をした。

思い立ったが吉日である。足りない物は行く先でも調達出来る。

なるべく荷物は軽くして行こう。

小さなボストンバックに、下着と洗面道具を入れ保険証と免許証、かおりの写真を入れた。携帯の充電器も忘れなかった。 新聞は暫く入れないで欲しいと電話を入れた。郵便物はお隣さんにお願いした。 どうせくるものはパンフレット位なものである。

今頃は支払いもスマホで出来るらしい。スマホを失くしてパニックになったり、会計の際に店員が暗証番号を暗記して、知らない間に引き落とされる事件も起きている。だからと言ってカードが安心だとも思えない。携帯が普及してから公衆電話が減った。固定電話のかけ方が分からない若者さえいるという。

裕一は携帯電話の方が苦手であるが勤めている時はそんなことを言ってはいられない。専ら通話のみで機能的な事は情けないが把握してない。

メールを一樹に教えてもらい、どうにか短文のみ返信できるようになった。

一樹から絵文字が送信されて来ると「ほーう」と感心してしまうのである。

電車やバスの中でスマホと睨めっこしている輩を見ると酔わないのかなーと心配になる。片手で器用に操作する姿は時代の差を感じる

ビジネスマンは最早コンピューターを使い熟せないと処理が進まない

終身雇用など今の若者は拘っていない。不合理な面を見つけたら転職を考える。

「石の上にも三年」のフレーズはナンセンスなのだ。

煮えた鍋に顔を押し付けられたり、殴る蹴るのパワハラに我慢することはない。

Y県で内部告発した公務員が出社したらデスクが別棟の倉庫のようなところに

ぽっつんと置かれていたという。

民主主義の国とは思えないことだらけなのだ

辞職すれば負けた事になる。歯を食いしばって、頑張る者に手を差し伸べる者は

中々居ない。 わが身に飛び火する事は避けたいのだ。家族がいればさもありなん。

正しい事をして村八分にされるのだ。

裕一にもどうにも我慢出来ない上司がいた。妄想の世界では何度も何度も彼を

脳裏から抹殺した。 こんなにも嫌っていたのだから多分に表情にも出ていたかも

知れない。

西田というその上司は陰険な性格で,意にそぐわない者に対しては冷淡な態度を平気で取った。部下達は逆鱗に触れないように顔色を伺うようになっていた

気に要らなければ僻地へ飛ばすことなど平気でやった

人を見る目のない上層部は独裁者の西田が会社には欠かせない貢献者と映るのか?

小判鮫の太鼓持ちが至ってお気に召しているのか?

只管、真面目に働く社員にとってはやるせない事である

お飾り社長には、胡坐を掻いている寄生虫が見えてないらしい。部下には

御託を並べ、無理難題を押し付ける 

処理出来ないと無能呼ばわり、給料泥棒のレッテルを貼る

何気に愚痴など溢そうものなら、尾鰭が付いてとんでもない話になることなどは覚悟しておかなければならない。何処の会社にも、上役に忖度して身を守ろうと考える輩はいるものだ。

戦場で仲間に撃たれた話は耳にしたことがある。間違って撃たれる事はあるかもしれないと聞き流していたが、現代社会にもあり得ることなのだ

裕一は戦場からは解放されたが守るべきパートナーを失った。


戸締りは大丈夫か?何度も確認した

家族と暮らした家を暫くの間見ていた

大部草臥れてはきているが、もう少しは住めるだろう

此の家を引き継いで住む子は居ないだろうからリフオームも考えていない

まるでこれが最後かのように何度も振り返った

東北新幹線に飛び乗り座席についた途端に朝から何も口にしていない事に気付いた

次の駅で何か腹の足しに成る物を買おう

裕一は飛行機というものが苦手だ。あれ程の重量のものだ、トラブルが起きれば

助かる見込みはない。嘗て御巣鷹山の墜落事故では奇跡的にも何人かの人が救われたが、急ぎの仕事以外は利用しない事にしてきた。社内の者の中には笑う者も居たが、勝手に笑えと流していた

鬱になってか逆噴射して大事故となったニュースもあった

滑走路へのタイミングがずれ海中に沈んだ事故もあった

救助した人の身体のあらゆるところからアナゴが出てきたと聞いてから穴子は食べられなくなった

仙台で下車し史料館に寄る。戦国の武将、伊達正宗に関心があった

歴史は時として塗り替えられることがある。とにもかくにも仙台の英雄を見に行くことにした。駅のマップを頼りに歩く。携帯のナビの使い方を、くわしく一樹に聞いておくべきだった。

正宗公の城は跡形もないが豪華絢爛を極めたものであったといわれている。

栄華の影で民もそれだけ苦しんだともいえるだろう。

実の母に毒殺されかけたが母を咎められず、弟を亡きものとする。

母親が慈しんだ弟を殺害する事がどれ程に冷酷な所業か分かった上でのことだったのだろう。

父親が望んだ通り継承者となり、見事に国を開拓していった

現代の専門家でも驚愕させる程の知識で実施されたと語られている

正宗は今で言う食道癌であったというが 臣下が二十人程後を追ったとも言われている

殉死は禁止されていたというが、幕府は黙認したのではともいわれている

稀な事であったようだ。

現代社会に置いては社長に忠誠こそ誓えども、家族の事を思うと軽はずみな結論は出せない。退職までをも共にする社員はいまい。

残っても派閥とやらの渦に巻き込まれ居心地は決して良いとは言えまい

仙台駅からバスで50分ほどの処の民宿に予約を入れている

夏休み前の所為か空いていたようだ。

宿に行く前に秋保温泉に足を延ばしてみる。名取川上流を散策してみる

秋保大滝を見ていたら侘しさがこみ上げてくる

大崎八幡宮に参拝し、宿に着いた頃には夕日が西に沈む時刻になっていた

先に入浴を済ませて、正宗が好んだという(はらこ飯)を頂く

鮭の煮汁で炊き込んだご飯の上に鮭の身とイクラをのせている、中々の馳走である。

歩き疲れたのか、布団に入ると直ぐに眠ってしまったらしい。朝食を済ませ宿を出て、八戸行の新幹線に乗る

八戸駅でローカル線に乗り換え十和田湖に向かった

夕べ予約しておいた湖畔近くのホテルに荷物を置き、レンタサイクルで奥入瀬渓流を回る。

久々の自転車に夜にはパンパンに足が張っていた。

朝食はバイキングである。腹も満たされ、出発前に朝風呂に浸かる

八甲田山を横目に眺めながら青森行のバスの中を見渡す

大きな荷物を足元に置いた老婆や,会社員らしき若者、女学生も何人かコソコソと話してはクスクスと笑っていた。男の子ばかりの我が家では、見かけない光景である。

子育てが一段落ついたのか?40代後半かと思われる女性グループがお菓子などを分け合っていた。バスの中に響き渡る程にきゃきゃと大笑いをしながらも何かしら口に頬張っている。何の心配もないのであろうか?

一駅過ぎる度に、人の乗り降りが激しくなる 青函トンネルに入ったようだ。

青森駅から函館に着いたのは夕方に近くなっていた。

函館駅近くのビジネスホテルが空いていたので一息つく。バスに揺られ少し腰が痛い。コンビニで弁当と缶ビール、おつまみを買う

ホテルにもビールはあるのだが好きな物ではなかった。

店員に夜の函館山に行く方法を教えて貰って、取り敢えずホテルに戻った。

シャワーを浴び、ビールを飲む、慣れない旅に年齢を感じる

焼肉弁当を平らげ少し横になる


天井を見ながら,「なんでも先送りはいかんなあー」と悔やまれた

日本三大夜景をかおりに見せてやりたかった。

少し早目にホテルを出て、ホテルの従業員にも念の為確認して、登山バス乗り場に向かった。確認癖は治らないようだ。バスの中で見かけた賑やかな女性グループも来ていた

相変わらずに、ぺちゃくちゃと話は尽きないようである

周りの賑やかなのは、今の裕一には助かっている

ロープウェイで展望台まで登り、フォトジエニックな夜景を堪能した

胸のポケットに手を当て、小さく呟いた「きれいだねー」と

この感動を分かち合える人が居ない事が辛かった

だが、脳裏に、心に、かおりは生きている。確かに!

今こうして美しい夜景を裕一の目を通して、かおりも見ていると思いたかった。

22:00には展望台は閉鎖する。人混みを掻き分けるようにして、バス停に向かった。ホテルに着いた頃は、深夜に近かった

シャワーを浴び乍ら泣いた。こんな姿は親にも子供にも見せられない!


三日目の朝、チエックアウトして町をぶらつくことにした。

朝食は、適当に摂ることにして五稜郭に向かった。湯の川温泉には青森を発つ前に予約を入れた。行き当たりばったりの旅の割にはスムーズに宿は取れた。

一棟だけを残して明治に解体され現在は公園になっていた。

五稜郭タワーから望む景色にも感動した

昔の設計、建設技術は現代のコンピューターにさえ負けない綿密さがある

何十年と揺るぎない建造物に見とれてしまう。

宿の窓辺に腰を掛け小庭の池に月明かりが写っているのをぼんやりと見つめていた。

夕食が運ばれて来るまで、何も考えていなかった。

テーブルの前に移動する時、足の痛みを感じた、日頃の運動不足の付けがきたようだ。かおりが伏せてから願掛けの為に煙草もやめている。ただお酒はかおりが亡くなってから又飲むようになった。どうしようもなく寂しい時は酔い潰れる事もある

医者に控えるように言われてはいるが長く生きようとは思わない

「俺より先に逝くなんて」と、小さく呟いた

生きていて欲しいと願う人が亡くなり、人を苦しめている奴等がのうのうと生きている

どうにもやりきれない矛盾を感じて苛立ちを思う

日頃の、味気ない自炊料理と違い綺麗に盛られた夕食を堪能させて貰った

旅の先々で口にするものは、下手な手料理とは違い盆と正月が一度にやってきたようである。

外で飲む事があっても、できるだけ夕食は帰って食べた。外で済ませてくれればいいのにと思ったことだろう。何とも融通の効かない夫であったと今更悔やんでも

「気がつくのが、遅いのよ」と苦笑いされるであろう

出世にも縁が遠く、苦労ばかりの結婚生活をさせてしまった。遅くなるときは

茶漬けでいいよと、言って出かけてはいたが待つ者の身になればそうもいかないのであろう。


毎朝、足を引き摺り乍ら家の前を通るお年寄りがいる。真冬の寒い朝もズズーっとゆっくりと歩いて行く。何の音かと、硝子窓からそっと覗いた事もあった。

その内、音がしない日の方が気になって心配するようになっていった。

今日もリハビリウオーキングしているだろうか

留守にしている家も、気になった。雑念が脳裏を過る。

裕一の住む町は、閑静ないいところだと思っている。ニュースになるような、

面倒な人の話はまだ耳には入ってはいない。お隣さんも、かおりのお蔭か何かと声掛けをしてくれている。

巷では、犬の啼き声や、ピアノの音、階上の足音がうるさいとか揉め事は絶えない。

お互いさまという事もあろうが、寛容に事は収まらないらしい。


嫌がらせをされ、警察沙汰になったりしても中々引っ越す事も出来まい

人との付き合い方は甘いものではない

道内の名所本を見ていたら、ニセコのラフティングが掲載されていた。予約の電話を入れると2人一組だという。 仕方がない北海道に来ている事は内緒であったが

同行を頼むしかない。

連絡をすると案の定、不機嫌なトーンで「来るなら連絡位しろよ」と返ってきた。

「俺は父さんのように気儘ではないんだよ」けんもほろろである。

裕人は、昔から愛想が無い。「分かった、済まなかった。」早々に電話をきる。

後悔をした。 風呂に入り、ビールを飲んでいると携帯がなった。

「明日、9時過ぎに迎えに行くから直ぐ出られるようにしとけよ」言葉を発する間もなく切られてしまった。

暫くボーっとしていたが、じわっーと唇が綻んできた。小さな声でバンザイをする。

翌朝、早くから目覚めた。子供の頃の遠足前の気持ちを思い出す

ラウンジで珈琲を飲みながら裕人を待っていた。

眉間に皺を寄せた男が足早に近寄って来た。かおりの三回忌に会った時よりも老けて見えた。

「待たせたなー、行こうか」昨日の口調とは違い明るい声で裕一を促した。

「おうー」、とカップの珈琲を急いで飲み干し立ち上がる。

裕人とこうして一緒に歩くのは何年ぶりであろうか?

「又何で北海道に来ようと思ったの? ラフティングやりたいなんて、どういうわけ?」「母さんが来たがっていたんだよ」「そうか、運動らしいことなどやってないだろう?大丈夫か?」 レンタカーを借りニセコに向かった。

来たんだなー、と街並みを横目に流しながら裕一は今更ながら自分の向こう見ずに呆れていた。

白髪の増えた父親の横顔をチラッと見た裕人は「ちゃんと食べてる?」と

聞いてきた。「お前こそ、酒を飲み過ぎて身体壊すなよ」

こんなにも、会話をするのも旅のお蔭かと嬉しくなっていた。

仕事にかまけて、「風呂、飯、寝る」親父不在と言われても仕方がない日々であった。

裕人の名はかおりが裕次郎のファンで、裕一の字を取った訳ではないが裕人にはかおりは「お父さんの一字を貰ったのよ」そう話していた。

長男は祖父に似ていたので祖父の一字をもらい貴志と名ずけた。

子供達の名はかおりに選択権を託した。一番接することが多い母親に決めさせたいと思ったのだ。

大変な思いをして産んでくれたのだ、自分の気に入った名で呼びたいであろう。

ニセコに着いて、申し込み用紙に記入してライフジャケットを着用して狭い船に乗り込む。漕ぐ度に大きく揺れ振り落とされそうになる。

リードの男性が「漕いで、漕いで」大声で言うが、思うようには漕げない、

気持ちが焦る、水の抵抗に負けている。歯を食いしばり必死に漕ぐ。

痩せてはいるが、若い所為か裕人は笑顔で見ている。

くそーっと、小さくうなり、落ちないようにバランスを取りながら漕いだ。

若者が多い、年配者は裕一くらいだ。岩を躱すたびに喚声をあげる。

危険と隣り合わせのスリル満点の川下りが、裕一を現実に戻していく。水飛沫がかかることも気にならず、返って心地よささえ感じている。

流石に若者達は俊敏である。周りの景色など記憶にも残っていない。

裕人も楽しめたのか満面の笑みを浮かべ 「やったね!」とハンドタッチをしてきた。 随分と周りの人達に助けられたが 「実に面白い」裕一も久々に声を出して笑った。

濡れた衣服を車内で着替え、腹拵えに支笏湖へ向かう事にした。

透明度が高く美しい湖で有名である。遊覧船も出ており人気スポットだ。

外国人の旅行者にも大好評の支笏湖温泉もある。

湖のほとりの洒落たレストランで ジンギスカンを食べる。臭みもなく美味しかった。 今日は無理をさせてしまったが、明日は朝も早いことだろうから早々に札幌に引き上げることとした。

すすき野で、夕食に札幌ラーメンをご馳走してくれると裕人が言ってくれた。

その前に、中島公園を散歩しょうかということになり、日本百選の広い公園をぶらぶらしてみる。

「北海道は広いなー」言葉が思わず飛び出した

「そうだねー」と裕人は裕一の顔を微笑み乍ら振り返って見た。

こんなにも優しい顔をして笑うんだなーと、裕一は息子の後ろ姿を逞しく思った。


レンタカーを返して、ラーメン横丁に着いた頃には腹が鳴っていた。

大盛りにチャーシユたっぷりにしてもらいガッツいた。うまかった。

ボストンバックは、裕人が自然な仕草で持ってくれた。

大通り公園を抜け暫く歩くと小綺麗な住宅が建ち並ぶ一角に五階建てのマンションがある。3階の東の端が裕人の部屋だ。会社の寮なので、先月まで他の社員と

シェアーしていたが、彼女ができたので引っ越したとのことだった。

かおりが几帳面だった所為か裕人もきちんとしていた。

風呂から上がり、お互いの健康を確認しあって乾杯をする。

近況報告をしあい乍らも、アルコール効果もあってか半分瞼が閉じかけていた。

裕人が敷いてくれた布団に這う様にして横になった。数分もしない内に寝息を立てていた。裕人は丸くなった父親の背中を見乍ら深い溜息を吐いた。

一人暮らしの父と自分の事が重なった

不自由な暮らしをしているのは分かっていながら勝気な妻に言い出せずにいた。

兄達と話し合わなければならない、それは先延ばし出来ないことのように思えた

裕人は、家族が理解してくれさえすれば誰が父と暮らしても良いと思っている。

仲が良いとか悪いとかは問題ではない。ただ父が居心地が悪く、息子の世話になりたくないと思っているのなら同居を強いる事は出来ない

元気な間は、見守る方が父には暮らしやすいのではと思っていたのも事実だ

翌日の朝、「今日は行きたい所はないの?」と聞いてきた、もう1日休みを取ったから案内してくれると言うのだ。

見知らぬ旅先である、裕人が一緒なら心強い。

レンタカーを借り富良野へ向かった。

かおりが行きたがっていたラベンダー畑があたり一面に広がっている

二人の横を小走りに子供達が駆け抜けて行った

畑の中に屈みこみ撮影する人、賛美の声をあげる人 それぞれの感動が裕一にも

よく理解できた。胸のポケットに軽く手を当て、裕人にきずかれない様「綺麗だなー」と言った。 有給休暇を取って連れてくる事も出来ただろうに、

過ぎ去ってから後悔してもどうにもならない。

目の前の事が優先してしまう。かおりが病で倒れることなど微塵も考えたことなかった。

誰よりも大切な人だったのに!

後ろの方で「まるでパッチワークのようね」と話す声がした

昔、ラベンダーの輸入価格に押され、やめていく農家が続出した。只一軒の農家が刈り取りを躊躇った。彼のラベンダー畑が昔の国鉄のカレンダーに掲載され、一躍有名となり、今では春、夏、秋と季節の花を見に外国からも観光客が訪れる名所となった。「ファーム富田」で裕人がラベンダーアイスを買って来てくれた。一人刈り取る事が出来なかった農園である。咲き誇る花を枝折る事が出来なかったのであろう。

丹精込めて育てた植物も身内のようなものかもしれない

「彩香の里」にも足を伸ばす。丘に登り十勝岳連峰の茫々とした景色に立ち竦んでしまった。

学生の頃観た「風と共に去りぬ」のタラのようではないか。

テーマ音楽が流れてきそうである

町営のラベンダー園にはリフトがあり、ドローンでみているが如く上から一面を眺めることができる。カレンダーに載ったことに因って多くの人が癒される花園となったのだ

富田氏が刈り取っていたら、今頃は一面ジャガイモ畑になっていたやも知れない

パノラマロードを走り 麓郷一帯を見渡せる展望に登り広大な北海道を堪能した

田中邦衛が演じた、「北の国から」の舞台となった地である

まだ子供が食べているのに、伊佐山ひろ子さん演じる店員が下げようとするのだ

その印象が強くて、本当の彼女も冷たい人に思えてしまった。

それだけ 演技が上手いということだろう。役で人間を決めつけられては

堪ったものではないと顰蹙を買いそうだ。

渡る世間に鬼はないと言うと嘘になる。人を陥れることなど何とも思わない人間がいるから毎日ニュースが絶えないのだ。どんなにいけないことだと騒がれても

振り込め詐欺も、あおり運転も後を絶たない。

極寒さえなければ、住んでみたい所ではあるが、家事は何一つ満足に熟せない裕一には無理であろう。


給料も振り込みとなってからは、妻からの感謝の言葉も聞くことはない。落とす事も、掏られる事の心配からも解放されたとは言え何かしら侘しいも

のだ。今は夫婦共稼ぎが多くなり、男性も育休を取り家庭内の事も協力し合う時代だ、一々有難うは交わさないのであろうか

道東自動車道を帯広に向って、釧路湿原を目指す

塘路湖からカヌーに乗る予定だったが、レンタカーの都合もあり

断念する。アキナイ川を下り釧路川の本流に入り丹頂鶴や蝦夷鹿を見ることも出来るらしい。そうそう裕一を引っ張り回すわけにもいくまい。世の中には政治家等が考えている以上に貧しい人達がいる。

希望の持てない生活が続くと犯罪に走ることも否めない

住む家もなく腹を満たすことも出来ない、寒さに震え仕事も見つからない。

どうやって生きて行けばいいのかわからない、国は必ずしも弱者の味方ではない。

何だかんだと言って支援する事を拒む。それが今の行政だ。

僅かではあるが年金で食っていけるわが身を幸せと思わずにはいられない。

水族館、天狗山、小樽青の洞窟と駆け足で回り、ノンアルコールのビールを頼み二人は「おつかれさん」と乾杯をする。

バターポテトとジンギスカンで腹も満たされ、運河沿いを歩く

裕人の携帯がなった。一樹からだ。年が近い所為かよく連絡をしあっているようだ。

裕人の部屋にも一樹が送った酒が何本か置いてあった。一樹は兄達にも気を遣っているようだ。かおりに一番似ているのは一樹かも知れない。

「かわれって」と携帯を目の前に差し出してきた。

電話の向こうで一樹が喚いている。「俺に言ってくれれば良いプランを立ててやったのに」「急に思い立ってな、済まん」誤り乍ら自分の軽率さを反省した。

ツアーではなくかおりと二人で行きたかったとは、裕人の手前口には出せなかった。

裕人を呼び出しておいて、流石にそれを言ったら二人は更に怒るであろう

こんな調子だから子供達に距離を置かれるのだ。

マンションに着いてから真っ先にシャワーを浴びる

裕人が淹れてくれた茶を啜る。夏でも温かいお茶を飲むことを覚えてくれていたのだ。殺風景な部屋を見渡しながら「大変だな」とポツリと言った

裕人は笑いながら、「親父も一緒だろ?」と答えた

翌朝、荷物も大してはないが帰り支度をしている時「空港まで送っていくよ」と

顔を拭きながら言ってくれた。「大丈夫だ、仕事に遅れるぞ」と返す

「そのつもりだから」と優しい声が返ってきた。

新千歳空港で無言のままお互いに手を挙げて、頷いた。

裕一は、かおりの来たがっていた北の大地にこられた事も、息子と過ごせた時間の事も胸に溢れるものがあった。

ロビーで缶珈琲を飲みながら搭乗案内を待っていると携帯がなった。

知らない番号である。年寄り相手の詐欺が増えている、身構えて出てみる

「おい、俺だよ、久しぶりだなー。元気にしていたか?」と矢継ぎ早に喋り捲る

裕一はやや錆びれかかった頭をフル回転させ声の主を探る

心当たりがない。「だれ?」と少しぶっきらぼうに尋ねた

「俺だよ、荒井だよ。かおりさんの葬儀以来だなー。ちやんと、飯くってたか?

逢いたいなー、時間作ってくれよ」「荒井?」そうだ!この声は荒井だ。

奴ってこんなにも早口だったっけ?一方的に喋るタイプではなかったがと、思い乍ら懐かしさが込み上げてきた。懐かしい声に浸る間もなく、搭乗案内に急かされ、旅先であることを告げ、携帯を切り機内へと向かう。

彼とは会社の謝恩会で話が合い、その後、飲みに行くようになった。酒は強くないが、荒井と話す時間は勉強にもなったし、楽しくもあった。葬儀の時、後を追いかけたが彼は待たせてあったタクシーで、何も言わずに帰ってしまった。

思い出していたら、キャビンアテンダントと目があって狼狽えた。きっとにやけていたのかも知れない。彼とは何でも話せそうであったが愚痴はお互いにしなかった。


何日かぶりの我が家だ。足を踏み入れ、ムーっとした空気に急いで窓を開けて回る

風はないが、部屋の異臭が和らぐ気がした。

土産を手に、お隣さんにお礼に伺う

幾つかの郵便物を受け取り、早々に失礼をする

お隣さんは旅の話を聞きたそうであったが、話は苦手である。何よりも横になって少し眠りたかった。新聞はテレビのニュースで事足りるので暫くこのまま止めておくことにする。庭木はお隣さんが気を利かせてくれて毎日水やりをしてくれたようだ。水を含み生き生きとしている。

自分に何か起きた時一早く異変に気付いてくれるのはお隣さんかも知れない

主の居ない家の中でも冷蔵庫は、しっかり働いてキンキンに冷えたビールが飲み手を待っていた。冷え切ったビールを片手にテレビのスイッチを入れる。

99.9%有罪と確定している事件を無罪にした弁護士のドキュメントをやっていた。私財を投げ打って、難度の高い事件に立ち向かう、この人こそヒーローではないか? 冤罪で何十年と投獄されている人もいる。刑事が証拠を隠滅し罪の無い人を犯罪者にした事件もあった。解決を急いでか?出世欲に駆られたのか? 市民を守る警察にあるまじき、残酷な事件である。

自社の貸し倉庫で食品偽装が行われている事を知ったオーナーが大手食品会社を訴えた、

正しいと思ってした事が彼を苦しめることとなった。娘さんは自殺を図り、一命は取り止めたものの車椅子の生活を余儀なくされることとなった。何らかの形で不正行為に思い当たる会社は、その倉庫を避けるようになっていった。借り手がいなくなっていくという事は、不正をしている会社が如何に多いかということではないだろうか?

公表されたら困る誤魔化しが横行していると思わずにはいられない。

嘗ての部下の加藤君からメールが入った。

荒井も裕一も尊敬してやまない幸田専務の事である。裕一が退職した時もウィスキーを送ってくれた。「病院で見かけた姿が気になって仕方ないんです」と書かれていた。

かおりの葬儀の時、言葉を交わせなかった。その後、挨拶状は送り、改めて伺うつもりであった。

以前に加藤君から大学病院で車椅子に乗った専務を見かけたと聞いたので、行ってみた。入院患者にはいないと言われた。退院した人にもいないと!

古い葉書を探して訪ねてみようと思っていたがついつい延び延びになっていた。

荒井はこのことを知っているのだろうか?

荒井の葉書も探す。住所が変わってなければいいがと思い乍ら携帯を見て、荒井からの電話を思い出し、消去してない事を願った。加藤君のメールの事を話すと、


荒井は早速に

幸田家に久し振りにお会いしたいと電話してくれた。その日の夕方、幸田専務が亡くなられていたとの悲報を聞かされた。

幸田専務が退職の日は、他の部署からも花束を持った社員が大勢別れを惜しみに来た。彼ほど尊崇された上司はいないであろう。

荒井から明後日、甲府市駅前で8時に待っていると連絡があった。車で裕一を拾ってくれるという。少々の遅れは覚悟しておいてくれと早口で言って切れた。

取り敢えず腹の足しに成る物を買いに行く事にした。ビール以外はこれといった物が冷蔵庫にない。公園の側を通り過ぎようとした時「おじちゃん」と呼ぶ声がした。振り返ると宇宙が駆け寄ってきた。「おお、元気だったか」宇宙の目に合わせるように屈んで微笑んだ。「おじちゃん大丈夫?病気だったの?」可愛い質問をしてきた。

「ちょっと遠くへ、行ってたんだ。そうだ土産があるぞ、明日も来てるか?」「うん」

宇宙は、大きく頷いて他の子の方へ走って行った

翌日、土産を持って公園に行く。まだ宇宙は来てないようだ。30分位したころ、危うげな走り方をしながら「ベンチのおじちゃん」と駆け寄ってきた。よそ様の子でも懐いてくると可愛いものである。 孫たちは電話すらかけてよこさない。北海道から菓子折りを3ヶずつ送っておいたが嫁たちからは、何の反応もない。宇宙に菓子折りとSL機関車のミニを買って来ていた。「ベンチのおじちゃんありがとう」

嬉しそうに家の方へ帰って行った。

さて、夕飯の買い物に行くかと、立ち上がった時少し立ち眩みがした。旅の疲れかなと気を取り直して、スーパーに向かう。香典袋は家にあった。お供えに何か買って行こう。惣菜売り場で散々迷い、決局コロッケと鯛の刺身を買った。

帰り道、和菓子屋に寄る。

栄養のバランスは一応考えてはいる。

幸田専務のお宅には荒井が伺うことを連絡をしてくれている。

部下のミスは上司のミスと考える人であった。

何度も何度も同じミスを重ねる、どう対処すればいいか分からない者に対しても

彼は怒らなかった。何処が解らないのか?よく聞いて教えてやれと言った。

小判鮫のように上司に食らいついて出世していく者もいれば、諂う部下を従えて我が天下のように闊歩する、したり顔のうんざり幹部もいる

幸田専務は入社した頃人間関係に苦しんだと聞く

下らないストレスは仕事にも差し支える。会社内がいい雰囲気でないと優秀な人材も生まれない。いい仕事も出来ない。やる気を持って入社した者を砕けさせてはいけない。これが彼の信念であった。

会社に夢を持てなくなり、何となく時間を費やして、事なく年数を過ごせば家族を養ってはいける。気に入ってくれる上司に上手く付けば出世も望める

社内の目がなんだ?出世した者が勝ちだと言わんばかりにがむしゃらに腰巾着と成り下がる仲間を見ていると、虚しくさえなっていた。

夫の涙ぐましい戦果を何の労いもなく当然の如く思っている女房殿達も少なくはないであろう。裕人の妻もその一人だ。

裕一が眠っていると思ってか裕人が「子供達が社会人になったら離婚するつもりだ」と独り言のように言った。裕一は言葉を返さず眠った振りをしていた。睡魔に襲われながら胸が痛んだ。

余計な悩みは払拭して責務に専念していける職場にしたいというのが幸田さんの思いだったが、現実は厳しいものだった。要領が良くて、事務員にセクハラ行為を

していた常務が社長に就任した。この会社は終わったと陰で口にする社員もいた。

新社長の損失を補填してきた部長が常務に昇進した。まあー彼には当然のことだといえるだろう。常務になった彼は幸田専務のお気に入りの部下であった。彼も又

みんなと一緒に飲みに行く事があっても、いつの間にか支払いを済ませ帰って行った。気使いさせるのを由としないところもあった。幸田専務は部下からの歳暮などを嫌い、「薄給の者が多少なりとも給料が上の者にするのは矛盾しているだろう」と金券を返してくる。今後はお互いに無駄な事はやめようと笑いながら肩に手を置いて去る。

サラリーマンが飲み会をやると、ついつい上司や部下の不満を口にする者がいる。

酔い潰れ、其処此処に嘔吐して回る、挙句道路で寝てしまう

若い頃、裕一にもそんなことがあった。酔いが冷め、己の醜態を思い出し落ち込んだ。それからは正体を失う様な飲み方はしてはいない。

北海道で「先送りはいかん」と悔やんだばかりなのに、幸田さんとも会えなかった。

久し振りに荒井に会える。嬉しい筈がとても気が重い。

二人が目標としてきた人の葬儀にも行けなかった。

駅の売店で缶コーヒーとサンドイッチを買う。身体を動かすことも無くなった今は

昔ほど食も進まない、健康診断では異常は見当たらなかったが、生き甲斐を失うとどうやら一気に老けるものらしい。

甲府市の駅に着いて改札口を急ぎ足で抜け、荒井の車を探すグレーの車と言ってたなーっと、きょろきょろしているとスマートな初老の男性が手を振っている

懐かしさの余り、思わず外国風に抱き合った。照れ屋の裕一にはあり得ない事である。荒井は父親が亡くなり母親の世話をするために早期退職をして実家の農家を

継いだのだった。髪はめっきり白くなってはいるが、相変わらずの洒落男である。

白のTシャツにグレーの麻のジャケットがよく似合っている。

カーナビを頼りに幸田宅に向かう。県庁、市役所を通り過ぎ相生3丁目、の信号を左折して、細い道を暫く走るとカーナビが目的地ですとアナウンスする。

幸田専務は定年後親が住んでいたこの町に帰ってきたのだ。生まれ育ったこの町が落ち着くと、賀状に書いていた。

辺りの表札を確認しながらゆっくりと車を走らせる。

日本家屋の格子門に幸田の表札を見つける。

門をくぐり抜け 石畳を進む、両脇には手入れの行き届いた草木が植えてある

玄関口に、40半ばの女性が立っていた。

「荒井様と伊田様ですね」と二人の顔を交互に見た。

「ご多忙中に押しかけて仕舞い、申し訳ございません」と荒井が頭を下げた。裕一も習って頭を下げる。

女性は「どうぞ」と仏間に案内してくれた。幸田専務の笑顔の写真が二人を出迎えてくれている。「よくきたなー」とでも言ってくれているようだ。

隅の方に白髪の女性が頭を垂れて座っていた。

荒井が近寄り「この度は、知らぬこととは申せ、葬儀にも伺えませず誠に申し訳御座いません」と畳に頭を擦り付けんがごとくに手をついて謝った。裕一も同じ思いでいた。幸田の存在は深いものであった。

「何時?何故ですか?どうか不義理をお許し下さい」と裕一も頭を下げた。

白髪の女性は「家族葬を夫が望んでいたものですから、何方にもお知らせはしていないんですよ」と寂しげに微笑んだ。「早くに訪ねて来るべきでした、お会いしたかった」合掌する手が震えた。

世捨て人の様な生活をしていたことを猛省した。

幸田さんは、我々のことを気にかけてくれていたようだ。独り身になった裕一の事はよく口にしていたと。只、会いたいが、憔悴した自分の姿は人には見せたくないとも言っていたようだ。

床に伏すようになってからは、庭の見えるこの部屋で過ごすようになっていたらしい。

入院を拒み自宅での最期を望んだという。

かおりもそれを望んだのに裕一は許さなかった。

「人の痛みも分からない朴念仁だ、俺って人間は」

加藤君が風邪で病院に行かなかったら、幸田さんを見かけた事を知らせてくれなかったら、未だに行動を起こさず、体裁ばかり気にして引き籠っていたことだろう

荒井にも感謝している。彼が行動を起こしてくれなかったら、裕一はぐずぐずと

理由を付けて未だに誰に会うこともしなかったであろう。

甲府駅迄、二人はほとんど言葉を交わさずにいた。再会を約束をして別れた。

朝からサンドイッチしか口にしてなかった所為か腹の虫がなった。

身体は正直だ、辛く悲しい時も腹は減るんだ。

スーパーで、ビールと惣菜を買って帰ろうとレジを済ませた時、手を引っ張られて

足元に目をやると宇宙がニコニコ笑って立って居た。

「このおじちゃんがベンチのおじちゃんだよ」と赤ん坊を抱いた女性に大声で言った。宇宙の母ですとお礼を言われ、こちらの方が恐縮してしまった。

4,5か月であろうか?抱かれた赤ん坊はすやすやとよく眠むっていた。

「下の子に手がかかるもので、宇宙に構ってやれなくて」そう云いながら宇宙の頭を撫でる姿を見ていて裕一は安心した。

「うちの子も、離れてないのがいて妻は大変だったようです」と言葉を返した

「またな」と宇宙達と別れ、裕一はほっとしていた。漠然としたものではあるが

あの、母親なら大丈夫!そう思えた。きっと宇宙はいい大人になる!

玄関を開け、「ただいまー」と声を出してみる。「お帰りなさい」返ってくる筈がない声を待つ。シーンとした部屋のテーブルに買ってきた袋を置く、一つ一つの物音が大きく聞こえる。 あれ程に避けていた飛行機で千歳空港から帰ってから、幸田専務の事や、裕一の事、荒井との再会、全てが夢のように思える。

裕一が荷物になるからと、送ってきてくれた松前漬を小皿に取り、ビールを飲む

「着いたぞ!ありがとう」それだけいうと電話を切る。気の利いた言葉を口に出来ない不器用な、自分に苛立ちを感じていた。照れ臭いのだ、もう少し親らしい言葉をかけてやれないのか?かおりに何時もフォローして貰っていたが、言葉足らずは直さなくてはいけない。子供達も大人になって、それなりに親父の性格を理解してくれてはいるが、それでなくても年を重ねると頑固で融通が利かなくなる。

悲喜交々の日々の出来事がまだ裕一は受け入れられないでいる。

まだ大して飲んではないが、精神的な疲れが出てきたのか酔いが回ってきた。

風呂にでも入るかと、テーブルに手を置き立ちあがろうとしたがぐらっと身体が沈んでいく。真っ暗で何も見えない! 玄関で声がする「たすけて!」と言おうとするが声にならない。この世に未練などないと思っていたのに、「助けて」と思う自分がいる。段々と何も聞こえなくなってきた。頂き物をお裾分けに持って来たら

玄関も開いている、エアコンもかかっている、不思議に思ったお隣さんが倒れている裕一に気がつき救急車を呼んでくれた。何かの時には連絡をして欲しいと一樹がお隣さんに携帯番号を渡していた。お隣さんは急ぎ連絡を入れた。一樹は

ツアーから帰ったばかりで、空港から急ぎ駆けつけた。教えてもらった病院にはお隣さんが付き添ってくれていた。お礼を述べ、タクシーの手配をして自宅に帰って頂いた。お隣さんの発見がもう少し遅ければ、裕一はどうなっていただろう。

幸田宅から帰る車中、話したい事は山ほどあったが荒井は裕一の気持ちを思い

再会を約束をして、何も言わずに別れたが、

裕一の打ち拉がれた姿が頭から離れない。携帯にかけるが出ない。

風呂か?外出中か?諦めて又かけ直そう。

奴は一人暮らしだが、気にかけてくれるご近所はいるだろうか?

荒井は、父親が農具や田畑を広くした為の借金があることを知らされてなかった。早期ではあったが退職金がもらえた、借金は返済できたが高校、大学と寮生活だった荒井は、農業全てが手探りであった。幸いにも母が何かと知恵を貸してくれ何とか食べていけれるようにはなった。何度も躓いた。挫けそうにもなった。

サラリーマン時代の知識を生かして働く事も考えた。裕一の安否も気にはなっていたが、情けない愚痴は聞かせたくなかった。

一樹は裕一の着替えを取りに、家に向かった。シーンとした家の中で父は何を考えていたのであろうか? 若い一樹でさえも、この寒寒しい空気には耐えられそうにない

父の机に大学ノートが置いてある。最後のページは昨日の日付けだった。

「自分の命が何時尽きるかなんて知りたくもない、明日おも知れぬ命なら楽しく磊落に生きよう。名を汚さず、人に迷惑をかけず、惜しまれなくてもいい、疎まれないように静かに暮らせれば幸せである。」

父らしいと一樹は思った、この日記が最後の文にならなくて良かったとも思った。

テーブルの下に置かれていたウエストポーチを開けてみる、携帯がなった、

荒井さんと名乗った。元一緒に働いていた者だと、父は会社の話しをすることがなかったため一樹は、状況を話してよいものか迷った。

荒井は何かを察してか?昨日の幸田専務の弔問に同行した事、別れ際の裕一が

気になって何度も電話したが出ないので余計に気になっていたと矢次早に話してきた。一樹は倒れて救急車で運ばれたが、今は落ち着いていること、念の為に暫くは様子を見乍ら検査する事になったと伝えた。

電話の向こうで荒井の安堵した息ずかいが分かった。

父には、気にかけてくれる人がいる、一樹はほっとした。一人で殺伐とした生活を送っているのでは?と案じていた。

裕一は、一過性意識消失発作であった。

お隣さんが、訪れなければ、時間が立っていたならば、目を開ける事はないかもしれない。万が一助かったとしても自分のことすら出来ない身体になっていたかも知れない。

急激な過労と心労が、老体に鞭撃つ事になったのであろう。

裕一が 自宅に帰れたのは十日程立ってからだった。少し不整脈があるとのことで

定期的に通院することとなった。 

日頃寄り付きもしなかった裕人の嫁が、何かと訪れるようになり、家事をしてくれている。おかずも作り置きしてくれ、レンジにかけるだけにしてくれていた。

裕人に言われたわけでもないようだ。

裕人は、札幌から帰ると、自分だけが父と同居するつもりでいた。

何れは、離婚を切り出し、そうすると心に決めてはいた。家は妻に渡して、ゆくゆくは、退職金も幾らかは渡すつもりであった。

秘書をしていただけあって、感は良いのか。

裕人の心の内を見抜いていたのか。

裕一の計り知れない事である。 毎日ではないが、人の出入りがあるという事が、

頑なになっていた裕一の心を和らげるようになった。

それが、プライドの高い、嫁であろうとも。今の裕一には有り難く感じた。

裕人も、妻に対しての思いが少しずつ変化していった。

ただ、裕人が、父と同居する考えには変わりはない。其処に妻も一緒にとは考えてはいない。

無理をさせたくもなかった。かと言って後悔もしたくはない。もう何時までも

父親を1人にしておくわけにもいかない。母が居ないと生きてはいけない人だから。

未だに、引きずって生きている事は北海道で痛切に感じたことだからだ。

一樹も、東京に居る時は、顔を出す事が多くなった。

貴志も、以前よりも顔を出すようになった。苦手な嫁さんも「おとさん」と慣れない呼び方で、話しかけてくる。

かおりがいなくなって、灯りが消えてしまったこの家に、笑い声がするようになった。裕一が倒れなかったら、この光景は見ることはなかったかも知れない。

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孤老 @kiki7777

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