第12話 今はいない大切な人


 もしライリーが日本に現在も住んでいて、一緒に昼食を食べる者から「前世の記憶がある」そう言われたとしたらそれをどう受け止めるべきか苦慮するだろう。

 過去を打ち明けた後、黙り込むクリスティーナを見てライリーはそう思う。

 眉間にかすかな皺を寄せ、何事かを考えている姿をライリーもエイミーもただ不安そうに見つめる事しか出来ない。

 

 今後、距離を置かれるかもしれない。そんなことがライリーの脳裏によぎる。立場を置き換えれば戸惑うのは当然の事。ましてクリスティーナとライリーの立場は異なる。覚悟を決めてライリーは彼女の返答を待つ。

 わずか数分の時間、だが今のライリーには殊更長く感じられた。

 風が草木を揺らす以外、何の音もしないガゼボで彼女にとってただ1人、心の中では友人と思う少女を見つめるのだった。




 「……わかったわ」


 クリスティーナの答えは端的であった。

 そのため、言葉の意図をライリーはまだ把握できていない。彼女が打ち明けた事実をどう思うのか、また今後の関係がどうなってしまうのかが今のライリーにとっては重要なのだ。

 ライリーはクリスティーナを見つめる。その視線に気付いたクリスティーナはふわりと笑い、こくりと頷く。抱えていた事実を初めてこの国の人に打ち明けた緊張感が一気に緩む。未だ優しい笑顔でこちらを見つめているクリスティーナの顔が涙で滲む。


 「私はあなたを信じるわ、ライリー」

 「……っ、クリスティーナ様」


 その微笑みと言葉に、今まで抱えてきた自身の違和感が許されたような心地になる。調理場以外には居場所がなかったライリーに、同じ境遇にいるエイミー、そして自身の境遇を知りながらそれを信じると言葉にしたクリスティーナが今はいる。

 傷付いてはいないと思っていたがそうではなかったのだ。自身が傷付いている事にライリーは気付かずにいただけだ。

 ボロボロと零れる涙に、今ライリーはその事実を初めて自覚した。


 

 「私のばあやもそんなことを言う人でしたわ」


 ガゼボのベンチに腰掛けるクリスティーナは空を見上げて言う。自身の中の思い出を振り返るようなクリスティーナに、2人は黙って彼女の言葉を待つ。


 「ばあやもあなたたちと同じようにおかしなことを時々口にしましたの。周りの者は冗談だと思っていましたが、私はばあやのそんな不思議な話を聞くのが好きでしたわ。どこか遠い国のお話を聞いている、そんな感覚でしたの」


 今日の空は青みが薄く、空が遠く感じられる。

 クリスティーナはそんな遠い空の向こうにいる誰かを思い出すかのように言葉を続ける。その表情は穏やかだ。


 「私が礼儀作法や妃教育の一環として授業を受けているのをばあやは案じていたわ。叱られているといつも慰めてくれた……もっと子どもは遊ぶべきだって。最近の子どもは勉強やゲームばかりだって怒っていましたわ。わからない言葉も多くありましたけど、彼女はいつでも私の心と共にいてくれた。きっと彼女は私に自由を与えたかったのね」


 そう言ったクリスティーナはライリーを見て微笑む。涙ぐみながらもライリーも微笑みを返す。


 「だから私はあなたを信じますわ。少し風変わりですけれど、あなたの心を信じたいの」

 「ありがとうございます!クリスティーナ様っ」

 「でも、問題は彼女だわ」

 

 クリスティーナが頬に手を当て、考え込む様子に今まで沈黙を守っていたエイミーの方がびくりと揺れる。申し訳なさげに佇むエイミーの姿に、少し困った表情でクリスティーナは話しかける。


 「私の事はさておいても、あなたはこれから相当の努力が求められる状況にありますわ。そちらはどうなさるの?」

 「私は……わからないんです」

 「わからない?えっと、エイミーちゃん何がわからないの?」

 

 エイミーの答えは漠然としている。

 ライリーはその言葉の意味を尋ねるが、エイミーの表情は更に曇る。

 クリスティーナとライリーは自然と視線を交わす。

 エイミーという少女はその時々で印象が変わる。今、目の前にいるエイミーはぎゅっと小さな手でこぶしを握り、真下を見て悲し気な表情を湛える。震えるような小さな声がかすかに聞こえた。

 

 「私は、私が何をしたいのかもわからない」


 振り絞るように呟くエイミーは、所在なさげに1人そこに立つ。どこかこのまま消えてしまいそうな儚さを湛えた少女の姿に、ライリーは胸が締め付けられるような思いになるのであった。



*****



 「私が記憶を取り戻したのは学園に入る1年前です。ちょうど、叔父の元に引き取られたくらいですね。それまでは孤児院にいました」

 「……そう」

 

 孤児院は教会が管理している施設が多い。そこから貴族である叔父の男爵家に引き取られたのであれば、彼女の行動が周囲の者とは異なっていても仕方のないことだ。礼儀や作法、貴族独特の迂遠な言い回しを知らないのは当然であろう。

 エイミーは眉間に皺を寄せつつも口元には笑みを浮かべて過去を語る。


 「孤児院にいた頃は、この髪の色で周りの子は気味悪がったり、石を投げられたり、あまりいい思い出がないんです。叔父の家に引き取られてからは生活の違いや習慣の違いについていくので必死で……そんなときに前の世界の記憶が急に流れ込んできたんです」


 ライリーは記憶を取り戻したときにはまだ幼くそれ以前の記憶や人格とのすり合わせはそれほど困難ではなかった。だが、はっきりとした自我を持ち、行動も年齢相応の者を求められる年頃では葛藤も多かったことだろう。

 

 「前の世界の記憶ではあなたはどんな方でしたの?」

 

 クリスティーナが穏やかに尋ねる。自分自身がどうありたいかわからない、そんな彼女の心情はその前世の人格と記憶、現世のエイミーとしての人格と記憶による混乱だと彼女は捉えたようだ。

 だが、そんな問いにもエイミーは困ったような悲しげな表情を浮かべる。


 「私は、私だった子は体が弱くてあまり学校には行けなかったみたいです。だから、どう人と関わるかがわからないんです。ライリーちゃんは同じ境遇で安心して話せました。でも、他の人は怖く感じます」

 「あぁ、そうか。エイミーちゃん、クリスティーナ様の事は知っているもんね」

 「はい、本当は優しい方だってゲームで知ってたから怖くないの。私にも声をかけてくれたり気にかけてくれるし……なのに逆に迷惑をかけていて本当に私、何してるんだろう」

 「……本当は優しい」


 自身のことで頷き合う2人にクリスティーナは複雑な表情を浮かべる。

 「本当は」優しい。褒められてるのかは微妙に感じるところだが、2人の間ではクリスティーナの人間性は共通して快く受け止められている。

 今まで親しくなかった、それどころかエイミー限って言えば敵対する間柄である。そんな2人に認められていたという事実にクリスティーナは複雑な思いだ。

 だが、決して不快ではない。


 「そんな私に入学当初、声をかけてくれたのがルパート殿下でした」

 「!」


 突然、エイミーの口から出た名前にクリスティーナはひゅっと息を呑む。ライリーも緊張した面持ちでエイミーの言葉に耳を傾ける。

 だが、ルパートの名前を口にしたエイミーの表情は暗い。その表情は決して愛する人の話をしているものとは思えないものだ。


 「初めて、人に親切にして貰って、私、嬉しかった。殿下が声をかけてくれたことをきっかけに周りの人も見た目で揶揄ったりしなかったと思うんです。殿下もその周りの人も親切にしてくれた……でも、今度は怖くなったんです」

 「怖くなった?何が?」


 やっと安心できる居場所が学園に出来たのではないかと思うライリーだが、エイミーの言葉にクリスティーナは同意する。


 「……わかりますわ。優しくしてくれた周囲の者が離れていくのは……辛いものですもの」

 「!!……ごめんなさい、クリスティーナ様。私、私が」

 「あなたはきっかけに過ぎませんわ。あなたが現れなくとも近い将来、あるいは未来に同じことが起きていてもおかしくはなかったわ。これは私と殿下の、幼い頃からの関係にもよるものですもの。それに、あなたが何を言っても聞き入れてはくれなかったのではなくて?」

 「ど、どうしてわかるんですか?」

 

 驚いたように目を見開くエイミーに、くすりとクリスティーナは今までにないどこか皮肉気な笑みを浮かべる。


 「私のときも、そうでしたから。いつもあなたの表情を見て思っていましたの。まるで昔の私を見ているようだと」


 おそらく、エイミーはクリスティーナは悪くないと告げてはいたのだろう。だが、それが聞き入れられることはなかったのだ。

 ゲーム上のヒロイン、エイミーを通してルパートの性格は変化をしていく。行動的で常識を覆すヒロインに心惹かれたルパートは上に立つ人間故の強引さや自己中心的な性格が変わっていくのだ。

 だが、今ここにいるエイミーは人と接するのが不得手で、嫌われることを恐れるために自身を押さえている。ルパートの性格は変化しないまま、ここまで来てしまったのだ。


 「でも、問題は大きいわね。この状況を共有し相談できるのが私達だけというのは心もとないわ」

 

 クリスティーナの言葉にエイミーもまた下を向く。

 だが、ライリーだけは顎に手を置き、何か考えている様子だ。

 そんな違いに気付いたクリスティーナがライリーに声をかける。


 「ライリー、あなたまだ何か隠してはいないかしら?」

 「え!ど、どうしてわかるんですか?」

  

 その必死な様子を見れば、クリスティーナの問いが当たっていたことが一目瞭然だ。ライリーの慌てた様子にくすくすとクリスティーナは笑う。彼女にとって信頼の置けるこの少女はいつだって隠し事が下手なのだ。

 

 「さぁ、どうしてかしらね」


 そんなライリーを好もしく思うクリスティーナは笑いながら、ライリーのもう1つの隠し事が打ち明けられるのを待つのであった。

 


 

 


 

 


 

 


 

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