『二輪草の忍笑』Ⅲ

 あれから数年程もの年月は、雲のようにゆっくりと流れていった。

 純真様は当主に就いてから一年足らずで、立派な異能剣豪として頭角を現し、異能もほぼ操作自在となった。

 さらに十三歳という最年少の若さで、三大剣豪の一柱にも任命された。

 純真様の日々の貢献と精進のおかげで、私達僕達使用人達も変わらず穏やかな日常を満喫していた。

 それこそ、旧冷泉家の惨劇の記憶が徐々に霞んでいく程までに。


 唯一残る気がかりと言えば"跡継ぎ"問題、とその鍵を握る"許嫁探し"くらいだ。

 純真様は結婚には未だ若過ぎる齢とはいえ、主に楪家経由の縁談話が後を絶たない。

 生憎純真様は、今までお見合いで逢った華族の令嬢は皆お断りしてきた。

 正直どの令嬢も、では純真様に相応しいとは思えなかったため、その都度不謹慎にも僕達私達は胸を撫で下ろした。

 反面、純真様を心から理解して大切に愛してくれる唯一無二の相手は、いつか現れてくれるのか不安にもなった。けれど――。


 「おはよう! 霙ちゃん、雹君。今日も綺麗に空が晴れてよかったねぇ」


 朝日が昇り始めた早朝の台所にて。

 朝食作りの準備をする双子に続いて、夢咲久遠――冷泉純真の許嫁に初めて任命された女性は、意気揚々と現れた。


 「「おはようございます、久遠様」」


 朝日のように晴れやかな微笑みで話しかけてくれた久遠へ、双子も穏やかにあいさつを返した。

 手始めに、三人は今日の朝餉の献立と調理順序の打ち合わせをする。

 双子は自分達の説明へ丁寧に耳を傾けて頷いた後、指示通りに人参を刻んでいく久遠を静かに眺めた。


 夢咲久遠様は僕達私達とはまったく別の世界からこの天神国へ降臨し、不思議な異能を宿す"特別な存在"だ。

 純真様から久遠様を紹介され、この冷泉邸へ居候させる事になった時、と他の使用人達は胸が躍り、は不安で身構えた。

 しかも霙にとっては、初めての"教育係"という大役を担う事になったのだから。

 一体、どのような心を持つ人なのか。

 純真様に少しだけ冷たくされている事で、何かしら落ち込んだり、不平不満を言ってきたりはしないかと。

 霙がそのような御方を教育指導するなど、畏れ多いのではないか。

 けれど私達僕達の不安はまったくの杞憂だった、と直ぐに思い知らされた。


 「すごーい! 今日も美味しそうな朝餉が完成したね。二人ともお疲れ様」


 今日の朝餉はこんがり香ばしい鯖の塩焼き、とツルツル滑らかな豆腐の冷奴、ほかほかの炊き立てご飯、そして深みの香る味噌汁だ。

 出来立てに輝く食事を見渡し、同じように瞳を煌めかせる久遠様に、僕達私達も自然と唇が綻んだ。

 当初の久遠様は、やはり異世界出身故か、天神国における炊事や洗濯等の方法をあまりよく知っていなかった。

 初めての事だらけで、内心は不安でいっぱいだったに違いないはずだ。

 けれど、いつも久遠様は作業へ熱心に取り組み、ずっと歳下の僕達私達の言葉を丁寧に聞き、素直に動く謙虚さを持っている。

 事実、純真様と正式に婚約した後も、久遠様は以前と変わらず付き人として私達僕達と一緒に働くことを希望したのだ。


 「「久遠様がお上手に仕上げてくださったからです。お疲れ様です」」

 「えー、そうかな? 照れるけど嬉しいな。二人がいつも分かりやすく教えてくれたからだよ」


 何て事ないという表情で笑う久遠様だが、彼女の一挙一動が僕達私達使用人、そして純真様の心すら、どれだけ温めてくれている事か。

 久遠様と純真様はまるで違うはずなのに、どこかこう……根っ子がと思う。

 そう、身分とか関係なく、誰に対しても心の優しさも。

 自分が危険な時ですら、"決して見捨てない"ところも。


 「さあ、ご飯を運びに……どうかした? 二人とも」


 早速配膳を始めるべくお盆へ手を触れた久遠は、不意に目を留めた。

 双子が神妙な眼差しで久遠をじっと見つめて、一向に動こうとしなかったからだ。

 二人を案じたように首を傾げる久遠に、双子は意を決したように口を開いた。


 「久遠様……何があっても、私達は久遠様の味方でもあります……」

 「私達は……どんな久遠様もですから……」


 それはきっと、純真様も同じでしょう――。

 いつになく真剣な眼差しで見つめながら、花開くように想いを零した双子。

 それは自分達の主人にとっても、唯一初めて心を解かした存在への、深い感謝と祈りだった。


 「わっ」

 「く、久遠様っ?」


 不意に俯いた久遠が双子を抱き寄せると、腕の中へそっと包み込んだ。

 急な行動に双子も恥ずかし半分で戸惑うが、自分達を抱く腕の力はどことなく心地良かった。


 「ありがとう――私も、二人のことが"大好き"だよ――っ」


 紫水晶のような瞳から零れた涙は、優しい雨のように澄んでいて、僕達私達の心へ沁み渡っていく。


 そうして、私達僕達もまた、氷の主人様と同じように、心を温かく解かされていくのだ。



 あの日―― 僕達私達が救われたのと同じように――。



 いつか二人の"心の氷"にも、春の日向が降り注ぐことを願う――。




 ***

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る