『二輪草の忍笑』Ⅱ

 「丁度いいや。お前ら二人を"人質"に利用させてもらうぜ」

 「まあ、あの冷徹無比な"氷の鳳"が、たかが使用人の餓鬼のために動くか分からねぇけどよ」


 丁度、純真が冷泉家当主を継いでから二週間が過ぎた頃に起きた事件だ。

 普段通り純真が任務で出払い、歳上の使用人一人と双子の三人のみで、冷泉邸の留守番をしていたある日。

 使用人の瑠美さんは庭への水遣りをしている最中に、男二人組の強盗に刃物で脅され、やむを得ずに鍵を開けた。

 そこで書斎を清掃していた私達僕達も、突然侵入して来た二人に手足を拘束されてしまった。

 後に判明したのは、二人が純真の冷泉家継承に反対していた華族から多額の報酬で暗殺依頼を請け負った犯罪組織の人間だったという事。


 「どうか……純真様には……兄にも、瑠美さんにも……手を出さないでください……私はどうなってもかまいませんので……っ」

 「何を言っているんだ! 霙! おい! 俺はどうなっても構わない。他の誰にも手を出すな……せめて、霙にだけは……っ」


 霙としては唯一自分に優しくしてくれた兄と主人、そして惨劇から共に生き残った大切な仲間である瑠美に、酷い目に遭ってほしくなかった。

 雹もまた、信頼の置ける主と仲間、せめて最も大切な存在である妹だけは助けたかった。

 双方は互いを庇い、大切にする想いを競うように叫ぶ。


 「おいおい! 聞いたかよ兄貴! コイツら本当に面白いぞ!」

 「ああ! 二人して同じ事をほざきやがってよぉ! 何なら聞いてやろうぜ?」


 一方、双子の決死の願いを嘲笑う外道の二人組。

 内、兄貴分の男は口角を釣り上げると、双子と距離を縮めた。

 兄貴分の考えを察した弟分もまた、舌舐めずりをしながら薄気味悪く笑って歩み寄る。


 「おい……何をする気だ……やめろ……!!」


 蛇のように濡れた二人の瞳がハッキリと捉えているのは、霙の方だと気付いた雹は胸騒ぎを覚えた。

 縛られた手足を慌ててジタバタさせる雹に、霙もまた今から何が起きるのかを察した。


 「良い子だなあ、お嬢ちゃん。大切なご主人様と仲間のために、最後までちゃーんと我慢するんだぞぉ」

 「まあ、いくらでも好きに泣き叫ぶのは構わないぞぉ。その方が俺達も興奮すっから」

 「やめろ!! 霙に触るな! 霙に手を出したら、タダじゃ済まな……っ!!」

 「うるせぇなあ! お前は口を塞いどくか」

 「霙……! んんーっ!!」


 涙を溜めた双眼を固く閉じて、その瞬間をひたすら耐えようと覚悟を決めた霙。

 そんな健気な霙の願いを聞く気はさらさらなく、全てを踏み躙ろうと嗤う男二人は彼女へにじり寄る。

 口に布を咥えさせられ雹は、声にならない怒りと懇願を叫ぶ。


 これじゃあ、"あの時"と同じだ――。

 否、"あの時"よりもずっと最悪だ。

 自分は為す術もなく、ただ目の前で妹をなぶられる瞬間を見ている事しかできないのか。

 そうだった――"あの時"、自分は――。


 炎に身を焼かれるような絶望感、頭がひび割れていくような鈍痛を覚える。

 雹は目の前が真っ赤に染まっていくのを感じていた。


 「うわあ!? 何だこれ!」

 「痛ってぇ!」


 穢らわしい指先が霙へ触れる寸前。

 外から窓を突き破って飛んできた"何か"が、男二人の両手を刃のように切り落とした。

 ほんの一瞬の間に両手を失った男達が激痛にのたうち回る様を、双子が愕然と見上げていると――。


 「ねぇ、何をしているの――」


 気配も足音すらなく忽然と現れたのは、冷泉家の当主・純真本人だった。

 主人の帰還に双子は安堵と心配両方の気持ちを抱きながらも、その名を呼ぼうとしたが――。


 「ねぇ、人の家へ勝手に上がり込んで――僕の使用人に、何をしようとしていたの?」


 それは心臓までも凍り付きそうなほどの殺気だった――。

 部屋中を瞬く間に侵食していく凄まじい冷気は霜を生み出す。

 双子だけでなく、あらゆる残虐を犯すのも見るのも平気で為してきた男達ですらおののいた。


 「ひっ――」

 「ねぇ、答えてみなよ――」

 「や、やめてくれ――」


 己の殺意を体現するように、息まで凍りつきそうな冷気を纏う純真は男達へ詰め寄る。

 純真の両肩には、氷像のように留まる二羽のカラス――血に濡れたくちばしと爪の様子から、二人の両手を切り落とした元凶で間違いない。

 冷酷無比な眼差しで見下ろす純真を前に、二人は情けなく歯をガチガチ鳴らして震えていた。

 このまま言葉通りに答えても拒否しても、殺されてしまいそうな威圧感と恐怖はそこにあった。

 尋常ならぬ様子の主人を遠くから見つめている双子もまた、寒気も相まって別種の恐怖に震えが止まらなかった。


 「――純真殿。それだけは、止めないといけない――」


 しかし、間一髪で純真達を救ったのは、双子にとっても予想外の人物だった。

 飄然とした声色とは対照的に、真剣な眼差しにはいかずちのような熾烈さが宿っていた。

 森色の黒髪を波立たせる青年は、腰にかけた剣を抜刀すると、そこから電光石火を解き放った。

 三つの線を描いた電流は宙を駆け巡り、そして――。


 「っ――!!」


 暗殺の男二人、そして純真の頸辺りへ、小さくも凄まじい電流は走った。

 途端、二人は白目を剥いて失神し、純真の方は意識を何とか保ちながらも、立っていられない程の目眩と痺れで床に伏せた。

 弱った純真へ呼応するように、部屋中の冷気も氷の鴉も雪のように散って消えた。


 「手荒な真似をしてごめん。手加減はしたつもりだよ。平気?」


 森色の髪の青年は純真の下へ歩み寄ると、膝を突いて語りかけてきた。

 目線を合わせながら手を差し伸べる様子から、純真を真に案じている。

 それでも柔らかな声色と眼差しに宿った真剣な光、その意味を理解している純真は息を呑んだ。


 「っ……申し訳……ありま……せ……」

 「分かっているなら、まだいいよ……でも、これからは……分かっているね……?」

 「はい……っ」


 悲壮な眼差しで謝罪を漏らし、悔やむように唇を噛む純真。

 普段と先程の冷たい雰囲気からは想像もつかない痛ましい姿に、双子も胸がチクリと痛んだ。

 青年もまた純真の心中を察しているらしく、呆れた微笑みを浮かべて肩を竦めていた。


 その後は、青年の呼んだ警察部隊によって男達は逮捕され、救護班によって双子達も手当を受けた。

 そして、危機から冷泉家を救ってくれた森色の青年に連れて行かれた純真は――。


 *


 「「どういう、ことですか――純真様」」


 襲撃事件のあった後日――純真は無事に冷泉邸へ帰ってきた。

 しかし純真の口から双子へ、衝撃的な言葉を告げられた。

 双子を書斎へ招いた純真は、二つの木箱を渡してきた。

 木箱の中身は、一生働かなくても暮らせる程の大金だった。


 「先程言った通りだ。これを持って、


 新しい住居の手配が済み次第、そちらへ引っ越すように。

 立て続けにそう告げられた僕達私達だが、ただ衝撃ショックと悲しみで頭が混乱した。

 どうして急に、純真の方から屋敷を出ていくように言ってくるのか。

 しかもこの言い様だと、他の使用人達も同じらしい。


 「っ……どうして、ですか……純真様……」

 「もしかして……私達が何か気に障る事を……」

 「それは違うよ。どうか、誤解しないでほしい。君達のためでもあるんだ」


 急な話で双子を困惑させたことにも、純真は申し訳なさそうにしながら説明してくれた。


 「二日前、僕は当主という立場でありながら、君達使用人を危険へ巻き込んでしまった」


 双子を守るどころか、あまつさえ怒りに囚われてしまい、氷の異能を暴走させかけた。

 もしも、あの時に聖徳様の遣いの青年の到着が遅ければ、純真は双子を凍死させかけたかもしれなかった。

 沈痛な空気の中で話を伺う最中、双子は歳上の使用人達や、街の人からも耳に挟んだ"噂"を思い出していた。


 冷泉純真は類い稀なる強力な異能を持って生まれた。

 故にかつて、激しい怒りと悲しみに駆られて異能を暴走させた。

 結果、父親を死に追いやった強盗を母親もろとも手に掛けたという話だ。


 今の純真は、聖徳様の助言と指導役の剣豪との鍛錬を受けてはいるらしいが、未だ異能を完全に掌握コントロールしきれていないとのこと。


 「本来であれば、君達を命の危険へ晒した僕は当主である資格はない。それでも、今の僕にはこのお役目を自ら降りることもできない」


 本来であれば刑事罰を受けるはずだった純真は、冷泉家の存続と国家への貢献を条件に、聖徳様から恩赦を賜ったらしい。

 あの事件の直後に聖徳様の遣いに連行され、謁見をした際に、純真は辞退を申し出たが、どうやら却下されたらしい。


 「これからも僕と一緒にいれば、常に危険が付き纏うだろう。だから……」


 冷泉邸を襲った奴らの標的は、あくまで純真であったため、やはり彼の当主継承と恩赦に反対する勢力の差し金だと分かった。

 現在は聖徳様の命により、警察部隊と遣いの者達が調査を進めているらしい。

 安全対策のために、冷泉邸にも暫く門番が付くことになった。

 それでも深い責任を感じている純真は、生活の保障をしたうえで、使用人達を冷泉邸よりも安全な場所へ移すつもりらしい。

 つまり新しい住処が決まり次第、使用人全員は多額の退職金を手に冷泉邸から出て行き――。


 「これからは“自分の人生”を生きてくれたらいい――」


 最後まで説明を聞き終えた、僕達私達双子は――。


 「「……嫌です」」


 私達僕達の声は共鳴するように重なった。

 一瞬意味を掴みかねた純真は、いぶかしげに眉を顰めた。

 けれど、僕達私達の想いも決意も既に決まっていた。


 「「申し訳ございませんが、私達僕達はその命令にだけは従えません――」」


 従って、このお金も受け取れません。

 双子からの予期せぬ拒否、大金をそっと突き返された事に、今度は純真が驚く番だった。


 「――どうして……僕と一緒にいれば、君達も危険に……っ」

 「「私達は氷室家の人間です。代々冷泉家へ仕えてきた故に、多少の苦労や危険も承知の上でした」」

 「それは……でも君達には、生まれた家のしきたりに縛られる必要もないだろう……っ」


 やはり冷泉純真という少年は、本当は――あまりにも優しすぎる。

 氷室家に生まれた双子の見解も立場も、純真は理解しているつもりだった。

 それでも尚、純真の心にはどうしても納得のいかないものがある。

 そんな純真の気持ちを察した上で、双子は改めて"冷泉家の使用人"としての心得を述べた。

 けれど、双子が真に伝えたいことはその先にある。


 「「つまり純真様は、氷室家のしきたりに囚われず、僕達私達が"自分の意思"で今後のことを決めても良いと仰りたいのですね?」」

 「そういうことだ……だから君達も……」

 「ならば、お言葉ですが」


 双子の解釈に純真は深く肯いた。後は、畳み掛けるのみだった。

 双子は互いに片手を繋ぎ合わせると、決意を固めるように前を見据えた。

 まだ若く優しすぎる当主から目を逸らさないまま、凛然と告げる。


 「「僕達私達使、これからもずっとお側に仕えることを強くご希望いたします――」」


 止められても尚、決意を揺るがさない双子の眼差しに、さすがの純真も言葉を失った。

 どう返答すべきかを考えあぐねている純真の耳へ、今度は扉の開く音が届いた。


 「失礼いたします、純真様」

 「多少の無礼を承知で、も申し上げます」


 扉の向こうから現れたのは、年配の使用人数名全員だった。

 彼女らの手には、先に純真から手渡された金子箱がある。

 ただならぬ雰囲気から、彼女らは扉の外から双子達の会話へ耳を澄ませていたらしい。

 彼女らの内、最も年配の清野すみのは、代表として純真の目前まで歩み寄ってきた。

 そして、人数分の金子箱を全て机の上へ丁寧に置いた。

 清野の行動の意味を悟った瞬間、月石色の瞳へ波紋が広がった。


 「私達もお二人と同様に、今後も冷泉純真様へお仕えすることを強くご希望致します――!!』

 「「「「どうか、お願い致します――!」」」」


 使用人達も思う所があったらしく、双子の固い決意に背中を押されたようだ。

 双子に続いて使用人達全員が冷泉邸に残り、純真へ仕える事を強く志望してくるとは夢にも思わず。


 「どうして……お前はそこまで……」

 「我々が何も存じ上げていなかったと思いますか……」

 「何故なら、あなたは当主の座を継いで、路頭に迷う寸前だった我々を救っただけではありません……」


 双子を含む使用人全員は、全てのだ。

 純真は冷泉家の遺産と自身の任務の給与の一部を、彼女らのために賭していたことを。

 屋敷内外の修繕は、長年手入れもされず荒れ放題だった使用人用の部屋を中心に実施されていた事も。

 冷泉家殺人事件で惨殺された彼女らの家族のために、墓の手入れから供養の手配までしてくれた事も。

 このように純真が当主として、彼女らのために為した善行は多岐に渡る。

 そのうえ、双子達使用人にとって、純真こそは唯一の――。


 「あなただけでしたのよ。"たかが使用人"である我々を一人の人間として、普通に扱ってくださったのも」

 「あなただけは、我々を怒鳴ることも殴ることもしない、お優しい当主様です」

 「我々の家族のことまで大切にしてくださって、本当に感謝しているのです」


 使用人の一人一人が強く肯き、想いを口に奏でていく。

 とうの昔に、生まれた瞬間から全てを諦めていたはずの彼女らが密かにこいねがったのは"当たり前の安寧"、それを許してくれる"理想の主人"だったのだ。


 「「これこそが我々の"答え"です。純真様――」」



 あなた様のように誠な御方が我々の主人になってくださって、本当によかった――。



 双子を含む使用人一同から迷いなく告げられた純真の覚悟は、その時点で既に決まった。


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