終章『始まりの前の休息』

 桜吹雪のごとく激動の春を越し――紫陽花の季節を迎えた頃。


 「あのぅ……純真君。私はいつまで"ここ"にいるのかな?」


 空から大地を洗い流すように穏やかな雨が降り注ぐ昼間。

 窓から舞い込む雨の音や匂いに安らぎを覚えながら、久遠と純真は憩いの時を満喫していた。


 「ん……"ここ"って何のことを言っているの……?」


 困った微笑みで首を傾げる久遠の質問に、純真は身じろぎしながら逆に問う。

 ぽうっと寝惚けている猫を彷彿させる表情と仕草に、久遠は不覚にも母性本能に近いものを掻き立てられた。

 それでも久遠は今度こそ流されてはいけない、と心で己を戒めながら意を決して口を開いた。


 「だよ。先ず、この体勢に何か意味があるの?」


 久遠は今も自分の太腿へ後頭部を乗せ、仰向けに寝転がったまま久遠を見上げる純真へ改めて問い詰める。

 所謂いわゆる"膝枕"の体勢へいつの間にか誘導されていた久遠は、内心羞恥と戸惑いを抑えられない。


 「こうして久遠と二人で休めるのは、本当に久しぶりだから……僕がこうしたかったんだ」

 「だからって何で膝枕なんか……」


 最近までは多忙で深夜と朝方の帰りが続いていた純真にとって、今日は久しぶりの貴重な非番だ。

 とはいえ生憎の雨で外出する気にもなれず、こうして屋敷でのんびりと過ごしている所だ。

 しかし気がかりなのは、今日は純真がやたら久遠にくっついて来る事だ。

 それこそ、、ずーっと。

 今日も純真の希望で昼も久遠の得意料理が食べたい、という彼のために台所へ立っていた際。

 純真は隣で調理を手伝ってくれる双子の目も憚らずに、久遠の様子を後ろから興味津々に眺めていたりもした。

 双子には申し訳ないと思った久遠だが、双子はむしろニコニコと微笑ましそうに見つめてくるばかり。

 想いを告白されてからというもの、何だか純真君からの接近アプローチは日に日に増している気がする。


 「ごめん……もしかして、?」

 「え!? ち、違うよ。嫌とかじゃないよ……っ」


 猫さながら気ままな言動から一転し、今度は不安気に首を傾げる仕草や澄んだ大きな瞳が子犬を彷彿とさせる。

 思わず本能で胸を締め付けられた久遠は、考えるよりも先に口を動かしていた。


 「よかった」


 慌てて否定した久遠の反応に、純真は心底安堵したように息を吐いた。

 それから双眸を軽く閉じると、あの告白の時のように久遠へぽふっと擦り寄ってきた。

 ああ、この無垢で幼気な温もりを跳ね除けられない己の甘さが、今ばかりは憎らしい。


 「久遠」


 というか、何だか純真君は憑き物が落ちたかのごとく、すっかりキャラが変わった気はする。

 否、むしろこちらの方が、本来の純真君なのかもしれない。

 慈しみ深い両親に愛されて育った素直で優しい少年らしい人格は、喪失と人間不信によって封じられていただけなのだ。

 そう思えば、未だ幼い少年の内に甘えられなくなり、寂しさを抱えていたと思しき彼を両手で包んであげたくもなる。けれども。


 「それで、訊きたいんだけれど、純真君」

 「何かな」

 「やっぱり良くないと思うから、私の寝台をここから移しても……」

 「どうして、駄目なのかな」


 もう一度意を決して告げた久遠に対して、純真はあどけない表情で首を傾げる。

 あまりに無邪気な純真に、久遠は困った表情で改めて寝台へ目線を送った。

 かつて二人が初めて逢った場所でもある、純真の天蓋付きの寝台。

 氷水色を基調とした布団と対を成すように、可憐な桜紫さくらむらさき色の寝台はピッタリと隣に並んでいる――まるで“夫婦の二重寝台ダブルベッド”のように。

 いつの間にか購入された色違いのお揃いの寝台は、“久遠の新たな寝所”として運び込まれたのだ。

 それから、夜は久遠も純真と同じ寝室で眠るよう、言い付けられるようになった。


 「久遠は僕の許嫁であると同時に付き人でもあるよね? なら、主人の僕となるべく一緒にいるほうがいいでしょ?」

 「う……! それはそうなのだけれど……でも、私はお嫁さんになるって決めたわけじゃないからっ」


 やはり、これは一種の当て付けでもあるのだろうか。

 聖徳様公認で正式な(久遠にとっては暫定的な)婚約を結んだ後も、久遠は変わらず付き人としての立場と仕事の維持を希望した。

 純真にとっては大切な許嫁となった久遠に、使用人と同じ量の業務をさせるのは少しはばかられた。

 それでも久遠は、少しでも周りの役に立ちたい気持ちを持っており、双子達と一緒に仕事をするのが好きになっていた。

 久遠からそこまで強く告げられた純真は、さすがにそれ以上は何も言えなかった。

 ただ代わりに、久遠と今より一秒でも長く、近くにいる事を望んだのだ。

 だからといって、まるで夫婦みたいに新しい寝台を買って並べて、毎夜同じ部屋で眠らせるのは……今時現代の婚約者同士でも、そうしているのかどうか怪しい!


 「それにね、やっぱり良くないと思うの……まだ正式に結婚していない二人が、夜に同じ寝所で眠るのは……」

 「それは……もう僕の事を意識してくれているの?」

 「そ……そういうわけじゃ……! でも、その……っ」


 我ながら墓穴を掘ってしまうとは。

 純真の挑戦的な笑みと台詞に、久遠は顔を林檎色に染めて狼狽する。

 咄嗟に否定してみるものの、それ以上先は結局、先程の久遠の理屈を崩しかねない。

 最後には口籠もってしまう久遠に、純真は上機嫌に双眼を細めた。


 「嬉しいなあ」

 「私を揶揄からかって楽しむのはやめてよね」

 「――違うよ」


 悪戯に成功した無邪気な子どもにすら見える微笑みが憎たらしくて、久遠は口でさり気なく諌めてみた。

 瞬間、月石色の瞳に無邪気とは対照的な光が灯った。

 反射的に肩を揺らした久遠の目の前には、自分を真っ直ぐ射抜く純真な眼差しがあった。


 「久遠にはちゃんと理解っていてほしいから――僕も"男"なんだって」


 透き通るような声にも、出逢った頃のように、ひどく大人びた色が戻っていた。

 唯一の違いは瞳や声、手付きにすら、あの頃には見せたことのない"甘やかな感情"が宿っている所だ。


 「ちゃんと僕を見て」


 どうしよう。どうしよう。

 最初の頃は、思春期で反抗的なしっかり者の弟みたいな存在くらいにしか見ていなかったのに。

 氷に閉ざした心を解かしてくれた時も、先程も、ただ純粋で可愛い歳下の男の子だとしか思わなかったのに。

 なのに、今はとても――純真君が、"大人の男性"に見えてしまう。

 "男"としての純真君に、今私の心臓は熱く高鳴ってしまっている。

 私の心はクリスティアヌス様に決めているのに。


 「純真、君――っ」


 純真君は私だけを真っ直ぐ映している。

 "男"として、久遠わたしが欲しい、と囁いているよう。

 少年らしくない、艶っぽくて力強い眼差しで――。


 「久遠……」


 すっかり固まってしまった久遠に向かって、純真は上肢を起こしながら手を伸ばした。

 左頬に添えられた優しい手を振り払うことも、顔を背けることも、今の久遠にはできそうになかった。

 久遠が動けないのを良いことに、純真はゆっくりと顔を近付けた。

 真っ赤に熟れた甘い果実へ齧りつこうとするように――。




 「こんにちはー! お邪魔するよー純真殿!!」


 突如部屋に響き渡った陽気な声、それまで気付かなかった気配に、久遠は肩を弾かせた。

 吃驚びっくりした拍子に、純真と額同士をぶつけてしまった久遠は、痛みに悶絶してしまう。


 「痛ったあぁ〜っ……あ、ごめん……純真君っ」

 「大丈夫……大丈夫だからね、久遠……っ」


 同じく額をぶつけた純真は久遠を案じるが、彼もまた痛みに耐えて震えていた。

 不可抗力とはいえ、純真君へ頭突きを食らわせてしまう時が来るなんて。

 それにしても純真君も中々の石頭らしく、額を苛むジンジンとして熱感と痛みは未だ続きそうだ。

 一方、同じように両手で額をさする動作をし、心配の台詞を零す二人を眺めていた"突然の来訪者"は――。


 「あははは、お二人とも驚かしちゃったみたいで、急にごめんねー」

 「「申し訳ありません、純真様、久遠様っ」」

 「あー、双子ちゃん達は気にしなくていいからね。勝手に先に上がった僕が悪いんだし。ごめんごめん」


 軽い調子で苦笑しながら謝る来訪者に続き、ひどく申し訳なさそうな表情の双子も慌てて駆け付けた。

 察するに、双子を通すよりも先にこの傍若無人な来訪者は、親友の家へ上がり込むがごとくささっと入ってきたらしい。

 久遠の隣で困惑気味に目を見開いている純真の表情から、親友というのとは異なる関係なのかもしれない。


 「あ! あいさつが遅れてごめんね! 初めましてこんにちは! 君は純真君の許嫁さんだよね? ずっと、絶対、会ってみたかったんだ〜」


 純真の隣にいる久遠に気付いた来訪者は、彼女へ急に詰め寄ると、友好的な笑顔で声をかけてきた。

 初対面で、しかも他人の許嫁に馴れ馴れしい距離と態度に、さすがの純真もさり気なく諌めようとしたが……。


 「あなたは確か……」

 「……久遠?」


 しかし予想に反し、大きく見開かれた久遠の瞳は、初対面の他人には灯さない輝きを灯していた。

 推しのクリスティアヌス様へ向けるのとはまた異なる、そう"親しみ"に近いものだった。

 一方久遠が自分を認識したと分かった来訪者は、さっそく意気揚々と語り始めた。


 「そう! 僕は"鳴汰なりた恵士郎けいしろう"。歳は十八歳! 恋人募集中! の一人さ! ちなみに属性は"雷"! 神様っぽくて、かっこいいでしょー」


 鳴汰恵士郎――"雷虎らいこ"の異名で謳われる異能剣豪。

 鳴神のごとくいかずちを生み出し、虎のごとく標的へ喰らい付く猛攻的な強さを誇る。

 そんな厳めしい異名と語りに反し、当の本人はいたって軽佻浮薄で人懐っこい男だ。

 深い森色に艶めく黒髪を肩で無造作に広げ、蛍光緑ライトグリーン色の瞳には邪気も戦意もまるでない。

 鳴汰があの国最強の三大剣豪の一柱だという話は、周りからすれば俄に信じ難いだろう。

 しかし、久遠にとっては――。


 「初めまして、私は夢咲久遠です。こちらこそ、よろしくお願いします。えっと……」

 「よろしくねー! あ、僕のことは鳴汰で全然構わないからね。それと、敬語もいらないよー」

 「そう? じゃあ、よろしくね、

 「久遠……!?」


 初対面の鳴汰相手へ直ぐにくだけた口調と表情で、握手まで交わしている久遠に、さすがの純真も動揺を隠せない。

 しかし、無理もない話だった。

 何故なら久遠にとって鳴汰恵士郎もまた、カミコクプレイヤー時代ではかなりお世話になったキャラの一人だからだ。

 以前、『"神属性"キャラ・ピックアップガチャ』にて、二枚目のクリスティアヌス様を引こうとした際に、鳴汰恵士郎もついでに当たったのだ。

 鳴汰は飄々とした性格ではあるが、戦いにおける彼自身の性能は折り紙付きであるのは、カミコクプレイヤー達には周知の事実だ。

 そのため久遠からすれば、純真とクリスティアヌス様に次いで"頼もしい"存在が登場してくれたことになる。


 「それよりも、鳴汰殿。ここへは僕に用があって来たのではないですか?」

 「あー、そうだった! ごめん、一瞬忘れていて!」


 純真は、一眼で互いに意気投合したように見える二人の間へ入ると、鳴汰を久遠から引き剥がした。

 一見冷静沈着な純真の眼差しと手付きから、猛烈な"嫉妬"の気配を感じ取った鳴汰はヤレヤレと肩を竦ませた。

 鳴汰は自分から見ても、純真が一人の女性へご執心というあまりに新鮮な姿に、胸が躍るものを感じていた。

 しかし生憎純真の言う通り、今の鳴汰にも大事な任務があるのだ。


 「聖徳様から招集の手紙を預かったんだ。純真殿とへ届けて欲しいって」


 聖徳様から招集の知らせを、わざわざ文書で渡された途端、純真の目付きは冷たく澄み渡った。

 さらに鳴汰の口から久遠の名前も出たこと――つまり聖徳様が、特別な招集に久遠も指名したことを意味している。


 「――まさか、鳴汰殿」

 「その通り。僕もも受け取ったよ。これから、色々と楽しくなりそうだよ」


 そして、聖徳様が三大剣豪を同時に招集したということは――。

 純真は自分と久遠へ宛てた公正文書でもある手紙を開いて読み通した。

 すると、隣から手紙を覗き込んでいていた久遠もまた息を呑んだ。


 「つまり――の始まりさ!!」




 三大剣豪・氷神の剣・"冷泉純真"並びに許嫁の"夢咲久遠"へ命じる――。


 三大剣豪と共に海を渡り、格目的地にて"神大国遊戯"へ参加せよ。


 第一目的地:・ウルク市


 調印:花山院聖徳




 冷泉純真と夢咲久遠の物語は、これからも綴られていく――。



 むしろ、二人の壮大な"旅物語"は今、幕を下ろしたばかりである――。




 ***第一部・完***


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