『雪の鳥は春の咲く夢を見ていた』Ⅳ

 「クリスティアヌス皇子が好きなの?」


 純真から冷ややかに告げられた質問に、久遠は世界が凍りついたような悪寒に襲われた。

 久遠の尋常ではない反応から図星だと察した純真は、「ふうん、やっぱり、そうなんだ」と怜悧な眼差しを細めた。

 一方久遠は、これ以上隠し通すのも難しくなった状況、明らかに温度を下げた純真の空気と眼差しに戦慄が止まらない。


 「そんなに怖がる事はないよ。察するに、僕と同じでカミコク? 遊戯の時から、クリス皇子を知っていて好きだったわけでしょ?」

 「概ね正解です……うう……っ」

 「今も好きなの? 随分仲良くなっていたみたいだけど」

 「ううっ」

 「久遠とはとは良き友達になっただとか、いつか自国を観光案内したいだとか、約束を交わしたとか」

 「あううっ」


 恐らく宿泊所への送迎の道中で、クリスと色々言葉を交わしたのだろう。

 友人となったクリスとの会話のやり取りや、そこで交わされた小さな約束にまで言及された久遠は返答に詰まる。

 異様な静けさ満ちた眼差しからは、今の純真の感情が見え辛く、かえって恐ろしかった。

 伴侶に他の人との浮気がバレてしまった人間の気持ちが、少しだけ分かった――否、待って!


 「あのね、純真君にはちゃんと伝えておきたいことがあるの。私ね……」

 「久遠は僕のお嫁さんになるんだから、浮気は許さないよ?」

 「なっ! ま、待って!」


 何だかんだ雰囲気に流されそうになるのだけは止めたい。

 それに相手が純真君だからこそ、誠意のある対応すべく、自分の気持ちをはっきり伝えたいというのに。

 しかし、当の純真は先程の口付け、と久遠の台詞に気を良くしたのか、やたら諦めの悪い。


 「私、まだお嫁さんなるって決めたわけじゃ……! だって私は……っ」

 「うん、分かっている。今もまだクリス皇子のほうが好きなことくらい」

 「! そうなの……だから私は、純真君とは……」


 聡明で察しの良い純真君なら、尚更理解してくれているはず。

 淡い期待を胸に説得を試みた唇は、またしても塞がれてしまった。


 「僕は負けないから――」


 瞬く間に触れて離れた唇から紡がれたのは、少年の純真な決意だった。

 有無を言うのすら叶わないくらい力強く澄んだ眼差しに射抜かれた久遠は、ついに反論に窮した。

 純真は久遠の頬を撫でながら、胸の奥へ刻みつけるように告げた。


 「いつか必ず、僕が好きだって言わせてみせるから――覚悟して」


 決して逃さない――そう告げている強い声と眼差に宿る炎に、久遠は焼かれてしまいそうだった。

 けれど久遠だって、そう易々とほだされるわけにはいかなかった。


 「わ、私だって、覚悟してよね……! 私の……クリスティアヌス様への愛と情熱だって、前世カミコクプレイヤー時代から何年も続いているんだからねっ!」


 長年、クリスティアヌス様への愛へ殉じた推し活と推しの心を、儚い甘酸っぱい青春やときめきなんかで――。

 ましてや、いっときの気の迷いとしか考えられない"ショタとの歳の差恋愛"で打ち消されるなんて。

 私はこの少年の想いを認めても、受け入れるわけにはいかないのだ!


 「ふうん……かまわないよ、別に。必ず久遠を振り向かせるからね」


 貞節のある大人としての理性と誠意を盾に、熱烈告白へ抗おうとする久遠。

 それでも純真は、決して諦めようとしない強気な姿勢を崩さない。


 「その強気な自信は、一体どこから来るのよ……って、しかもドサクサに紛れて抱きついてこないでってば……」

 「僕にこうされるのは嫌? 嫌いになった?」


 早速、久遠の首辺りに顔を埋める勢いで両腕を伸ばし、彼女をぎゅっと捕える純真。

 純真の気持ちを知った今、尚更拒絶しなければとさりげなく注意を促す久遠。

 しかし、いざ純真というあどけなさの残る少年のいじらしい抱擁、曇りの無い綺麗な眼差しに見つめられると、押し退けるのは精神的に酷だ。

 しかも、少年が悲しい過去や寂しさなど、たくさんのものを背負っている事を理解している今は尚更。


 「き、嫌いになんかならないよ……でもね」

 「よかった……ありがとう、久遠」


 苦渋の表情を浮かべる久遠の返答に、純真は心底胸を撫で下ろしたように微笑んだ。

 恐らく、否間違いなく、確信犯たろう。

 しかも、最初は決して見せたことのなかった純粋無垢な微笑みと幸せそうな眼差しから、本人は天然無自覚らしい。

 先程までは大人びた表情と声をしていたのに、急に年相応の無垢な愛らしさを見せるのは、余計に性質が悪い。

 久遠は既に先が思いやられそうだ、と己の甘さに眩暈すら覚えた。


 「じゃあさ、仕切り直して……僕と、久遠」

 「へっ? どうして急に……ひゃっ!?」

 「僕、ずっと楽しみにしていたのにさ」


 不意に両脇を抱えられた久遠は、純真によって軽々と持ち上げられてしまう。

 まるで、高い高いをされる女児のように。

 未だ十五歳の男の子なのに、小柄とはいえ成人女性を抱き上げるとは、どんだけ力持ちの筋力があるんだろうか。


 「お披露目の後、久遠と一緒に踊るつもりでいたから。でも、色々あって……久遠の体も心配だったし……」


 やや不貞腐れているような、心底惜しそうな声色から、久遠は何となく悟った。

 剣の舞のお披露目の後、久遠は双子と共に待っているように、と予め純真に言付けられていた。

 なのに、久遠は途中で涼みに抜け出した挙句、バルコニーで偶然逢ったクリスと意気投合し、さらにアシュラフ王子に絡まれてしまった。


 「そっか……ごめんね、純真君。あの時、私が勝手にいなくなったから……」


 今思えば、純真は久遠と"約束"を交わしたつもりだったのだ。

 二人で互いのために選んだ着物を纏い、共に踊り舞うために。まさか。

 ハッと息を呑んだ久遠が不意に自分の格好を眺めると、鮮やかな手毬模様が瞳に映る。

 ああ、道理で。


 「なら、夜が明ける前に……僕と踊ろう? 久遠」


 朧月のような瞳に淡い幸福の色を揺らめかせる純真を眺める。

 目の前には、久遠が少年に似合うと信じて選んだ、無垢で華麗な鶴模様が見えた。


 「もう、仕方ないなあ……少しだけだよ……?」


 久遠は恥じらいながらも、無邪気な少年の首へそっと両手を回した。


 「もしかして……純真君は、知っているの? 例の言い伝えの事……」

 「さあ、どうだろうね」


 久遠に応えるように純真も、彼女の背中と腰へ自然な優しさで手を添えた。

 普段の冷静な純真らしからぬ、無邪気でいたずらっぽい眼差しで微笑む様が答えを物語っていた。


 「なら……どうして“幸せになれる”ための祝福を与えられるんだろう?」


 恋愛結婚系の言い伝えといえば“恋が叶う”、“永遠に結ばれる”といった縁結びの内容が大半なため、久遠には新鮮に響いたのだ。

 久遠が何気なく抱いていた素朴な疑問に対して、純真は全てを悟った表情で柔らかく答えた。


 「それは――きっと二人には、“結ばれたその先”が大切だからじゃないかな」


 今の僕達と同じように――。

 そう囁いた少年の唇の温もりに、久遠はまたしても耳元まで桜色に染めた。

 月を仰ぐように眼差しを上げてみれば、少年と瞳が真っ直ぐ合う。

 途端、あどけない少年の顔は、今までになく幸せそうに綻んだ。


 「久遠――“   ”だよ……」


 "氷の鳳"と畏れられている少年の無垢な姿と笑顔を知っているのは、彼の付き人兼許嫁のみだった。


 朧満月の最も煌めく夜空の下、雪の花と鳥を伴いながら、二人は手を取り合って舞った。


 純真でひたむきな少年の恋慕に、許嫁の少女は困りながらも、不思議と穏やかな眼差しを浮かべていた。


 *


 申し訳ありません、久遠様。私は一つ、をついてしまいました――。


 あなたを"転生"ではなく、"旅"させたのはであること――。


 理由は、へ“前世の記憶”を維持させるために――。


 そこまで対策を講じなければ、きっとあなたも純真様も、――。



 幾つもの世界を支配する、あの"魔神"には――。




 ***

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