『雪の鳥は春の咲く夢を見ていた』Ⅲ

 波乱の舞踊の会が幕を引いた後――。

 安堵から力が抜けたのか、久遠はクリスの腕の中で気を失ってしまった。

 久遠が目を覚ました頃、夜はまだ明けていなかったが、彼女は着物もそのままで自室の寝台に横たわっていた。


 「「久遠様……! 目覚めてよかったです……お体の具合はいかがですか……」」

 「霙ちゃん……雹君……ありがとう、私は大丈夫だよ……」


 久遠の側には、彼女の意識が戻るまで看ていてくれた双子の姿があった。

 それから、会場の庭園で久遠が意識を失った後の経緯を説明してくれた。

 手始めに純真は久遠を抱えて、いち早く冷泉邸へ帰還した。

 主催者・聖徳様への言付けは、宴会に残った成人の使用人達に任せ、双子は久遠を看させるために連れ帰ったとの事。


 「そうだったんだ……心配かけてごめんね」

 「「とんでもございません。久遠様は、ジャンナ王国の王子様とのトラブルに巻き込まれただけです」」

 「ところで、あの……クリスティアヌス様……デウス王国のクリスさんは、どうしているの?」


 久遠は意識を失う最後まで寄り添ってくれていた想い人・クリスの行方が気がかりだった。

 思いがけぬ奇跡の出逢いを果たし、友人としての約束まで交わした。

 そんな夢のような現実も、優しい香りのするクリスの温もりも、久遠の胸に甘く焼きついている。

 久遠の問いかけに対して、霙は穏やかな微笑みを、反対に雹は神妙な表情を浮かべた。


 「あの方……クリス様はお優しい方でした。久遠さんを良き友人と呼び、心配だからとわざわざ冷泉邸まで送ってくださったのです」

 「そうだったの……それで今はどちらに?」

 「その方なら……純真様が宿泊所まで送ってあげた所です。今夜の船でもう帰国するそうですよ」

 「そんな……」


 クリスは既に冷泉邸を後にし、今から会いに行こうにも既に間に合わない。

 雹の返答から残念な現状を悟った久遠は、落胆を隠さずにはいられなかった。

 せっかく逢えて、友人になれたのに。

 次はいつ、どうやって会えるのかも確証はない。

 こんなことなら、早めに連絡手段でも交わしておけばよかった。

 今にも悲嘆に暮れそうな久遠を、霙は「彼の方にお礼をしそこねたのが、そんなに残念だったのですね」と憐れみ、雹は無言のままだった。


 「ただいま。目が覚めたんだね、久遠」


 神妙な空気に包まれている最中、いつのまにか扉の前にいた屋敷の主に、久遠達は驚きと安堵を表した。


 「あ……! おかえりなさい、純真君……怪我はない? 大丈夫だった?」

 「僕は平気だよ……ありがとう、雹と霙。僕が久遠を看ておくから、二人はもうゆっくり休んで」


 見た所純真も無傷らしく息災の様子に、久遠は安堵の息を漏らした。

 純真もまた普段通りの久遠の様子に柔らかく微笑むと、双子へ下がるように命じた。

 双子は恭しく応じると、そっと部屋を退室した。

 夜の寝室には、久遠と純真の二人だけが残る。


 「純真く――」

 「ねえ、答えて――久遠」


 この瞬間までの間、純真の瞳に映る久遠は無防備そのものだった。

 けれど今までの久遠からすれば、至極当然の態度でもあった。

 久遠にとって純真は、あくまで頼れる人物だ。

 最近では、同時に"守りたい"と自惚れた願いを抱かせる存在にもなった。

 普段は冷たいようで、心の芯には優しさと強さを併せ持っている。

 悲しい過去と想いを胸に秘めながらも、天命と人のために刃を振り続ける少年。


 そんな少年にまさか――力ずくで組み敷かれるとは、一体誰が想像できたのだろうか。


 「純真君……? どうしたの……っ」

 「久遠は? 僕の過去の事も、全て」

 「あ……っ」


 純真は不安気に首を傾げる久遠へ顔を近付けながら、静かに問い詰める。

 久遠の両手首を布団へ押さえつけている両手へ、さらに力が籠る。

 純真の台詞から質問の真意を悟った久遠は、固唾を呑んでしまう。

 アシュラフ王子の口から純真の悲しき過去――救ったはずの人間に父親を殺され、母親を犯されそうになり、怒りで暴走した異能によって母親もろとも人間を凍殺してしまったこと。

 今の今までは霞がかっていた記憶は、何故だかアシュラフ王子の暴露によって急速に晴れたのだ。


 「ごめんなさい……」

 「どうして、久遠が謝るの」

 「だって……私、ずるくて最低なことをしていたんだ……っ」


 久遠の胸へ急激に芽生えた罪悪感には、彼女なりの根拠と自覚がある。

 カミコクプレイヤーだったとはいえ、純真にとっては最も知られたくはなかったはずの過去を、久遠は既に知っていたこと。

 しかも、そんな重く悲しい過去を、今の今まで失念していたくせに、アシュラフ王子へ分かった風な口で偉そうに説教した。

 これは純真も嫌な気持ちになるし、嫌われても仕方のない事だ。


 「そっか……道理でよく知っていたわけだね……」

 「っ……ごめ……なさっ……うぅ……っ」

 「ちょ……どうして泣いているの? しかも、謝ることはないのに……」

 「大アリだよ……!」


 純真は急に泣き出した久遠の言動に困惑していた。

 久遠が自分へ謝罪を繰り返す理由もよく分かっていないらしく、両手すら離してくれた。


 「純真君が……どれくらい辛かったのか……何も、ちゃんと分かっていないくせに……忘れていて……ごめ……なさ……」


 久遠は解放された両手で濡れた頬を擦りながら、悲しそうに呟き続ける。

 すると、純真は再び両手で久遠の両腕を優しく押さえつけた。

 恐らくは、それ以上擦った頬と瞼が腫れてしまわないようにと。


 「もう泣かないで、久遠。僕は君を責めているわけでも、怒っているわけでもない……むしろ、

 「え……?」


 純真の口から零れた意外な想い、先程とは打って変わり、眉を下げた優しい微笑みに、久遠は瞬きをする。


 「だって、最初からずっと久遠は、僕へ普通に接してくれていたから……僕の過去も異能も……人に恐れられている理由も、分かっていたうえで」

 「っ……だって、純真君は……冷たいようで本当は優しい純真君のままだもん……それに……私だって……」

 「久遠にも"過去"はあるんだよね?」


 純真の静かな問いかけに、いつの間にか涙の止んだ久遠の瞳に、無機質な光が灯る。

 純真の付き人として共に時間を過ごすうちに、彼の人柄を知っていき、情も絆も育っていったのもある。

 同時に久遠自身もまた、純真とは比べ物にならないだろうが、他人に知られるのは憚れる"過去"と"本当の自分"がある。

 そんな自分が、ましてや自分なんかよりも過酷な経験を乗り越えながら前を向いて生きている人間を批判する資格はないのだ。


 「純真君こそ、私でいいの?」

 「僕は久遠が好きだよ」

 「たとえ “本当の私”は――醜い人間かもしれなくても?」


 弱くて泣き虫で後ろ向きで挫折ばかりで、地味で冴えなくて太っていて見苦しくて蔑まれて、孤独で寂しくて虚しくて、見た目の自信がついて人に優しくされないと前向きにもなれない人間――それが、本来の“夢咲久遠”だ。


 きっと本当の自分を知られたら、さすがの純真君もクリス様も幻滅して、私から離れていく――いいえ、二人はそんな薄情な人間じゃない――何を馬鹿な事を言っている。


 臆病で怖いから否定する――反面、二人を信じたい自分がいて――でも、やっぱり本当の自分を受け入れられなくて。


 あまりに怖くなり、途中で純真の瞳を直視できなくなった久遠へ、彼の静かな息遣いが響く。


 「――人々に忌み嫌われ、彼らを見てきた僕には分かる」


 目の前の美しい月石色の瞳は、切なく揺らめいた。

 久遠から目を離さずに語りかけてきた純真の言葉に、久遠は返す言葉を失った。

 それでも、否定と恐怖を完全には拭いきれない久遠の心中を察してか否か、純真は畳み掛けてきた。

 何故か鞘から愛刀を抜き、久遠の真横へかざしながら。


 「たとえ、久遠が醜いと呼ばれる姿に変わっても――手足や両眼を失ったとしても、僕だけは久遠を愛する――」

 「純真君――」

 「僕を――普通の一人の人間として見てくれた、"馬鹿なくらいお人よし"で"可愛い女の人"のことを」


 朧月のように優しく揺らめく瞳に、恍惚とした色が灯る。

 綺麗だと見惚れている久遠の唇へ、純真は唇をそっと重ねてきた。

 初めての時と同じく、久遠は驚きと動揺に目を見開くも、何故だか指先一つ動かせなかった。


 「久遠……」


 そっと触れただけの唇を優しく離した純真は、久遠を真っ直ぐ見下ろす。

 幼気な瞳に澄んだ優しさ、相反するような熱を孕んだ色合いに、久遠は甘い寒気に震えてしまう。

 自分の名前と共に甘い吐息を漏らした唇が再び近付いてきたため、思わず久遠は双眼を強く瞑った。


 「もう一つだけ、久遠に訊いておきたいんだけどさ」


 しかし身構えた久遠の予測に反し、前髪を掻き上げられた額へ優しい感触が降りてきただけだった。

 瞬間、久遠の体中の力も熱も空気さながら一気に抜けていく。

 これでは、まるで期待していたようで恥ずかしい。

 内心面映さを覚える久遠へ、純真は改まった様子で問いかける。


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