第五章『雪の鳥は春の咲く夢を見ていた』Ⅰ

 『どうか、生きて――生きてさえいれば……希望を……捨てないで……っ』


 母上は最後の力を振り絞って、そう伝えてくれた。

 霜だらけに凍り付いた手で、幼い僕の手を最後まで握りしめながら。

 凍え死ぬ最期の瞬間まで、息子の僕を案じてくれた。

 そこで僕の意識は完全に途絶えてしまった。

 当時は力の制御もままならなかった僕も、このまま共に凍え死ぬのだと諦めかけていた。

 けれど、そうはならなかった。


 『君は辛い思いをいっぱいしたね、けれど、もう大丈夫だよ』


 天神国を統治する聖なる王・聖徳様の慈悲によって、幼い僕は命を救われた。

 もしも、あのままでいれば、僕は殺人の罪で処刑されていただろう。

 とはいえ大切な家族を一度に二人喪い、世界には善意も慈愛も踏みにじるものがいる真実を知った僕は、絶望していた。


 『これからの君には、その異能を制御する術を学んでもらう。それは、君が一人でも生きていける力を身につけるのと同義になる』


 それでも自暴自棄にならずに済んだのは、"生きてほしい"という父上と母上の願いがあったから。

 何よりも、二人を喪った僕の心を支えてくれた――。


 『君がこの力を制御できるようになった時、君は強くなり――悲しみ苦しむ人々を守り助ける人間になれるだろう。でもね』


 聖徳様は僕を信じてくれた。

 決して僕を忌子と恐れることもなく、僕自身を見つめてくれた。

 忌み嫌われていた僕の力を誰かを助けるために使えると――僕は父上と母上が望んだ人間になれる、と。けれど、その一方で。


 『君は、“君の人生”を生きていいんだよ』


 僕自身は"どうしたい"のか。

 両親以外で僕の意思を尊重してくれた、唯一の人だった。

 だからこそ、僕は自分の意思で生きようと強く想った。

 天神国と民の命運を一身に背負う聖徳様のために、僕も全てを賭して尽力しようと誓った。

 たとえ心の隅には、決して拭い切れない"怒り"が凍傷のように残り、疼く瞬間に苛まれる瞬間があったとしても。


 『君さえよければ、お願いしたいことがあるんだ』


 冷泉家の当主の座を継いでくれないか――。

 母上と父上を喪ってから数年後――僕が十歳を迎えた頃に、聖徳様は初めての"天命お願い"を申し出た。


 冷泉家とは、代々天神国の王家を支えてきた三大貴族の一つであり、異能剣豪の家系でもある。

 話によれば、老齢の現当主と次期当主である次男の謀殺が、長男筆頭に他のきょうだいによって為されたとの事。

 さらに、そこから当主の座を巡っての殺し合いの末、きょうだい全員は相打ちによって死んだという、自業自得な結末を迎えた。

 現当主と跡継ぎはいなくなり、たった数人の使用人しか生き残らなかった冷泉家は、このままでは没落の運命を免れない。

 そこで"異能剣豪"の一人として頭角を現し、身寄りのない人間だった僕へ、白羽の矢が立ったのだ。


 子どもながら強力な異能を発揮し、故に大人を殺めた僕の生存に反対する貴族もいる。

 血みどろの利権争いの"脅威"と見なし、暗殺者や諜報者を遣わせたり、媚を売るしか能のない貴族令嬢とのお見合いを持ちかけてきたりする輩も、うんざりする程いた。

 そんな僕への大きな後ろ盾として、冷泉家当主の剣豪という肩書きを授けてくれた。

 間違いなく、僕を生かすための聖徳様による計らいだと分かった。

 僕は有り難く冷泉家当主の座を継ぎ、天神国の剣を成す三大剣豪の一柱となった。


 『どうか"希望"を捨てないでいておくれ。さすれば、一度失ってしまったものは必ず取り戻せるだろう――そして』


 さすがは、"日の神"の魂の欠片を宿した存在として謳われる聖徳様だ。

 世と命の理を見透おすと言われている高尚な瞳は、僕の凍り閉ざした心の奥底をも見透かしていたのだろう。

 愛する父上と母上を理不尽に奪われてしまったあの日以降――世界も人間も利己的な欲望に穢れ支配されているという残酷な真実も、人は裏切るのだという不条理も、全てを知ってしまった僕は――。


 『『あなた様のように誠な御方が我々の主人になってくださって、本当によかった――』』


 僕は弱き人間へ、救いの手を差し伸べる――。

 冷泉家に取り残されていた使用人も側近となった幼い双子も、揃って僕へ感謝と恩義を感じてくれている。

 もしも、このまま冷泉家を継いで建て直す者が現れなければ、使用人達は路頭に迷い、人買いや春売りという悲惨な道を行く事になっていたという。

 憐れなことに、双子達使用人は奴隷のように酷使と搾取、暴言暴力という理不尽な扱いを受けてきた。

 だからこそ、彼ら使用人達は「怒鳴らない、殴らない」というごく当たり前の対応をする僕へ、信頼と安心を寄せていた。

 そのため形と結果だけを見れば、僕は虐げられていた弱者を救ったことになる。

 心の片隅では、人を憎んでいながら――。


 『我が子を救っていただき、ありがとうございます。なんとお礼をもうしたらよいのか』


 僕は幾度も弱き者を助け、悪しき者を挫いてきた――。

 たとえ、彼らの感謝も笑顔も、僕の胸には何一つ響いた事がなくても。

 たとえ、彼らを救う名目で悪者を斬り続けた僕の胸を、醜い復讐心が満たしていたとしても。


 誰かを救った分だけ、多くを斬り捨てた。

 誰かを斬った分だけ、多くを救えた。

 救済のためか――復讐のためか――。

 やがて、僕は自分の心が分からなくなった。


 心をも氷に閉ざす事で、己を揺るがさずに任務を果たしてきた。

 生まれながらに罪を宿したこの命に、自らの手でさらなる罪を重ねていった。


 『あなたを愛していますのよ』


 きっと、僕は"誰にも愛されない"――。


 唯一僕を愛してくれた人達は、もうこの世にはいないから。


 『私を愛してくださいな』


 きっと、僕は"誰も愛さない"――。


 愛する人は黄泉の国へ旅立ってしまって、二度と会えないから。


 ずっと、そう思い続けながら、生きてきた――。


 あの日、“君”と出逢うまでは――。


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