『春の朧月夜に狂い舞え』Ⅶ
一瞬だけ、私には全てが見えていた。
アシュラフ王子は、氷の拘束から自力で抜け出せたこと。
意識を逸らされた純真君へ迫る、アシュラフ王子の魔の手。
純真君の左胸が躊躇なく貫かれ、風穴から噴き咲く鮮紅色。
光を失っていく月石色の瞳に映る、暴君の残忍な笑み。
そして私の腕の中で鮮血に濡れながら、氷のように冷たくなっていく彼の死に姿。
嫌だ――嫌だ嫌だ嫌だ――!!。
気付けば、頭と心よりも先に手足が動いていた。
誰にも決して止められなかったでろう、暴君の凶悪な拳を唯一受け止められるのも。
"冷泉純真の死"という運命を変えられるのも。
全ては"致命傷から蘇る力"を持つ私しかいないと――瞬時に悟った。
「久遠……久遠……! ごめん……君にまた、こんな……っ」
だからね、もう泣かなくていいんだよ。
私だけは、あなたの前からいなくならないから。
あなたに喪う悲しみを与えずに済むから。
「純真君……無事で、よかった……」
きっと私は――あなたを「 」ために――この異能を持って生まれ直したのだと思う。
「久遠さん……あなたは一体……まさか、天使様か何かですか……?」
互いの無事を確かめ合っている最中。
隣から様子を窺っていたクリスは、久遠が息を吹き返した驚異の様に、驚きと困惑を隠せなかった。
しかも久遠の左胸に空いた傷も左腕の骨折も、"まるでなかったかのように"治癒されているのだから。
神の奇跡のような超常現象を目撃したクリスの口からは、思わず"天使"という突飛な単語まで零れた。
「え……? あ、いいえ……私は」
「もうそれ以上は喋らないで、久遠。君はゆっくり休んでいて」
「でも……」
「これは当主命令だよ。逆らうことは許さない」
純真の唱えた仮説通り、久遠の神がかった治癒蘇生能力は、"致命傷"が
とはいえ、久遠へこれ以上の負担を与えるのは、純真には耐え難いらしい。
何か言いたげな久遠に対して、純真は眼差しで厳しく諌めた。
怖いくらいの真剣な眼差し、と冷たい声に威圧された久遠は、大人しく引き下がるしかなかった。
「さて……じゃあ、気を取り直して……あなたには、僕の大切な女性を傷つけた罪を償ってもらいましょうか」
純真が気を取り直したように冷たく呟いた途端、彼の周囲に凄まじい凍気が発生し、小さな鶴の群れを生み出していく。
純真自身と彼の愛刀も氷の霧を纏うと、周りの氷鶴と共にアシュラフ王子を威嚇する。
「ふっ。面白い……"氷の
氷の異能を発動させる純真を前に、血が騒ぎ出したアシュラフ王子もまた己が力を闘争本能と共に解放してきた。
アシュラフ王子が両の拳と両の脚へ力を込めた瞬間、内に秘められていた凄まじい気配を纏った。
天の川のように眩く、暴風のように荒々しい殺気に渦巻いている。
威圧的なアシュラフ王子に対し、純真は氷のように臆することなく一歩を踏み出し、刃を降りかざした。
「――!!」
瞬きをする間もない速さ――二人は踏み出すと同時に、互いの体へ攻撃を与えた。
小さな氷鶴の群れは相手の手足を咬み凍らせる勢いで喰らい付き、氷柱の刃は右拳に触れた。
「――ほう、便利な力だな!」
一方"黄金の右拳"は氷柱の刃を受け止め、氷鶴に
少年の頸部を折ろうとしていた“黄金の左拳"は、一匹の氷鶴によって防がれてしまったが。
「……」
「せっかく、この私が特別に口を利いてやっているんだ。貴様も何か喋れ」
「あなたの退屈なお喋りに付き合うつもりはありません」
戦闘を愉しむアシュラフ王子とは違い、純真は無駄な暴力も殺生も好まず、淡々と戦況を分析するのに集中する。
氷鶴の攻撃も氷の刃も防がれた理由、純真は薄々と察知していた。
アシュラフ王子の異能の正体までは不明だが、彼はまさに"黄金"さながら強靭な肉体の持ち主であること。
故に氷鶴の咬み攻撃への耐久性、人体を容易に砕く拳の強固さ、それに応じた筋肉の絶妙な自己調整は、まさに超人の為せる技だ。
「ふん……地味で生意気な童の分際で……まあいい。次でとどめを刺してやろう!」
純真の淡白な反応に、アシュラフ王子は皮肉な笑みを零すと、再び両拳に力を宿していく。
アシュラフ王子が力を蓄えている隙に、純真は氷鶴の群れを束ねさせる、そのまま手を振りかざして
「そこまでです――御二方」
アシュラフ王子の"黄金の波動"、純真の"氷の
双方の境界に"炎の竜巻"が舞い込んだ。
小さくも凄まじい炎熱は、黄金の波動を相殺し、氷の嘴槍を瞬く間に焼き溶かした。
突然の横槍は吉か凶か。
二人の攻撃を封じた存在の正体に、久遠は安堵の息を漏らし、純真は冷然とした――どこか険しい雰囲気を醸していた。
「楪殿――」
「お二人で談笑の最中に申し訳ありません。ですが、どうか共に剣と拳を納めてください」
二人の仲裁へ入ったのは、楪竜臣――“炎の異能”を使役する三大剣豪の一柱であった。
同じく宴会へ招待されていた楪も、下の階の騒ぎを察知して駆けつけたのだろう。
久遠としては、このままでは熾烈を極めると思しき二人の戦いを止められる人物の登場は吉だった。
とはいえ、問題はそう容易く済む事ではないのは、二人と第三者の楪、クリスだけが理解している。
「貴様。たかだか剣士の分際で、この私の邪魔をした挙句、指図をして、許されると思っているのか」
根っこを辿れば、全てはアシュラフ王子の身勝手な横暴が、トラブルの原因だ。
とはいえ、己の非を認めて拳を納めるどころか、理屈も話も通じない暴君が、このまま引き下がってくれるとは思えない。
懇願に対して苦情と不満で返してきたアシュラフ王子相手に、次に楪はどう動くのか、久遠とクリスは内心焦りながら見守るしかない。
「おっしゃる通りです――ですが、せっかく聖徳様から直々のお誘いをお知らせするために、この楪は遣わされたのですよ」
眉を顰めて睨んでくるアシュラフ王子に対して、楪は毅然と頭を下げさながらも、彼が戦いを仲裁した理由と用件を述べた。
「――あの男からの誘いだと? もしや、あの時の――」
楪の口から聖徳様の名前、お誘いという言葉を耳にした瞬間。
アシュラフ王子には心当たりがあるらしく、軽く目を見開いて逡巡し始めた。
明らかな表情の変化を見逃さなかった楪は、そこで畳み掛けるように言葉を絞めた。
「ええ、ご想像の通りです、アシュラフ王子殿。この屋敷の奥の間にて、聖徳様はお待ちしておりますよ。天神国最高級の美酒と共に、あの時の約束を交わすべく」
「――ふっ、ははははは。やはり面白い男だ! そして気前が良いな! いいだろう! 今すぐ俺を案内するがいい!」
「かしこまりました」
アシュラフ王子の意識と関心はすっかり聖徳様、と彼との約束と酒やらへ向いたおかげか。
取り残された純真にはもう目もくれず、楪へ促されるがまま背を向けて歩き出した。
「さらばだ。また逢おうぞ――氷の鳳、夢咲久遠――」
アシュラフ王子は、剣を構えたまま動かない純真、クリスに抱えられている久遠へ向かってヒラヒラと手を振りながら去って行く。
純真も久遠も緊張の解けない表情で、その尊大な背中を静かに見送る。
楪もまたアシュラフ王子を案内すべく、恭しく付き添おうとする。
「必ずや、聖徳様……そして僭越(せんえつ)ながら、私楪竜臣も、あなた様を愉しませるべく尽力します……きっと、そこの幼き氷の雛鳥よりも……ね」
楪はアシュラフ王子へ頭を下げながら、背後にいる純真へ意味深な視線を送った。
楪の最後の言葉も聞き逃さなかった純真は、瞳に険しい色を宿した。
純真と楪の間に流れた、どこか剣呑な空気を察知した久遠は、不安げに首を傾げた。
とはいえ、嵐のような暴君王子が過ぎ去った後の庭園は、元の安らかな静寂を取り戻した。
***
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