『春の朧月夜に狂い舞え』Ⅵ
「民も貴様らも、この私を傲慢で残忍な暴君だと畏れているが――そこの童の顔をした
アシュラフ王子の口から暴かれた例の"噂"と純真の過去から、違和感の正体をようやく理解できた。
賓客だけでなく、久遠を攫おうとしていた諜報員も、純真へ向けていた異様な畏怖は、単に大いなる氷結の異能によるものではなかった。
十歳にして異能を暴走させ、実の母すら手にかけ、剣を手に冷徹無比に敵を
「つまり、貴様も人を殺すことを厭わない"怪物"だろう?」
「違います――!!」
いくらアシュラフ王子に嘲笑われ、詰られても尚、氷さながら表情一つ変えなかった純真の瞳に波紋が浮かぶ。
けたましく響き渡った小さくも、どこか力強い声に、クリスだけでなくアシュラフ王子ですら黙って聞き入っていた。
「純真君は怪物じゃない! 心の優しい人です!」
「久遠……?」
アシュラフ王子の言葉を真っ向から否定し、純真を侮辱された怒りを叫ぶのは、久遠だった。
今までになく凄まじい剣幕の久遠に、純真も戸惑いながらも聞き入っていた。
「たとえ周りに感謝されなくても、恐れられても、人を助けることをやめようとしない強い人……」
「久遠さん……」
「でも、きっと、力の事とかで悩んだり、孤独を感じていたりする、未だ普通の十五歳の子どもでもあるのに……」
普段から冷静で大人びている純真の強さを讃える反面、未だ幼い故に抱えているはずの苦悩を察する久遠の台詞に、クリスもハッと息を呑んだ。
「お母さんのことだって! 純真が望んでやったことじゃないのに! 本当のことも、彼の気持ちも、何も知らないくせに!」
ああ、思い出したよ、純真君。
私だって、知ってはいたはずなのに。
どうして、こんな重要な事を、今の今まで忘れていたんだろう。
ごめんね、純真君。
「久遠――君は」
久遠の口から突いて出てしまった台詞から、衝撃的な事実を察知した純真の双眸は激しく揺らいだ。
「くだらない噂話で相手を楽しそうに傷つける大人気ない野郎が! それ以上純真君を侮辱したら、私も霙ちゃんも雹君達も、みんな“許さない”んだから――!!」
久遠の叫びが霜の破片となって飛び散る中、アシュラフ王子も反論すら忘れて呆気に取られていた。
当の純真は、自分の腕に抱かれたまま、自分にも力強い眼差しを向けてきた久遠の想いを悟った。
"過去なんて、関係ない"
"あなたを信じている"
力強く奏でられた想いの咆哮も、穏やかに瞳を閉じた微笑みも、久遠はそんなふうに伝えているのだと感じた。
「くははははっ! 本当に面白くて愚かな女だ! ますます欲しくなったぞ! 貴様をその童から奪い取った後、共に国へ帰り、私の玩具として愛でてやろう!」
「なんてことを! そんなことは……」
「僕が絶対にさせない――」
とんでもなくおぞましい案をほざくアシュラフ王子に、クリスも眉を顰めて反論するが、それよりも先に純真が凛然と宣告した。
「どうか久遠をお願いします、クリス皇子」
「! はい。任せてください、純真さん」
純真は横抱きに支えていた久遠を、クリスへそっと託した。
純真の神妙な表情から意図を察した久遠は、不安げに彼を見上げた。
「純真、君……」
「大丈夫だよ、久遠。僕がすぐに終わらせるから。ここで待っていて」
久遠を安心させようと、純真はいつになく穏やかな微笑みを向けた。
けれど純真のただならぬ様子に、久遠はかえって不安に胸を締め付けられた。
そっと離された手の温もり、とその余韻に一抹の寂しさを覚えてしまう。
愛しのクリスティアヌス様が傍にいるというのに、それでも不安は治らなかった。
「それじゃあ、覚悟はできているかい?」
「はっ」
依然、氷によって身動きを封じられたままのアシュラフ王子と、純真は改めて対峙する。
純真の両手には愛刀が構えられており、矛先は相手へ真っ直ぐと向けられている。
「安心したらいいよ。一応はあなたも聖徳様の招待を受けた大事な賓客の一人だから……"正当防衛"程度の怪我で済ませてあげる」
「貴様程度の剣が私に通ればいいのだがな、はははははっ!」
純真はあくまでアシュラフ王子を無力化する程度の"峰打ち"で済まそうとしている。
しかし、あえて刀身を露わにすることによって相手を圧倒し、牽制する意図もあるのだろう。
そんな純真の真意に気付いているか否か、アシュラフ王子は余裕の笑みを一向に崩さない。
純真もこれ以上の対話は無意味と悟ったらしく、返事すら止めてアシュラフ王子に向かって地面を蹴った。
「うっ――!?」
突如、久遠は苦しげな呻き声を漏らすと同時に、その場で頭を抱えた。
「久遠さん――!?」
「――!」
よろめく久遠を咄嗟に支えたクリスは、彼女の容態を窺う。
純真もまた久遠の異変へ気付き、思わず足を止めた。
なに――っ――これ――っ。
突発的な激しい頭痛と眩暈に襲われた瞬間、久遠は見えてしまった。
そう――久遠にとっても、最低最悪の――。
「久遠さん――!?」
いつの間にか、頭と言葉よりも先に手足は動いていた。
本能の糸に引き寄せられるがまま、ただ、ひたすら夢中で駆け出した。
愛しのクリスティアヌス様の腕すら振り払ってでも。
後ろから、愛しの彼の困惑と心配の呼び声が耳に入ってきても。
それから初めて、私は己の意思――今最も"守りたい"相手の名前を、声に出して叫んでいた。
「純真君――!!」
凍える氷柱が硝子の破片のように砕け散る。
白い霜は吹雪のように勢いよく舞う。
小さな冬の世界――純真の異能によって生み出された氷雪の白は、突如"鮮やかな赤"に染まった。
「久遠――!」
純真の前で両腕を広げて立つ久遠――彼女の左胸を貫いている、凶暴な右手から滴る鮮血によって。
「――ほう。まさか、この私の拳を誰よりも早く受け止めるとはな」
純真とクリスの瞳へ映り込んだのは、衝撃的で信じ難い光景だった。
氷に囚われていたはずのアシュラフ王子は、いつの間にか拘束を抜け出していた。
さらに瞬きのような素早さで、純真の目の前まで距離を縮めていた。
アシュラフ王子としては、今の今まであえて大人しくし、いざという時はいつでも自力で氷の拘束を破壊できたのだ。
ただし、アシュラフ王子にとっての唯一の誤算は――。
「まさか、女。貴様には、私の動きが見えていたというのか? 一体、何者――」
アシュラフ王子は、純真が自分へ接近し、刃を振り下ろす寸前の隙に、その無防備な左胸を貫く算段だった。
しかし久遠は純真を庇い、アシュラフ王子の突き拳を直に喰らってしまった。
伊達の戦士ではない純真やクリスですら見通せなかった攻撃を、素人の久遠がいち早く察知した事に、アシュラフ王子は率直な疑問を投げかける。
「その穢らわしい手を離せ――!!」
しかし立ち尽くす久遠の代わりに、鬼気迫る表情の純真が刃を振り下ろした。
咄嗟にアシュラフ王子は攻撃を避けるために右手を引き抜き、風のように素早く後退した。
途端、支えを失った久遠の体は、重力に従って大きく傾いた。
「久遠さん――! ああ、何ということでしょう!」
クリスは、倒れる寸前で純真の腕に咄嗟に受け止められた久遠の手を握る。
涙を浮かべながら絶望感に打ちひしがれるクリスを他所に、純真もまた動揺を抑えられなかった。
「っ――久遠……どうして、君は……またしても、僕なんかを……っ」
自分の腕の中で瞳を閉じたまま、胸から赤い花をじわりと咲き広がせていく久遠へ、悲壮の眼差しを送る。
この場で唯一、"この後の結末"を知っている純真だが、それでも震えずにはいられなかった。
「っ……ごめん……久遠……僕が……っ」
ほんの一瞬でも、彼女に痛くて苦しい思いをさせた己の不甲斐なさに。
またしても大切な人に守られてしまい、いつも守れずにいる己の無力に。
「っ……なか、ないで……すみ、まさ……くん……っ」
「! 久遠……っ……」
久遠にはそう見えたのだろうか。
濡れてすらいない純真の頬へ、そっと片手を伸ばした久遠は、声を絞り出した。
それから儚げに、けれど目一杯の明るい微笑みを向けた。
まさに、己を深く責める純真を励ますために。
「久遠、さん……どうして……っ」
「ほう、これは……ますます興味深い」
一方、何も事情を知らないクリスは喜び半分困惑の反応を示し、アシュラフ王子は愉快そうに笑っていた。
無理もないだろう。
たとえどれほどの強者であっても左胸を――心臓を貫かれれば、人間は誰しも死ぬ。
そのはずが、心臓を貫かれた後に生き返り、しかも胸の傷からさらに骨折した左腕まで治癒していく様に、周りは驚かずにはいられない。
「久遠……よかった……でも、あまり喋らないで。まだ、傷の負担が……」
純真は深く胸を撫で下ろすと同時に、久遠の容態を案じた。
既に傷も塞がり、出血も炎症も止まってはいるが、
とはいえ、左胸の致命傷と左腕骨折によって受けた心身の衝撃(ダメージ)までは、無くなるのに時間を要する。
実際に青白い顔に汗を浮かべてグッタリしている久遠へ、これ以上の無理をさせたくはなかった。
一方久遠は純真から目を離さないまま、むしろ穏やかに微笑みながら、懸命に何かを語りかけてくる。
「純真君……私ね……ようやく、分かった……ううん、見つけたよ……」
私がこの世界で――“あなたのそば”へ生まれてきた意味を――。
そっと花開いたように囁いた久遠の表情は、晴れやかな――それでいて儚げさに揺らめいていた。
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