『春の朧月夜に狂い舞え』Ⅴ

 『私は悲しくてたまりません。どうして、涙せずにいられるのでしょう』


 母上はどんな時も最後まで、母上のままだった。


 『この先も、あなた方が誰かを傷つけてしまう事を――そのせいで、あなた達の孤独と天罰が深まる事を』


 最後の瞬間ですら、“奴ら”を憐れんでいた。

 たとえ、一度手を差し伸べた人間から恩を仇で返されても。

 "女として"生まれてきたことを後悔するような地獄の責苦を、今まさに受けようとしていても。


 『っ……逃げて、くれ……どうか……生きてさえいれば……きっと……っ』


 生きろ――父上は首筋を押さえている指の隙間から、赤黒い色を零しながらも、声を絞り出して訴えた。

 僕のせいで――僕を庇ったために、死にそうになっているのに。

 何もできない無力な僕を助けたために、愛する母上を守ることすらできなくなったのに。


 『この女も高く売れば金になるんじゃねぇか? やっちまおうぜ』

 『でもよ、いいのかよ? “本命”はこの餓鬼だから、こいつさえ捕えりゃいいんじゃねぇか……それに』

 『うるせぇ! お前は余計な事を考えなくていいんだよ! 恩なんか返すために在るんじゃねぇし』


 僕の父上を手にかけ、母上を辱めようとした人間は――どこにでも見かける、ごく普通の貧民だった。

 男二人は、かつて僕の母上から空腹を満たす菓子を恵んでもらい、父上からは悪質な不良少年による恐喝から助けてもらった経緯がある。

 けれど二人は"或る人物"から、一生遊んで暮らせる程の多額の報酬金と引き換えに"依頼"を受けていたのだ。


 子どもの僕を"誘拐"するように。

 邪魔する者がいれば、親であっても手に掛けろと。

 異能な力を宿した特別な存在である僕を手に入れるためだけに。


 『あああああああああ――!!』


 今もまぶたの奥に焼きついたまま、一生離れてはくれない。

 何度も家族を迎えてくれた畳の上には、血を流しながら息絶えていく父上。

 家族と一緒に温かな食事を囲った食卓の上には、薄汚い手で押さえつけられている母上。

 そんな二人の姿を見た後の事は、本当に何も思い出せない。

 ただ、"事の終わり"の後で目の当たりにした光景や、周りの発言から辛うじて理解できた。


 激しい怒りと悲しみに身を委ねた幼い僕は、"氷のとり"の力を暴走させたのだと――。


 母上を穢そうとしていた男二人は、僕の体から解き放たれた氷柱によって顔から爪先まで串刺しにされて死んだらしい。


 父上は男から僕を庇って受けた致命傷が元で亡くなったのは、言うまでもなかった。


 そして、氷の力を暴走させた僕によって命を奪われた母上は――。


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