『春の朧月夜に狂い舞え』Ⅳ

 「純真、君……っ」


 囚われの久遠を救い出したのは、目にも留まらない速さで舞い降りた純真だった。

 純真は自身の氷結能力で生み出した冷風と翼で駆け付け、アシュラフ王子の腕から久遠を取り戻したのだ。

 氷結能力によって手足と背面を氷漬けにされたアシュラフ王子は、すっかり身動きを封じられている。


 「久遠」


 愉快そうに佇むアシュラフ王子に、感心の表情で立ち尽くすクリスを他所に、純真は久遠の名前を呼んだ。

 自分を強く抱きしめながら案じてくれる純真に、久遠は心底胸を撫で下ろした。


 「っ……純真君……ごめんなさい、私……っ」


 純真が助けに来てくれた安心感や、心配と迷惑をかけてしまった罪悪感などの複雑な気持ちから、久遠はポロポロと涙を零す。

 ここで初めて久遠の涙を見たせいか、月石色の瞳にも驚きが浮かぶ。

 けれど直ぐに気を引き締め治すと、自分よりも華奢な背中へ腕を回してやる。


 「大丈夫だから、久遠。来るのが遅くなってごめんね」

 「ううん……ありがとう、助けに来てくれて……っ」


 小さく震える背中から後頭部を撫でて、慰めてくれる優しい温もりに、久遠は少しずつ落ち着いていく。

 さらに純真の醸す冷気は、赤く腫れた久遠の左腕へ集中していく。


 「痛いよね……これで少しは良くなるといいな」


 やがて冷気から結成された添え木と氷嚢ひょうのう代わりの氷柱は、不思議と冷た過ぎない心地よさで左腕を包んだ。

 そのおかげで、骨折部位の痛みと熱感はみるみると引いていく。


 「ありがとう……純真君」

 「僕からも感謝します……! 氷の舞の少年さん。否、冷泉純真さん」


 応急処置を受けた久遠の姿に安堵したクリスも、晴れやかな表情で純真へ歩み寄った。

 冷泉家を継いだ若き天才剣豪の名はかなり知れ渡っているらしく、遠い国の賓客だけでなく"王の子"も純真を認識していた。


 「ああ……あなたは確か、デウス王国の……クリス皇子ですよね」

 「はい。ご存知でいらしたのですね! 光栄です。あなたの剣の舞も実に素晴らしかった……」


 純真の舞にも感銘を受けていた故に、彼へ称賛の言葉を贈るクリス。

 クリスの屈託ない微笑みに、純真も毒気を抜かれた眼差しで首を傾げる。


 「どうも……それよりも、久遠とは……」

 「くっ――はははははっ!」


 クリスの陽気な雰囲気に当てられ、久遠達の間に和やかな空気が戻りかけていた最中。

 未だ身動きを封じられたままのアシュラフ王子は、久遠達を嘲笑うように高々と声を上げた。


 「何がおかしいのですか、アシュラフ王子」

 「っ――はははっ。これが笑わずにいられるか。貴様らが、あまりに滑稽で愚かだからだ」

 「何のことですか」


 明らかにこちらを馬鹿にしている態度に、クリスは久遠と純真に代わって不愉快そうに問い詰める。

 すると酷薄な笑みをニィッと深めてもったいぶるアシュラフ王子に、クリスだけでなく久遠も胸騒ぎを覚えた。


 「"噂"については半信半疑だったが……」

 「……」


 冷酷な眼差しは嘲笑も滲ませながら、純真をじっくりと映す。

 静かな月石色の瞳の奥に、氷柱のごとく鋭い光が灯る。


 「今夜の貴様を見て確信したぞ。まさか本当に――」


 心無しか純真の醸す空気までもが、さらに冷たく重苦しくなった。

 普段は冷静沈着な純真の"静かなる怒り"を、久遠も肌で感じ取れた。


 「""を為したのが、このような齢十歳の童だったとはなぁ――?」


 悪意を燃やした冷笑と共に紡がれた言葉は、世界を闇に凍てつかせるような威力を宿していた。


 「――……っ」


 明らかな動揺の吐息を漏らした久遠は、思わず純真から目を逸らせなかった。

 クリスはどこか気まずそうに双眸を伏せており、純真本人ですら否定も反論の声すら上げなかった。

 この間に流れた冷たい沈黙こそが、アシュラフ王子の台詞の是非の答えだった。


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