『春の朧月夜に狂い舞え』Ⅱ
「舞踊のお披露目、どれも素敵だったねぇ」
「「左様でございます。ですが、やはり特に我らの主様の舞いが見事でしたね」」
"舞踊の会"の目玉であるお披露目を鑑賞し終えた後。
久遠達は立食会場へ戻り、軽食のお寿司や日本茶を口にしながら憩いの時を過ごしていた。
一度、久遠達と合流していた使用人数名は、会場で知り合った華人もしくは貴人と共に談笑や踊りを満喫している。
純真と待ち合わせている久遠は、双子と共に主の晴れ舞台の感想を共有する。
「うん! 純真君、すごく綺麗で……かっこ、よかったね……っ」
正直な感想でありながら、最後の台詞には何となく恥じらいと共に胸の高鳴りを感じてしまった。
しどろもどろになりながら頬を染める久遠を、双子は気付いていないフリをして微笑んでいた。
「主様も張り切ったと思いますよ。久遠様が主様のために選んだ着物へ袖を通したのですから」
「さらに、主様が懸命に選んだ着物を纏ってくれた久遠様が、特等席から見てくださったのですから」
「そ、そうなのかな」
「「もちろん。主様はとても喜ばれているに違いありません。楽しみですねっ」」
双子から改まって伝えられると、久遠は余計に面映くなったが、妙に納得してしまいそうになる。
正直、和服には疎い自分が何となく"純真君に似合いそうだな"と思って選んだ着物を、晴れ舞台の衣装として、彼はわざわざ纏ってくれた。
最初はこれでいいのか、純真は本当に気に召したのか、と内心久遠は案じていた。
けれど純真の洗練された舞と幻想的な美、そして観客の絶賛に、久遠の不安は杞憂に終わった。
「そういえば、久遠様はご存知ですか。手毬柄の和服の意味を」
「意味? もしかして、季節以外に何か意味があるの?」
「そうなんですよ! 実はですね」
不意に霙が珍しく楽しげに耳打ちしてきたため、久遠は耳を傾けてみた。
可憐で愛らしい手毬柄を選んでくれたのは純真であり、つまり彼の想いが込もった贈り物でもある。
手毬柄に秘められた意味へ興味を示した久遠へ、霙は無邪気に答えた。
「え――ま、まさか、霙ちゃん。それは」
霙の言葉を聞いた途端、久遠は耳まで真っ赤にして動揺していた。
正直、あの純真君がそこまで深い意味を込めて、この豪華な着物一式を贈ってくれたのか分からない。
それでも、この手毬柄の表す重大な意味や、純真の真剣な告白を鑑みれば有り得る話だ。
狼狽える久遠の複雑な心中を察してか否か、双子は彼女を微笑ましげに見上げる。
「私も兄も主様を応援していますので、久遠様もどうか」
「末永く、よろしくお願いしますね」
「も、もう! 霙ちゃん、雹君ってばっ。私と純真君は別にそういうのじゃないっ」
「あれ、久遠様、どちらへ?」
「あ、熱いから風に当たってくるね。直ぐに戻るから大丈夫だよっ」
「あらあら、ふふふっ」
いつもらしからず、拗ねたようにそっぽを向いた久遠に、霙は尚微笑ましげに、雹は困ったように微笑む。
いつ来てもおかしくはない純真と、今はまともに顔を合わせる自信はない。
真っ赤に染まったままの顔を冷ますという口実で、久遠は双子の目の届く露台へ歩き出した。
「ううぅうあぁうぅ……! しっかりしなさい、私……違う違う違う……断じてそんなんじゃなくてえぇぇ……っ」
真っ赤なままの顔から胸にかけての熱が一向に治らない久遠。
隅っこで一人頭を抱えながら、悩ましげに唸っていた。(ちなみにバルコニー周辺にいた賓客は、久遠へあからさまに不審な目を向けると、そそくさと中へ戻っていった)
「……すごく綺麗で、かっこよかったなぁ……って! ダメダメ! いや、ダメじゃなくて、そう! 深い意味なんか……!」
――手毬柄には、“円満な家庭”と“良縁を結ぶ”という願いが込められています――
「きっと、深い意味なんかないんだってば……!!」
微笑まし気な眼差しの双子から囁かれた言葉から、つい“結婚”という二文字を連想してしまい――さらには求婚を申し出てきた純真の顔が浮かび、思わず久遠は心で地団駄を踏んでしまう。
春の夜風に当たり、月を映す水面を見つめていれば、少しは落ち着くだろうと思った。
けれど妙な胸の高鳴りも熱さも、一向に治るどころか、むしろ強まっている気がした。
まさに氷の鳳さながら、神秘的な美しさを振りまいた純真の姿を思い出す。
少年らしい無垢な瞳に宿した、冷凛な大人の輝きは、久遠の心へ"浄化"と"魅惑"をもたらした。
純真に告白された時と同じく、すっかり心を掻き乱されてしまう。
「私は愛しのクリスティアヌス様一筋……クリスティアヌス様だけ……っ」
そう! 断じて心変わりや浮気などではない!
美しいもの、可愛らしいもの、かっこいいものに胸をときめかせずにはいられない、ただの"生理現象"に過ぎないのだ!
頭の煩悩を払拭すべく、親愛なる心の恋人たるクリスティアヌス様を思い描きながら、彼の名前を念仏さながら唱えていると。
「僕をお呼びいたしましたか?」
天使の讃美歌さながら美しく透る声が、やけに久遠の琴線を震わせた。
背後から声をかけられるまで、まるで気付かなかった羽のように優しい気配。
思わず後ろを振り返った久遠の双眼に映り込んだのは。
「え……?」
まさか私、クリスティアヌス様に恋焦がれるあまり、都合の良い"幻影"まで見えるようになったの。
ついに、幻想が現実を凌駕する瞬間は訪れたのか。
久遠は条件反射のごとく、自分の頬を片手で思い切り強くつねってみた。
何これ痛い! 痛いってことは、やっぱり現実?
否々、意識があっても幻覚は見える者だっていうし……。
「あの、大丈夫ですか」
「! は、ははははい……っ」
「えっと、驚かせてしまって申し訳ありません。一人でいたので、具合でも悪いのかと心配になりまして……」
先程から一人で真っ赤な頭を振りながら唸ったり、自分の頬をつねったりと、側から見れば奇行を繰り返す久遠にも、目の前の紳士は物怖じしない。
むしろ、久遠の体調を案じてくれている親切心や爽やかな微笑みといい……やたら久遠の胸を鷲掴みにしてくる。
そして、幾つか言葉と目線を交わして、ようやく夢のような現実を悟ってしまった。
「っ……あなたは、本物の、クリスティアヌス様、なのですね……?」
自分の目に狂いはない。見間違えるはずはない。
太陽の祝福を集めたように輝ける、金色の髪。
精巧な神像のように美しい顔立ちに、白磁のように滑らかな肌。
薄らと紗綾形の柄に艶めく漆黒の着物に包まれた、しなやかな広い胸と長身。
何よりも――天使のような慈悲深い碧眼、甘い声、優しい微笑みこそは、まごう事なく――。
「はい、僕はクリスティアヌスと申します。初めまして、美しい和人のお嬢様。あなたの名前を伺ってもよろしいですか」
やっぱり、クリスティアヌス様だった!
まさか、こんな場所で、こんな形で巡り会えるなんて!
でも、どうして、クリスティアヌス様が、遠い異国の宴会に参加しているの?
予期せぬ出逢いに動揺や疑問を感じながらも、それらを上回る歓喜の方が抑えられなかった。
「初めまして。私は夢咲久遠と申します」
「夢咲久遠さん……可憐で綺麗なあなたらしい、素敵な響きのお名前ですね」
「え!? いえ、そんな……ありがとう、ございます……っ」
クリスティアヌス様から
あまりの夢見心地に、今死んでも悔いはないかも、なんて馬鹿なことを考えてしまう。
心の中で悶絶している久遠に対して、クリスティアヌス様は人の良い微笑みをたたえたまま話を続ける。
「もし、よろしければ……あなたともう少し、色々なお話をしたいのですが……」
「は、はい。是非、私でよろしければ……っ!」
まさか、クリスティアヌス様から会話を持ちかけられるとは。
このままクリスティアヌス様と親密になれる千載一遇の好機に、久遠は真っ赤な顔で強く肯いた。
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