第四章『春の朧月夜に狂い舞え』Ⅰ

 漆黒の龍のうろこさながら綺麗に並ぶかわらの屋根。

 純白の陽色に艶めく柱と壁で組み建てられた屋敷。

 露台バルコニーから一望できる中庭には、朧月夜を映した壮麗な池。

 桜の樹々から散った花びらと舞うように泳ぐのは、金銀と紅白に煌めく鯉の群れ。

 まさに"和洋折衷"の造形美は、今夜の特別な賓客ひんきゃくをもてなすのに相応しい場所だ。


 「わあ……! 本当に色々な人がたくさん来ているね……」

 「「はい。舞踊の会には、他国からも多くの来客も招かれますので」」


 今夜、花山院邸内の一角に建てられている『月光館』で催されるのは"舞踊の会"。

 自国の華族や花山院家関係者の他、親睦を深める意も兼ねて、友好的な他国の重役や貴族も多く招かれている。

 ざっと見積もっても百人はいそうな賓客は皆、天神国由来の文化の一環である舞踊を鑑賞するために、わざわざ来訪してきたと思える。もしくは――。


 「久遠様、今夜は一段とお綺麗ですね」

 「やはり我らの主の目に狂いはなかったようですね」

 「あはは。ありがとう、霙ちゃん、雹君。照れるけど、嬉しいな。純真君には、こんな素敵な着物や髪飾りまで贈られちゃった」


 舞踊の会のために純真が見繕った振り袖で美しく着飾った久遠に、双子だけでなく通りがかった紳士も見惚れていた。

 桜と薄紅の手鞠模様に、淡い空色に広がる布地。

 高貴な紫色の帯や襟の縁には、煌びやかな銀の刺繍も施されている。

 後ろで丁寧に編み結われた頭髪には、桜の咲く銀細工のかんざしを刺している。

 普段着とは違い、気持ちも姿勢も自然に引き締まるのは、やはり雅やかな彩りに心踊るものがあるからだろうか。

 以前の自分ならば、袖を通す縁すらなかった上質な振り袖、決して気のせいではない周りの眼差し。

 久遠は畏れや羞恥を感じつつも、自分を想って一式を選んでくれた純真の真心に感謝も抱いている。


 「純真君の出番は、最初なんだね……大丈夫かなあ」

 「きっと、大丈夫ですよ、久遠様。主様もお喜びになっていましたし」

 「久遠様が主様のために選んだお召し物なら、尚のこと主様を輝かせてくださるでしょう」

 「そうだといいなあ……ありがとう、二人とも」


 今は賓客達が立食と談笑を楽しむ中、間も無く主要である"舞踊"のお披露目が始まる。

 内容は伝統的な和式舞踊から阿波踊りまで、多種多様だ。

 特に一番の目玉は、神聖なる巫女・翡水歌の御姿を巫女が再現する"神楽の舞"らしい。

 ちなみに純真は、聖徳様に絶賛された剣技を舞として魅せる"剣の舞"を披露する予定だ。

 純真の見事な剣さばきを、普段は鍛錬の時でしか観察する機会はないらため、久遠は特に心待ちにしていた。

 しかも、久遠が純真のために選んだ着物を身に纏って舞うのだから、尚更だ。


 「こんばんは、久遠様と可愛らしい従者さん」

 「あ、こんばんは、楪さん。あなたも来ていらしたのですね」


 会場の壁際に佇んでいる久遠達へ声をかけてきたのは、先日に会った楪竜臣だった。

 久遠だけでなく隣にいる双子にもにこやかにあいさつをした楪さんへ、二人は恭しく会釈をする。

 幸い、双子も付き添ってくれているとはいえ、知らない人だらけの中で唯一の知り合いを見つけた久遠は胸を撫で下ろした。


 「何やら、壁際に可憐な花のような女性がいるので気になって来て見れば、久遠様でしたので」

 「え、そんな、あ、ありがとうございます……もう、楪さんはお上手ですね」

 「いいえ、私は思った事しか口に出しませんから……あなたは本当に綺麗ですよ……久遠様」


 久遠の耳には美辞麗句しか聞こえない台詞に、思わず頬を染めて謙遜してみる。

 一方で誠実そうな物言いと熱い眼差し、甘やかな声色に妙な説得力を感じてしまい、久遠は胸の高鳴りを止められなかった。


 「ゆ、楪さんも、素敵ですよ。着物、よく似合っています」

 「お褒めにいただき、光栄です」


 気を紛らわすために、目線を楪の着物へ移した久遠の台詞に、彼は素直に感謝を述べた。

 燃えるように散らされた紅葉柄の和服。

 漆黒の羽織には、薄らと紗綾形さやがたの紋様が巡らされている。

 長い白金髪の髪には、炎を閉じ込めたように澄み輝く蜻蛉玉とんぼたま付きの黒い紐が結われている。

 慎ましい黒、と華やかな赤を絶妙に織り交ぜた色彩感覚は、楪の風格ある美貌を際立たせている。

 先程から肌でヒリヒリと感じられる"情熱"と"羨望"の眼差しとその矛先に、久遠は気付いている。


 「では、私はお呼び出しがあるので、これで失礼致します。彼の舞、私も楽しみに応援しておりますので、お伝えください」

 「ありがとうございます」


 他の重役にも用事があるらしく、楪は丁寧に会釈するとそのまま去っていった。

 やはり、こうして見て話した印象からは、どうしても純真を嫌っているような悪い人には到底思えなかった。

 舞踊が始まるまではまだ少し時間もあり、飲食も済ませた久遠達は暇を持て余した。


 「そういえば、霙ちゃんと雹君には未だ訊いてなかったけれど……今回の"舞踊の会"には、どんな人達がたくさん来ているのかな」

 「「ああ、それはですね……」」


 久遠の素朴な質問に対して、双子は招待状と周りの賓客を交互に見渡しながら、丁寧に説明してくれた。

 今回の"舞踊の会"にはもう一つ、鎖国政策を解除した後の天神国と、比較的友好関係を築けている大国との親睦と繋がりをささやかに深める目的もある。

 カミコクのプレイヤーでもあった久遠にとっては、馴染みのある国と登場人物の顔がありありと浮かんできた。


 「あちらにいらっしゃるのは、ジャンナ王国のアシュラフ王子です」


 ジャンナ王国は、メソポタミア文明の栄えた或る国をモデルにしているという設定なのも、カミコクをプレイしたから知っている。

 さらにスマホゲーム画面越しには、何度も顔を合わせた事のあるアシュラフ王子の容貌は当然、我の強い性格もよく知っているつもりだ。


 「はっはっはっ。このようにせせこましい家屋が城、否、屋敷だとはな。天神国とは中々に慎ましいが、酒も料理も女も繊細で美味だな!」


 アシュラフ王子は、まさに両手に艶やかな花々美女を抱き、酒を交えながら愉快そうに談笑している。

 側から見ても、剛毅ごうきで女好きな印象を受けるが、アシュラフ王子をじっくりと観察すれば、モテるのも頷ける美形なのは明白だ。


 獅子の立髪さながら凛々しい茶髪は、陽の金と月の銀にも映えるに違いない。

 精悍な顔立ちにはめ込まれた紅色の瞳は、見つめられると焼かれそうな程の力強さに燃えている。

 煌びやかな金と瑠璃石ラピスラズリの宝飾品に、シルクの衣から覗く筋肉質な浅黒い肌は、瑪瑙石めのうせきのように輝いている。


 他には、仏教派のマハトマ国や、ヨーロッパ・キリスト教系代表のデウス王国等の人間も見られた。

 しかし残念と言うべきか、アシュラフ以外の王の子本人は来訪せず、代理人や召喚映像リモート越しでの参加となっていた。

 正直、デウス王国の皇子でもあるクリスティアヌス様本人が来るのではないか、と淡い期待を抱いていた久遠は内心落胆した。


 「「あ……久遠様、もうすぐ主様の出番ですよ……」」


 予め聖徳様と純真の気遣いで、舞台を一望しやすい最前列の特等席へ案内された久遠達。

 桜の花枝と提灯で仄照らされた舞台の赤い幕が上がるのを、久遠達がワクワクと心待ちにしている中。

 

 「"氷の鳳"と謳われている三大剣豪の一人が舞を披露するとは……」

 「聖徳とやらも中々酔狂な者よの……」

 「お耳に挟んだ話では、未だ十歳少しの子どもらしいわよ……」

 「本当だとすれば……その齢で剣技の才を極めるとは、おそろしいですね……」


 久遠達より後ろの座席から密やかに響いてきたのは、他の賓客の喋り声だった。

 話題は、今からまさに舞を披露する純真に纏わる噂で、もちきりだ。

 内容は久遠達も納得する通り、若き天才剣豪兼冷泉家当主を畏れ称えるものだった。

 普段は一緒に暮らしているとあまり意識しないが、やはり純真は子どもの齢ながら立派なのだ、と久遠は改めて感心していたが。


 「だとすれば、"あの噂"もやはり真実なのでしょうね」

 「あの噂って……確か、聖徳様すら事実だと認めていませんでしたか?」

 「はい……ですが、中々信じられる話ではないでしょう?」

 「聖徳様は、子どもだからと情状酌量を与えているみたいですけれど……」


 あの噂って……一体、何の話をしているんだろう。

 賓客達による純真の噂話の雲行きが怪しくなっているのを感じ、久遠の胸はざわめいた。

 ふと隣の双子を見れば、霙は悲しげな眼で、雹は悔しさに唇を噛み、明らかに表情が曇っている。

 賓客達の剣呑な態度、双子の表情の理由を、久遠が知るのは――。


 「――!!」


 舞台の幕開けとそれを告げる刹那の静寂に、久遠達は息を呑んで一斉に顔を上げた瞬間――。


 「――……」


 "氷の桜吹雪"と踊るように、朱の天幕から一羽の白い鶴――さながら冷凛で麗しい"少年"は舞い降りた。

 冬の空と雪を溶かしたような、淡い色彩の布地。

 天を目指して飛翔する"鶴"の刺繍には、金と銀、漆黒と朱紅の鮮やかな糸が煌めく。

 無垢な白金色の袴との組み合わせといい、全体的に"冬と雪"のように儚げな雰囲気だ。

 しかし袖から伸びる右手に握られた、氷柱のように輝く氷水色の日本刀は、鋭い威圧感を放つ。

 さらに、冷凛とした瞳の力強さと目線が合った観客が息を呑んだ刹那――。


 「――っ」


 純真は剣で空を斬っていく――冬の湖ではためく"鶴"のように。

 純真と剣の動きに合わせて桜吹雪のように煌めき舞う"細氷ダイヤモンドダスト"。

 "氷の鳳"の力によって生み出された凄まじい冷気は、空気中の水分を結晶化させたのだ。


 どうしてだろう――純真君から目が離せない。

 いつもよりもずっと、彼が眩くて、大きく見える。


 雪桜の剣と共に踊る体に合わせて、舞い乱れる漆黒の長い艶髪。

 少年離れした怜悧な月色の眼光。

 冬の鶴のように雅やかで。

 氷の鳳凰ほうおうのような威厳に満ちて。

 幻想的な氷の桜吹雪の中で、剣の舞を踊る純真の美しさに、久遠達観客は瞬きを忘れて魅了された。


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