『豆腐よりも熱く、餡蜜よりも甘いもの』Ⅴ

 「純真君は、楪さんと仲悪いの?」


 甘味処を出た直後、久遠から零れた唐突な質問に、純真の表情はさらに固くなった。


 「いや、別にそうじゃないよ。任務や召集で、時々顔を合わせるくらいだから。でも……」


 普段から冷静沈着で淡々とした物言いをする純真だが、楪と対面した際も今みたいに表情が固くなった気はした。

 久遠の問いかけを何気無く否定したのも束の間、純真は逡巡顔で言葉を続けた。


 「久遠も、あまり楪とは必要以上に親しくしないほうがいい」

 「え?」

 「それに向こうが、のは、何となく分かるんだ」

 「えっ。どうして? 私にも純真君にも、かなり愛想良かったと思うけど……」

 「それは……きっと、僕が……」


 楪は花山院宮殿での問診と採血の時も、甘味処でも、久遠と純真に対して礼儀正しくて人当たりも良い印象しかなかった。

 仮に楪の親切そうな笑顔と言葉が、実は純真を嫌っているという本心の裏返しであったとしても、その理由はまるで分からない。

 一方、純真には心当たりがあるらしい。

 普段は涼しげな眼差しと声色には翳りが含まれ、言葉に紡ぐのを躊躇しているように見えた。

 人には訊かれたくない余計な事柄へ触れてしまったのだ、と察した久遠は心から焦った。


 「あの、ごめん、純真君っ。もし、言いたくないのなら――」

 「うわああぁ〜ん! おかあさぁ〜ん!」


 突如、二人の耳朶を震わせたのは、街のど真ん中から響き渡る泣き声だった。

 後ろを振り返って見れば、五歳くらいの幼子が、ポツンとひとりぼっちで佇んでいる。

 憐憫や困惑の眼差しをひしひしと感じる中、久遠は迷いない足取りで駆け寄った。


 「こんにちは、僕。もしかして、お母さんとはぐれちゃったのかな?」

 「うぅ……うっ……おかあ、さん……うわあぁ〜ん!!」


 久遠は男の子の前へしゃがみ込むと、目線を優しく合わせながら語りかけてみた。

 男の子がそっと頷いた様子と台詞から、街中で母親とはぐれてしまったのは大方察したがついた。

 しかし、母親への恋しさと心細さが遥かに上回っているせいか、男の子は中々泣き止まない。

 生憎、男の子を笑わせるような菓子も玩具も芸もなく、内心困った久遠は精一杯の行動を取った。


 「よしよし、大丈夫だよ」

 「……っ」

 「大丈夫。お母さんは、ちゃんと絶対見つけてあげるから」


 久遠は一向に泣き止む気配を見せない男の子を、そっと優しく抱き締めた。

 お日様に包まれるような声と言葉、ポンポンと背中を撫でてあやす手の温もりに、少し落ち着きを取り戻したらしい。

 自然と涙を止めた男の子は、ようやく久遠と目を合わせて返事をするようになった。


 「ほんとに……?」

 「もちろん。私の名前は久遠。君の名前は?」

 「ぼくは……マサト」

 「マサト君、良い名前だね。一緒にお母さんを探しにいこう?」

 「うん!」


 互いに自己紹介を済ませて、母親探しに協力してくれる久遠へ心を開いたマサトからは、涙の代わりに笑顔が咲いていた。

 早速、久遠と手を取り合って歩き出そうとしたマサトだが、勢いあまって体をよろめかせてしまった。

 マサトの顔面と前身が、地面とあいさつしそうになった寸前、後ろから素早く伸びた片手は彼を受け止めた。


 「大丈夫? 擦りむいていない?」

 「だ、だいじょうぶ。ありがとう、お兄ちゃん……えっと……わっ!!」

 「僕の名前は純真だよ。危なっかしいから、乗っていて」


 マサトが純真の存在を認識したのも束の間、青空の近くへ軽々と持ち上げられた。

 純真はマサトを担ぎ上げると、彼の小さな両足を自分の肩へ下げた。


 「わあ! お兄ちゃん、すごい! 高い高いだあ」

 「これなら、お母さんを探しやすいよね」


 いわゆる"肩車"という体勢を取られたマサトは、すっかり大はしゃぎしていた。

 確かにこれならば、マサトも安全なうえに、見渡しの良い場所からお母さんを見つけやすくなる。


 「ありがとう、純真君。さっ、マサト君、いこっか!」


 純真の意外な面倒見の良さ、軽々と肩車をしてあげる優しさに、久遠も溌剌はつらつとした笑顔を零した。

 三人がかりで捜索すること二十分後、橋の辺りで立ち尽くしていた女性を見つけ、マサトと母親は無事再会を果たした。


 「ありがとー! 久遠お姉ちゃん、純真お兄ちゃん。またねー!」


 マサトと母親から感謝を告げられた久遠と純真は、互いにくすぐったくも温かなものに心満たされながら帰路を辿った。


 「マサト君とお母さんが無事に会えて、本当によかったね」

 「……そういうところだよ」

 「純真君……?」


 屈託なく微笑みながら喜びを零す久遠へ、純真は何か言いたげな返答をした。

 一瞬、言葉の意味を掴みかねた久遠は、首を傾げながら続きを待った。


 「久遠……君は"心優しい人"だ」


 不意に目線を合わせた月石色の瞳は、いつになく優しい色で久遠を映していた。


 「さっきだって、周りはただ見ている事しかできなかった中、君だけは迷いなく駆け寄った」

 「えっと、それは、私にできる当然なことを……」

 「それだけじゃない……霙と雹のことも、君に冷たくした僕すら、身を挺して守ってきてくれた……正直、自分を犠牲に他人を助けようとするのは無謀で愚かな真似だし、迷惑だからやめてほしいけど」

 「うっ……!!」

 「でも……だからこそ、かな」


 褒めているのかけなしているのか、よく分からない棘も含んだ物言いに、久遠は凹みながらも反論の余地が無いと納得してしまう。

 しかし、思わず涙目にすらなりそうな久遠の耳に響いたのは、呆れを含みながらも存外柔らかな声だった。


 「そんな愚かでお人好しな久遠だからこそ……真っ直ぐで嘘のない君に、僕は惹かれたんだと思う」


 無垢な微笑みに、真っ直ぐな優しい声は眩くて。


 「君が好きだよ、久遠」


 それでいて、久遠の髪を一房掬う仕草も、彼女を見つめる熱を孕んだ瞳も艶やかだった。


 「だから、僕だけを見つめていて」


 久遠の胸を支配する鼓動も熱も全て見透かし、網膜の記憶に焼きついた他の男達への牽制を示すような眼差しと声、指先。

 久遠にとっては到底受け入れ難い、少年の"本気"と"色気"に、年甲斐もなく眩暈を覚えてしまった。


 だ、だから、ダメだって! しっかりしなさい! 久遠!

 どんなに大人びていても、相手は未だ十五歳の"子ども"なのよ!

 こんなに愛らしくて、美形で、頼もしくて、冷静だけど優しい面もある少年なら、別の意味で胸がときめくのも無理はないだろうけどね! ……多分。

 だから、我を律しなさい!


 心の内側で一人己自身と格闘していた私は、まったく考える余地がなかった。

 ただ、ただ、純真君の気持ちに応えないようにするのが精一杯で。

 母親と再会したマサト達を見送る純真君が、切なそうな眼差しを浮かべていた理由にも。

 純真君の真っ直ぐな想い、そこに孕む切なさにも――。


 ***


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