『塞翁が馬の乙女の末路』Ⅵ

 こうして夜も傍に付き添うのは、二度目になるだろうか。

 意識を失ってしまった久遠は、純真に抱えられて冷泉邸へ帰宅した後。

 高熱と悪夢に魘されながら、深い眠りに臥せている。

 以前も久遠が盗賊から純真を庇った後も、同じ状態は三日間程続いていたからだ。

 恐らくは、心臓を貫かれてからの脅威の蘇生――"特殊能力"を発動させた副作用のようなものによる、と純真は推察した。

 双子には冷水と布巾を好感させている傍ら、純真君は久遠の手を繋いでいる。


 「純真様。お薬の調合は完了しましたが……やはり、久遠様は未だ目を覚まさないのですね……」


 久遠の寝顔を静かに見守っている最中、霙は解熱効果の高い漢方薬を運んで来てくれた。

 しかし、久遠の意識が戻らない限りは、自力での服薬も難しいという課題に直面してしまう。


 「ありがとう、霙。心配はいらないよ。僕が何とかするから」


 しかし、不安げに顔を伏せる霙とは対照的に、純真は確信を抱いた眼差しで薬を受け取った。


 「「純真様……!!」」


 霙だけでなく遅れて入室してきた雹も、瞬きを繰り返しながら狼狽えるのも無理はなかった。

 何故なら、主君が目の前で久遠へ器用に薬を飲ませていたからだ――それも"口移し"で。

 普段は氷のように冷ややかで、女性をまったく寄せ付けなかった主君が取った信じられない行為に、双子の側近は胸の高鳴りを止められなかった。

 一方の純真は注いだ薬と水を、久遠が眉を顰めながらも喉をしっかり嚥下させたのを確認すると、そっと唇を離した。


 「これで一安心だろう」


 一度目は三日程かかったが、今回は薬の効果で明日までには熱も下がり、やがて直ぐに目も覚ますだろう。

 純真から冷静に告げられた双子は、視線を泳がせながらも丁寧に頭を下げてから退室した。

 双子の背中を見送った純真は、改めてそよ風の舞い込む窓の向こう側を見上げた。


 「……」


 朧月夜の静寂に二人きりで取り残される中、純真の五感は再び久遠一心へ注がれる。

 閉ざされた瞼の向こう側で眠る紫色の瞳を、もう一度見たい。

 懸命な命の息吹を奏でる鼓動と寝息の音に、胸の辺りが切なくなる。


 「っ……お……かあ、さん……おとう、さん……っ」


 久遠を苛む夢の内容は、当然ながら不明だ。

 けれど、純真の手を強く握り返したまま、時折こうして両親を呼びながら涙を流すのだ。

 悲しそうな眠り瞼に煌めく涙、その意味を察した純真の胸はざわついてしまう。


 「両親が恋しいの……? 君は……」


 ――。


 冷徹無比な少年剣豪と謳われるようになった今も、純真が両親の事を忘れた日は一度だってない。

 むしろ己の異質な存在感とこの異能が災いし、“両親の死”を招いてしまった事へ罪の意識すら抱いている。

 きっと、そのせいなのだろう。

 夢の中で両親に焦がれている久遠へ、かつての自分を重ねてしまうのも。

 弱々しくも強くしがみついてくる手の温もりに、離れ難さを覚えているのも。


 「僕にとって、君は何だろうね」


 一度目の夜も、今と同じような甘い焦燥を覚えた時は、自分の気持ちがよく分からなくて、ただ内心戸惑うしかなかった。

 ただ今となっては、久遠と一緒にいる内に少しだけ分かってきた事がある。


 『ありがとう、純真君――』


 久遠とは毎日顔を合わせていても、互いを理解するほど多くの言葉を交わしたわけではない。

 けれど、あの飾らない紫水晶の瞳に浮かぶ穏やかな笑みも。

 春陽のように明るくも静かにに澄み渡るような声も。

 咄嗟に他者を庇おうとする愚直な善性も。

 今まで会った女達には、決してなかったものを持っている久遠は――。



 「純真君――」


 僕に両親を思い出させたのだ。

 母上と父上と共に生きていた頃と似ている、春日向のような幸せを。

 二人を喪った頃に抱いていた、冬夜のような不安と焦燥を。


 「おはよう――」


 母上と同じ、優しい春の花みたいな微笑みから。

 父上と同じ、太陽みたいに眩いほどの勇敢さから。


 「鍛錬場にいたんだね。私はさっき起きてきたんだけど、純真君は調子どう?」


 だから、僕は一刻も早い君の目覚めを切望していた。


 「怪我したからあまり無茶はしないで……」


 今君が目覚めてくれた瞬間、きっと"答え"は明らかになる気がする。


 君と出逢った瞬間から今まで、段々と熱く高まっていく鼓動の正体も。


 「純真君?」


 淡い藍紫色の夜明けの下。

 気を紛らわすために中庭の鍛錬場で剣の素振りをしていた純真のもとへ、久遠は急いで歩み寄ってきた。

 目覚めた瞬間、真っ先に純真の安否を気にしてきた久遠らしい行動に、純真は胸の底から迫り上がるものを感じた。


 「大丈……」


 先程から声をかけても無言で目を伏せ、素振りの手も止まっている純真を久遠は案じた。

 さらに距離を詰めた所で、久遠の言葉は止んだ。


 「久遠――」


 白い朝陽が淡い空を照らしていく中、互いの瞳に相手の色が浮かぶ。

 瞬きすら忘れて双眼を大きく開いた久遠は、深く息を呑んだ。

 両頬を撫でる滑らかな髪の心地良さに。

 桜の花びらみたいに舞い降りてきた、柔らかくて甘い唇の感触に。


 「っ――」

 「……何してるの?」


 さりげなく離れた柔らかな感触が未だ残る唇を、大きくわななかせる久遠。

 明らかに動揺を抑えられない久遠とは対照的に、その原因たる当の純真はあどけなく首を傾げている。

 普段と変わらず落ち着いた調子の純真からは、彼の真意がまるで見えない。

 それでも久遠にとっては、一大事が起きたと把握するには十分だ。


 「なななななにを、すすす純真君! 今! さっき!」

 「何って……"接吻キス"だけど? それがどうかし……」

 「きゃああああっ。そんなハッキリ、何気無く言わないでええぇっ」


 またしても事無さげな口調で紡がれた驚愕の出来事に、久遠の顔に朱が差した。

 一方、異常な調子テンションで話しながら狼狽える久遠の態度に、純真は朧げな瞳を不思議そうに瞬きさせる。


 「うう、まずいよ、これはまずすぎるよぉ。私、"初めて"だったのに」


 十五歳の少年に初めての口付けファースト・キスを奪われた――。


 元アラサーの自分にとっても、現役二十歳乙女の自分にとっても、かなりの一大事に心が嵐のように荒れ狂うのを止められるはずはない。

 しかも、初接吻からもその先も愛しのクリスティアヌス様一筋と心に決めていたというのに。

 折角転生したのに、早々やらかしてしまった久遠は「もうお嫁に行けない……」並の調子で、頭上に暗雲を立ち込めさせる。


 「なら、よかった」


 一方、人の初接吻を奪っておきながら、耳を疑う返答を平然と零した純真。

 久遠が弟みたいに愛らしいとすら感じ始めていたこの少年に対して、生まれて初めての憎らしさを覚えた矢先。


 「だって、君は僕の"花嫁"になるんだから――ね?」


 ポフッと可愛らしい音すら聞こえるほどに、布越しに強く抱き付かれてしまう。

 あまり身長差がないため、純真と間近で目線と吐息を合わせてしまう体勢に、久遠は胸から顔まで熱く染まっていく。

 どうしよう、これって、まさか。


 「好きだよ、久遠――」


 淡く透き通るような月石色の瞳に熱く見つめられながら、甘く、深く囁かれた告白。

 少年らしさの抜けた大人っぽい表情、体に伝わる腕の力強さと広い胸。

 遠くでは、触れずでは、決して感じられなかった、あどけない少年に秘めた"男"を感じてしまった。


 「ずっと、僕の傍にいて――僕の花嫁として」


 女であれば、胸がときめかずにはいられないはずの状況に、久遠は心の悲鳴をあげていた。

 最早、"お願い"ではなく、最初から久遠に選択の余地すらない純真の台詞に、久遠の返事は――。


 「だれか、たすけてえぇ……」


 愛しのクリスティアヌス様。


 「久遠……? また寝ちゃったの? 仕方ないなあ……」


 正確には、現実を到底受け入れられずに気絶してしまった久遠。

 一方純真はポカンとした眼差しで久遠を見つめてから、彼女を軽々と抱き上げた。

 呆れたように小さく溜息を吐いていたが、心無しか純真の表情は晴れやかなものだった。

 まるで、春日向の下の雪解けのように――。


 「(拝啓……愛しのクリスティアヌス様、鏡花水月さん、前世の私へ……今、夢咲久遠は……)」




“ショタな非推しキャラ”に迫られて困っております――!!



 ***

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