『塞翁が馬の乙女の末路』Ⅳ
「"死んでもらおう"――我々の姿を見た以上」
「悪く思うな。我が国のためなんだ」
「久遠――! そんな、しっかりしろ! 久遠っ」
久遠――純真君には、何度か名前を呼ばれているはずなのに。
今は不思議と初めて耳にする歌のように、心地良かった。
こんな状況なのに、純真君に呼ばれる度に心臓の根っこは温かく、それ以上に切なく締め付けられた。
久遠の背後に倒れていた人攫いの二人は、純真の予想を超えて頑強で、早くに覚醒していた。
真っ先に意識を取り戻した男の一人は、純真の意識が逸れている隙に久遠の心臓を貫いた。
さらに久遠の左寄り真ん中の胸から突き出た刃先は、純真の右肩を刺していた。
「久遠……久遠を離せ……」
「もう諦めろ。心臓を一突きしたから、もうどうあっても女は助からない」
純真自身も肩に深い傷を負った影響で力が入らず、男に久遠自身を奪われてしまった。
段々と色と体温を失っていく久遠を担いだ男は、相方と共に純真へ洋刀の切っ先を向ける。
「貴様にも、とどめを刺させてもらう。女の遺体の回収は、それからだ」
「"氷の
明らかに天神国の人間を見下し、純真は子どもだからと見くびっている言動を"後悔"する羽目になるとは、誰が想像できたのか。
男達は相方が言葉を紡ぎ終えるよりも先に、口も手足も凍り付いてしまった。何故なら。
「女の人を切り捨てるのが、君達の誇りだとのたまうのなら――」
純真は血を流したままゆっくり立ち上がると、鞘から氷水色の日本刀を抜いた。
途端、激しい悪寒に襲われた男達は、不安定な人形さながらガタガタと全身を震わせた。
理由は単純に少年の純真が物騒な武器を向けたからでも、子どもらしからぬ強い殺意を燃やしているからではない。
二人の瞳に宿った強い恐れは、純真の存在そのもの――まさにこの世の理から逸脱した光景へ向けられている。
「君達の腐った血と心臓を"永遠に凍てつかせて"やる――」
いつの間にか、純真の血は止まっていた。
真っ赤に染まっていたはずの右肩に積もった"霜の氷"は、出血を堰き止めたからだ。
霜の氷は肩だけでなく、純真の背中から両腕まで瞬く間に広がった、やがて刃に鋭い氷柱を咲かせた。
久遠の命を理不尽に奪い、己の国を侮辱した二人の罪深さを断罪するように。
「何だ、あの氷は……! あれが噂の妖刀、とそれに取り憑かれた忌子・冷泉純真の正体か……!」
「ひいぃ……! ば、化け物だ! 逃げるぞ」
「怯むな! どんな力があろうとも、所詮は怒りに流された子どもに過ぎん。怪物なのは確かだが……」
"氷の鳳"としての力を解放する純真、彼自身の怒りと殺気を具現化した氷を前に、二人は畏怖しながらも剣を構えた。
この場においては、覚醒した純真に敵う者も止められる者も、誰一人としていなかった。
純真の力に圧倒されながらも、完全に見くびっていた二人がこのまま戦えば、ひとたまりも無かった。
冷酷な氷の月石色の瞳をたたえた純真もまた、決して彼らを生かすつもりはなかった。
しかし、そうはならなかった――何故ならば。
「ぐあぁ――!?」
「貴様! 痛てえぇ!」
人攫いの二人は顔面からわずかな血を散らしながら、目元を押さえてうずくまった。
致命傷までは与えられなかったが、二人を怯ませるには十分な攻撃だった。
しかし、彼らの動きを封じたのは、氷の剣を構えたまま愕然と立ち尽くす純真でもない。
「純真君に謝って――純真君は、化け物なんかじゃない――っ!!」
まさにこの世の理から最も外れた現象は、凍てついていた瞳にも驚きと共に灼きついていた。
虚を衝かれた影響からか、純真の内側から密かに暴走しかけていた氷の力は枯れていく花のように、みるみると勢いを弱めていた。
「っ――久遠、どうして君が」
男に担がれていた久遠は、いつの間にか目を覚ましていた。
男達が純真に気圧されている隙に、頭に飾っていた
二人が怯んでいる間に素早く逃げ出した久遠は、愕然とする純真のもとへ一直線に駆けつけた。
しかし、当然ながら問題はそこではない。
「純真君……! 大丈夫? 肩の傷……っ」
「……あぁ、僕は全然平気だよ……それよりも、君はどうして……確かに……」
確かにこの目に焼き付いていた。
久遠の胸が刃に貫かれて、そこから血潮をほとばしらせた光景を。
心臓を貫かれたら必ず人は死ぬ。
けれど“あの時”と同じく、今回も久遠は心臓を刺されたにも関わらず、死んでいなかった。
まるで、生き返ったかのように。
一度までならず二度も、不可思議な現象を目の当たりにしたせいか、普段は冷戦沈着な純真ですら動揺を隠せない様子だ。
「これはね、純真君……その上手く説明できるか分からないけれど……その……」
これもまた久遠の"異世界転生人"としての特殊能力によるものであれば、簡単に説明は付く。
しかし、明らかに不死を超越した力の正体も原理もまるで不明な光景に、誰もが"何故"を連呼せずにはいられないはずだ。
一方、久遠自身も当惑しながらも、或る確信を宿した眼差しから、彼女の言いたい事を純真は敏感に察知した。
「ただいま参りました、純真殿。お前達、この二人を捕らえよ」
「「ご無事ですか、純真様、久遠様」」
久遠が明確な言葉を紡ぐよりも先に、警察部隊と双子が駆け付けてくれた。
人攫いの男達は速やかに拘束された。
「私は、大丈夫だよ……心配かけてごめんね……二人とも……」
「「よかった……」」
買い物途中でいなくなった久遠、と彼女を先に救出しに向かった主の無事に、双子は胸を撫で下ろしていた。
久遠の肩をさりげなく支えている純真も、双子へ感謝と労いの眼差しを向けた。
「僕は平気だ。直ぐに知らせてくれてありがとう。それよりも……」
「「久遠様……!!」」
双子へ指示を出そうとしていた純真の表情へ、大きな波紋が浮かぶ。
腕に抱えていた久遠は意識を失っていた。
狼狽した双子は久遠の名前を呼んでみるが、彼女の瞳が開く気配はなかった。
「久遠――!」
胸の底からジワジワと這い上がる不安と焦燥に、初めての動揺を覚える中。
純真は無意識のまま久遠の名前を叫んだ。
自分の腕の中で冷たい汗を流しながら、真っ青に染まっていく彼女の温もりを取り溢さないように――。
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