『生まれ変わった先は天国か災厄か』Ⅱ

 「ようこそ――冷泉純真――夢咲久遠。よく来てくれたね」


 クチナシのように濃厚な甘い香りの舞う白い霧に包まれた壮大な和宮殿――花山院かさのいん邸。

 紅漆べにうるしという特殊な釉薬ゆうやくで艶めく壁と柱に、翡翠色の瓦屋根に覆われた屋敷は“竜宮城”を彷彿とさせた。

 幻惑の香炉から漂う香霧は、主人に仇なす侵入者を誘い、罠へ落とそうとする守りの術式だ。

 しかし、招かれた客人として香霧を潜り抜ける事を許されたのは、冷泉純真並びに付き人の夢咲久遠だ。

 二人に向かって鷹揚に微笑みかけているのは、花山院一族の当主であり――天神国の“王様”でもある『花山院聖徳しょうとく』だ。


 「お招きいただき、痛み入ります。聖徳様」

 「い、痛み入ります」


 慇懃いんぎんに答えながらひざまずく純真に合わせて、久遠もうやうやしくと頭を下げた。

 チラッと一瞬覗いた視界に焼き付いた天神国の王様の御身を、記憶越しに観察してみる。


 朝日色に澄み輝く長い白髪と艶やかな肌、金色に輝く聡明で慈悲深い眼差しは、まさに太陽神さながら神々しい美しさ。

 天神国においては“神”に等しく高貴な人物が、目の前にいるのだ。

 そんな緊迫した場面であるはずが、肌で感じる慈しみの眼差しと声色に、不思議と心安らいでいく。

 それに、かくゆう聖徳様も私にとっては、第二の恩人に相当する人物だ。


 「久しぶりだね、久遠。あれから今まで、また大変だったようだね。見たところ、壮健のようで安心したよ」

 「ありがとう……ありがたきお言葉ですっ」


 何故なら、この天神国に忽然と怪しい“転生人”である夢咲久遠を国で保護するように、認めてくれたのだから。

 こうして私が冷泉邸に居候させてもらえているのも、聖徳様が純真君へ勅命ちょくめいしてくれたからだ。

 それにしても正しい敬語って難しいなあ……しかも、昔風の奥ゆかしい感じの出すのには。

 そんな呑気な事を考えている間に、隣で氷柱のように静かに佇んでいた純真は、おごそかに言葉を述べ始めた。


 「それで聖徳様……"例の件"について、お考えを改めていただけますでしょうか」


 当然ながら"例の件"の内容すら知らされていない久遠は、ただ心の中でいぶかるしかない。

 しかも純真が提言した際、明らかに久遠へ氷の突き刺すような目線を送ってきたのにも、胸騒ぎを覚える。

 どことなく剣呑な空気が流れていく最中、聖徳は柔和な微笑みを咲かせたまま答える。


 「もちろん。これからもよろしく頼んだよ、純真……久遠……」

 「え……?」

 「聖徳様……何故にそのような」


 何故か最後に自分の名前が出た事も、釈然としない眼差しで聖徳を見上げる純真の様子に、久遠はまたしても困惑した。

 まるで話は読めてこないが、大雑把な頭で状況を観察していると、何となく理解できた事は二点だ。

 恐らく純真は"例の件"とやらに、何かしら不服を申し立てたが、聖徳様は笑顔で却下した事。

 聖徳様は引き続き、純真へ何かしらの責務を任せようとしており、それに久遠が関与している事。

 この流れ的には“例の件”とは、もしや“あの時”の――?


 「それはきっと、純真も薄々と気付いている事だよ……君自身の感覚を信じて進んでごらん……」

 「――仰せのままに……」


 聖徳様の意味深な言葉に困惑しながらも、胸に引っかかるものを感じたらしい。

 純真は月石色の双眼を驚きに瞬かせると、ついに思考へ沈むように静かになった。

 どうしたんだろう? 本当に大丈夫なのかな?

 自分がここにいてはいけないような居心地の悪さから、視線を彷徨わせてしまう久遠に対して、聖徳様は穏やかに語りかけてきた。


 「それから久遠」

 「? は、はい」


 朝陽のように優しくも眩い微笑みに見つめられ、久遠は思わず見惚れてしまいながらも慌てて返事をした。

 そんな久遠の緊張や戸惑いも見透かしたように、聖徳様は微笑ましげに口を開いた。


「これからも純真のことを、


 何気無く告げられた言葉は、久遠の胸の奥深くへ重みを伴って刻まれた。

 "最初の"謁見の時といい、何故に聖徳様が久遠を無条件に受け入れ、まるで信頼しきってくれているのかは不明のまま。


 *


 「君はさ、どうして僕を“助けた”の?」


 聖徳様との謁見を済まして、花山院邸を出た後。

 江戸時代を彷彿とさせる木造建造物の並ぶ町中を歩く道中で、純真君は唐突に口を開いた。

 今になって“その時”の事を問い詰められた私は、咄嗟の言葉に窮してしまう。


 「何故、ですか……急に訊かれると難しいですね……」

 「僕なんかを事で、君自身に何の利点があるの?」

 「……ええっと……あの時はただ必死だったのですが……目の前に困っている人がいたら助けたいって思うものですが……」


 目の前の子どもが転んだりぶつかったりしそうになったら、守るか助けてあげたいって思うものだし。

 電車に揺らされて立つのも辛そうな高齢者や妊婦がいれば、席を譲る人もいるし。

 人を助ける事に理由だとか利益だとか、損得勘定について難しく考えた事はない。

「自分だったら」という視点でそうしてきただけに、具体的な理由を答えるのは難しかった。

 ただ今回は「車に轢かれそうな猫を庇った」次元の事態が起きただけに、純真君も思う所はあるのだろうか。

 もしも、自分への罪悪感から理由を問いているのならば、明るい笑顔で否定してやろうと思った矢先。


 「くだらないね――」


 はい――?

 こおった月石色の眼差しで奏でられた予期せぬ言葉に、久遠は胸が凍り付くような錯覚に襲われた。


 「人が"無条件"で赤の他人を助けるなんて、ありえない話だよ」


 何でそんな事を言うの?

 墨汁のように広がっていく動揺のせいか、咄嗟の疑問を口に紡ぐ事すらできない。

 悲しみに近い苛立ちは火の粉のように、瞳の奥から喉の下をチリチリと焦がす。


 「助けた理由すら分かっていないのは、君があまりにも愚かだからだ」


 一方で純真の醸す空気は、氷柱のように冷ややかなままだった。

 一見無感情な眼差しと声だが、それがかえって久遠への軽蔑を匂わせていた。


 「君、いつか死ぬよ――」


 感謝や恩義を抱いてほしいだなんて、これっぽっちも望んだ事はない。

 それでも自分を命懸けで庇った人間へ向ける言葉と感情としては、あまりの仕打ちだ。

 悲しみやら怒りやら、何とも言い難い感情でぐちゃぐちゃにもつれた心では、返す言葉すら失った私は暫し立ち尽くした。

 ああ、愛しのクリスティアヌス様。

 夢咲久遠は、既に心が折れそうです。

 どうして、私は貴方様のお傍にいないのでしょうか。

 しかも、よりによって、こんな冷酷無比で可愛げのない“少年ショタ”のもとに。

 双子ちゃん達に頼まれていた物品を買うために市場へ寄ってから、冷泉邸に戻るまでの帰り道。

 久遠も純真も沈黙に伏して一言も喋らなかったため、終始重苦しい空気が漂っていた。


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