第零章『生まれ変わった先は天国か災厄か』Ⅰ
夢咲久遠――二十歳の和人女性。
大和撫子を彷彿とさせる漆黒の長髪を、真っ直ぐなびかせている。
白い満月のように美しい顔立ちに艶やかな肌に、鮮やかな薄紅色の可憐な唇は映える。
身長一五〇センチに体重四〇キログラムという、理想のアニメマンガキャラ比率も、娘の可憐さを際立たせる。
麗若き乙女の青春絶頂期にある久遠は、まさに理想の想い人との幸福なイチャラブ転生ライフを満喫――してはいなかった。
「おはよう、久遠――からだはもう平気?」
ふかふかの高級羽毛布団と枕のおかげで、雲に浮かんで抱擁されているような夢見心地で眠っていた最中。
頭上から舞い降りた、透き通るような低い声と長い髪の柔らかな感触に撫でられた私は、ゆっくりと双眸を開けた。
やや困惑を隠せない眼差しで見上げてみれば、"少年"と目が合った。
「あれから丸三日間は寝込んでいたんだよ、君。僕の話は聞こえている?」
夜の紺碧色に艶めく長髪が真っ直ぐ揺らめく。
久遠よりも一拳くらい高い小柄な体躯は、
腰に下げている細長い日本刀は、未だ
朧月のように儚げな美しさと相反する強さを、既に思い知らされている久遠は、ようやく少年の名前を呼んでみた。
「おはよう、
蕾が花開くような笑顔を咲かせながら答えた久遠に対して、月の石のように凛とした瞳に鋭い光が灯った。
「……それなら、早く着替えて下に降りてきなよ。二人は君を待っているから」
氷のように冷めた声色で告げると、久遠からあからさまに目を逸らしながら背を向けた。
少年の素っ気ない態度は、出逢った時から今に始まった事ではない。
それでも久遠は、胸の内がまるで見えてこない謎めいた雰囲気、年不相応の冷静さに、ますます心が重く冷え込んだ。
天神国を統治する
冷泉家では次期当主継承権を巡り、身内同士の
血は絶えてしまえど、せめて冷泉家の形骸は遺すべく、新たな冷泉家当主の座へ、未だ年端のいかない十一歳の男児が就いた。
現在は当主・純真と複数人の使用人のみが冷泉邸で暮らしており、つい最近そこへ夢咲久遠が加わったのだ
「話が全然違うじゃない……」
己の思い描いていた理想が"久遠の彼方"へ置き去りにされた現状に、久遠は不満を燻らせずにはいられなかった。
本来であればカミコクの世界へ転生できた暁に、久遠はデウス王国の理想の美女として生まれ変わり、愛しのクリスティアヌス様と恋に落ちる算段だった。
しかし、現実は夢よりどこまでも無情だった。
そう、まるで"上位賞"を手にしたものの、"推しキャラを引けなかった"残念なアニメグッズくじの結果そのものだ。
『いやあ、すみませんねぇ。説明すべきか迷ったんですが……やはりこういう事になってしまいましたか……私も心が痛みますよ……』
謎の人魂こと『鏡花水月』は、理不尽クレーマーさながら不満を膨張させた顔付きで呼び出した久遠へ、居た堪まれなさそうに頭を下げた(ように感じられた)。
自分が思っていたのと話が違う、と弁明を求めた久遠に対して、鏡花水月の言葉は以下の通りだ。
実は今回のカミコク転生儀式は基本的にいわゆる"ガチャシステム"を採用している事。
つまり選ばれた転生者の転生先の国から所属する勢力、そして容姿と能力は“
そのためカミコク世界へ転生した夢咲久遠の容姿から年齢も、無作為で設定され、残念ながら天神国の冷泉純真――“
「はうぅ……天神国勢力の冷泉純真君も、一応は人気キャラではあるけどさ……私の唯一最推しはずっとクリスティアヌス様なのに……」
さようなら、愛しのクリスティアヌス様。
終わった、私の第二の薔薇色イチャラブ人生よ……。
涙が溢れ過ぎて枕をびしょびしょに濡らす久遠に、鏡花水月は狼狽えた様子で必死に励まそうとする。
『まあまあ、元気出してください久遠様。悲観する事はないのですよ。私としては"使命"さえ無事に果たしてくだされば、誰と恋愛結婚するかは久遠様の自由でよろしいのですよ』
「……それ、ほんと?」
『はい。今のあなたは天神国の人間で、冷泉純真の下に付いております。けれど転生後に他所の国へ“移住”し、その国の人間になるのも不可能ではありません』
つまり最初に入社した職場から"転職"するのと同じ要領で、クリスティアヌス様のいるデウス国へ移ることは可能。
つまり、この転生の物語は自由恋愛方式である!
絶望から希望へ一気に駆け昇った私は、大いに浮かれながら宙へ拳を打った。
鏡花水月はすっかり機嫌を直した久遠の様子に、安堵と不安半々の溜息を吐いた。
『くれぐれも"使命"を忘れないでくださいよー。あなたが天神国の人間として生まれ変わり、冷泉純真殿の傍にあるのも、ちゃんと"意味"があっての事ですからねー』
「はーい!! 頑張りまーす! 逆転恋愛劇のためにも!」
『はあぁ……』
またもや溜息を吐かれたが、前世の推し活女子時代の名残で、推しキャラとの恋愛模様を妄想すれば心は回復していった。とはいえど。
「ねぇ、遅いんだけど」
布団の上で一人満面の笑顔を咲かせていると、引き戸の隙間から冷泉邸の主が無表情で見つめてきている。
まさに氷の精霊さながら美しくも冷ややかな気配と目線に、思わず冷や汗が零れた久遠は慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい! 純真君。ただいま参ります!」
「いいから、早く着替えて降りてきなよ。いつまで人を待たせる気?」
「はいっ!!」
氷柱で胸を突かれたような緊張感に、久遠は勢いよく返事をすると、慌てて立ち上がった。
それから純真は一顧だにせず直ぐ部屋を出た。
純真君ってやっぱり冷たい感じだなあ……。
泣いて感謝しろとは思わないけど、一応私は“命の恩人”に当たるんだけどなあ。
さすがは"氷の
恐らく熱狂的な純真君ファンなら、今の私の状況を知れば、発狂するほど羨ましがるだろうなあ。
私だって代わってやれる事なら代わりたいさ。
ただし、もしも私と同じようにカミコク転生していて、しかもデウス王国のクリスティアヌス様
もちろん天神国の夢咲久遠として、デウス王国へ亡命し、クリスティアヌス様と逢う算段も未だ諦めてはいない。
一方で、久遠にはもう一つの気掛かりがある。
「ちゃんと"使命"を果たして欲しいって言ってもなあ……」
夢咲久遠がカミコク転生に選ばれた条件として、"使命"を果たす事が最優先事項だ、と説明された。
しかし問題は、その"使命"の内容は分からないというものだ。
当然ながら、久遠は使命とは何たるを、鏡花水月へ抜かり無く質問していた。
『"使命"というものは、カミコク転生された後になってから、久遠様自身の力で見つけるんですよ。そこから初めて、"使命"を果たすために沿った行動を起こしてもらいます!』
つまり格好いい風に表現すれば、"己の使命は自分の力で見出して、運命を切り拓いていくものだ! "的なもの。
とはいえ、そもそも夢咲久遠の"使命"そのものは、どこかの名言みたいに自分の心で見出すものなのか、それとも物語の登場人物が示すものなのか。それすら分かっていない。
何もかもが手探りで途方もない話ではあるが、唯一の手がかりは鏡花水月の言葉通り、今の久遠の主に当たる“冷泉純真の存在”だ。
「でもなあ……やっぱり"子ども"なんだよねぇ……」
凛とした可愛らしさと美しさが融合した顔立ちに似合わず、表情や言動は氷みたいに冷たくで可愛げはないのだけれど。
今の夢咲久遠は二十歳ではあるが、中身は三十歳過ぎの女だ。
心の年齢を鑑みれば、十五歳の少年なんて可愛らしい子ども過ぎて、久遠の場合は恋愛対象として見れない。
しかも今の自分が、せめて十六歳から十八歳辺りという乙女が恋愛的にも最も輝く年頃なら、未だ釣り合いは取れたかもしれない。
それなのに、二十歳と十五歳の組み合わせも、もはや犯罪の匂いしかしない(しかも自分の中身は三十代だし)。
それに純真君の好みの女性とか、考えた事も検索した事もないため不明だが、彼から見れば五歳も歳上(精神的には十八歳程も離れている)女なんて"おばさん"だとしか思わないだろう。
(全国の二十代とおじさんおばさんに謝りなさい)。
「わたしの歳になると歳上というか、お兄さんパパさんキャラが突き刺さるんだよねぇ……」
不幸中の幸いか、クリスティアヌス様の年齢を超えていないため、"年上の彼氏旦那様"という憧れの構図はギリギリ保てる。
年齢設定についても、既に鏡花水月へ苦情を漏らしたが、これもきっと"使命"に意味のある数字だと信じたい。
何よりも私にとっては、使命と並んで重要な“新しい人生”の目的と意味があるのだから。
「「おはようございます、久遠様」」
ヒノキの香る階段を降りて、屋敷の中央に位置する食堂へ向かうと、愛らしい双子の幼童が出迎えてくれた。
冷泉邸の唯一の癒しの妖精さんが現れてくれた。
黒猫みたいにフワフワの黒い長髪、とクリクリの丸い黒眼が可愛らしい容姿に優美な所作には、思わず抱きしめたくなる。
「おはよう、
双子の兄は
二人は親の代より以前から、冷泉家に代々仕える氷室家の子どもだ。
五年前の事件によって、両親も先代当主も亡くなった後、現当主の純真の側近として仕えるようになったらしい。
二人は未だ十一歳だというのに、丁寧な言葉遣いから姿勢、礼儀作法まで洗練されており、幼くしてしっかりしていて感心する。
「「わあ、さすがですね久遠様。すっかり私と僕が分かるんですね。どうやって見分けているのですか」」
「うーん。何となくかなあ。いつも一緒にいてくれるから、自然と違いが分かるのかも?」
「「そうなのですか? 長年一緒に務めている使用人達にも、中々見分けが付かないというのに……久遠様には不思議な力があるのですねっ」」
確かに二人は顔立ちから体型まで瓜二つで、髪型も和服もお揃い、さらに同時に息を合わせて喋る。
そのため一眼一発で見分けるのは、至難の業だろう。
けれど二人と一緒にいる時間は多いおかげか、二人はそっくりでありながらも、まったく違う人間なのだと分かってくる。
「そんな大した事はないよ。いつも優しくて丁寧な二人の事が大好きだからだよ」
「だ、大好き!? そんなありがたきお言葉をいただけるなんて……」
「……」
霙ちゃんは、相手の心を気遣って常に優しい言葉をかけてくれる、穏やかで少しだけ照れ屋な所とか。
話す時に眉と目尻が優しく下がるし、頬を薄桃色に染めてもじもじする姿は、本当に女の子で可愛いらしい。
雹君は常に寡黙で冷静沈着な所が、少し純真君と似通っている。
けれど気付けば、常に霙ちゃんを見つめていて、時々さりげなく手助けしているため、根っこは妹想いの優しいお兄ちゃんだ。
一ヶ月前、この冷泉邸に招かれたばかりの頃は、右も左も分からなかった私へ色々な事を丁寧に教えてくれて、身の回りの世話まで焼いてくれた可愛い二人が大好きになった。
幸い、二人も私に好意を抱いてくれているのも、尚更嬉しくなる。
「久遠――食事が終わったなら、直ぐに出かける準備をして。僕と一緒に来てもらうから」
長方形の食卓の上座から響いてきた涼やかな声に、思わず背中は冷やされたように引き締まった。
双子も気を引き締めた様子で背筋を伸ばして、頭を深く下げた。
「あ、はい。分かりました」
「聖徳様のお呼び出しだから、急いでね」
事務的に告げてから
食器の後片付けはこちらで済ませる、と言ってくれた双子に慌てて感謝を述べた。
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