『初期設定』

 夢に咲く永久――。


 我ながら笑いすら零れる煌々ネームを奏でる度、私は思う。

 生まれ変わって、人生をやり直せたら、どれだけ幸せか。

 幾度もそんなくだらない妄想をしながら、平凡な人生を漫然と貪っている内に、三十歳過ぎの元・会社員になっていた。


 「脱・社畜にカンパーイ!!」


 今夜も近場のコンビニで買った爽やかな缶チューハイに塩っぱいポテトチップス、甘い新作スイーツを肴に、私は一人“祝杯”をする。


 私、夢咲ゆめさき久遠くおんは半年前に或る二流のスーパー真っ黒ブラック大企業を退

 当時、大学卒業後に新卒採用された時点で、深刻な人手不足に新人への容赦ない研修始動や過酷なノルマの押しつけ、上司による全ハラスメントシリーズを網羅しうる迷惑行為、サービス残業を含む時間超過の過重労働は当たり前のように横行していた。

 当初は、この会社が典型的なブラック企業だと悟った時点で、同期の半分以上は退場リタイアしていった。


 それでも、何故私が十年近くもやめられなかったって?

 それは、企業全体に蔓延していた“飴と鞭法”による巧妙な洗脳だ。


 単純に勤務先の業務が過酷で、同僚も上司も怒鳴る威張るという明らかに理不尽な環境である方が、

 何故なら、「こんなクソ企業クソ野郎ども!」と心の中で素直に怒りをぶちまけられる人間は、未だまともな神経を失っていない。

 けれど真のブラック企業というものは――“友愛の情”と“罪悪感”によって、社員をつなぎ止めようとするものだ。

 私の務めていた会社の場合は、時折手のひらを返したように相手を過剰なまでに褒めちぎり、毎年社員の誕生日に贈り物を用意してお祝いし、祭事には家族同然のように参加必須という体制を取っていた。

 けれど、そんな茶番もついに自分の方から終止符を打ってやった。


 そう半年前、私の“生きがい”そのものを腐った社員どもに侮辱され、嘲笑された時に。


 “誇り”と“尊厳”を守ることを選んだ私は、自分の“生きがい”――"推し活"の一環として課金スマホゲームへ、今夜も好きに入り浸る。


 「新しいイベントの章がアップデートされてる! さっそくプレイスタートして、ガチャへ魔法石を注ぎ込まなきゃ!」


 まさに私は、名前に負けずに“夢に恋する夢”を胸いっぱいに生まれ育ったのだ。

 麗若き乙女の頃であれば、微笑ましい程度で済むはずの愛着気質は、もっぱら"二次元の異性"へと注がれていた。


 大学時代から女子を中心に流行している携帯端末スマホRPGゲーム『神大国物語・通称カミコク』の生粋のゲーマー兼大ファンだ。

 カミコクでは、国や文化、宗教も異なる五カ国とそこに属する英雄や戦士達が、互いの正義と野望を賭けて戦う壮大な物語が繰り広げられる。

 精巧に作り込まれた物語性からゲームの戦略、さらには個性豊かな魅力溢れるキャラクターの戦闘操作と“恋愛模様”が人気を博している。


 「はあぁ……愛しのクリスティアヌス様……カッコ良すぎて最高……」


 私、夢咲久遠は『デウス王国』のクリスティアヌス様に“本気の恋ガチ恋”をしている。

 クリスティアヌス様は欧風物語に登場する白馬の王子様風のイケメンキャラだ。

 太陽さながら光り輝く金髪。エメラルドグリーンの海の碧眼。陶器のように白く端麗な顔立ちと体躯。その神秘的な美貌に一目惚れした。

 さらに久遠の心臓を射抜いたのは、敵味方分け隔てなく、相手へ敬意を払う深い慈愛と人徳だ。

 まさに完璧な肉体と精神の美を体現したクリスティアヌス様こそは、“神の子”に等しい理想の存在だ。


 作中の或る分岐ルートにおいては、クリスティアヌス様が敵国出身の女主人公ヒロインの悲惨な生い立ちにそぐわない前向きな生き方と心優しさに惚れ込む。

 クリスティアヌス様がヒロインを救うために奮闘する物語は、ファンにとって夢見心地だった。


 『君を永遠に愛しているよ――僕の可愛い


 液晶画面越しであっても、こんな素敵な異性に優しく見つめられながら名前を呼ばれ、一途に愛される。

 あまりに幸せすぎて、いつ死んでも悔いはないわ。

 オタク友達ことカミコクの同胞なら、私のこの純真な恋心を理解してくれるはずだ。

 たとえ親や非オタク友達、ネットの心無い誹謗中傷者アンチからは「空想恋愛なんてくだらない」だとか、「現実の恋愛結婚ができないから空想キャラに逃避している」とか散々言われるが、もう慣れた。

 確かに彼らの言い分の全てへ否定も反論もしないが、"私達"の情熱を単なる“現実逃避”だと一括りにはしないでほしい。

 何故なら唯一確かな事情として、夢咲久遠という人間にとって最も“生きる意味”となってくれたのは、クリスティアヌス様なのだ。


 心が悲鳴をあげていた頃、最も傍にいて支えになってくれたのは、現実の親でも友人でも先生でも彼氏でもなく――。


 「よし! イベント第五関門までぶっちぎりでクリアできた! ……って、あれ?」


 カミコク歴数年超えの腕前を発揮し、最推しのクリスティアヌス様を筆頭に新たな難関課題も難敵との戦闘も易々とクリアしていく最中。

 夏の浪漫的ロマンチックイベントらしい爽やかなハワイアンブルーと明るいお日様の天国に染まっていたはずの画面は、突如暗転した。

 可笑しいと思った久遠は、幾度か操作ボタンを押したり、再起動を試みたりしたが、画面は一向に晴れない。

 まさか、よりよって、こんな重要な時に故障だろうか。

 データ破損という最悪の展開も想定できる異常事態に、久遠は顔面蒼白になって震える。

 忙しなく高鳴る心音、嫌でも浮かぶ冷や汗を感じる中、久遠は祈る想いで画面を凝視した。


 『おめでとうございまーす!! あなたはのでーす!!』


 真っ暗な画面が光色に染まった瞬間、謎めいた音声が流れてきたため、久遠は度肝を抜かれた。

 瞬きを繰り返す久遠の瞳に映り込むのは、虹色の光を放つ金の扉を背景に喋る“謎の人魂”だった。

 これって、まさか、ついに。


 「ゲームとクリスティアヌス様に熱中しすぎたせい? それとも酒のせいでついに幻覚まで……」

 『あははは、違います違いますよ。あなたは選ばれたのですよ、

 

 何で私の本名を知っているの?

 ゲームデータに登録するユーザー名は、匿名のものを使用するため、運営側ですら個人情報たる本名を知っているはずはない。

 まさか、ついにゲームアプリにまで、個人情報漏洩被害かウィルス感染に遭って……。

 別の最悪の可能性を考えていると、謎の人魂には頭の内側を読めたらしく「それも違いまーすん」と即否定された。


 『さて“選ばれしヒロイン”として抜擢された夢咲久遠さんへ、さっそく頼みたいことがあるのです』


 幻覚か幽霊かウィルスか、正体も名前も謎めいた人魂は気を取り直したように、画面越しから本題を切り出した。


 『あなたには"ヒロイン"となって、このカミコクの世界へ旅立ち、"使命"を果たしてもらいたいのです――』


 人魂さん(仮)が丁寧に告げてきた、信じられないような内容に、久遠は今度こそ夢を辿っている錯覚に襲われた。

 しかし、いくら己の頬をつねってみても、痛すぎて涙目になるばかり

 終いには、試しに冷蔵庫から辛子(コンビニの肉まんに付いてたやつ)を取り出し、舌先に塗ってみれば、いかにそれは自殺行為だったのかと体で思い知った。

 壮絶な辛さに、舌の最も敏感な先端がヒリヒリ痛む中、私の意識は正常だとようやく認めた。


 『ようやく現実を認めたようですね? では、さっそくあなたを、何かご質問はありますか?』


 現実確認のための奇行を目の前で繰り広げた私に、人魂は表情がないのに呆れているのが伝わるほどの苦笑と溜息を吐いていた。

 やっと私が現実を受け入れたと察した人魂は、トントン拍子に話を進めながらも最終確認を取ってきた。

 先ずは、今この珍妙な状況を思考で把握し、そこに抱く感情が生まれるまでに、長い数分を要した。


 「つまり私はヒロインへ"転生"して、カミコクの世界へ入って、“使命”とやらを果たしてくるって事なんだよね?」

 『そうですそうです』

 「――ってことは、カミコクのキャラと“恋愛と結婚”ができるって事だよね……!?」

 『もっちろんでございます』

 「マジですか!! やばい!」


 カミコクのヒロインに生まれ変わる事――カミコクユーザー兼ファン歴の長い私にとっては、使命だの何だの以上に重要な意味を持つ事柄にただ狂喜した。

 つまり、二次元映像と妄想に留まっていた“推しキャラとのイチャイチャライフ”を――クリスティアヌス様の甘い言葉も抱擁も接吻も全て、私自身がこの身体で独り占めできるという事――。


 「やばい!! 想像しただけで幸せ! 今死んでもいい!」

 『いやまだ死なないでくださいよ、頼みますから。何を妄想しているのか、あらかた想像付きますけども』


 人魂は目がついておらずとも、何だか下劣な生き物を見るような眼差しで見てきたのが伝わってきた。

 しかし、奇異な眼差しには耐久性のある私には、今更痛くも痒くもないのだ。

 ――は! だがしかし! 由々しき問題が一つだけあった!


 「あ! でも、どうしよう……三十代半ばでこのスタイルの私だなんて……」


 さすがに岩煎餅並みの強靭な精神メンタルの私であっても、残酷な現実によって容易く粉砕されてしまいそうだ。

 そう、カミコクのキャラ達は美男美女揃いなうえに、恋愛攻略対象キャラの年齢設定は、ほぼ十代後半から二十代後半だ。

 ちなみに愛しのクリスティアヌス様は二十二年歳であり、デウス王国の神族の血を引くため、成人時点で成長と老化は止まるという設定だ。


 それに比べて……私、夢咲久遠は平凡な顔立ちにシミが目立ってきたお肌、身長一五五センチに対して、体重六〇キログラム手前のダルダルの脂肪体が悪目立ちする。

 とても他の美男美女キャラ勢、ましてやあの完璧な美のクリスティアヌス様と肩を並べるなんて、自分で悲しくなる。


 『そこなら心配いりませんよー。カミコクヒロインへ転生すれば、アニメマンガゲーム仕様の理想的な容姿ビジュアルに変わりますからー』

 「え!? 本当!?」

 『はい! 瞳の色から爪先までもうですよー』

 

 夢の二次元異世界で推しキャラと絡めるだけでも幸せなのに。

 さらに、二次元美少女へ生まれ変わって人生やり直せるとか、最高じゃない!


 『どのような美少女に生まれ変わるのかは、転生してからの驚きサプライズのお楽しみということで!』

 「やったー!!」


 この際、美少女に生まれ変わって周りにチヤホヤされるなら、何だっていい!

 目鼻眉の形とバストサイズまで細かく設定させてとか、欲深な事は言わないさ!

 とにかく、クリスティアヌス様に寵愛される恋人兼花嫁になってみせる!


 「ああ! 待っていてください! 愛しのクリスティアヌス様! 夢咲久遠が会いに行きますからっ」


 恥と外聞よりも歓喜の方が圧倒的に上回っている私は、思わず近所迷惑になりそうなほど興奮の悲鳴をあげてしまった。

 人魂さんは何かを諦めたらしく、無心の気配で私を見守っていた。


 『――それでは、手始めにカミコク世界転生の“儀式”を行う前に、あちらへ着いた後の事について、簡潔に説明しますね』


 興奮と歓喜に燃え盛る中、頭は何とか全稼働させて、人魂さんの説明へ注意深く耳を傾けた。

 万が一、あっちの世界で困った事や疑問点があれば、合言葉を唱えて自分を呼び出せる事も安心材料になった。

 最後に異世界転生の儀式の触媒となる、夢咲久遠直筆の契約サインを記せば完了らしい。


 『それでは、いってらっしゃいませー。夢咲久遠様の旅路に福ありますように!!』


 虹色の魔法陣から放たれる光に包まれる中、人魂さんに温かく見送られて私は旅立った。


 「ありがとうございます! では、いってきまーす!」


 けれど今思えば、呑気に笑顔で手を振っていた私は、あまり気に留めていなかった。


 歓喜に叫んだ私を眺めていた人魂さんが、表情がなくてもどこか一瞬だけ気まずそうに沈黙したのを。


 煌めくような世界が、非現実でありながら現実となる事も。


 この先の運命が、夢咲久遠の人生を一変させるとは、この頃は夢にも想像つかなかった。


 しかも転生してから早々、一ヶ月すら満たない内に――。



 「久遠――!!」



 “死ぬやられる”なんて――。



 ***

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