第7話 それぞれのドッペルゲンガー
岡崎が、自分が分相応の学校に行かなかったことで、自分が行き詰ってしまい、少し自分に余裕を持てなくて、そのせいもあってか、気持ちの中の感覚が、マヒしてきたような気がしてきたのだった。
まわりの人間は、明らかに成績はいい。そんなことは分かっている。後は自分の身の振り方であるが、これは離婚よりも、実は難しいことであった。
勉強についていけず、落ちこぼれていくのは、仮面夫婦として、まわりを騙して暮らしているのと訳が違い、リアルに困った問題を引き起こす火種になっているのだった。
当然、テストの成績は悪いだろうし、授業にもついていけなくなる。
ただでさえ、今も勉強についていけていない。それが、最初に無理して入ってしまったことと、そのことを自覚できていなかったという証拠だろうからである。
勉強もままならず、学校にいるのがこれまた苦痛だった。
しかし、彼はそのうちにその感覚がマヒしてくるのだった。
「別にきつくないわ」
と思うようになっていた。
「成績が悪いなら悪いで、学校側が退学でも言ってくればいつだって辞めてやっていいんだ」
というばかりに、開き直りを感じていたのだった。
勉強ができないだけではなくクラスの皆から、白い目で見られるというのもあるのだが、それも、別に気にならなかった。
中学時代の苛めや、不登校に比べれば、まだマシだと思っているからなのかも知れないが、それでもストレスが溜まってくるのは、どうすることもできない。ただ、意識がマヒしているだけで、自分の身体が蝕まれていうのをまったく気づいていないだけのことだったのだ。
「末期がんのようだ」
という感覚なのかも知れないが、それは数十年後に感じることではないだろうか?
それを今感じたということは、
「まるで、予知夢を見たかのようだ」
と感じるからであって、
そもそも、予知夢というのがどういうものなのか、その存在すら疑わしいと思っていた。
予知夢というのは、これから起こることを、前もって見るというもので、実際に夢を見た時は、これから起こることだという意識があるのかないのかも分からない。
ということは、後になって、
「以前、夢で見たような気がする」
と感じれば、それがすべて、予知夢に繋がってくるのである。
ただ、これは、デジャブという現象に酷似している。何かを感じた時に、ふと、
「前にも見たことがあるような」
あるいは、
「前にも感じたことがあるような」
という思いがあれば、それをデジャブというのだ。
「既視感」
というものでもあり、目で見たという「視」という言葉を使うことで、
「すでに見たことがあるような感覚が残っている」
ということになるのだろう。
ただ、視だけではなく、聴であっても言えることで、見たり聞いたり、さらには感じたこともありだとすれば、夢の世界では、何でもありのように感じるのではないかと思うのだった。
それは、
「残像が残っている」
という感覚もありなのかも知れない。
残像というと、暗いところに、光の筋のようなものが見えた場合の、まるで、空に残った、
「飛行機雲」
のような存在ではないか。
それを思うと、デジャブというのは、まだ、ハッキリと解明されていない事象であると言われるが、案外に近いところにある感覚なのかも知れない。
自分がドッペルゲンガーを感じたのは、最初は彼女に対してであった。
「同じ次元に、もう一人の自分」
しかも、つかず離れずの距離が微妙にお互いを引き合わないようにしているのは、時間というものの魔術をうまく利用しているのではないだろうか?
これを自然現象といっていいのか、何かの見えない力が働いていると考えないと、ありえることではない。
二重人格の発想もそうではないだろうか?
普通であれば、誰にでも大なり小なり存在する二重人格性、
「ジキルとハイド」
の話においても、あくまでも小説のお話、しかも、ジキル博士がハイド氏に変わるのは、自分で開発した薬によるものではないか、
ドッペルゲンガーというもの、何者かが造り上げた架空の話であって、実際には存在しないものではないかと思うのは、岡崎だけであろうか?
いや、もし、そうだとしても、
「火のないところに煙は立たない」
というではないか。
つまりは、ドッペルゲンガーも、何かそれらしいものがあっての伝説なのではないだろうか?
何と言っても、誰もが知っている言葉であり、自分は知っているのに、他の人が知っていると聞いただけで、
「お前も知っているのか?」
ということになる。
考えてみると、そんなに自分だけが知っていることが当たり前のように思うのもおかしなもので、それだけ、自己顕示欲のようなものが強いということなのか、不思議な感覚である。
自己顕示欲というのは、
「自分に自信がないという感情から、自分を目立たせて、他人の注目を浴び、自分を他人に認めさせたい」
という気持ちの表れだという。
これは、ある意味、
「ジキルとハイド」
にも言えるのではないだろうか?
ジキル博士は自分の中に、ハイド氏のような、いやらしい性格を見つけてしまった。だから、ハイド氏を呼びだして、それがどんなやつなのか、客観的に周りの人に見てもらおうという意識があったのかも知れない。
そう考えると、目論見は
「半分成功、半分失敗」
だったのかも知れない。
前半に、ハイド氏の存在、そしてハイド氏になった自分を客観的に見せるというところは成功であったが、まさか、ハイド氏がこれほど、自分とかけ離れた性格であるということまでは、計算外だったことだろう。
だから、自分でもどうすることもできずに、悩み苦しむことになるのだろうが、では、薬の開発自体は、成功だったのだろうか?
自分には失敗に終わったことで、その薬が表に出ることはなかった。
もし出ていたとしても、その危険性から、承認されないかも知れない。
しかし、ひとたび承認されてしまうと、まるで無法地帯のようになるだろう。今まで自分しか信じられないような人が、自分すら信じられなくなり、ハイド氏だらけになってしまうとも言えなくもないが、普段がハイド氏であれば、裏に潜んでいるのは、ジキル博士なのか知れない。
「裏は裏の世界を形成し、果たして、今よりもひどい世界となるのか、それとも少しはましな世界になるのか」
であるが、少なくとも、これ以上悪くはならないと思うところであっても、裏の世界は歯止めが利かず、結果、ロクなことにならないのではないかと思われる。
裏の世界の人間は、表の存在を分かっている。それだけに、裏の方が有利であろう。何しろ、これまでその人間の裏に潜んで、じっと表を伺っていたのだから……。
そんなことを思っていると、自分が、どうすればいいのかが分からなくなってくる。
ドッペルゲンガーの存在を、
「つまり裏に潜むもう一人の自分がいるのではないか?」
と考えている人は意外と多いのではないかと思うのだ。
ドッペルゲンガーの正体は、その存在を知ってからでも考えるのは、遅くはないだろう。
ドッペルゲンガーが、どうしてこれだけ知名度が高いのかというと、
「有名人や、著名人が実際に見ていて、その後、皆奇怪な死を遂げている」
という話が伝わっているからである。しかも、その話は、他の人であれば、簡単に信じてもらえないような話ではないか。
それを簡単に、信じるというのは、やはり、それだけ著名人の影響力は大きいということだろう、
そういえば、以前、小説を書いている人が、15年くらい前だっただろうか。いわゆる、
「自費出版系の出版社」
というのがあり、いわゆる、社会問題になって、世間を騒がせ、没落していった業界があったのだが、彼らは、ほぼ詐欺まがいだったことで、一つの会社が問題になると、一気に、2,3社の同時の自費出版社系の中での
「大手」
と言われるところは、一つ目が破綻してから、ほとんど2年以内に、潰れていった。
本を出したいという人から原稿を募り、持ち込みなどでは、読まれもせずに、ゴミ箱行きだったという状態を狙って、
「うちは、必ず読んで、批評もします。そのうえで、出版の判断をして、いい作品であれば、相談の上、本にします」
というやり方だった。
まず、それまで、出版社の目に触れるだけでも難しかった、出版への道に、一筋の光が刺したことで、ブームは一気にやってきた。
ちょうどバブルが弾けて、アフターファイブに残業もできない状態で、
「貧乏暇あり」
という人が増えたことで、カルチャーやサブカルチャー系の趣味に時間を費やす人が増えてきた。
それまで、小説を書くなど考えたこともない連中が、ブームに乗っかって、爆発的に増えた。
正直その、ほとんどは、最低限の文章体裁もなってないような内容で、
「本にするなど、ありえない」
というものであっても、
「共同出版という形で、本を出せる」
という振り込みにすれば、
「俺の本でも、少し手出しすれば、本にできるんだ」
と思い、さらに、
「本を出せば、有名出版社の編集長の目に留まって、ベストセラー作家になることも夢ではない」
などと言われれば、少々高いお金でも、
「作家になれるかも?」
などとおだてられれば、結構な人が、中には借金をしてでも、本を出すという人がいるようだった。
そんな状態で、おだてに乗って、どんどん本を出す人が増える。
その時、岡崎のおじさんで、自費出版社に自分の作品を送って、
「自分でお金を出さなくとも、いい作品であれば、出版社が、金を出す」
という企画出版なるものがあるのだが、それを狙っていた。
だから、共同出版を相手が勧めてくると、
「いや、企画出版ができるまで、送り続ける」
といったそうだ。
しかし、相手も商売、そのうちに、じれてきて、営業の化けの皮が剥げてくる。
「今までは自分があなたの作品だからということで出版会議に図っていたんですが、今度が最後です。もうあなたの作品だけを贔屓はしません」
と言い出したのだ。
これまでの言い方とはまったく違う言い方で、
「それでも、僕は送り続ける」
というと、相手は完全にキレて、
「正直にいって、あなたレベルでは、企画出版は無理です。できるとすれば、名前が売れた、芸能人か犯罪者だけで、それ以外の一般の人は、100%無理です」
と言い切ったのだ。
それこそ、宣伝で言っていることと、まったく違うではないか。
「なるほど、これなら、出版社の人間と、本を出したい人の間で、詐欺問題が勃発するのも、時間の問題だ」
と感じたのだ。
案の定、そうなるまでにそれほど時間はかからなかった。まるで判で押したような。転落を絵に描いていくことになるのだった。
「やっぱり、著名人というのは、それだけ影響力が強いんだ」
ということを思わせた。
いくら相手がキレて、暴言を吐いたことであり、あまりにも露骨なことだったので、こちらも頭に血が上るほどの気持ちになったとはいえ、言っていることに間違いはない。間違っていないからこそ、その言葉にウソがないからこそ、
「そんなことをいうなんて、あまりにも直球過ぎるとして、怒りのこみあげ方も、尋常ではなかった」
ということなのだろう。
だから、余計に、ドッペルゲンガーの話を信じてしまうのだろう。
彼女が言ったという、自分が、
「10分後の女」
という話も、あまりにも内容が弾けすぎていて、俄かに信じられることではないが、
「ドッペルゲンガーを信じるのであれば、この話を信じないというのは、矛盾している」
という考えであった。
それよりも、岡崎は、
「彼女の話を信じてあげたい」
という気持ちがあるのであって、何とか話の辻褄を合わせようとしてしまう。
そのために、自分の気持ちをいかに整理するかということになるのだが、この10分とドッペルゲンガーの存在に結びつけるには、ある意味、都合がいいような気がした。
10分という時間が、
「交わることのない平行線」
を永遠に作り続けることで、それぞれが、この次元で出会うということはありえないだろう。
そう考えると、もう一つの疑問が浮かんでくる。
それは、
「彼女がいかにして、10分前の自分を知ったのかというのが、気になるのだったが、それよりも、まずは、このようなことを考えている人は彼女だけなのだろうか?」
ということであった。
「交わることのない平行線」
として、例えば、時間による縛りがあれば、二人が出会うということはない。
出会わなければ、この世にもう一人が存在しているなどという馬鹿げたことを信じることはない。
よほど、相手に、
「動かぬ証拠」
のようなものを突き付けられれば分からないが、そうでなければ、いくら人が言っていると言って、そう簡単に信じられることではない。
そんな話を聞いて、
「信じられるような気がする」
と感じている自分が怪しくなってきた。
それはあくまでも、自分の意思に反するものであるような気がするからだ。
「普通に考えて、そんなことはありえない。ありえると考えるのは、まるで、自分の首を絞めるかのようではないか」
と考えたのは、自分の彼女にしようと思っている相手が、こんなヤバイ妄想に取りつかれていると思うと、当然、彼女への気持ちを躊躇する自分がいるのも、当たり前のことではないだろうか。
彼女が、どうして
「もう一人の自分を知ったのか?」
ということを知ったのは、ごく最近だった。
「10分前の女の存在を口にするようになってから、1か月ほど経っているが、なぜ、その存在を知ったのかということには、頑なだった」
と言ってもいいだろう。
その女のことを、しつこいほど言っているのを見て、
「ああ、彼女は、この女の存在が、本当に恐ろしいんだ」
と感じたことだった。
彼女にとって、恐ろしい存在である、
「もう一人の自分」
そのことに気づいたことで、口にしないと気が済まないのか、ここまで何度も、しつこいくらいに口にしているというのは、
「やはり、どこかおかしい」
と言えるのではないだろうか。
それを思うと、彼女が、一生懸命に言っていることで、一つの仮説が生まれてきた。
「これは、彼女にだけ言えることではなく、本当は誰にでも起こりえることで、実際には起こっているのかも知れない。ただそれを信じられないという理由でからなのか、何なのか、誰も信じようとはしないだけのような気がする」
という考え方だった。
それはそれとして、いや、大いに関係はしていることなのだが、それよりも、もう一つの、
「考えられること」
の方が気になっていたのだった。
それは、彼女が、どうして、会うことができるはずのない、
「もう一人の自分」
という存在を知ったのか?
彼女がいうには、
「人に教えられたのだ」
というではないか。
最初はそれが誰だか言わなかった、話が佳境を迎えるにしたがって、確かに彼女のいうとおり、
「誰かに教えられたわけではないと知りえないことのはずだ」
ということに気づいてくるのだが、
「それが誰なのか?」
ということが、分からない。
それよりも、
「どうして、この俺に話すのだろう?」
と思った。
確かに、彼氏なので、知っておいてもらいたいのか、それとも、言うべきことだと思ったのか? 考えられるのは後者だった。
普通に考えると、いくら彼氏であっても、秘密にしておきたい、あるいは、秘密にしなければいけないことは、いくつか散見されて当然ではないだろうか?
それを考えた時、
「やっぱり他人ということなんだ」
と思い知らされるに違いない。
そんな時、彼女がまるで意を決したかのように、なぜ、もう一人の自分の存在に気づいたのかを話してくれると言い出した。
「これは私が気づいてちょうど一か月経ってからのことなんだけど」
というではないか。
「私は、というか、私の方が俄かに信じられないことだったので、1カ月考えてしまったというべきなのか。それは、あなたにももう一人の自分が存在しているということなのよ」
という。
「ん? どういうこと?」
と、ビックリして聞くと、
「私は、それをあなたの二重人格のもう一つの性格なんじゃないかと思ったの。それは、今目の前にいるあなたとは、まったくの別人に見えたからなの。だけど、1カ月が経って、想像してみると、どの方向から考えても、やはりあなたには、もう一人の自分が存在しているとしか思えないのね。そのことを、口で説明するのは、とても難しいことで、俄かには信じてもらえないことなんでしょうね。でも、今のあなたは、私が言っている、10分前の女という話を信じてくれている。だから、あなた自分のことも知っておかなければいけないことなんだって、思ったのよ」
というのだ。
確かに、言われる通りなのだろうが、何を知っておく必要があるというのだろうか?
そんな時、彼女がおもむろに口を開いたのだ。
「あなたには、冷静沈着な、もう一人のあなたがいるのよ」
ということであった。
「冷静新着? 自分には一番程遠い性格に見えるんだけど」
というと、
「そうなのよ。だから、もう一人のあなたがいるのよ。二重人格のもう一つなのか、今のあなたでは信じられないような、冷静なんだけど、明らかに邪悪な星の元に生まれたと言ってもいいようなあなたが、存在しているの」
というではないか。
彼女は続ける。
「私があなたに必死になって、10分前の自分のことを話していたのかというと、話していないと気持ち悪い自分がいるからだと思っていただけではなく、あなたにも同じようなもう一人の自分がいることを知ってほしかったのかも知れないわ」
という。
「じゃあ、その心は君が、僕にもう一人の自分の存在を知らしめようとしたということなんだろうか? それで君に何もメリットがあるというんだ?」
というと、
「そう、そういうところなのよ。あなたの悪いところは」
「どういうこと?」
「あなたは、損得勘定では動いていないつもりなんでしょうが、絶えず気にしている。今も無意識のうちに、メリットなんて言葉が出てきたわけでしょう? でも、もう一人のあなたは、決して損得を表に出すことをしない。表に出さなくても大丈夫だという自信があるみたいなの。だから、冷静沈着でいられるんでしょうね」
というではないか。
お互いに、
「もう一人の自分」
という存在を知ることで、お互いの地位関係には、矛盾は生じない。
そういう意味で、彼女は、黙っておくことができなくなったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます