第5話

本来テラは「轟」家の所有物。

だから居場所を特定できるのは「轟」家の魔女だけ。

でも先、マミさんが飛ばした下着を追いかけた轟はいつも一人で行動していて、外から邪魔されることを防ぐため常に自分の作業場には結界を張っているらしい。

ましてはマミさんまでいるから、絶対邪魔されたくなかったんだろう。


でもその結界がなくなった今、夜道の私達の位置を捕捉することくらい魔女たちには容易いこと。

魔力を追う必要もない。魔女は単純に夜目が利くから私達なんてすぐ見つけられる。

だからなんとかするべきだった。


もうすぐあの轟が戻ってしまう。

マミさん一人では轟一人だけでも手強いと、私はなんとなく分かっている。

もし今、あの魔女の大群に現役の「オーバークラス」である轟まで加わったら絶対勝てない。

先の様子から見ると轟にはマミさんに危害を加えようとする意思はなさそうだが、それはあくまで轟個人の意思で「ウィッチクラフト」の魔女になったら話は別。

殺すまではしなくても、少なくとも再起不能にはするだろう。


最悪は私は殺され、「悲哀の書」はもちろん、マミさんまで「ウィッチクラフト」に確保されること。

そうなったら何をされるのかは誰にも分からない。

たとえ轟がマミさんのことを「ウィッチクラフト」から守ろうとしてもままならないだろう。


だからここは自分がなんとかするしかない。

自分であの魔女の大群をなんとかしてマミさんに「悲哀の書」を渡してここから逃げさせる。

それさえ全うすることができたら私の勝ち。

ちっぽけな半人前のホムンクルスの私が魔女から取る初めての勝利というわけだ。


マミさんがこんな目に遭ったのは全部自分のせい。

ならせめて今の自分にできる精一杯のことをするだけ。

それがたとえ命取りになっても私はそれで満足する。


そう覚悟を決めた私は、


「今日は本当にありがとうございました。

私、あんなに楽しく話したのはマミさんが初めてです。」


最後に初めて感じたマミさんからの温かい気持ちへの感謝の言葉を伝えることにした。


心の内側からぐっと湧き上がる勇気。

そしてその原動力となったのはマミさんからもらった優しさ。

マミさんが私のことを見てくれて私は初めて自分が生きている人間だと感じられた。

それがなかったら私は一生人との信頼と温かさから背いて寂しさの中で生涯を送ったのだろう。

だから最後に触れた人の温かさ、それを教えてくれたのがマミさんだったということに心から感謝している。


だからもしよかったら覚えて欲しい。

あなたの人生の中に私という運命の一段落があったと、長い人生の中で出会った運命の欠片になったちっぽけな女の子がいたと。


「またお会いできたらいいですね。本当に楽しかったです。」


っとやっと覚悟を決めた私が振り向いたそこには、


「さよなら。」


また大切なものを失ってしまうという絶望の表情で私に駆けつけてくるマミさんがいた。


やがてテラと交わした契約の条件で一度だけ、体の主導権を掌握できるという権利を使った時、


「「食ー月食」。」


一瞬で開いた一万の深淵の目が夜空を飲み込んで私達がいる地上を見下ろした。


「ヤヤちゃん…!」


マミさんが止める暇も与えず発動された術式。

私は生涯一度の魔神の力を彼女のことを守るために、自分の命をその場で使い尽くしてしまった。


夜空に咲いた血塗れの満開の桜。

深淵から飛び出た無数の武具が夜で生きる少女達の体を引き裂き、食い破り、串刺しにしていく。

山奥に響き渡る裂帛の悲鳴。

そして泣いているマミさんの声が聞こえる。

私が覚えているのはそれが最後であった。


***


「ヤヤちゃん、私は怒っています。」

「はい…?」


っと突然ほっぺを膨らませて顔を近づけるマミさん。


「あんなふうに勝手にお別れしちゃおうとするなんて。あんまりじゃありませんか。」

「あー…」


最後まで自分を信じてくれなかったこととあんな形で一人で勝手に別れの時を決めつけた私への寂しさを露骨に表してくるマミさん。

それはちゃんと私のことを案ずる気持ちによるものであることを私はよくわかっていたが、それでもあの時はそうすることしかなかった。


噂の以上に強力だった轟。

そして新手の魔女達。

半人前のホムンクルスの自分は単なる足手まとい。

その状況で自分が取れる選択肢はそんなに多くはなかった。


結局選んだのは自分が持っているすべてを失うことになる切り札。

それでも私はマミさんを守りたいと、守ってみせると自分の心を決め、迷いなくそれを取った。


テラの至宝「悲哀の書」をマミさんに託して3年間蓄えた竜脈の全魔力を使い果たし、術式を発動。

私という依代から離れたらテラは直に本に戻って、眠りにつく。

もしマミさんがテラと契約したり、もしくは新たな契約者を連れてきたり、封印されたあの大穴に戻らない限り、テラはずっと本の中でしか生きることができない。

テラには悪いけど、そこまでしても私はマミさんを助けてあげたかった。


初めて自分の話に耳を澄ましてくれた人。

母にも与えられたことがない人としての愛情を、温もりを分けて、教えてくれた人。

私はそんなマミさんを目の前で失われたくなかった。


でもそう思ったのは私だけではない。

失われたくないと思っていたはマミさんも同じであることを私は今の彼女との会話でやっと知ることができた。


「ああいうやり方、すごくよくないと思います。

何もかも全部一人で背負い込んで先走ってしまうなんて。

周りにどれだけ迷惑だと思いますか。」

「…まったくだ…」


思ったより厳しく私のことを叱るマミさんに同意見の意思を示す居候している目玉の魔神。

テラはまだ復活の基盤も整えてない状態で私という依代を失われるのは非常にまずいと、二度とそのようなことはないようにと注意した。


「…今の私がお前という依代を失われたら、どれほど困るのか少しでも考えてみろ…

…いきなり契約を放り出して、しかもあんな大技を勝手に使いやがって…」

「そうですよ、ヤヤちゃん。危うく魔力崩壊で体が消えるところでしたから。」


いつの間にか意気投合して話もせずにあんな大技を出してしまった軽率だった私のことをひどく叱ってくる二人。

ちょっと前まではあんなに嫌がっていたマミさんの意見に同意しているテラを見て、見ないうちにマミさんとすっかり仲良しになった気がして正直に私はちょっとほっとしたが、


「…冗談は止せ…この女のせいで私は体を失いかけた…

命拾いして良かったものの、もし一歩間違えたら明日から私は宿無しのしがない魔神に成り下がっちまう…

そう思うとやはりこの女との接続は最初から排除するべきだった…」


っとそこんとこははっきりと一線を引くテラ。

でもその後のマミさんの反応を見て、


「え…!?でもテラさん、私の料理美味しいって言ってくれたのに…!」

「…料理ならこっちの眼鏡だってできる…味はいまいちだが…」


うん。もうすっかり仲良しなんだっと心からそう思う…

って今、私のこと、軽くディスったんじゃない?


でも確かに今回は私の独りよがりの度が過ぎたかも知れない。

結果的に命拾いできてよかったものの、テラの言った通り危険だったのは確かな事実。

私の勝手な行動で私だけではなくテラにも、マミさんにも迷惑を掛けてしまった。

私はこのことをちゃんと反省して、二人に謝らなければならない。


「ごめんなさい…二人共…」


そう思った私は思わず二人に迷惑を掛けてしまった自分の軽率さを悔やみ、二人への謝罪の気持ちを届けるようにした。


「…二度とするんじゃねぇ…あんな大バカな行動…」

「は…反省したらいいんです…!もうあんな危ない行動は控えてください…!」


これからもうちょっと怒られるのかなと思っていた私に、二人はそう言いながら、これ以上、この話題について話さないことにした。

そしてマミさんは私のことをギュッと抱きしめて、


「でもヤヤちゃんが私のことを大切に思ってくれたことだけはちゃんと伝わりましたから。

私のために頑張ってくれて本当にありがとうございます。

私、こうやってヤヤちゃんとまた顔を合わせることができて本当に嬉しいです。」


っと囁いてくれて、


「…よく頑張ったな…ヤヤ…」


体内に潜り込んだテラもまたそう言いながら私のことをねぎらってくれた。


「でもその子のおかげであんたが助かったのは確かな事実だから。」


その時、病室に入ってきた白衣の女性がいて、


「そこはちゃんと感謝しなさいよ。」


彼女は私のことを抱きかかえているマミさんに私へのお礼を忘れるなってマミさんにそう言った。


凛とした目鼻立ちの美女のお医者さん。

きれいな金髪の中から鋭く光っている真っ青な目は羽織っている白衣にはあまり似合わない殺気を帯びていて、鼻筋の上を思いっきり横切った大きな切り口は彼女の猛々しい性格を物語ってように見える。

でも「聖王庁」のシスターの中でも最も徳の高い者だけが身に持つことを許されるの勲章を誇らしく胸につけている彼女を見て、私はその高貴たる精神だけはこの短い出会いの中でもちゃんと分かることができた。


「体の具合はどうかしら。お嬢さん。」


胸のポケットからタバコを出して口に咥えながら私に体の調子を聞くその長身の女性は、


「大変だったわね。そっちのバカに絡まれて。」

「ええ…!?」


手始めに娘と同い年の女の子をこんな危ない目に遭わせてしやがってとマミさんのフニャッとしたほっぺを思いっきりつねってきた。


「痛い…!痛いですよ…!「真理愛マリア」ちゃん…!」


ほっぺをひねられて、バタバタするマミさんのことを私はほんの一瞬だけ可愛いって思ってしまったが、ここはやはりちゃんと説明して止めてもらわければならない。

そう思ってその怖そうなお医者さんにもうマミさんのことを解放してあげてくださいって、私は彼女にそうお願いしたが、


「お嬢さん、優しいのね。別に庇わなくてもいいのよ。こんなアホ。」


それは逆に彼女の指の力を強めるという悲しい結果になるだけであった。


「ふえぇ…もうこんなにひらひらになっちゃって…」

「自業自得でしょ?あんたがちゃんとしないからよ。」


赤くなったほっぺをスリスリ擦りながら、痛みに子供みたいな鳴き声を出すマミさん。

私のせいでマミさんが却って怒られた気がして、すごく落ち着かないが、


「大丈夫ですよ、ヤヤちゃんーこう見えても根はとても優しい子ですからー」


マミさんはこういうの、もう慣れっこですと、さほど気にしてない様子だった。


「聖王庁」神聖部隊の一つである「クライシスター」の「異端審問所」の「大審問官」、「阿部あべ真理愛マリア」。

実戦部隊で長い間、活躍してきた本物の中の本物。

そして、


「あ、言い忘れたわ。私、こいつと同じ「オーバークラス」なのよ。」


マミさんと一緒に「オーバークラス」の一人、「オーバードーズ」と呼ばれる正真正銘の怪物であった。


マミさんが結婚する前に仲間たちと一緒に世界を飛び回ったという世界救世プロジェクト「バージンロード」。

そのパーティの一員だというマリアさん。

大学で医学を専攻した秀才であり、「バージンロード」のヒーラーの役を務めていたのがこのマリアさんだったわけだが、


「ヒーラーと言ってもマリアちゃんの主な仕事は基本的に物理攻撃だったんですから。」


現役時代、彼女は「バーサーカー」と呼ばれるほど凄まじい戦いぶりをお見せしたらしい。

「アンダーテイカー」と呼ばれる大きなメリケンサックで敵を粉砕するその激流のような雄雄しい姿はまさに「バーサーカー」と呼ぶにふさわしいと、マミさんはそう評価した。


「やっちゃんを除けば真正面から渡り合える相手はめったに見つかりませんでしたね。

ドラゴンも、大きなゴーレムも一発でドカンでしたー」

「…人のことを化け物扱いしやがって。」

「ひぃぃ…ごめんなちゃい…」


っと余計な一言でもう一度ほっぺをつねられてしまうマミさん。

それでも全盛期の彼女がどれほどすごかったのか、それだけは十分分かるほど「オーバーマインド」のマミさんはマリアさんのことを心から信頼していた。


ヒーラーとアタッカーの二足のわらじ。

確かに、このワイルドな雰囲気を見たら、それもあながちありえない話ではないかも知れないと、私はついそう思ってしまった。

でも肉弾戦で戦うヒーラーなんてさすがにちょっと想像できないかも。

ちなみに彼女はマミさんと共に「バージンロード」の最年長者であることもあって、見た目と違って面倒見が良いらしい。

実際、


「マリアちゃん、ヤヤちゃんの治療のことも快く引き受けてくれたんですよー本当にいい子なんでしょう?」


マリアさんは身元もはっきりしてない私の治療を何も聞かずに引き受けてくれたそうだ。

それには私なりにちゃんとお礼を言ったが、


「大丈夫よ。後でちゃんとこのバカに請求するから。」

「ひぃぃ…」


どうやらただではないみたい。

でも助けてくださってありがとうございます。


十数年前、世界を救うために結成された「バージンロード」。

マミさんとマリアさん、そしてあの「帝国」第一の剣士と呼ばれる「姫騎士」、「オーバーロード」「たまき八千代やちよ」さんまで全員がその「バージンロード」のメンバーだったそうだ。

今は大分時間が過ぎて結構忘れているらしいが、どうやらマミさんは私が思ってたよりずっと大物の人だったかも知れない。


「ど…どうしましょう…母乳、全然止まんないですけど…」

「あんたって…」


全然そうは見えないけど。


「でもそんなお嬢さんの方こそ私達からすごいから。」


ようやくマミさんを解放したマリアさんからの一言。

彼女は半分はホムンクルスの体をしている私が魔神の依代というとてつもない役を務めることに大きな興味を持っているように見えた。


「魔神を防ぐための「オーバークラス」だけど、実際魔神と遭遇した人はいないから。私すら会ったことがなくて、今回が初めてだわ。

何千年の間、たったの4回しか現れたこともなくて、最後に魔神が現れたのももう五百年は過ぎたから。

正直こんなところで魔神に会えるとは思わなかったわ。」

「そう…なんでしょうか…」


自分のことを特に変哲もない普通な子だと思っていたが、やはり自分の存在はこの世界において決して普通ではない。

テラと契約を交わした時点で私は普通というものからこんなに遠ざかるようになって、こうやって不思議な存在に思われている。

それには偶に涙が出てしまうほどの凄まじい寂しさを感じてしまうが、私は決して自分の選択を後悔して、自分が置かれているこの状況を悲観するつもりはない。

私はテラのことが好きで、あの山奥での引きこもり生活も自分なりに楽しんできたつもり。

それにもしテラと契約しなかったらー…


「どうしたんですか?ヤヤちゃん。」


私はやっぱりマミさんに会えなかったと思う。


「でもそっちの魔神がただの依代と呼ぶ割に、結構大事にしているみたいだし、なんとかやっているみたいだから一先ず安心と言ったところかしら。

それなりに相性も良さそうだし。」

「大事に…」


っと私の診察のために私のベッドに近寄ってきたマリアさんは、私とテラの相性はそんなに悪くないと今のところ、特に危険はないと、マミさんと同じく「オーバークラス」として関わるのはこの辺でしておくことにした。

その気遣いすらさすがマミさんのお仲間って感じがして、私はマミさんの時と同じく、マリアさんに結構心を許してしまった。


「体の修復も、魔力の回復も良好。さすが魔神の器だわ。」

「えっへん!他でもないこの「オーバーマインド」から直々注入した魔力ですから!」

「あー…授乳の…」


っとドヤっているマミさん。

でも先の授乳のことをすぐ思い出した私はさすがに感謝はしても、素直に喜べなかった。


マリアさんは今は聖王庁所属ではなく、あくまで個人として人々を救っているらしい。

マミさんと同じく世界中を飛び回って助けが必要な人がいれば、必ず救いの手を差し伸べてやる。

見た目は少し怖そうでも、彼女はこの世界をより良い世界にするために一生懸命頑張っている立派な聖職者であった。


「近くにマリアちゃんがいてくれて本当に助かりました。

あのままだときっと大変なことになってましたから。」

「まあ、私だって曲がりなりにも聖職者なのよ。

見殺しなんて絶対罰が当たるわ。」


今の聖王庁は「帝国」の権力を笠に着て横暴を振る舞っている。

神の名を騙って、より多くの信者と金を集めるために血眼になっている彼らのことを、私はあまり好ましく思わない。

それでもマリアさんの神への信仰はとても尊くて敬虔なもので、彼女は自分に与えられた役目に一点の疑いも抱えず、聖職者の役目を黙々と遂行していた。

自分の使命を全うすることでより多くの人々が救われると彼女は強く信じていて、私はそんな彼女の強い意志こそこの世界をより良くするための鍵だと思うようになった。


「しかしまさかあのウララまで出てしまうとはね。」


その時、マミさんから轟の話を聞いて少し考え込むようになったマリアさん。

彼女はとうとう現れるようになった轟とその出演に絡んだ状況を深刻に受け入れているように見えた。


私には知らない轟のこと。そして轟の出演に絡んだ世界の深部。


「「ウィッチクラフト」もそろそろ本気みたいわね。」


その時、マリアさんの目にはその先で待ち構えている災害のことまで映っていたかも知れない。

私は彼女の不穏な予感に満ちた青い目を見てそう感じてしまった。

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