第4話

実に久しぶりに起きたような感覚。


「ん…」


体中がぎくぎくして自分の体ではないような気分。

内容もない、ただただ暗闇の中を泳いでいた…なんだかそんな気分がするすごく長い夢。

もうすぐ夢の果にたどり着くと思ったその時、舌の先から感じたのは


「甘い…」


生暖くてほんのり甘みのある一滴の生命力。

そのたった一滴で体の底から力が漲ってくるようが気がした私は、


「起きた…」


ガチガチになった体をようやく叩き起こすことができた。


「あら?目覚めましたか?おはよう、ヤヤちゃん。」

「…マミさん?」


そして目を覚ました時、起きたばかりの私のことを真っ先に迎えてくれたのは、


「やはり効果があったようですね。マミーの♥」


何故か私に自分のでっかい乳房、正確にはそのでっかい胸のぷっくりとした乳首を咥えさせるマミさんであった。


「え…嘘でしょ…」


気のせいじゃなければあれはどこから見てもー…


「授乳…!」


紛れもなく赤ん坊に乳を飲ませる行為。

私はもはや記憶にも残ってない赤ん坊だけしか味わえないそのミルクの味をこの年になって改めて生々しく味わうことになってしまった。

しかも自分と全く血縁のない数日前に出会ったばかりの他人から…!


「…ヤヤ…」

「テラ?」


その時、現状に全くついていけない私の名前を静かに呼んでくるテラの声。

どうやらテラは私の体を守ってくれるという約束をきちんと守ってくれたようで、そのことに私はこっそりとほっとしてしまった。


「あんた…私のこと、見捨てなかったのね…」

「…バカか…」


お前みたいな欲もなくて穏便な依代はそう簡単に見つけられるものではないと割りと真正面から剣突を食わせてくるテラ。

きちんと実利を優先しているところが実にテラらしいが、


「ありがとう。」


それでも私はそれだけはちゃんと伝えておくべきだと思った。


「…二度とやるな…あんな無茶なこと…」

「…ごめん。」


っと私に金輪際、あのような無茶は容赦しないと言いつけるテラの言葉に私は自分の軽率な行動を改めて反省しなければならなかった。


「ヤヤちゃん。体の方はどうですか?どこか痛いところかありませんか?」

「あ…はい…なんとか…」


心配そうな顔で私の今の体調について聞いてくるマミさん。

さり気なく胸をブラの中に収めているところが随分気になるが、まあ、今はもういい…


「ヤヤちゃん、3日間寝たきりで一度も起きてくれませんでしたからマミーはすごく心配でした。

テラさんは魔力供給さえちゃんとできれば問題ないと言いましたが、ヤヤちゃんがなかなか目を覚ましてくれなくて…」

「魔力供給…」


ただ肉体が崩れず、生きている生命体として存在するためにどうしても魔力を補う必要がある使い魔「ホムンクルス」。

本来錬金術師が作った小さな生命体のことを示す言葉だが、なぜか魔女たちは自分たちの魔力を練り込んだ使い魔のことを「ホムンクルス」と呼んでいる。

魔力を必要としない人間や自ら魔力の自己生産が可能な魔女に比べてかなり不利な条件を課せられた私のような「ホムンクルス」は持っている魔力が尽きる前に何としても外部から魔力を賄わなければならない不安定な存在である。

その補給役をマミさんが代わりに担ってくれたらしいが…


「でもなんで授乳なんか…」

「だってマミーのミルクは栄養たっぷりですもの♥」

「嘘でしょ。」


正直に言って別にあんな形でやる必要はないと思う。

おかげさまで命拾いできたが、


「顔…合わせづらい…」


これからどんな顔でマミさんに接していればいいのか、正直にちょっと困っているところ…

本人は全く気にしてない、むしろちょっと喜んでいるみたいだけど私はなんか変なプレイでもした気がしてあまり落ち着かない…


でもやり方はどうであれマミさんのおかげで命拾いしたのは確かな事実。

私はここはまず心を込めてお礼を言うべきだと思った。


「ありがとうございます、マミさん。マミさんのおかげで助かりました。」

「いえいえ。どういたしまして。」


っとマミさんは礼には及びませんって言ってくれたが、


「でも本当にすみませんでした。

私のせいでマミさんまであんな危険に巻き込まれて…」


本当はマミさんをあんなことに巻き込んでしまったことをずっと気に掛けていた。


思ったより轟の強さは圧倒的であった。

底しれない魔力、何よりマミさんと同じく現役の「オーバークラス」の一人、

「オーバーソウル」としての才能とその地獄の業火のようなマミさんへの執着心。

多分生まれ持った才能もあるが、その強い思いからその凄まじい魔力が生み出されるとテラはそう考えていた。


「ウィッチクラフト」の中でも異端児として遠ざけている規格外の魔女。

その強さはかつて全盛期の「ウィッチクラフト」を率いた伝説の「ブラックサバス魔女長」、「レゾンデートル存在理由」に匹敵して史上最強の魔女、「轟」家の大英雄「轟ララ」の再臨と称賛されるほどものであった。

ただ体内に魔力を流していただけだったのにそこから吹き上がってくる凄まじい魔力の威圧感に私は全身が潰れそうな気がした。


全身の毛が逆立って背骨が一瞬で凍てつくような禍々しい殺気。

そして轟が「時空」の概念を捻り、曲げて自由自在に操作できる七色の必殺の魔法、「L'Arc」の「紫」の使い手であることに気がついた時、


「マミさん、話があります。」


そして私はその短い時間を利用してマミさんに自分の言いたかったことを全部伝えようとした。


あの時、マミさんに伝えようとしたのはテラの宝具、「悲哀の書」のこと。

それはテラにとっても、そしてこの世界にとっても大きな賭けだったが、


「マミさんなら信じて預けられる。」


私はなぜか強くそう信じていた。


魔神のすべてが綴られている四冊の「魔書」。

魔神の誕生とその知識がすべて詰め込まれている魔神にとって命以上の至宝。

使いようによって多くの人々の命を救うことも、とてつもない災難になって世界を滅ぼすこともできる、まさに諸刃の剣と呼ぶにふさわしい人知を遥かに超えた書物。

魔神の復活にも関係があるというそんな物騒極まりない品を私は自分勝手にマミさんに押し付けようとしていた。


でもマミさんならきっと正しい使い道を知っているはず。

マミさんのような「オーバークラス」は万が一魔神が現れることに備えておけばならない。

長い歴史の中、たったの4回でこの星は魔神によって土地の半分以上を失い、バラバラになった。

それを防ぐためでもマミさんはこれから死ぬ私からテラの魔書、「悲哀の書」を受け取って預かる義務がある。

もしかするとマミさんの最初の目的はこっちだったかも知れないとふと自分はそう思ってしまったが、


「まあ、今になってはどうでも良いけど。」


それでも私はそれがきっかけになってマミさんに会えたのらむしろ本望だと、その出会いに心から感謝した。


テラには悪いけど私達の縁はここまで。

テラは必ず反対してくるだろうが、私は決してテラに有無を言わせず、自分は強行する。

怖い。でもマミさんのことを危険に晒されるのがもっと怖い。


「でもここでマミさんを死なせるわけにはいかない。」


そう思ったら急に闘志が湧いてきて、私はようやく私達の方へ向かってくる魔女の大群を迎え撃つ覚悟を決めた。


「テラ、私達、もうここまでみたいね。今までありがとう。」

「…お前、まさか…」


っとテラに一方的な別れの挨拶をした私は、


「今からこの体は私だけのもの。あんたに拒否権はないから。」


ただ一つ、マミさんとテラをここから逃げさせるため、自分の命を燃やそうとした。


初めての魔女との対面。

相手は最強の魔女、「レゾンデートル」と「轟ララ」にも匹敵する現役の「オーバークラス」。

私なんかの半人前のホムンクルスには到底敵わない強敵。

それでも私は覚悟の上の闘志しか感じられなかった。

ただマミさんをここから逃げさせて、無事にテラの「悲哀の書」を引き渡す。

その一心で私の心は勇気と闘志に満ちていた。


その時だった。


「ウララちゃん!これ、あげますから!」


っとそろそろ本格的に私とテラを無力化させるために詠唱していた轟になにかを取り上げてみせるマミさん。

そしてそれを思いっきり山奥に魔法で打ち上げたマミさんは、


「走ります!ヤヤちゃん!」


私の手を取って暗闇の山道を走り出した。


その時、私は見てしまった。

マミさんの魔法で遠く飛んで行く派手やかな赤い布。

そしてそれを私達のことも忘れて本気で取りに行く轟。


「先生のパンツ…!」


彼女は確かに私とテラのことより真剣な、いや、狂った目で山奥に飛び上がっていくその赤い布を追いかけて凄まじいスピードで遠くへ行って、


「じゃあ、マミさんって今、ノーパン…」

「…深く考えるな、ヤヤ…」


私はテラの忠告を受け入れてそのことについてあまり深く考えないようにした。


「その杖…」


その時、マミさんが持っていた物。

それがマミさんの長い旅の間、マミさんのことを守って相棒になってくれた彼女の魔法の杖であることを私はとっさに気づくことができた。


その杖の初めての印象。

私はそれを、


「お星様…」


生まれて初めて見た本物の「お星様」と感じてしまった。


大きな水晶を抱きかかえている黄金の杖。

水晶の中には深淵に鏤められたたくさんのお星様が眩耀に輝いていて、まるで初めてここに来た時、見上げた夜空のように私の心を照らしてくれた。

暗闇の不安の中でもはっきりと見える希望の光。

その杖はこの歪んだ世界で最も輝かしくて、美しい天の川となって私達をきらめきで包み込んでくれた。


「…「ミルキーウェイ」…」


そしてどういうわけか、マミさんからまだ何も言ってないのにすでにその杖の名前を知っていたテラ。

その時、私はここで私達がマミさんと出会ったのは多分単なる偶然ではなく、運命の一段落かも知れない。

私は自分に起きた今日のことをいつの間にかそう受け取ってしまった。


だからあの時、あそこで自分だけ足を止めてしまったことも運命の一段落、大きな運命の中で通り過ぎるだけの途中に過ぎないと思う。


「ヤヤ…ちゃん?」


険しい山道を走り続ける間、一度も私の手を放さなかったマミさん。

ただテラの「悲哀の書」が欲しいだけか、それとも単純なお人好しのアホなのか。

その真意は分からなかったが、それでも私は私のことを諦めてくれない彼女のことに大きな感謝を感じるようになった。


私のことを母が奴隷商に売り飛ばしたその日、


「お母さん…私、本当に行かなきゃダメ…?」


不安な気持ちでそう聞く私に母は何も言ってくれなかった。

私のことをずっと生涯のお荷物と思っていたお母さんはただ知らない男から渡す金を受け取って笑っていただけで、私の方には目もくれなかった。


その日、私は誰も信じられなくなった。

親に捨てられ、「ウィッチクラフト」の実験体として売られた私は人を信じることを諦めて、ただ目の前の現実を運命の一段落として断念して、受け取る練習をした。

どんなに苦しくても、悲しくても元々から私の人生と運命はこんな風に苦しまれるために設計されていたと思ったら気持ちだけは楽になったから。


「ヤヤちゃん…には生きて欲しい…」


でもあの地獄のような実験場で、自分と同じ立場だった子たちからそう言われた時、私は初めて生きようとした。

実験の失敗で死んでいく子たちを最後まで世話するのが主な仕事だった私は、皆が最後まで手に入れられなかった明日を全部自分が背負って生きるためにあがき、もがいた。

そしてあの大穴でテラに会って今まで生きて来られた。


大人は全員嫌い。

いつも嘘ばかりで私たちを騙す。

自分たちの利益のためであれば人を傷つけることも厭わない残酷で自分勝手な生き物。

私に優しく接してくれる大人は誰一人もいなくて、いつも傷つけて私から大切なものを奪おうとする人しかいなかったから大人は全部嫌い。

そして自分も大きくなったらあんな大人になってしまうのだろうと、無意識にそう思ってしまう自分のことが何よりも嫌だった。


そんな私に初めて優しく接して、私の目を見つめてちゃんとした人格として認めてくれたマミさん。

そんなマミさんのことがもうどうすることもできないほど好きになった私は、


「はい、マミさん。これ、受け取ってください。」


自ら自分の体から一冊の本を取り出してマミさんに渡した。


「…ヤヤ…!何を…!」


私の突然の行動に戸惑いを隠しきれなかったテラは、


「…その本は渡すな…!それがいないとお前は…!」


当然怒り切って私に本を元に返せっと命令したが


「ごめん。でももういいから。」


私は最後までマミさんから一度渡したその本を返してもらわなかった。


「ヤヤちゃん…!?こ…これはどういう…!」


当然戸惑ったのはテラだけではない。

私が渡したその本の価値を誰よりも知っていたマミさんは、今の私の行動にどういう意味があるのか、その答えを求めてきたが、残念ながら私にはもう説明する暇がなかった。


「マミさんならこれがどういうものなのかよく理解しているはずです。

元々これが本命だったかも知れませんが、そんなこともういいですから。」


一目で分かるほど古臭くてぼろぼろな古書。

でもその本こそ自分とテラを繋ぐたった一つの精神のリンクであって、テラという魔神の全てが綴られている至高の「魔書」であることをそれを渡した私も、渡されたマミさんもよく知っていた。


「すみませんでした。私のせいでこんな危険な目に遭わせてしまって。」

「ダ…ダメです…!納得できません…!」


そしてやっと私の意図が分かりかけてきたマミさんは、断じてその本だけは受け取りませんと頑な拒否の意思を示したが、


「もう別れの時間です。」


私は私達に残されたこの短い時間をより有効に、大事にするために、無理矢理に彼女の懐に本を押し込めてしまった。


「マミさんだけならここから無事に逃げられるはずです。

でも私はただテラに守られるだけの半人前の出来損ないです。

私は足手まといにしかなりません。」


どこへ逃げろうとも「ウィッチクラフト」必ず追ってくる。

結局私は一生を追われることになって、この運命からは逃れられない。

何より、


「あそこだ!」

「ぶっ殺す!」


今、ここでマミさんを死なせたりしたら、生きていても人としてちゃんと生きられるような気がする。

私はそれが何よりも嫌だった。


先までは轟の結界によって私達のことを見つけられなかった他の魔女たち。

夜空を埋め尽くすほどの大人数で襲ってきた「ウィッチクラフト」がテラと私のことにどれだけ本気なのか、よく理解できる。


まるで夜空が溶けて落ちるように私達の方へ向かってくる魔女の大群。

魔神狩りと呼ばれるこの作戦のために投入された魔女だけのことはあって全員が凄まじい魔力と豊富な戦闘経験を持っていることが分かる。

でも今の私にとって彼女たちがどんな存在であるのかはあまり重要ではない。


「まあ、全員ここで死ぬんだけど。」


なぜならその魔女たちと私は今日、ここで全員死ぬのだから。

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