第2話
寝不足の渡邊は、大きな欠伸をして、いつもの通勤電車の車両のいつもの位置に立っていた。
昨日は、高田についての情報が多すぎて眠れなかった。
――なぜ、こんなに気になるのか。
ゲイという噂。
電車の中にいた男。
車で迎えに来ていた男。
笑上戸。
昨日高田が居た位置には、今日は居ない。
ホッとしたような、寂しいようなそんな気持ちになった時に、後ろから声をかけられた。
高田だった。
おはようと軽く小声で言うと、背中を向けて携帯電話をいじっている。
満員電車の中、背中同士が少し触れる。
なんだかいい匂いまでしてきた。
落ち着かない。
――俺、どうしたんだ。動悸がする。
ちらりと顔だけを後ろに向け、高田の様子を伺う。
耳にイヤホンを着けて、携帯電話の画面をみているようだった。
恰好の良い顔というのは、どの角度からもイケメンなのだな。と思いながら、しばらく見惚れていると、高田も顔だけ後ろに向けた。
「……っ」
一瞬、目が合ったのを避けるように、咄嗟に前を向く。
さっきよりも激しく心臓が跳ねる。落ち着こうと目を閉じると、駅に到着してしまった。
先に改札を出た高田は、渡邊が追い付くのを待っているように、少し遅く歩いている。
それに気付いて、速足で追いついた。
「今日は、コンビニで買い物しないんですか?」
「また敬語」そう言って笑う。
そして、少し間をおいて小さな声が聞こえた。
「今日は……例の飯、連れて行ってくれるんだろ」
恥ずかしそうに眼を伏せながら言う高田の顔に色気がにじんでいて、思わず喉が鳴った。
「あ、じゃ、じゃあ、連絡……連絡先教えて」
慌てて、携帯電話を取り出そうとうすると、それを制するように、高田自身の携帯電話を見せた。
「会社の携帯。とりあえず、それに電話してよ。メールでもいいし」
「あ……」
その手があった。
会社から支給されている電話は、ほぼ全社員持っていて、社内でも内線として使っている。
そんなことを気付きもしないで、がっついている自分が恥ずかしくなった。
会社に着き、一階にあるカフェへ寄る高田と分かれた。
営業部に入り、交わされる挨拶を適当に流し、自席でパソコンを立ち上げ、今日のスケジュールを確認する。
午前中に、客先訪問があるだけで、今日の午後は大丈夫そうだ。
店の予約。いや、まず今日大丈夫だと高田に連絡しないと。
携帯電話を取りだしたその時、課長から呼ばれた。
「渡邊、立入、今日急遽、飲み会入ったから。参加してもらいたいんだが」
男性下着の売れ行きが好評ということで、営業部とデザイン部の部長らが勝手に慰労会というものを決めてしまったらしい。
急に決まったのには、新商品開発の責任者である取締役が、今日しか都合がつかないということだからだ。
会社から出るお金で、飲めるのだから、ここは仕方がない。と部長たちは言う。
しかし、若い人にしてみたらそんなことは関係ないと参加しないので、中堅どころの渡邊と立入に声がかかる。
渡邊に関しては担当者なので、有無を言わさずというところもあるが。
営業部では、よくあることだが、今回デザイン部と合同というのは、初めてだった。
改めて携帯電話を取り出して、高田に連絡する。
『お、飲み会だろ。まいっちゃうよな急に』
「参加……する?」
『するよ。俺が作ったパンツだからな』
「そっか。良かった。俺も行くよ」
電話を切った後、予定が会社の飲み会になったとはいえ、一緒にいられることに心が躍った。
◇ ◇ ◇
指定された居酒屋に着いた渡邊と立入は、既に席に着いていたデザイン部の面々に声をかけられ、そのグループに座ることとなった。
高田の姿が見えない。
「あの……高田さんは?」
隣の女性に聞く。
「さっき、電話しに行くって外に出て行かれました」
――良かった。来てた。
にやにやしている渡邊の顔を見て、立入が少し引き気味に言う。
「どうした? デザイン部の華やかな女子がいるから浮かれてるのか?」
確かに華やかだ。営業は男が多いから、余計に女性が多い部署は眩しく感じる。
でも、昔ほど浮足たつ自分ではなくなっていた。
高田が、新入社員の可愛らしい女性がを連れて戻ってきた。新入社員の子は、ぴたりと高田に寄り添っている。
「鮎川さん……やっぱり、抜かりないわね」
渡邊の隣にいた女性が、ぽつりとつぶやき、それを聞いた真向いの女性が、頷いていた。
「なに? なに? どういうこと」
楽しそうに割って入った立入の質問に真向いの女性が、鮎川麻衣を顎でしゃくり答えた。
「今年入った彼女、鮎川麻衣さんね……高田さんのこと狙っているっぽいの」
なるほど。とこれまた楽しそうに話しを促す立入は、さすが上手だ。
「高田さんも、皆に優しいからね」
ふうっと女性陣からため息がこぼれる。
すかさず、女性陣の飲み物や食べ物に気遣いながら、「付き合っている人いないのかな」と、さりげない質問をぶつけるところが立入らしい。
女性陣だけでなく、デザイン部の男性も、高田のプライベートは知らないようだった。
そんなやりとりは耳に入らず、麻衣と高田の距離が近いことだけが気になって、ひたすら酒を
しばらくして、高田が席を外すと、麻衣が、渡邊の横に座り寄りかかってきた。
「……! どうしたの? 酔っぱらったかな?」
突然の行動に周りも若干引き気味で見守っているが、渡邊としては、これが言える精一杯だった。
それでも何も言わずに寄り添っていたかと思うと、高田が戻ってきたところで、急にしゃべりだしたのだ。
「渡邊さんてぇー、背高いですね、ふふ。わたしぃー、大きい人、タイプですぅー」
――マジか。ここで、きたか。
心の声を出さないよう必死に装った。
今までも散々こういうアプローチをされて、昔はそれだけで昇天していたが、今はなんか虚しい。
あきらかに、高田に向けてのアプローチだったのもあるし、自分が、こんな若くて可愛い子に寄り添われても何も思わないことにがっかりした。
男として終わったのか……。
ふと高田を見ると、冷たい視線を向けていたが、口の端は笑っているようだった。
「えー、俺はタイプじゃない?」と立入が助け舟をだしてくれた。
麻衣と立入が話しこんでいる間に、高田の隣へ移動した。
「背が高いのは、いいな。モテるじゃん」
笑いながら言う高田の顔は、嫌みがなく、本当に面白がっているようだ。
「やめてくださいよ」
「また敬語」
ふふっと小さく笑って言う高田を可愛いと思ってしまう。
「でも……高田さんて、院卒で、俺より二歳上ですよ」
「あっ、そういうこと言うか? 同期は同期だろ……敬語でいいよ」
「……はい。頑張りま、頑張るよ、高田……くん?」
笑って、好きに呼べよと言う。
この人の前だとラクだなと思った。
「背が高いだけで、判断されて……結局、タイプじゃなかったで、フラれるんですよ。背が高いからモテてると思ってたのは、若いうちだけでしたね。さっきの新入社員の子にとっては、高田さんの当て馬にされるし……」
こんなことが言いたいわけじゃないのに、何を言ったらいいかわからなくなって黙ってしまう。
「ああいう子がタイプなの?」
高田の視線の先には、麻衣と立入が仲良く話している。
「いや、タイプは……よく笑う人……ですかね」
麻衣を見ている高田の横顔を見つめて、この人の笑った顔が見たいな。と思うのだった。
ふいに視線が渡邊に戻って、ドキドキする。
「渡邊は、昔から格好良いよ。仕事にも人に対しての姿勢も謙虚で優しい。お前と仕事できて良かったと思ってる」
形の良い唇が上がり、目元が細くなって、微笑む高田に見惚れてしまう。
「会社からです!」突然の大きな声と共に、酒が振る舞われ、いろんな人からの絡み酒で、席は人が入れ替わり高田とも離れてしまった。
飲み会も終わり、だらだらと店の出入口に向かう中で、二次会組に捕まった渡邊はタクシーに乗り込む高田の後ろ姿を見送り、次はいつ誘うかと考えていた。
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