あなたに近づきたい
choco
第1話
営業会議というのは、これから売り出す商品をどう営業していくか、今ある在庫を捌くためにどう売るか、そんなことを話し合う。
CLASSYという下着メーカーは、今年の秋に男性向けのインナーを売り出すことになり、
会議室の机には、商品化されるパンツが並べられている。
ボクサーパンツではなく、長めのトランクスタイプで、ふともものあたりに余裕がある下着だ。
「俺は、ピッタリしてる方がいいんだよな」
同じ営業の
渡邊と立入は、同期で、常日頃から仲も良い。
会議が始まるまでの時間にパンツを並べ、資料を準備する。
渡邊は、後輩にパソコンをセットするように依頼し、下着を持って立入の近くに寄る。
そして、下着の裾部分を広げて見せて説明する。
「今回の商品は、普段履く下着というより、パジャマ感覚というのがコンセプトなんだ」
裾部分は、ハーフパンツのように広がっているが、形は下着なので、そのままでは外に出られない。家の中で、パンツ一枚にTシャツで過ごすような人向けのゆるい作りになっている。
しかも、そのデザインは、かわいいクマやウサギのイラストがコインサイズくらいの大きさでパンツ一面に描かれているものや、大きな花の写真が入った派手なもの。
無地もあるが、色がサーモンピンクなので、これも目立つ。
全て、派手で可愛い。自分で選ぶには、少し抵抗があるものだが、敢えてそこを狙っているらしい。
「プレゼントとかに貰えるといいかもな」
渡邊が持っていた、花柄の下着を見つめて、立入が言う。
「そうなんだよ。デザイナーの高田さんの案らしいよ。確か……俺らと同期だよね? デザイン部とは、あまり関わりないけど」
渡邊は花柄のパンツを自分に当てながら続ける。
「試し履きしたけど、素材が良いから履き心地抜群だったよ」
会議室のドアが開いて、会議に参加する面々が入ってきた。
パンツを当てながら話す姿が滑稽に見えたようで、他の社員からクスクスと小さく笑われる。
「お、仕事熱心だな。渡邊。その大きな体格にも似合ってるぞ」
営業部長に突っ込まれ、がたいの良い体を小さくしながら席に着く。
渡邊は、他の人より頭ひとつ大きい長身で、肩幅もある。学生の時はバレーボール部で汗を流していたが、社会人になってからは、特に打ち込んでしているスポーツはない。
だが、体格の良さは変わらずで、学生のころから大きいというだけで、モテてきた。
背が高い、体格が良い。それだけ。
顔は平凡。いわゆる特徴がない、どこにでもいる顔だ。
付き合ってきた女性からは、守ってくれそうとか、頼りがいがありそう。ということを言われてきたが、最終的にはいつもフラれる。
結局、タイプじゃない。だそうだ。
身長が高いというだけで、モテていたのは、二五歳くらいまで。三十歳になった今は、彼女いない歴二年が経とうとしているが、色恋の話しはない。
営業成績は常に一番を取るほど、戦略的にも頭が切れるし、客先への配慮や愛嬌も良い。
「で、彼女いなんだよな? 今度、合コンいこうよ」
営業会議終わりに残った立入が、誘ってきた。
「ああ、いいよ」
――どうせ、また身長だけで判断されるんだろうけど。
◇ ◇ ◇
商品のカタログ制作に立ち会うこととなり、撮影スタジオに来た。
男性モデルが、今回売り出す下着を身に着けて、椅子に腰かけポーズをとっている。
カシャカシャというシャッター音や、カメラマンの声が響く中、大きな体を小さくして、カタログ製作の責任者に挨拶をする。
挨拶をして、すぐに出ていくつもりで出入口に
「営業の人だよね。俺、高田です……今回の下着のデザイナー」
「あっ、お疲れ様です」
華奢な体つきの、綺麗な顔をした人が、すぐ横にきていた。
すごく怒っているような棘のある視線をよこしてくる。
「あんたさ、営業のくせに、商品を粗末に扱うなよ」
「……え? なにかしましたか?」
渡邊のすぐ後ろに置いてあった商品の入った袋をかかとで蹴とばしていたと注意された。
暗がりなのもあったが、まるで気が付かなかった。
すみません。と大きな体を2つ折りにして、丁寧に頭を下げる。
ぷっと笑い声が聞こえて顔を上げると、小さく肩を震わせて、声を殺しながら笑う高田の顔があった。
休憩はいります。という声が聞こえ、スタジオ内に明かりがつく。
「ごめん。笑うつもりなかったんだけど、なんか……デカいのに小さくみせているのか……それ」
今度は声を出して笑う高田の顔がはっきり見えて、一瞬ドキリとした。
「
「あ、はい。」
――なぜ、ドキリとした?
「先ほどは、すみません。暗くて商品があるなんて気が付きませんでした……って言い訳ですよね。営業失格です……ね」
猫背気味に小さく体を見せながら、謝罪する。
仕事で謝る際の、渡邊の技の1つだ。昔、デカい体で謝られても誠意が伝わらないと客先から言われて、なんとか自分なりに考えて編み出したものだ。
「だから、小さくなってないよ」
高田はまた声に出して笑った。
笑い上戸なのか、ひとしきり笑ったあと、問われた。
「で? あんたは?」
「へ?」
間抜けた顔の渡邊に、少し苛立ったようにため息をした。
「名前は?」
「わ、渡邊大貴です。営業部三課です」
「三課……ああ、特殊部隊か。じゃ、あんた、優秀なんだな」
営業部は一課、二課、三課で成っている。
一課は、従来の女性下着。売上の大半はこの課に集中している。二課は、下着以外の部門、パジャマが主力商品。
三課は、新商品がメイン。一課にいながら、三課の仕事に携わるなんてことはよくあるような機動性がある課だが、渡邊はずっと三課で新商品を担当し、一課に劣らない売り上げを出している。
高田は、渡邊の頭からつま先までを商品の品定めをするように見つめる。
見られて恥ずかしくなった渡邊の顔が赤く染まった。その様子を鼻で笑いながら、手を差し伸べてきた。
「よろしく」
握手した高田の手の指は細くて、壊しそうだと思った。
高田の第一印象は、そのドキリとした笑い顔で。それがしばらく頭から離れなかった。
◇ ◇ ◇
通勤時の電車の中で、他の人よりも頭ひとつでている渡邊は、社内広告が頭にかぶることが嫌なので、いつも端っこで鞄を抱えて立っている。
いつも窓の外をぼんやり眺めてやり過ごすが、今日は、車内の中腹ドア付近で高田を見かけた。
相変わらず、華奢で綺麗な顔の高田は、知らない男と一緒にいた。
恰好からサラリーマンとは見えないその男は、高田の髪の毛をそっと触り、耳にかけて上げた。
ちらりと上目遣いで睨んで、なにか言い、その男が拝むようなジェスチャーをした。まるで謝っているみたいだ。
デザイナーである高田も、サラリーマンには見えないが、クリエイターならではの洗練された格好良さがある。
高田と一緒に居た男は、駅に降りず、そのまま電車に残って手を振っている。それを振り返らずに、すたすたと歩いて行ってしまう高田とその男の妙な温度差を不思議に思った。
声をかけてみようかと迷っていると、改札出たところのコンビニエンスストアに入ってしまったので、それをやり過ごし、会社に向かって歩く。
――同じ電車だったのか。今まで気づかなかった。
あの男と高田さんは、どういう関係なんだろう。
友達でも家族でもないような距離感が感じられた。
「おはよう。渡邊くん」
後ろから声をかけられてびっくりする。
振り向くと、笑顔の高田がいた。
「おはようございます」
「敬語かよ。同期だろ」
少しムッとした顔になるところは、この人のクセなのかもしれない。
「あ、ごめん」と言って、謝り癖の猫背になったところをみて、また高田が笑う。
「小さくなってないよ」
「しかし、渡邊くんが羨ましいな。何を食べたらそんなにデカくなるんだよ。身長はもう諦めてるけど、食べても太れない、でもお腹すくから、燃費の悪いこと悪いこと……」
さっき寄ったコンビニエンスストアで買ってきたものは、袋いっぱいに入った菓子パンとかおにぎりとかお菓子だ。
それを見せて、外国人がするように肩をすくめる。
「すごい量だね……。今度、メシ食べに行かない? 料理の種類も量も多くて、美味しい店があるんだ」
思わず誘ってしまった。
高田が驚いた顔をしている。
――やばい。馴れ馴れしいか。
「い、行く。行きたい」
そう言い、はにかむように笑ってみせた顔にまたドキリとしてしまった。
今日は、見積もりやら、プレゼン資料の確認やらで、席にかじりついて作業をしている。
昼休憩になってようやく大きい体を開放できてホッとしていた。
社内の食堂で、独り食べていると、立入が向いに座った。
「会社で食べてるなんて珍しいな」
「お疲れさん。ああ、例の男性下着が、評判良くてさ。百貨店で、コーナー持ってくれることになって、それの資料作り」
「あれ良いよな。俺も家で履いてる」
定食のから揚げを一口で食べながら立入が言う。
その姿にふっと鼻で笑って応えた。
「そうなんだよ。肌ざわりが良くて、ラクだし。高田さん天才だわ」
「高田と話したの? あいつどう?」
「どうって?」
「噂だと、生意気だとか、人付き合い下手みたいなこと聞くんだけどさ」
そのあと、少し小声になって続けた。
「ゲイだって噂もあってさ。ま、この令和の時代に、どんなセクシュアリティがあっても構わないと思うけどね。男同士で痴話げんかしているのを見かけたとか、そういうバーにいたとか……高田と話したことある奴って見たことないからさ。噂だけが独り歩きだよ」
曖昧な返事をして、今朝の電車内の男を思い出す。
――あれは恋人の距離感か。
「高田さんは、よく笑う人だよ」
そう言って、今朝の電車内の男とは笑っていなかったな。と変な優越感に浸りながら残りの食事を平らげた。
夕方、客先に呼ばれて外に出た。
夏の終わりは、日が落ちると大分過ごしやすい。
そよそよと額に当たる風が心地よい。
会社近くの駅ビルに入っている女性の下着売り場に出向く。一角に男性下着を置いてもらえるという連絡があり、サンプルを持参する。
会社近くの店舗は、何も用がなくても顔を出し、商品を営業できるので、渡邊と店長は昔からの顔馴染みだ。
「渡邊くん。いつもありがとう。まだまだ暑いのに御足労かけちゃって」
「いえいえ。こちらこそ、こんな時間になって申し訳ないです」
五時を過ぎた頃で、そろそろ会社帰りの人達で駅ビルの中は、忙しくなる。
わざわざ、この時間にしたのは、長居しない為だ。
ここの店長さんは話好きで、捕まると大変なのだ。早々にサンプルを渡して、店を後にした。
直帰しても良い時間ではあるが、なんとなく会社に向かって歩いてしまった。
朝、高田と一緒に歩いた道。
――飯、いつ行こう。
デザイン部にわざわざ行くのも……連絡先、知らないな……どうやって誘えばいいのだろう。
明日、同じ電車になるかな。
会社の前まで着いた時だった。
エントランスに停まっている車の助手席に乗り込む高田の姿があった。
運転席の男と笑顔を交わし、走り去ってしまった。
なんとなく、つまらない気持ちになって、社へは戻らず駅に向かって歩き出した。
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