初めての訓練
夜になり、彼が連れてきた先生をみて僕は唖然とした。
ヴィランに殺人を教わった少女。彼女はまだ中学生だった。人見知りで目線を合わせないところや、簡単に折れそうな華奢な体、フードを深く被ってさえいれば普通の子どもだ。
だが、彼女の頬にはカラスのタトゥーが刻まれていた。
「ひ、ヒナタ……です……よ、よろしく」
上手く話せないらしく、おどおどとした様子で先生は挨拶した。
「よろしくお願いします、先生」
僕が握手を求めると、警戒しているのか、あるいは緊張しているのか、先生は震えた手を差し出し握手に応じた。
「あ、えーっと、ヒナタで……呼んで」
「わかった、ヒナタ。どうすれば良い?」
「……い、今から、えーっと…と、特訓…する。から、移動する」
僕は黒木をみる。目線で「大丈夫なのか?」と訴える。頑張ろうとしてくれるのはありがたいが、こちらも時間がない。
黒木はにっこり笑って親指を立てた。
半信半疑でヒナタについていくと、僕は大きなスポーツ総合施設のような場所に案内された。
「く、訓練、開始」
ヒナタにいきなり告げられ困惑していると、ついて来いと手で合図してヒナタが前を走る。
設置されたステージは、よく観るテレビ番組のように様々な仕掛けが隠されていた。対岸まで勢いよくジャンプして、斜めに設置されたパイプを登る。ロープを街灯に引っ掛けて車の上を走る。
ヒナタの動きは驚くほど綺麗だった。余裕はあるが無駄はない、洗礼された身のこなしは見ている僕も気持ちがいい。それに比べて僕は、落ちるしコケるし絡まるし、最初から最後まで何も上手くいかなかった。
「少し待ってください」
息を整える暇もなく叫んだら、ヒナタは障害物を避けながら振り返り銃口を僕に向ける。
「私、ヴィラン…だったら?えへへ、鬼ごっこだ、捕まえてみて」
体を動かして緊張がほぐれたのか、先程よりも無邪気な笑顔でヒナタは走る。
こんな無邪気に笑う女の子をヴィランに見立てるなんてことは出来なかったが、僕は弱音を吐くのをやめた。
走る、走る、走る。
それでも、上手くいかずに足がもつれる。一時間が経過する頃に僕はヒナタからはるかに離れた場所で思いっきり倒れ込んだ。
悔しさだけが心に駆け巡る。こんなに体を動かしたのは初めてだ。
一瞬でヒナタは僕のところまで戻ってきて「大丈夫ー?」と心のこもっていない言葉を投げかける。
「こんな練習必要なのかよ。この拳銃をヴィランに打ち込めばいいのだろ?」
「……たぶん、動くよ……」
「は?」
「……一発くらいじゃ、死なない。す、すぐに反撃されるか、今みたいに鬼ごっこで遊ばれる」
「これ、拳銃なのに?」
「……そ、そもそも、君の拳銃つくったのはターゲットだし。防弾チョッキ着れば、貫通しない」
「ターゲット?」
「……ヴィラン」
「あぁ……それって、僕たちも防弾チョッキ着れば大丈夫ってこと?」
「あ、いや、そ、その、貫通しなくても衝撃はあるし、むこうがライフルなら絶対死ぬよ」
「……僕、殺せるのかなぁ」
理解はしていたはずなのに、弱音がこぼれ落ちる。
ヒナタは優しい瞳で何かを言いかけた。表情から励ましてくれているのだとわかった。その言葉が聞こえなかったのはヒナタより早く冷たい言葉が僕の耳に飛び込んできたからだ。
「あら、聞こえなかったかしら。もう一度言うわ、あなたには人を殺せない。妹さんと同じように赤い死体となって終わりよ」
施設の観覧席で優雅に紅茶を飲み、物理的にも僕を見下している少女が冷たく言い放つ。
その表情をみてすぐに彼女が黒木の言っていた「お嬢」だと理解した。彼女の頬にはヒナタと同じタトゥーが刻まれていたからだ。お嬢はヒナタとは違い、そのタトゥーを隠そうともせず堂々と振る舞っていた。
「お兄さん、ヴィランを殺すのは私よ。そんな弱い人間は邪魔なだけ、大人しく帰ったらどうかしら」
アハハッと高い声で笑う彼女を下から睨む。ヒナタに支えられて立ち上がる自分がとても惨めに思えた。
ヒナタは僕を支えながら公園のベンチまで案内してくれた。
「あ、あの……ご、ごめんね、お嬢、悪い子ではないの」
「別にいいよ。ヒナタが謝ることではないし」
「う、うん……」
明らかに気を使われている空気に馴染めず、目を逸らすと視線の先にコンビニが見えた。現在時刻、深夜二時。気がつけば訓練開始から四時間が経過していた。
「お腹空いてない?コンビニ、一緒にいかない?」
ヒナタに声をかけると、彼女は少し悲しそうに首をふった。
「ううん、ここで待っとく」
ヒナタは自分の頬を指差し、肩をすくめる。
「あぁ、そっか。何か欲しい物ある?」
「えっ……あ、んー……アイス」
「わかった」
僕はコンビニでおにぎりとアイスを買い、急いで店を出た。ふと、コンビニの明かりに照らされながら公園のベンチに座るヒナタを眺める。
街灯から一番離れた場所を選び、フードで顔を隠し、小さく座る少女。その背中はとても小さく、孤独な夜にとても似合っていた。
「ほら、アイス」
ヒナタにアイスを差し出すと、彼女はペコリと会釈をしてから嬉しそうに受け取った。
丁寧に袋から取り出し、ひんやりとしたアイスを宝物のようにキラキラとした瞳で眺める。彼女は小さく一口食べると、ほのかな甘さに思わず笑みをこぼした。
「それ、そんなに美味しいか?」
「うん!アイス、好き」
「こんなの、いつでも食べれるだろ」
「ううん、ダメ。配給されるものしか、食べられない」
「そうなのか?」
「うん。公共施設、入れないから」
「どうして……それに、さっきの総合施設は……」
僕が問いかけると、鼻で笑う声がした。驚き振り返ると何故かお嬢がいた。黒木にしてもお嬢にしても人のプライバシーを全く考えていない。
「アハハ、あなた何も知らないのね。総合施設は私が持っている施設よ。特別に貸してあげているのに感謝もないなんて。それから、餌付けなんて下品ね」
棘しかないお嬢の言葉に僕は苦笑いを浮かべる。
「知らないのも可哀想ね。いいわ、私が教えてあげる。あなたのお父さんのことも、ヴィランのことも。明日の深夜二時ここで集合ね」
「僕は君に何も言っていないし、頼んでもいない。勝手に話を進めないでくれ」
「あなたにとっても悪い話ではないでしょ?決まりね」
お嬢はそれだけいってそばに停めていた高級車に乗り込み、手招きでヒナタを呼ぶ。
ヒナタは心配そうに僕とお嬢を交互に見ていた。
「……あ、アイス、ありがとう。そ、そ、その、大丈夫?」
「まぁ、ヴィランのことを聞き出せるなら……」
「また、あ、明日」
遠慮がちに手を振るヒナタを見送って僕は黒木の待つ家に帰った。
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