ホームシック症候群

@ishikawa0330

第1話

「喉の痛みはありますか?」

「いえ、特にありません。」

「体の節々が痛む感じはどうですか?」

「それも特にないです。」

 医者は問診を続ける。

「家ではリラックスできてますか?」

「そうですね。ストレスとかも特にないです。」

「なるほど、それでは金銭面での苦労はありますか?」

「はい?」

 私は思わず聞き返した。

「これは失礼しました。金銭的な面でのストレスというのはしっかり3食バランスよく食べているのか?ということが聞きたかったのです。」

「金銭的には全然苦労はしていませんので、しっかり食べています。」

「では、女性関係などの精神的負担はございますか?」

「いえ、今はそういったことは何もありません。」

 医者は少し考えてから、私に診断の結果を伝えた。

「これはホームシック症候群ですね。お薬の処方箋を出しておくので、一週間程、自宅で安静にして下さい。」


 身体の異変に気付いたのは、通勤中のことだ。家を出た瞬間から何となく足取りの重さを感じ、徒歩10分圏内の最寄駅に行くまでにも汗をびっしょりとかいた。電車に乗り、会社に近づく度に、頭痛が強くなっていき、吐き気も強まった。

 仕方なく会社に欠勤の連絡を入れて、私は病院で診察を受けているところだ。

 医者の診断によれば、ホームシック症候群を発症してしまったとのこと。リモートワーク、おうち時間の充実などが世間に浸透し始めると同時に、流行している病だそうだ。帰る場所が恋しくなり、家から離れれば離れるだけ体調が悪化してしまうという何とも珍しい病である。


「最近は、家の中で出来ることが増えすぎたでしょう。テントを部屋に広げて、おうちキャンプだとか、オンラインショッピングで買い物にも行かなくて済むし、飲み会だってオンラインでもできる。だから、家から出ることに強いストレスを自分でも気づかない内に現代の子は抱えてしまうのです。スマホが身近にないと焦るみたいなものと考えればわかりやすいですかな?」

「はぁ…、どれくらいで治るものなのでしょうか?」

「先程お伝えした通りで、薬を飲んで1週間自宅で安静にしていただければ、症状は緩和していくことが多いので、そんなに怖がることもありませんよ。」

「そうですか。ありがとうございます。」

 診察が終わり、待合室へ戻り、お会計を済ませた。病院と併設している薬局に行き、薬をもらう。

 医者が言っていたように、家に帰る途中から体調が少しずつ良くなっている気がする。

 自宅マンションに着く頃には、頭の痛みも引いてきた。


 この1週間は仕事をリモートワークに切り替えて、食事も病院側の宅食サービスを受けられるのだから、ますますこの家に愛着が湧いてしまう気がするが。


 順調かと思っていた療養期間だが、5日が経った頃に、私の体調は悪化し始めた。


 タクシーを呼び、私は病院へ向かった。

 受付をしてから、少し待つと看護師から診察の案内の声がかかる。

 診察室の扉を開け、医者に今の病状を伝えた。

「初めのうちは体調も回復していったのですが、今朝起きた時に体調が悪化し始めてしまったんです。今は少し落ち着いたのですが、1番最初の頭痛のような痛みと吐き気がしてしまって。」

 私の話を聞き、医者は顔を曇らせた。

「なるほど、なかなか難しい問題ですね。その症状の悪化に対して手がかりが少なくて、どうしていいのか分からないんです。稀にあるのですよ。ホームシック症候群が予兆もなく悪化する例が。」

「と言いますと…?」

「原因は確かではないのですが、あなたにも生まれ故郷がありますよね?まぁ、実家のことです。ホームシック症候群が回復に向かわないとレベル2の段階へ向かいます。それが実家に対するホームシックです。そして、それを通り越すと、レベル3。レベル3になる方は本当に稀です。世界に例はありません。」

「はぁ…。レベル3というのは?」

「私たちはどこから生まれてきますか?いや、産まれると言った方がいいですかね。これでもうお分かりでしょう。母親ですよ。母親の-」

 私の頭は未知の病気に対する困惑で頭が埋め尽くされていた。この医者は何を言っているのか?しかし、言われてみれば、実家へ帰りたいと言う気持ち、両親に会いたいと言う気持ちは確かに強まっている気がする。それは叶うことがないと、1番私がわかっているはずなのに。

「私の両親はどちらも既に亡くなっています。実家の方も、取り壊されて今は別の家族が住んでいると担当の不動産屋から聞いております。それよりも、私はこれからどのような治療を受ければ良いのですか?」

 医者の目つきは一変し、私の肩を固くつかみながら、熱の籠った視線で私を見つめていた。

「あなたの帰る場所を、あなたが作るんですよ。」

 ひどい頭痛のせいもあるのか、医者が言っていることが分からなくなってきた。彼の真剣な眼差しが逆に私を混乱させている。

「何を言っているのか正直わかりません。帰る場所ならあります。遠回しに何かを伝えたいななら、もったいぶらないでください。頭痛が酷くなります。」

 医者は深く息を吸い、呼吸を整えるようにしてから、その口を開いた。

「これは医学的知見から大きく外れてしまいますが、本来、帰る場所というのは家族あってこその場所です。あなたの帰る場所を作る。つまりは、家族を、もっと言うならば生涯を共にするパートナーを作ればいいということですよ。」

 口を挟みたいが、頭痛がひどくてそれどころではなかった。

 医者はそのまま続ける。

「私は、あなたのようにホームシック症候群に苦しむ女性の患者を知っている。どうでしょうか、その方と会ってみませんか?ひなこさんというとても心の優しい方です。早速、会う日程を決めましょう。どうでしょうか?次の木曜日の午後、彼女も診察のため病院へやってくることになっています。一度、会ってみて、考えてはくれないでしょうか。」

 医者の熱意に負け、私は結局その女性と会うことになった。


「ひなこです。はじめまして。」

 艶のある黒髪で、髪型はボブ。軽くお辞儀をその所作で裕福な家庭で育ったことを思わせる。凛とした方だった。

 わたしは一目惚れだった。


 同じ病で苦しむ者同士なのか、彼女とわたしは意気投合し、付き合い、1年を経つ頃に結婚をした。今ではホームシック症候群の頭痛も治まり、わたしには帰る場所ができたのだ。


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「ありがとう。お父さん、とても素晴らしい方を紹介してくれて。」

「いいんだよ、ひなこ。わたしは幸いまだ40代だからね、この病院をお前が継がなくても、孫を産んで継がせればいいんだ。」

「お父さんったら、そのためにホームシック症候群だなんてよくわからない診察をしたのね。」

「あぁ、彼は年収もそこそこで、貯金だってある。女遊びもしなそうだ。彼なら問題はない。健康にも気を遣っているし、外見だって中の上で申し分はないよ。」

「結局彼はなんの病気で病院に来たの?」

「さぁね、ただの風邪だろう。」

「今度からはちゃんと診察してね、私の夫なんだから。」

「そうだな。お前も彼がホームシックにならないように、寄り添ってあげなさい。」

「そうするわ、お父さんがやっとの思いで見つけた男性ですもの。」

「おい、ひなこ。」

 医者は照れ臭そうに続ける。

「お前だけはいつでもホームシック症候群にかかってもいいからな。」

「ありがとうお父さん。」

 扉の向こうでは司会者の声が聞こえる。

「皆さま、お待たせいたしました。誇らしげなお父様とともに、愛と幸せに満ちた新婦が登場いたします。」

 2人は腕を組み、1歩ずつ新郎の元へ歩みはじめた。

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