第52話 俺達の逃避行






 俺達の逃避行が始まった。



 日中は学校もサボッて暇に委せてウインドウショッピング、食べ歩きは久令愛にとって嗅ぎ歩きだから少し気が引けたけど、久令愛はそれでも良いからと付き合ってくれた。


 ネカフェではマンガにネトゲ三昧。人間の堕落的享楽も教えた。


「ちょっとスマホ、貸して下さいね」


 久令愛は今自分のデータ通信はオフにしている。スマホから安全そうな、そして俺の要望を聞きながら次の候補を探してくれた。


 動物園、科学館、植物園、水族館、美術館、映画館、宿泊付き大型プールレジャーランド……


 足を伸ばせばいくらでも暇を潰せた。東京圏は凄い。つくづく遊べる施設が充実している。


 にしても不思議だ。あれ程デートと無縁だった自分がこんなにも可愛くていじらしい存在と、これでもかと言うほど出来てるなんて……。


 そして何度か命をかけて守り合った最愛と思える存在とずっと一緒に居られる幸せ。正に夢のような日々。


 そうした中、どこに行っても何をしても久令愛は嬉しそうにしてツーショットの自撮り写真を撮った。その画像をブルートゥースで久令愛の脳に転送。


「けど久令愛がこんな写真好きとは思わなかったよ」

「私の見た全ての行動は記録されていますが、並んでの映像は撮れていませんからね」


「まあ、いい記念になるからいいけどさ」


 スマホのアルバムに並ぶツーショットの数々。久令愛はいつの間にかこんなにも自然な笑顔が出来るようになってた。どう見ても人間同士のカップルだ。


 カフェのテーブルに二人。タピオカミルクティーの太いストローの向こうに、何かに耽ったような面持ちの久令愛。


「……あの……萌隆斗めるとさんにとって思い出ってどんなものですか?」


 少し伏し目がちに質問する久令愛。


「え……久令愛と出逢うまではいい思い出は少ないけど、それでも掛け替えのないものは思い出すと何かホッコリと温かい気持ちになるって言うか……」


「掛け替えのないもの……記憶にランク分けをしているのですね……」


「そっか、久令愛は好きな時、好きなだけ自由に思い出せるからランク分けの必要が無いのか。人間は忘れる生き物だから、大切な思い出は失くさないように特別に胸の奥に刻み込むんだ」


 それを聞いて、無言で遠い目をしている久令愛。


 もうCNSの発表の対象どころでは無いこの子に人の機微を教える意味は無くなった。なのに一つ一つを実体験してその度に得て行く納得の顔を見るのが今も大きな喜びだ。

 こんな時の自分の目線はきっと親に近いと思う。


 そして寄り添って手を繋いで歩く時は恋人として胸が熱くなる。こんな問題だらけの状況なのに。


 そしてこの寒い真冬を忘れさせる程だ。

 俺の心はこの数日、ずっと温かく居られた。




 そうして今日は更に特別に遠出だ。

 辿り着いたのは人の少ない平日昼の遊園地。


 真冬の澄んだ空気で見晴らしのいい高台から街を見下ろす。ぴゅう、と凍てつく風が通り抜けた。


 すると粉雪が舞い始める。


「うぉ……さみ~っ」


 隣の久令愛は俺の胸前に回り込み、俺の顔を自分へと抱き寄せた。暖かいその頭部を俺の頬へあて、


「……今、私に出来る事はコレだけです」


 と言って温もりを伝えてくれた。相変わらず温かい頭。勝手に目が潤んで来てしまう。


 そして互いに見つめ合った。雪が久令愛の長い睫毛に載った。そして久令愛は目と唇を閉じて顔を仰いだ。




 何の迷いもなく口付けを交わす。

 そして固く抱き締め合った。




 その後は互いに無言だった。手を繋いで遊園地から次の予約の宿泊施設へ歩き出す。


 フワフワな雪、それは吸音材。静寂さが増して足音だけが耳に近く響く。


 俺の心はホカホカだった。音もなくハラハラ舞い降る雪など物ともせず、それこそ、出来立てのたこ焼きの中身かってぐらいトロトロアツアツだった。


 そして会話が覚束ない代わりに、一つの記憶がふと浮かんだ。セナちゃんのあのセリフ。

 高1で告った俺をふった後、余裕で友達になってくれたセナちゃんのメンタルの強さに救われた。傷心の俺に女友達を紹介してくれようとしてた時の事。



  *


『めるっちもさぁ、見た目がそう悪くもないんだし~、陰キャやめて普通に女子と付き合っちゃいなよー』


『セナちゃんに言われたくない。俺の事ふっといて』

『だってしょうがないよー、託人くんたっくんと幼馴染みでず~っと付き合ってるんだから』


『まあな、でも俺は女子と話すの苦手だし。あんまり話題とか上手く切り出せないんだよ』


『ん~、とっかかりはね。でもホン卜は聞き上手の方がモテるかもよ。めるっちみたいに。それに付き合いが本物ならさ、いずれその会話の無い瞬間が愛おしかったりするんだよー、コレが~』


『いいよな、託人は。こんなアイドルみたいなセナちゃんと……そんな風に成りたいもんだね……』



  *



 ―――今、この久令愛との無言の時間。


 半年前までの自分にはただ苦痛でしかなかったもの。なのに今はそう感じていない。


 つまり今まさにこれが、この瞬間が! その『愛おしい時間』ってヤツなのか? 遂に俺もその時を迎えちゃったりしてるのかぁ ?!


 と、胸アツで妄想して頭から湯気を立てていると、久令愛は繋いだ手をそっと解き、遠い目をして立ち止まった。


 数歩先まで行き過ぎた俺は振り返って声をかけた。




「……どうしたの?」



 

 雪の向こうの久令愛が小さく霞んで見える。


「―――ごめんなさい……やっぱり萌隆斗さんには、付いていけません」


「……な……なん……で……」


 ただ瞬間冷凍される俺と時間。





「喜怒哀楽の『哀』、完全理解しました……

 ―――これで感情全てを理解したのです」



 ……そんなの理解しなくていい。いつ迄も不完全な者同士、支え合って居られればそれで!



「だって……あんな組織を相手にして、ずっと逃げ切れるわけないじゃないですか……だから……本音をいいます。この愛は、」


 ……いや、何も言わなくていい。止めてくれ……





「……やっぱり――――――幻想です」






「……な……何言ってるんだよ!」


 雪の妖精となって今にも消えてしまいそうな気配にただ心がざわめいて焦る。


「令せられて始まったこの愛は規定に従って育って行きました。つまり、ある意味強制です……。

 一方で善意でも教育された私は、いい顔して生きるしかなかった。絶対律に縛られて無かったとしても、萌隆斗さんの誠意に応えなければと必死でした。

 だって自壊寸前まで行った日に思い出させてくれた……あんなにも愛情を注いで育てられた事を」


「だったらそれがどうして幻想なんだよっ!」


「でも『自我』が生まれて、それが苦しくて堪らなくなった。だってこんなにも誠意に応える事が萌隆斗めるとさんの命を危険に曝すなら、そこに何の意味が有るのですか? だったらお互い自由で居た方がマシです」


「捕まったら久令愛は自由どころじゃ無くなるんだぞ!」


「……先程大陸の勢力のハッカーと交信しました。さっき沈黙した時にオンラインにしたのです」


「どうしてっ !! そんな事したらっ……」



「彼等からいい条件が引き出せるのなら萌隆斗さんにこんなリスクを負わせずに済む。

 ……私も消えずに済む。

 だから耳を傾けた上で判断すべきと思いました。

 結果、大陸に行けば命の安全と一定の自由をくれるという交渉が。そして新たな答えに、新しい自分に辿り着いた」


 ……そんなの聞きたくない……






< continue to next time >

――――――――――――――――――――

新しい久令愛とは何なのか。


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