疑惑ナレーション
地下駐車場を出ると、白い車が停まっていた。聖騎士庁のパトカーに似ているが、翼と剣のエンブレムはない。
凍てつく夜風がヴァンダを包んだ。
振り返ると、暗く翳る駐車場の奥で黒いものが微かに蠢いた。
「何だ……?」
女がヴァンダの肩を押す。
「早く乗ってください。これ以上残業する気はありませんよ」
「見上げた根性だな。税金で飯食ってんだろ」
「元々統京の一部は私の土地です。税金も自分の畑で採れた野菜のようなものですよ」
「何だって?」
女は答えず、ヴァンダを後部座席に押し込んだ。
聖騎士庁の有する統京留置所に着いた頃には、夜が更け、空は漆黒に染まっていた。
錆びた鉄格子の奥、ヴァンダは簡素な寝台に座り、手首にかかる鋼鉄の手錠を見下ろした。
「単独行動した結果が勾留か。ボスにどやされそうだな……」
灰色の壁の向こうから囁き声が聞こえた。視神経に≪勇者の血≫を巡らせ、視力を強化する。
物陰で先程の白いスーツの女と部下数人が屯していた。
「ちょうどいい潜入捜査の機会だ」
若い看守の男が眠そうな顔で鉄格子にもたれかかっていた。
ヴァンダは指先を噛み、零れ落ちた血を硬化させる。針のように鋭い赤い結晶を手錠の鍵穴に仕込むと、いとも簡単に外れた。
看守はまだ気づいていない。
ヴァンダは音も立てず彼の背後に回り、鉄格子の間から手を伸ばす。片方外した手錠が看守の首に絡みついた。
男はようやくヴァンダに気づいたが、叫ぶことすらできなかった。締め上げられた首から細い音が漏れ、両脚が宙に浮く。
「悪いな。殺さねえよ、眠ってもらうだけだ」
看守がもがくのをやめ、ヴァンダの腕の中でぐったりと崩れ落ちたとき、廊下の向こうが急に明るくなった。光の中に、花の刺青を顔に施した銀髪の男が立っていた。
「待たせたね、ヴァンダ。私の上司が手荒な真似をしてすまない……」
「リデリック?」
残花のリデリックはヴァンダと意識を失った看守を見比べて苦笑した。
「君も充分手荒だね。痛み分けということでいいかな?」
「よくねえよ。説明しろ」
ヴァンダは目を逸らし、看守を床に下ろした。
ヴァンダが通された取調室は、独房よりも狭かった。
殆ど使われていないのか、四脚のパイプ椅子の周囲に大量の段ボールが積まれている。スチール製の机の隅には電気ポットがあった。
ヴァンダは深く溜息を吐いた。
「勾留されてる身で言えた義理じゃねえが……、リデリック、俺の取調べが旧知のお前って、司法として駄目だろ」
相対するリデリックは肩を竦める。
「形式上のものだからね」
「お前はまだいい。問題なのはそいつだ」
リデリックの隣には、長い白髪で右目を隠した少年が座っていた。
「
「息子が悪いことをしたなら父として叱るのは当然だよ! 久しぶりだね、ヴァンダ!」
「ほら見ろ。もう会話が成立してねえ」
頭を抱えるヴァンダとは対照的に、クリゼールは焼け爛れた顔で快活に笑った。
リデリックは灰皿を引き寄せ、机の中心に置いた。
「さっき言った通り、取調べは形式的なものさ。実情は作戦会議だよ。クリゼールにも伝達の必要があったから手間を減らそうと思ってね。私だけでは荷が重いからヴァンダにも協力してもいらいたいのもある」
「イカれガキの世話を押し付けたいって意味じゃねえか」
ヴァンダは煙草に火をつけ、煙と共に言葉を吐き出す。
「作戦会議ってことは、厄介な敵がいると思っていいな。俺を勾留した女絡みか?」
「流石だ、察しがいいね」
「あの女は誰だ? 聖騎士庁のトップはスターンだろ」
「彼女は我々というより、この統京の権力者なのさ」
リデリックは黒い煙草を歯に挟み、表情を曇らせる。
「君には言うまでもないが、王家が革命で潰れ、なし崩し的に統京が生まれただろう? この土地の権利は正当に手続きを踏んで譲渡された訳じゃない。宙ぶらなんだ」
「書類上は未だに当時の王家と懇意だった貴族家が権利を持ってることになってるな。あとは、辺境伯の末裔の都境総督府か。それこそ形骸化した遺物だが……まさか」
ヴァンダは古い記憶に目を細める。白亜の城壁が聳えていた時代、王都で例の白いスーツの女に似た貴族を見かけたことがあった。
リデリックが指を鳴らす。
「そのまさかだ。彼女はメイラ。統京の土地の権利者である公爵家の末裔だよ」
「道理で面影がある訳だ」
「彼女だけじゃない。同じく土地の権利を持ち、革命後の復興にも尽力した伯爵家のルゴスもだ。両者ともお飾りで席を用意された都議会の議員だが、最近急に我々に口を出し始めた」
「何でそんな奴らが今になって……」
「偽勇者の台頭と魔王禍の被害の甚大化を危惧し、我々の実力に不安を抱いたというのが彼らの主張だが、どうも動きがきな臭くてね」
リデリックは細い眉を寄せ、取調室の窓を指した。
「統京の南方に海があるだろう? 国土交通議員のメイラがあそこに人工島を立て、第二統京として移住計画を打ち出したんだ」
「随分とまた景気のいい話だな」
「先の
クリゼールは薄い胸を張った。
「我が子の教育なら惜しみなく行うよ! 反抗期のヴァンダもちゃんと聞くんだよ」
「阿呆か。八十だぞ。御託はいいから早くしろ」
少しの沈黙の後、クリゼールが口を開いた。
「第二統京設立企画が発案されてから、私の元上司の気配を感じるんだ」
「元上司って魔王か?」
「そうだよ! でも、はっきりとはわからない。何しろいくつも気配があるんだ」
「ってことは、≪魔王の欠片≫か……」
ヴァンダは机上で指を組み、リデリックを見遣る。
「普通に考えりゃ、計画がどっかから漏れて魔族が襲撃を企ててるってことだ。そのメイラって奴が魔王禍と通じてる線はねえか」
「考えたくないな。第二王都設立計画は魔王禍にとって利がない。我々が言うのも何だが、魔族が都民を襲うなら、この統京の方が都合いいはずだ」
リデリックは眼尻を下げる。魔王禍ミリアムによって破壊されたスラム街は未だ復旧の目処がたたないらしい。
「……人工島に移住するのはどういう連中だ」
「土地の権利者とそれに準ずる元貴族家、または保守派の権力者たちだね」
「金持ちだけ逃げてから統京を火の海にするつもりじゃねえか」
クリゼールが机を叩いた。古びた電気ポットが転げて唾液のように水を零す。
「そんなことは許せないよ! 貧富の差で人間を選別するなんて! 皆、等しく私の大事な子どもたちだからね!」
「うるせえよ。要は全部お前の屍魔にするってことだろ。名言みたいに犯行予告するんじゃねえ」
ヴァンダは身を乗り出すクリゼールを押さえつけて無理やり座らせた。
「リデリック、結局何でコイツを連れてきた?」
「情報共有さ。クリゼールには聖騎士庁と連携して魔王禍の動きを見張らせているんだ。彼は死体が発生する事態に敏感だからね」
「厄介なこった。で、俺を呼びつけた理由は、都議会が動いてる以上、聖騎士庁は迂闊に邪魔できねえから保勇機関に頼りたいってとこか」
「そういうことだ。いつも頼ってすまないね。代わりに、偽勇者の情報を掴んだらすぐ教えるよ」
ヴァンダは目を逸らし、埃が舞う部屋の角を見つめた。
「……部下が留置所にぶち込まれてから帰ったときよ上司の宥め方も教えてくれよ」
***
リデリックは一足早く取調室を出て、廊下の奥へと進んだ。薄暗がりで足を止め、携帯電話を耳に押し当てる。
受話口から気怠い声が響いた。
「リデリックさん、狙撃手の任務中に電話するもんじゃないよ」
「キーダ、優秀な君ならもう終わったと思ってね」
「元後輩にお世辞なんてやめなよ」
キーダの溜息が、砂嵐に似た夜風に混ざる。
「今、ヴァンダさんが交戦した駐車場を観察してる。逃げた傭兵の足取りは不明」
「……誰か来たかい?」
「今のところは誰も」
「本当に? サボって家にいるんじゃないのかい?」
「そうしたかったけどしてないよ。写真でも送ろうか?」
リデリックが静かに息を呑んだ。キーダの髪が通話口をくすぐり、かぶりを振ったのだとわかった。
「リデリックさんは謎の魔物を誰かが回収しに来ると思ったんだろ? 残念だけどそれはなかった。魔物は自壊したからさ」
「自壊だって?」
「一時間もせずに泡みたいに溶けたよ。あんなものは見たことないな」
リデリックは絶句した。
「ヴァンダさんたちに伝える?」
「いや、まだいい。協力ありがとう、キーダ」
電話を切ると、リデリックは廊下の壁にもたれかかった。
「偽勇者を使って何をする気なんだ……これ以上ヴァンダの古傷を抉らないでほしいんだけどな」
蛍光灯の明滅だけが答え、後には沈黙が訪れた。
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