暗躍クラクション

 自警団のリーダーは蒼白な顔で唇を震わせた。

「ひ、怯むな! 殺し屋は一般人を殺せない!」

 一度は武器を収めかけた若者たちが再び姿勢を正す。

「そうだ、僕らは魔王禍じゃない! 魔物を狩ってる人類の味方だぞ!」

「殺せるなら殺してみなさいよ!」


 ヴァンダは肩の返り血を払って溜息を吐いた。

「その通りだ。お前らがどれだけ好き勝手やろうが、俺は殺せねえ。ガキは気楽だよな。手前が破ったルールに平気で守られてやがる」

 若者たちが固唾を飲んでヴァンダの一挙手一投足を見守る。ヴァンダは山刀の柄を指でなぞった。

「殺せねえから……せいぜい全治一ヶ月ってとこか」



 ヴァンダの姿が陽炎のように霞む。

 先頭で剣を構えるトレーナー姿の青年に、黒い旋風が押し寄せた。次の瞬間、青年の身体が真上へ吹き飛んだ。

 天井の誘蛾灯に叩きつけられた青年が落下し、煙幕と共に火花とガラス片が散った。


「リーダー!」

 眼鏡をかけた若者が鞘に収めた片手剣に手を伸ばす。抜刀よりも早く、ヴァンダは片足で彼の手を踏み留めた。黒革の靴底が手の甲の骨を軋ませる。

 青年が苦痛に顔を歪めた。


「≪勇者の欠片≫か、ずるいぞ……!」

「まだ使ってねえよ。自力だ」

 ヴァンダは青年の胸倉を掴んで放り、山刀の鞘に収める。


 赤い火花が明滅する地下駐車場で影が蠢いた。

「抜かせなきゃいいんだろ!」

 褐色の肌の女がヴァンダに接近した。彼女は懐に潜り込み、鋼鉄のグローブで山刀の柄を押さえ込む。


「やって!」

 等間隔で並ぶ車の間から、腰まである長髪の娘がボウガンを構えた。

「少しは頭が回るじゃねえか」

 ヴァンダは柄を押さえられたままの山刀から片手で鞘を抜き払い、一歩身を引いた。重心を崩された女が倒れ込む。


 ヴァンダは刃を回転させ、ボウガンの矢を弾いた。砕けた欠片が車の窓を破り、ガラスの雨を受けた長髪の女が叫ぶ。


 ヴァンダは倒れた女の腕を踏みつけると、軽く跳躍し、車の屋根の上を駆け抜けた。

 ボウガンの矢がヴァンダの残像を穿ち、破裂音が響く。跳弾が備え付けの消火器にぶつかり、白煙がぶちまけられた。


 長髪の女は霞む視界の中で辺りを見回す。

「何処に消えた!」

「爺より目が悪いな」

 煙幕をスーツの腕が貫いた。ヴァンダは女の首を掴んで車に押しつけた。


「離せ!」

「用が済んだら離してやるよ。お前らと最近頻発してる魔族の関係は何だ」

「知るか!」

 女は足をばたつかせながら唾を吐いた。ヴァンダは肩を竦め、女を車よりも高く持ち上げる。


「お前らみたいな雑魚が殺せる魔族なんかそういねえだろ。殺し屋を排斥したい魔王禍から廉価でクズを買い付けて、自警団の功績を上げるための自作自演だ。違うか?」

「そんなことするか! 私たちは実力で魔族を……」



 女の背後から、無数の黒い触手が飛び出した。

 ヴァンダは女を離し、素早く車の屋根に上がる。

「ほら見ろ、やっぱり使ってんじゃねえか」

 攻撃に備えるヴァンダを他所に、触手は女を包み込んだ。甲高い悲鳴が蠢く黒い手の中から聞こえる。


「てめえでやられてどうすんだよ」

 ヴァンダは山刀を翻した。三条の斬撃が触腕だけを切り刻む。魔物の体内から吐き出された女は嗚咽し、そのまま嘔吐した。


 ヴァンダは女を見下ろしつつ、周囲に視線を巡らせる。

「どうもマッチポンプじゃなそうだな。本物の魔族か……?」



 暗がりから掠れた声が響いた。

「行儀が悪いぜ、お兄さん」

 ヴァンダは≪勇者の血≫を眼筋に行き渡せ、視力を強化する。鎮まりかけた煙の波の中に男の姿があった。


「あんたプロの殺し屋だろ。ビギナーズラックの狩り場を荒らすなよ。水に顔をつけるのが怖い幼児用プールで水泳選手がクロールするようなもんだ」

 男は歯を見せて笑う。日に焼けた顔にはひび割れた傷痕が無数にあるり、赤いシャツを留めるサスペンダーには多くの武器が提がっていた。


 ヴァンダは足音を立てずに身体を男の方に向けた。

「その顔の傷と武器、土傀のダンジョンにいたって奴だな。魔王禍の間を渡り歩いてんのか」

「根無草の傭兵マークスなんでね。"埋み火"のジハルだ」

「魔族が二つ名持ちとは豪勢だな。自警団の奴らを泳がせて何を企んでやがる」

「魔族じゃないんだなこれが」



 ジハルは一瞬でヴァンダに肉薄すると、踵を打ち込んだ。二双の山刀で防御したヴァンダの腕に重い衝撃が走る。

「お前は初心者ビギナーには見えねえな」

「年季で言えば老兵ロートルさ。だが、気持ちはいつでも新鮮に。初めての殺しのつもりで臨んでる」


 ヴァンダは鼻で笑うと、刃で手首を斬りつけた。

我が鼓動、愛しき血よA chuisle mo chroi

 真紅の鎖が蛇のように乱れ飛ぶ。ジハルは避けずに全身を鎖の先端で貫かれた。


「やるねえ」

 ジハルの抉れた肉が瞬時に再生し、鎖を自らの身体に縫い付けた。ヴァンダは目を見張る。

「お前……黒騎士か?」

「知り合いか? 悪いが、記憶が保たないんだよ。自分が誰かもわからない」


 ジハルは獰猛な笑みを浮かべ、鎖ごとヴァンダを引き寄せた。ヴァンダの腕に重圧がかかる。

「くそっ……」

 ヴァンダは素早く鎖を血に戻し、山刀で斬撃を放った。ジハルは跳躍して避け、刃が駐車場の柱を抉る。


 砕けた石片を掻い潜り、ヴァンダは逃げるジハルを追う。闇から投擲されたナイフがヴァンダの真横を掠めた。

「時間稼ぎか?」

「気づくなよ」

 ヴァンダは両手から伸ばした鎖を前方の車に縫い止め、自身の身体を引き寄せた。

 空中に投げ出された形のまま身を捻って山刀を振るう。ジハルの右腕が宙を舞った。


 返す斬撃がジハルの胴を切り開く寸前、地下駐車場に眩い光が差し込んだ。

 ヴァンダの一瞬の隙をついてジハルが姿を消す。狙いを失った刃が片隅の自動販売機を破壊し、陽気な電子音を鳴らして缶ジュースを吐き出した。



「次から次へと……今度は何だ?」

 ヴァンダを照らしたのはパトカーのヘッドライトだった。真っ白な光の中に溶け込むタイトな白いスーツを纏った長身の女が佇んでいる。


「困りますね、殺し屋さん。統京のお目溢しを受けている身で堂々と器物破損に傷害を重ねられては。私も見ないふりができなくなってしまいます」

「誰だ……聖騎士庁じゃねえな?」

「更にその上です」

 女は指先で天に縁を描くと、足元に転げた缶ジュースを拾い、プルトップを引いた。炭酸飲料を煽り、女は細く息を吐く。


「本来なら部下に任せて私は家でワインを嗜んでいるところですが、保勇機関と聖騎士庁には癒着がありますからね。なあなあで済まされないようこうして直々に出張って来た訳です」

「お前の目的は?」

「都民の安全の保護と正義の行使。暗殺者アサシンヴァンダ、貴方を勾留します。抵抗しないでくださいね?」


 女は空になった缶を振って微笑んだ。

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