流血ジャンクション

 統京の雑踏には、鮮烈な赤が紛れていた。

 若い男女たちが髪を真っ赤に染め、駆け出しの殺し屋が買うような廉価な金属製の胸当てを纏っている。

 彼らは古風な剣を背や腰に帯び、殺し屋たちの視線にも構わず肩で風を切っていた。



 ヴァンダは雑居ビルの錆びた非常階段から往来を見下ろし、舌打ちした。

「クソジャリどもが、全然似てねえよ……」

「血圧が上がりますよ、お爺ちゃん」

 エレンシアが呆れた微笑を浮かべる。


「危惧していた事態が起こりましたね。偽勇者に感化された若者たちが殺し屋の排斥を掲げ、勇者の名の下に自警団を結成するとは」

「馬鹿なガキどもが気まぐれで始めたところで大した脅威じゃねえだろ。雑魚にやられてお終いだ」

「私もそう思っていましたが、数日前から勇者ごっこの子どもたちが魔族を討伐したとの報告が次々上がっています」

「ろくでもねえ……」



 ヴァンダが取り出した煙草のフィルターを強く噛んだとき、背後から低く陰鬱な声が響いた。


「お互い大変だな、保勇機関」

 ふたりが振り返ると、神託騎士クルセイダールーシオが暗い色彩の長髪を揺らして階段を上がってきたところだった。


 エレンシアが小さく眉を顰めた。

「何故ここに?」

「四騎士からの伝達だ」

「他の三人はどうしたのですか」

「フレイアンは二日酔い、キーダはヒモ稼業、トツカは知らん。残った俺が代表で来た」

「快楽殺人鬼が窓口になる組織がトップの業界は潰した方がいいかもな」


 ヴァンダの皮肉に肩を竦め、ルーシオは煙草に火をつける。

「俺たちも勇者自警団の活動には参っているところだ。殺し屋ギルドも介さず、街を破壊したときの保険ももちろん入ってない。素人はやりたい放題だな」

「無償の奉仕活動ですからね。我々の仕事のレートもおかしくなるというもの」

「まったくだ。何より奴らは魔族を狩っているだけで人類に敵対した訳ではない。四騎士案件どころか殺し屋として排除にも動けん」


 ヴァンダは細い煙を吐きながら呟く。

「要はお前ら、俺たちに偽勇者と自警団の尻尾を掴ませるためにきたんだろ。罪状でっち上げてぶっ殺すお題目が必要って訳だ」

「流石は"赤い霜"。業界をよく知っている」


 ルーシオが懐から一枚の写真を取り出し、ふたりに見せた。引き伸ばされた粗い画面は監視カメラの映像の切り抜きだった。

「これは……路地裏か?」

「端の人影、髪を赤く染めていますね。自警団ですか」

「昨夜、殺し屋ギルド"掃除夫"の依頼が奴らに横取りされた。だが、所詮は露払い。雑魚を蹴散らしただけで、大元の魔王禍を殺せていない」


 エレンシアが眉間の皺を濃くした。

「元締めを狩るだけなら"掃除夫"に任せておけば良い。四騎士としては自警団と件の魔族のボスを結びつけ、魔王禍認定に持っていきたいということですね」

「その通りだ。自警団が戦歴を稼ぐために魔族と結託し、殺し屋排斥のためマッチポンプを行ったという方向に持って行きたい」

「……それに加担する我々のメリットは?」

 ルーシオは暗い目を歪めて笑った。

「偽勇者が釣れるかもしれないぞ」


 エレンシアはしばしの沈黙の後、慇懃にかぶりを振った。

「依頼を受けるには情報が足りません。魔族と言いますが、具体的には何ですか」

「わからん」

「四騎士ともあろうものが?」

 ルーシオは地上に煙を吐きかけながら頷く。

「キーダの視力でも種族の断定には至らなかった。例の≪魔王の欠片≫絡みかもしれないな」



 ルーシオが去った後、ヴァンダは短くなった煙草をすり潰した。

「ろくでもねえこと押し付けやがって……エレンシア、受けるか?」

「不本意ながら、偽勇者に近づく手がかりとあっては断れません」

「なら、俺が出る。四騎士が掴んでねえ情報も握れるかもしれねえしな」

「偽勇者と一緒にいたあの女ですか」

「ああ、ロクシーが情報収集に奔走してるが未だに全部が不明だ。奴の素性が割れれば偽勇者のバックボーンもわかるだろうが……」



 地上に視線をやると、雑居ビルの隙間から覗く街頭テレビが赤く輝いた。

「時のひとのお出ましですね」

 埃を被った画面の中には、エレンシアによく似た紅蓮の髪を持つ青年が佇んでいた。


 偽勇者はキャスターが差し出すマイクに取り囲まれ、素朴な苦笑を浮かべる。

「ええと、おれこういうの慣れてなくて……」


 眼鏡をかけた記者が彼ににじり寄る。

「統京は貴方の話題で持ちきりです! 全てが謎に包まれていますが、詳しくお聞きしても?」

「ごめん、言っちゃいけないことになってるんだ。でも、おれは普通だよ」

「とてもそうは思えませんが、それでは、勇者の再来と呼ばれていることについてどうお考えでしょうか?」


 赤毛の青年は慎重に言葉を選ぶ。

「おれは勇者の功績を奪おうとか、第二の勇者になろうとかは思ってないんだ。ただ、自分にできるやり方でみんなを守れたらいいなって」

「まさにそれが勇者ですよ!」

「そう思ってくれたことは嬉しいよ。うん……何て言うか、誰かが助けを求めたいときに思い浮かぶような人間になれたらいいかなって。それだけなんだ」


 歓声が湧き上がる。ヴァンダは液晶を睨んで呻いた。

「演じてる様子じゃねえな。あいつはありのまんまを答えてる。その全てが『勇者ならこう答える』って回答だ」

「貴方がそう言うならそうなのでしょうね」

 エレンシアは雨垂れで汚れたビルの壁に乱反射する光の粒を眺めて俯いた。



 統京の空が夕暮れの赤を失い、闇に染まる頃、地上に緋色が満ち始めた。


 ジャンクションの真下を自警団の若者たちが進んでいく。皆一様に髪を赤く染めていたが、それ以外は統一性がない。自作の鎧で武装した者もいれば、私服に安物の剣を提げただけの者もいた。


 トレーナーに不釣り合いな胸当てをつけた青年が携帯端末を取り出した。

「来たぞ、魔物の出現情報。この先のビルの地下駐車場だ」

 淵南出身らしい黒い肌の女が眉を顰める。

「確かなの?」

「コイツが殺し屋マッチングサイトをハッキングしてくれた」

 青年に指された男は貧弱な体型だったが、多分に漏れず髪を赤く染めていた。


「僕たち素人に出し抜かれるようじゃ殺し屋も大したことないな」

「ああ、所詮は報酬がなければ街を守らないゴロツキどもだ」

 最後尾を歩く、腰まで赤毛を伸ばした少女が奥歯を噛んだ。

「元々殺し屋は気に入らなかったのよ。私の叔父さんも魔族に武器を流したからって殺されたわ。私には何でも買ってくれる優しい叔父さんだったのに……」

 先頭の男が力強く頷く。

「勇者はそんなことしない。殺し屋の時代は終わりだ。俺たちで伝説を始めよう」



 自警団は明かりが消えた地下駐車場に足を進めた。非常灯が点滅し、暗闇の中に肋骨じみた柱が茫洋と浮かび上がる。


「魔族はまだいないようだな」

「よく見て」

 最後尾の女が鋭く囁き、自動車の間を指した。乗用車の腹にべったりと黒い粘液のようなものが付着し、粘ついた光を放っている。

「身を隠しているのか……皆、注意しろよ」



 生温かい風が這うように流れる。

 停滞した空気の中、甲高い電子音が響いた。駐車場の最奥、エレベーターの電光掲示板が何者かが降りてくることを示していた。


「来るぞ……魔王禍かもしれない」

 先頭の男が剣を抜き、闇に突きつける。後に続く面々も不慣れな動作で武器を取った。


 電光掲示板の数字は次々と減り、地下一階を示す。若者たちは震えを押し殺して叫んだ。

「怯えるな! 俺たちは勇者だ!」



 エレベーターの扉が開いた。眩い光が鉄の扉から漏れる。

 自警団の全員が息を呑んだ。


 エレベーターは血で満ちていた。下級の魔族も、それを操る魔王禍の姿もない。

 直方体の箱の中は真紅の滝に繋がっているかのように大量の血が流れ落ち、切断された触手が床で蠢いている。


「何だ……?」

 青年の戸惑いに応えるように、血の波が左右に分かれた。天井から滴る赤い雫で全身を濡らした、黒いスーツ姿の男が立っていた。


「どこも似てねえよ。お前ら全員零点だ」

 男が二双の山刀を擦り合わせ、返り血を飛ばす。

「勇者ってのがどういうもんか、殺し屋ってのがどういうもんか、俺が教えてやる」


 ヴァンダは血染めのエレベーターから一歩踏み出した。

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