愚劣コミュニケーション

 ヴァンダは基地の前に立ち、溜息をついた。


「いい加減エレンシアとまともに話し合うか」

「悲惨な顔だな、"赤い霜"」

 ロクシーは咥え煙草で笑う。

「まあ、ボスならブチ切れて叫んだり殴りかかってくることもないだろ」

「そりゃそうだが……」


 ヴァンダは重いドアノブに手をかける。開いた扉の隙間から白銀の剣が飛び出した。

「この馬鹿者!」



 ヴァンダは山刀を抜くことなく攻撃いなし、先程より深い溜息を吐いた。

「ロクシー、予想が外れたぜ……何でお前がここにいるんだよ」

 ジェサは剣を振り回しながら叫んだ。

「お前がエレンシアを悲しませるからだろう! ちゃんと向き合うべきだ!」

「だから、今そのために……駄目だ。聞いちゃいねえ」

「うるさい、避けるんじゃない!」



 剣戟の合間にエレンシアの呆れた声が響いた。

「何をしているんですか……」

 ヴァンダはジェサを片手で押さえ込み、顔を覗かせた。

「エレンシア、悪かった。偽勇者についてちゃんと話し合おう」

「言葉と行動が一致しないのですが。何故暴力を行使し合ってるのですか」

 彼女はそう言いつつ、冷え切った頰に微笑を浮かべた。



 四人はテーブルを囲むようにソファに座った。

「シモスも呼びましょうか」

「動けるのか?」

「座って話を聞くくらいはできます」


 エレンシアの声に応えるように、暗い廊下から足音が響く。現れたシモスは左肩を包帯で覆い、首筋には生々しい火傷痕が覗いていた。


 ジェサが目を見張る。

「シモス……」

「お久しぶりです。もう体調は大丈夫ですか?」

「お前に心配されるほどではないぞ!」

 シモスは困ったように眉を下げた。

「僕は大丈夫ですよ。殺し屋ですから」

 ロクシーは弟が足を引き摺りながら着席するまで目で追い続けた。



 静まり返ったロビーに空の水槽がポンプの泡を噴き出す音が響く。

 ヴァンダが口火を切った。

「じゃあ、話すか。俺の勇者時代の仲間、賢者イーリエンの言だ」

 エレンシアは唇を引き締めた。


 全員が無言で耳を傾け、暗いロビーにヴァンダの言葉だけが反響する。

 話が終わると、エレンシアは静かに息を吐いた。


「私を救ったのは彼女だったという訳ですか。そして、≪勇者の欠片≫を集めても勇者が生き返る訳ではないと」

「期待したか?」

 眉を顰める彼女に、ヴァンダは短く告げる。

「俺はしていた。馬鹿な話だとわかっててもな」

「……ええ、私もです。皆そうでしょう」


 エレンシアはふっと笑ってソファに背を預けた。

「ですが、違うとわかった今、考えるべきなのは≪魔王の欠片≫と偽勇者への対策です。ジェサ、前者は聖騎士庁も対応中ですね?」

「ああ、今先生やグレイヴ殿が四騎士と連携を取りつつ探っている」

「四騎士と?」


 ジェサは沈鬱に俯いた。

「おふたりは最近どこかで聖騎士庁から距離を置こうとしているように感じる。統京自体に不信を抱いているようだ。聞いてもはぐらかされるがな」

「ジェサも私と同じ悩みを抱えていましたか」

 ヴァンダは目を逸らした。


「そして、偽勇者についてです。ヴァンダ、あれの正体を探ることはできますか?」

「難しいな。奴が勇者を騙っているとはどうも思えねえ」

「同感です。あれはごく自然に勇者の生き写しとしての自分を受け入れているように思えました」


 ロクシーが口を挟む。

「笑わないでほしいんだが、オレは奴が≪勇者の欠片≫を集めて生み出されたんじゃないかと思ってる」

「何ですって?」

「皆、欠片を集めれば勇者が復活すると思ってたんだろ。実際にやらかそうとする馬鹿がいてもおかしくない」


 ヴァンダはしばしの沈黙の後答えた。

「有り得ない話じゃねえな。≪勇者の記憶≫はイーリエンが保有してる。記憶なしで虚像として作られたなら、自分が勇者だと自覚してなくてもおかしくねえ。その分自分の死や過去の自分との齟齬でイカれたまうこともない訳だ」


 エレンシアが頷く。

「ザヴィエ……イーリエンに改めて詳しく聞く必要がありますね。どちらにせよ劇作家にはコンタクトを取りたいと思っていたところです」

「用があるのか?」

「かの劇作家の紡ぐ言葉は多くの殺し屋たちの二つ名の由来となりました。シモスにもつけてもらおうかと」

「僕ですか? まだ二つ名をもらえるような功績は……」

「充分上げていますよ。これを見て自覚なさい」



 困惑するシモスの前で、エレンシアは携帯端末を弄んだ。ジェサが目を瞬かせる。

「これは殺し屋マッチングサイトだな! 聖騎士庁としてゆくゆくは撲滅を目指しているぞ!」

「頑張ってください。現状では殺し屋たちの重要な情報源です。シモスが話題になっていますよ」

「オレの弟がここまで成長するとはな。で、二つ名ってのは?」

「暴力大魔人ですね」

「嘘だろ?」

「本当です」


 エレンシアは画面を全員に見せつけた。

「最近保勇機関にすごいのがいる、四騎士でやっと対抗できる魔族を単独で倒したらしい、無名だったのに一気に活躍してる……この辺りはまだいい話です」


 細い指が画面をスクロールする。

「怒りの沸点がわからなくて怖い、違法駐輪の自転車を破壊しているのを見かけた、不法投棄した業者を半殺しにした、自販機を壊した、ほぼ兵器などと言われています」

「自販機は壊してませんよ……」

「他はやったのか?」

 シモスは兄の問いに答えなかった。



「オレの弟の話はこれだけか? 他にもあるだろ」

「他には……『弱そうだと侮ったら一撃で斬り殺されて、そのギャップに目を焼かれて死ぬ魔族になりたい』などです」

「何で変態が混じるんだよ」


 ロクシーは前髪を掻き上げた。

「待てよ。赤い霜やら錆斬りやら大仰な二つ名が喧伝されてるのに、オレの弟だけ暴力大魔神はおかしいだろ」

「二つ名はつけた奴のセンスによりますからね。ヴァンダもよく知っているでしょう」

「早いとこ別のを流行らせねえと取り返しがつかなくなるぜ。前にろくでもねえ二つ名が広まったせいで廃業した殺し屋もいる」

「何という名だったんです?」

「暗黒の堕天使」

「それは惨い」



 シモスは身を縮めながら言った。

「僕は暴力大魔神でも構いませんから、偽勇者のことを……」

「わかったぞ!」

 ジェサが勢いよく立ち上がる。


「シモスの二つ名も偽勇者も一気に解決できる名案だ!」

「おめでとうございます。座ってどうぞ」

「聞け、エレンシア! 偽勇者のことがわからないなら直接聞けばいいじゃないか!」

「ジェサ、座りなさい」

「何が悪いのだ!保勇機関が偽勇者を捕まえ、尋問し、話の齟齬をイーリエンの記憶と照らし合わせる! ついでにシモスの二つ名もつけてもらう! 万事解決じゃないか!」


 ヴァンダは頭痛を堪えるように眉間を擦った。

「そんな単純な話かよ……」

「いい手かもしれませんね」

「エレンシア、お前まで……」


 エレンシアは赤い髪を払って微笑んだ。

「他に術がない以上最も有力な手段です。早速作戦会議に移りましょう。その前にヴァンダ、一旦席を外しなさい」

「何でだよ」

「命令です。外しなさい」



 ヴァンダは当惑しつつ席を立つ。

 彼が去ったのを確かめてからエレンシアはロクシーににじり寄った。

「賢者とヴァンダはどういう関係ですか」

「ボス?」

「命令です。答えなさい」

「いや……」

「私に言えないということですか」


 エレンシアは長考の末、顔を上げた。

「シモス、過去は過去ですよね?」

「僕ですか?」

「はい。貴方に聞きます。八十代と推定二十代、どちらがいいですか?」

「いいって何がですか?」

 シモスは眼光に耐えかねて仰け反る。

「その、八十代よりは二十代の方が……」

「よろしい」



 ジェサは彼らを遠巻きに見つめながら呟いた。

「保勇機関、案外馬鹿ばっかりだ……」

 暗がりからヴァンダの吸う煙草の紫煙が流れて消えた。

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