回想イントロダクション
イーリエンはマグカップを三つ持ってくると、原稿用紙が雪崩を起こした机に置いた。
ヴァンダは湯気を立てる茶に鼻を寄せる。
「世捨て人、何年前に買った茶だ」
「勇者との旅路では泥水も啜った男とは思えないね」
イーリエンは一口茶を啜り、机に肘をついた。
「残念ながら、偽勇者に関しては私も何も言えないんだ」
「散々勿体ぶってそれかよ」
「まあ聞きなよ。賢者が知らないと言っている。それだけでひとつの道標だろう。何せ≪勇者の欠片≫を作ったのはこの私なんだから」
ロクシーが息を呑む。
「何だって……」
「おや、ヴァンダなら勘づいてると思ったけれど」
「"赤い霜"、本当か?」
ヴァンダは重々しく首を振った。
「薄々そうじゃねえかとは思ってたがな。神秘の力を使わなきゃあんな芸当はできねえ。だが、魔族にはやるメリットが皆無だ。だったら、お前しかいねえよ」
「そう。私の賢者たる所以はひとの身で神秘の力を解析し、知識として利用できることでね」
イーリエンはこめかみを指で叩いて見せる。
全てが停止した沈黙の中を湯気だけが流れた。ヴァンダはインクが滲んだ原稿用紙を見つめて言った。
「イーリエン、何故やった?」
「君がやるべきことをしなかったからさ。君は勇者が死ぬ前にやるべきことがあった。私ができることは勇者が死んでからやるべきことしかなかった。その違いだよ」
ロクシーが身を乗り出した。
「そこまで言わなくていいんじゃないか? 勇者を殺したのは王族だろ。"赤い霜"とはいえ、ひとりが割り込んだところで結果が変わるとは思えない」
「ロクシー、気にすんな。俺が逃げたのは事実だ」
イーリエンは微かに目を細めて笑う。
「ロクシーくんは優しいね。そして、太刀打ちできない現実の無慈悲さも知っている。勇敢だったお母さんそっくりだ」
「お袋を知ってるのか?」
「"星のたてがみ"サンディだろう。金髪とサングラスと蝶の刺青でわかったよ。彼女の二つ名は私がつけたんだ」
「そりゃどうも……」
曖昧に頷いて座り直したロクシーを横目に、ヴァンダはかぶりを振った。
「話が逸れたな」
「久々の再会なのに性急だね。では、耳が痛いだろうけど、勇者が死んだ日の話に戻ろうか」
イーリエンは空のマグカップを押しやった。
「あの日、私は王都を離れていた。勇者に雑用を頼まれてね。今思えば逃されたんだろう。駆け戻ったときにはもう遅かった。下手人は王位継承権下位の子どもたちだった。ルシアリアの弟もいたよ」
ヴァンダは奥歯を軋ませる。
「私はふたりほど優しくないから、きっちり彼らを殺した。後には勇者と姫騎士の死体が残った。それから、息耐える寸前の赤ん坊も」
「エレンシアか……」
「私は王族に奪われる前に、ふたりの亡骸を持ち帰った。神秘の力で腐敗を遅らせ、赤ん坊を延命した。でも、生き返らせる術は見つからなかった。このままじゃ子どもも手遅れになる。そう思ったとき、勇者の亡骸にある魔術が反応した」
イーリエンは声を低くした。
「≪魔王の欠片≫さ」
「魔王の……」
「覚えがあるようだね。そう、最近魔族の間で流通している武器だよ」
「≪勇者の欠片≫が先じゃねえんだな」
「その通り。私は戦後、ダンジョンから魔王が編み出した魔術式に関する資料を見つけた。自らが亡き後、死体を分割し、それ自体を魔力を持った武器として臣下に預けるための仕組みだ」
「それを勇者に使ったのか?」
「ああ、魔王との戦いで魔族の血を浴び続けた勇者だからこそ適合できたんだろう」
ロクシーがかぶりを振って苦笑した。
「伝説の奴らの話にはついていけないな」
「魔王は死後も魔族を支配したかった。勇者は死んでも大事な人々を救いたかった。同じことだよ」
「そんなに単純な話か?」
「最初に生まれた欠片は≪勇者の心臓≫だ。我が娘を救うためだろう。私は瀕死の赤ん坊から心臓を取り出し、≪勇者の心臓≫と入れ替えた。真っ当に動くまでに数十年かかってしまったけどね」
「道理でエレンシアが老けてない訳か……」
ヴァンダはまた口を噤む。窓の外からネオンの明かりとサイレンの音が聞こえてきた。
イーリエンはマグカップの縁で机を叩いた。
「何故、≪勇者の欠片≫を作ったのか聞いたね。欠片の存在を知ったときらこうは思わなかったかい? 全てを集めれば勇者が戻ってくるんじゃないかと」
ヴァンダは首を絞められたように喉を鳴らした。見開いた目にイーリエンの微笑が映る。
「私とそうさ。保勇機関を設立したお嬢さんも同じ思いだったと思うよ」
「……できる訳がねえ」
「その通り。原稿用紙をいくら掻き集めたところで元となった木に戻る訳じゃない。だが、魔王ならどうだろうね?」
「≪魔王の欠片≫は魔王復活のための仕組みだってことか」
「充分有り得る。そして、魔族側の理解としては≪勇者の欠片≫を掻き集めて勇者を作れると思っていてもおかしくないのさ」
ヴァンダは乾いた唇を舐めた。
「偽勇者……」
「私は彼を魔族側が何らかの理由で復活させようとしている勇者のハリボテだと考えているよ。推察の域を出ないけどね」
会話が途切れ、サイレンの音が部屋に満ちた。
ロクシーは天井を仰ぐ。
「ボスに報告すべきだと思うぜ、"赤い霜"」
「わかってる……邪魔したな、イーリエン」
「もう帰るのかい? 聞くことがなくなったら用済みとは酷い男だね」
「話してる場合じゃねえだろ。礼は暇になったらする」
「そう言って結局私たちはバラバラになってしまったじゃないか。勇者も後悔していたよ」
「何?」
イーリエンはまたこめかみを叩いた。
「私が保有している欠片は≪勇者の記憶≫だ。彼が最後に思っていたことも全部頭に入ってる」
「……嘘だろ」
「本当さ。『息子ならレガロ。娘ならエレンシア』。贈り物に遺産、だろ?」
勇者と最後に交わした、これから生まれてくる子どもの名前。ヴァンダは椅子を引いた。
「勇者は……最後に何を思った。失望か、憎悪か?」
「逃げた奴には教えないよ」
「そうかよ」
ヴァンダはロクシーを連れて扉を開く。
ふたりが立ち去った後、イーリエンは山積みの本に埋もれて目を閉じた。
***
エレンシアは廃ホテルの屋上で、星屑が地上に散らばったような夜景を見下ろしていた。
「もうじきふたりが戻ってくる頃でしょうか」
傍のジェサは気遣わしげに目を伏せる。
「寒くなってきたぞ。中に入って待たないか?」
「そんなに私が心配ですか。聖騎士庁の戦士が殺し屋を気遣って夜中に押しかけてくるなんて」
「聖騎士の戦士だからこそお前のような殺し屋にも慈悲をくれているのだ! 感謝すべきだろう!」
エレンシアは肩を竦める。
「ヴァンダも貴女ほど素直だったらよかったのに。偽勇者に何を感じて、どうしたいと思ったのか。まるで教えてくれません。私は勇者の娘なのに、勇者のことを何も知らないからでしょうか」
「でも……、今隣にいるのは勇者じゃなくお前じゃないか」
「ジェサのくせにいいことを言いますね」
「何だと!」
柵で覆われた廃墟にエンジン音が響く。
明かりの消えたメリーゴーランドの横で車が停止した。
エレンシアは地上を見下ろし、白い息を吐いた。
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