標的:人類の敵

追憶アフェクション

 "「勇者の再来? 統京に突如現れた謎の救世主に迫る!」"



 保勇機関の拠点、廃ホテルの薄暗いロビーに青白い光が灯った。殺し屋たちの沈黙に反して、人々の底抜けに明るいレポーターの声が液晶から響き出す。


 "「魔王禍に襲われたとき、彼が助けてくれたのよ! しかも、殺し屋と違って報酬も求めないの。『おれが勝手にやっただけだよ』って」

「うちのボケかけてる爺さんが彼を見て涙を流したんだ。『勇者様が戻ってきた』ってな」

「魔族に壊された店の修復も手伝ってくれたんだ」

「真っ赤な髪も華やかで素敵よね」

「勇者様に助けられた後目の前で死んで心の傷になりたい」

「聖騎士庁はこの前の貧民窟のダンジョン騒ぎも防げなかったし、信頼できないわよね」

「殺し屋は人間も殺すでしょう? 教育に悪いです。犯罪者に頼るべき時代は終わったんですよ」

「俺たちには勇者が必要なんだ」"


 レポーターはマイクを握って画面に向き直る。

 "「無償の奉仕活動を続ける謎の戦士は何者なのか。徹底調査したいと思います!」"



 テレビの電源を落とし、ヴァンダは暗い画面を睨む。

「途中変態が混じってなかったか」

「ヴァンダ、本質はそこではないでしょう」

 ソファに腰掛けるエレンシアは腕を組み、深く溜息を吐いた。


「偽勇者の活動のせいで、民意は殺し屋に頼らない自衛に傾いています。衆愚は成長しませんね。無私の奉仕に短絡的に頼るなど……」

「全くだ。殺し屋への依頼がだいぶ減ってるらしいが、うちの資金繰りは平気か?」

「ご心配なく。劇作家ザヴィエからの支援だけでなく、ベールが生前に金庫をしっかり管理してくれたお陰で貯蓄は充分ですよ。元銀行員の置き土産ですね」

 エレンシアは伏し目がちに微笑を浮かべた。


「偽勇者は何者なんでしょうね」

「……考えてもしょうがねえことは後回しだ」

 ヴァンダは彼女の肩を叩き、煙草を咥えた。

「それより、目下の課題はダンジョンがほざいてた≪魔王の欠片≫だ。一体何で、誰が流通させてる? 殺し屋が弱体化したところにそんなもんまで飛び出したら対処しきれねえぞ」

「既に情報筋を使って捜査させています。雲を掴むような話ですが」



 錆びた扉が開閉する音が響き、廊下の暗闇からロクシーが現れた。

「シモスの様子はどうですか?」

 ロクシーはくたびれた動作で首を振る。

「まだ安静が必要だな。鎖骨は見事に砕けてるし、腕の火傷もひどい。肩の傷は一生痕になりそうだ。無茶しやがって」

「ご苦労でした。私が代わりに看てあげましょう」


 エレンシアは立ち上がり、奥の暗闇に消えた。

 ロクシーは入れ替わりにソファに腰を下ろすと、咥え煙草のヴァンダを小突いた。

「喧嘩でもしたか?」

「喧嘩すらできてねえよ。ダンジョンでの仕事が終わってから訳もなく避けられてる」

「訳ならあるだろ」

 ロクシーは煙草を挟んだ歯を見せて笑う。


「お嬢さんは勇者の娘だが、一度も勇者に会ったことがない。アンタと違って偽勇者が本物とどう違うのかわからねえ。これは歯痒いぜ。アンタと悩みすら共有できないんだからな」

「なるほどね……」

 ヴァンダは煙を吐く。空の水槽に流れた紫煙が満ちた。


「アンタらの問題はふたりで解決してくれ。偽勇者や≪魔王の欠片≫についてもな。オレは今弟が一番心配だ」

「爺から見りゃ下の子につきっきりの上の子のが心配だ。飯でも食いに行くか」

「オレに頼み事でもあるのか?」

「鋭いな。奢ってやるから付き合え。ただし、条件がある」

「安心しな。そこまで高いもんは強請らないさ」

「違う。シモスの土産なら後で見繕う。お前の食いたいもんを選べよ」


 ロクシーはサングラスを押し上げ、裸眼の瞳を細めた。

「"赤い霜"、アンタ若い頃モテただろ」

「そんな暇も余裕もなかった。決まったなら車出せよ」

 ヴァンダは錆びたスタンド式灰皿に吸殻を投げた。



 ふたりを乗せた車は、統京郊外の隘路に進んだ。

 ネオンの看板が暗くなり始めた空を花火のように埋め尽くす。

 淵東の意匠の青提灯や淵西の言語の壁の落書きが四方で光り、錆びたバスとバイクが道を行き交う。


 ロクシーはハンドルを切った。

「尋ね人は随分雑多なところに住んでるんだな」

「……隠れ蓑が必要なんだろ」

「いい加減に教えてくれよ。ボスに隠れて誰に会いに行くんだ。昔の女か?」

 ヴァンダは無言を返した。


「当たりかよ。そんな暇も余裕もないって聞いたばっかりだぜ」

「大昔の話だ。俺も会うのは数十年ぶりだな」

「会ってくれるのかよ」

「無理やり取り付けるさ。こっちは何かと貸しを作ってるんでな」



 ヴァンダは濡れた段ボール箱を重ねたような雑居ビルの前で車を停めさせた。

 塗装の剥げた階段を昇り、三階に辿り着く。緑の扉には金の文字で"ザヴィエ"と記されていた。


 ロクシーが目を見張る。

「勇者物語の劇作家ザヴィエか? そんな大物と交流があったのかよ」

 ヴァンダは答えずに拳で扉を叩いた。

「イーリエン、いるんだろ」

 扉の向こうから、笑いを含んだ女の声が答えた。

「開いてるよ」



 ヴァンダが扉を押し開けると、埃とインクと香水の混じった空気が漏れた。


 窓がある一面以外全ての壁を本棚で埋め尽くした部屋に、女が座っていた。

「せっかくの再会なのに相変わらず無粋だね、ヴァンダ」


 彼女は回転椅子を反転させる。金のイヤリングと、顎の下で切り揃えた茶髪が揺れた。


 細身に薄地のタートルネックを纏い、男物のジャケットを羽織る彼女は服装こそ現代的だが、どこか人間離れして見えた。

 湖水じみた薄緑色の目は、ヴァンダとロクシーを透かして遥か遠くのものを眺めているようだ。


「お前も変わらねえな」

「及第点の答えだけど、更に綺麗になったとは言えないものかな?」

 ヴァンダが肩を竦めると、女は可笑しげに眼を歪める。


「売れっ子作家の時間は高くつくよ」

「使用料のツケを取り立てに来たんだよ。俺を題材に好き勝手書きやがって」

「勇者時代の君の思い出は私の思い出でもある。自分の貯金を切り崩しているだけさ」



 ロクシーが小声でヴァンダに尋ねた。

「……ザヴィエなんだよな?」

 女が鷹揚に手を広げる。

「もちろん、勇者物語の生き証人、統京一のベストセラーメーカー、劇作家ザヴィエとはこの私さ。ねえ、ヴァンダ?」

「数あるペンネームのひとつだな。前はウィンガード、その前はギャリス、前の前はパルマだったか」

「君がまだ私にそれほど興味を持っていたとは知らなかったよ」



 困惑するロクシーにヴァンダが囁いた。

「……勇者のパーティが何人いたか知ってるか?」

「確かアンタと勇者、姫騎士、賢者だったか」

「勇者と姫騎士は死んだ。俺は知っての通り。じゃあ、あとひとりはどうなった?」

「革命以降、行方不明らしいが……賢者に関する伝説はほとんど聞いたことがないな」

「意図して隠してるからな。今ここにいる」


 ヴァンダは含み笑いを浮かべる女を指した。

「こいつが賢者セージ"霧橋の"イーリエンだ」



 ロクシーは呆然と立ち尽くす。

「伝説の賢者が劇作家? それにしちゃ年が……」

「俺と同じ、≪勇者の欠片≫で全盛期の姿を保っちゃいるが実際は八十だ」


「初対面の子に女性の年齢を明かすなんて。相変わらずひどい男だね」

 賢者イーリエンは口元に手をやって笑う。

「ロクシーくん、彼から話は聞いてるよ。てっきり勇者のお嬢さんが来るものだと思っていたけど」


 ヴァンダが眉間に皺を寄せる。

 彼女は机上の本の山を押し退け、空いた場所に頬杖をついた。

「昔話をしに来てくれた訳じゃなさそうだね。聞きたいことがあるのかな」

「イーリエン、お前も知ってんだろ」

「察しはついているよ。偽勇者について、だね」



 半開きの窓から生温かい風が吹き込み、勇者物語の本の頁を捲った。

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