殺し屋調査録:神託騎士"常夜"ルーシオ
俺は殺人犯にも英雄にもなりたくなかった。ただ、まともになりたかった。
初めて俺が異常だと知ったのは、幼い頃、同級生が魔王禍の襲撃で死んだときだった。
俺は両親に「何で」と聞いた。彼らは俺を抱きしめ、啜り泣きながら言った。
「何ででしょうね。罪もないあの子が死ななきゃいけない理由なんてないわよね」
「その通りだ、当たり前に受け入れていいことじゃない。今の疑問を大切にしなさい、ルーシオ」
俺が聞きたかったのは、魔王禍が級友を殺した方法だった。
昨日まで菓子を詰め込んでいた柔らかい腹から腑を引き出したのか。庭園を駆け回った脚をへし折ったのか。保育士の真似をして歌った喉を裂いたのか。
そして、俺は想像と同じように、ひとを殺したいのだと気づいた。
誰にも言えなかった。
級友の死に衝撃を受けたふりをして、魔王禍の事件簿を読み漁った。
図書館で殺人に関する本を借りるとき、ミステリや医学書に挟んで持ち帰った。
弟が生まれてからは、いざというとき守るためだと嘯いてナイフの扱いを試した。
心身共に健康な友人たちは、敢えて闇に惹かれるふりをして魔族が起こした惨劇を語った。俺は参加しなかった。己の仄暗い欲望を零すのが恐ろしかった。
周りは俺を真面目な文学少年だと思った。
弟は俺と比べれられたせいか、不良の仲間とつるんで非行に走るようになった。
弟が警察の厄介になり、父に殴られて帰った夜だった。
俺を睨みつける弟に対して、俺は思っていたことを言った。お前は俺よりずっと善良だ。人生に希望がある。今していることはままならない現状への苛立ちからだろう、と。
弟は幼子のように俺に抱きついた。
「俺を見捨てないのは兄貴だけだ。今までごめん。俺、まともになるから」
俺は「今もまともだ」と言った。事実その通りだ。俺とは違う。俺は弟を抱きしめ返しながら、血が迸る頸動脈を見つめていた。
弟が時間をかけて構成する間に、俺は順当に学業を納め、図書館司書になった。
人気なのは劇作家ザヴィエの勇者物語だったが、俺はドルトーニの戯曲の方が好みだった。
華々しい英雄譚の裏の虐殺や、道半ばで死んだ敗者の物語ばかり書く老作家だ。
ドルトーニはきっと俺と同じ欲望を抱えているに違いない。彼が罪を犯さず、芸術に昇華していることが俺の救いだった。
俺もそうして生涯を終えられると思った。
かの作家に会う機会が訪れた。
俺の務める図書館でドルトーニの講演会が開かれた。
彼は陰惨な物語の作者とは思えない、品のいい老人だった。
講演が終わり、彼の愛読者が押し寄せた。皆、異端者を気取って「貴方の本には自分の内実が描かれている」と語った。老作家は微笑んで耳を傾けていた。俺はその輪に入らなかった。
講演会の後、ドルトーニが自著を置き忘れていったことに気づいた同僚が、俺に届けるよう頼んだ。
遠巻きに見ていたかった作家に近づくのは不本意だったか、俺はそれを受諾した。
ドルトーニの家は統京の外れにあった。
見た瞬間、息を呑んだ。
あの作風だ。傾きかけた暗い家で陰鬱に暮らしていると思っていた。目にしたのは、花が咲き乱れ、木のブランコがある、真っ白な邸宅だった。
彼の妻らしき老女が洗濯物を干しながら俺を出迎え、書斎に通した。ドルトーニは孫娘に囲まれながら微笑んでいた。これが零した腑を烏に突かれる死骸を仔細に描く作家だろうか。
彼の妻はジャムを塗ったクッキーと紅茶を盆に乗せて微笑んだ。
「あんなものばかり書くひととは思えないでしょう」
部屋に残された俺はドルトーニの向かいに座った。彼は茶菓子を勧めながら、真っ直ぐに俺を見つめた。
「一目でわかった。君は私と同じらしい。暗い欲望を持たざる者は雄弁に己の闇を語り、真に持つ者は君のようにひた隠す」
絶句する俺に、ドルトーニは光の失せた目を向けた。俺の口から思わず言葉が漏れた。
「どう生きればいいですか」
「隠し通すことだ」
ドルトーニは暗い瞳を閉じた。次に目を開いたときは、好好爺に戻っていた。
俺は別れ際にサインをもらった彼の著作『常夜』を手に、日常に戻った。生きている限り許されない願望を隠し通して生きる。今までと変わらずに。そう思っていた。
破滅が訪れたのは、いつものと変わらない図書館からの帰り道だった。
近くで爆発音が響き、辺りが暗くなった。
魔王禍の襲撃に巻き込まれたと悟ったときにはもう、全身の血が流れ出るのを感じた。あるのは恐怖ではなく、安堵だった。ようやくこれで終わるのだ。
永遠に明けないはずの常夜が訪れ、やがて明けた。
病院のベッドで目覚めた俺を、あの日のように泣き腫らした弟が見下ろしていた。
両親が語るには、弟が真面目に働いて貯めた金で臓器を移植し、お陰で俺は助かったのだという。
「やっと兄貴に恩を返せたよ」
誇らしげな弟に礼を言ったが、俺の中にあるのは絶望だった。ひとを殺せない人生がまだ続くのだ。そう思っていたのに。
同僚が俺の復帰を祝ってくれた後、いつもより暗い帰路についた。
前を若い女が歩いていた。跳ねる脹脛の筋肉は斬れば鮮血が噴き上がるだろう。柔らかい首を貫けば軟骨と肉が刃に絡みつくだろう。
いつも通り、想像するだけだ。
気づいたら、俺は暗い路地裏にいた。
手には護身用のはずのナイフがあった。目の前の血溜まりに女が倒れていた。喉には三日月型の裂傷があり、俺を嘲笑う口のように見えた。
俺がやったはずがない。生温かい血に濡れた手が違うと答えた。
俺はその場に座り込んだ。道を外れた。一生隠し通すつもりだったのに。
涙の代わりに笑いが溢れた。俺はとうとう人殺しになった。この一回だけだ。二度とやらない。それでも、罪は消えない。
どうせならば、最初で最後の一回を楽しもうと悪魔が囁いた。
俺は事切れた女の身体にナイフを振り下ろし、何度もかき混ぜた。生涯一度きりの血肉と骨と内臓の感触を楽しんだ。
血が俺の頰にかかるたび、苛むように街灯が俺を照らした。
翌朝、俺の家に警察が押しかけるのを待ったが、いつまでも来なかった。
全て悪い夢だと思おうとしたが、部屋には血塗れの服とナイフがあった。俺は服を捨て、ナイフを洗い、また日常に戻った。
事件の報道はいつまでもなかった。同僚は変わらず俺に接した。
俺は幻覚を見ているような気持ちで日々を送った。
暗い路地裏を歩くたび、あの夜を思い出す。
そして、気づくと俺はまたひとを殺していた。
バスで乗り合わせた男を追って背を刺した。道を尋ねた老女を暗闇に誘って喉を掻き切った。迷子の少女の腹を滅多刺しにした。
我に返るたび、死体の傷が俺を嘲笑った。
半年が経った頃、いつもの路地に入った俺を三人の男女が取り囲んだ。
鋭い目つきの黒髪の女と、小柄で栗色の髪の男と、褐色の肌の長身の女だった。普段縁のない俺でも殺し屋だとわかった。
俺は魔王禍よりひとを殺した。目をつけられるのも当然だ。俺は言われるがまま三人に連行された。
通されたのは、殺し屋専用のダイナーの奥の席だった。
俺が無言の威圧を受けながら座ると、小柄な男が一枚の写真を突きつけた。
「これ、君がやったんだよね?」
最初に殺した女の死体が写っていた。黙り込む俺をよそに、三人はテーブルに写真を広げる。どれも俺の犠牲者だった。
「この魔物は胃の腑の奥底の核を潰さねば死にません。一体どう探り当てたのやら」
「殺し屋ギルドに潜入して壊滅させた奴もいるね。ギルドマスターすら気付けなかったのに」
「弱者に擬態しても容赦なしだ。素人とは思えない……」
「俺はひとを殺したんじゃないのか」
そう尋ねると三人は怪訝な顔をした。
「お前が殺したのは皆、魔族です」
「知らないの? 君、殺し屋界隈で有名人だよ」
「待て、自覚がないならお前は何を殺したつもりでいたんだ。まさか……」
それから、俺に移植された臓器の持ち主が殺し屋だったことを知った。かの者は人間に擬態する魔族を無意識に見分ける欠片、≪勇者の直感≫を保有していたことも。
そして、三人が殺し屋の最高峰、四騎士であることもそのとき知った。
俺は動揺のあまり無意味な問いを投げた。
「四騎士ならひとり足りなくはないか」
彼らは困惑気味に囁き合った後、溜息を吐いた。
「見かけによらず度胸あるね」
「お前の言う通りです。何処かの愚か者が男女問題で追放されたせいで我々にはひとつの空席がある」
四騎士最強の女、フレイアンは隻眼で俺を見定めた。
「ルーシオ、君は生まれついての殺人者みたいだ。野放しにはできない……でも、それを活かせる場所がある。ただの犯罪者で終わりたくないなら、私たちと来てほしい」
トツカとキーダが頷く。
俺は鞄の中の本、『常夜』に触れた。願いを叶えることなく散った哀れな騎士の一生の物語だ。
俺はその運命を受け入れた。俺はひとを殺したいが、ひとが憎い訳ではないのだから。
俺は殺人犯になりたくなかった。だが、恵まれた正常な者たちから、英雄と誤解されるのも気に食わない。
勇者の作った平和な世界にいるべきではない遺物として残るくらいなら忘れられたい。
今日もままならない人生を送る。それでいい。
だか、いつかこの常闇が晴れるならば。
保有する欠片は≪勇者の直感≫。
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