偽勇者
貧民街全土を覆った魔王の遺物が消え去り、後には破壊された街と膨大な土砂が残った。
土煙の引いた空を朝陽が染め上げる。
聖騎士庁の紋章を掲げたパトカーが瓦礫を踏み越えて駆け回るのが見えた。
無線からスターンの悲痛な声が流れる。
「避難民の救済を第一にしてください! 現場検証はその後で構いません。えっ、パトカーが一台足りない? そ、そんな、困りますよ。都議から借りてるんですよ!」
エレンシアはアパートの非常階段を降りながら苦笑した。
「後のとこは聖騎士庁に押し付けましょう。我々は調査すべきことがありから」
ヴァンダは咥え煙草に火をつけて頷いた。
「ああ、≪魔王の欠片≫なんざ聞いたことがねえ。どこから流通したのか、総数はいくつか、現状保持してる勢力がどこか……」
「そもそもの実態も調べなくては。≪勇者の欠片≫と同様に魔王の死体から分けられたものなのでしょうか」
「どうだかな。何にせよ不穏だ……そういや、女が持ってた欠片は回収したか?」
「抜かりありませんよ」
エレンシアは小さなガラスケースに入れた、赤く輝く結晶を振ってみせる。
「抜け目ねえや」
ヴァンダが煙を吐いたとき、後ろから砂礫が砕ける音がした。
「
ヴァンダは振り向くと同時に山刀を抜く。
地面に広がる土砂から、今にも崩れそうなエーテルの上体が復活した。
「我が妻を殺したのか……」
憎悪の目を向けるエーテルに、ヴァンダは皮肉な笑みを返す。
「生きてんなら丁度いい。≪魔王の欠片≫について吐かせるか」
「ふざけるな……!」
そのとき、一台のパトカーが隘路から飛び出し、エーテルの脆い身体を撥ね、正面の壁に衝突した。
クラッシュしたタイヤが念入りにエーテルを引き潰す。
ぼんと爆発音が鳴り、細やかな火と煙が土傀を完全に土砂に戻した。
ヴァンダとエレンシアは呆然と立ち尽くす。
「な、何やってんだ……?」
「聖騎士庁が轢き逃げとは……」
ひしゃげた車体の運転席が開いた。もぞもぞと這い出した人影は、勇者物語に登場するような時代錯誤の兜と鎖帷子の鎧を纏っていた。
ヴァンダは無線に手をやる。
「おい、スターン長官。お前らの車がコスプレ野郎に盗まれた上、魔王禍を轢き逃げしたぞ」
「何の話ですか? ちょ、ちょっと待っててください。え、轢き逃げ犯って今そこにいます? 怖いので拘束しておいてもらえると……」
鎧帷子の男は颯爽とパトカーから降りると、ふたりに駆け寄った。
「間に合ってよかった。逃げ遅れたひとがいたなんて……今、魔王禍は倒した、安心してくれ!」
「はい……いえ、我々が倒したのですが」
呆れるエレンシアの傍で、ヴァンダが唇から煙草を溢した。燻る火が彼の手の甲を焼いて地面に落ちても、微動だにしない。
「ヴァンダ、どうしたのですか?」
「その声……いや、まさか」
ヴァンダの顔は蒼白で、表情筋が引き攣っていた。
「ごめん、顔が見えなきゃ警戒するよな。大丈夫、おれは人間だよ」
鎧の男は兜を脱いだ。ヴァンダの喉が細く鳴る。
朝陽よりも濃い赤髪、人懐こい金の双眸、強い意志と幼さが混ざる口元。何もかも幾度となく夢に見た、記憶の中の姿と同一だった。
「勇者……」
「何を言っているんですか、彼が……?」
エレンシアは立ち尽くすヴァンダと、自身も同じ髪を持つ目の前の青年を見比べた。ヴァンダは茫然自失で首を振る。
「違う、そんなはずはねえ。だが……」
赤髪の青年は困ったように眉を下げた。
「あの……おれ、何かしちゃったかな」
ヴァンダは揺れる瞳で彼を見据える。
「てめえ、何だその面は……」
青年は一瞬不思議そうな顔をしてから、大声で答えた。
「ひっどいな! おれだって別に自分のことカッコいいなんて思ってないけどさ! いきなり馬鹿にすることないだろ!」
素朴な怒りを見せる青年はあまりに純粋で、嘘偽りの欠片もない。世界を救った勇者の鋳型がそこにあった。
華奢な靴が土砂を踏み潰す音が響いた。
「もう、そんなことろにいたの?」
御伽噺の姫君のようなレースのドレスを纏った女が路地から現れた。赤毛の青年がバツが悪そうに俯く。
「リートゥス、見てたなんて……」
「探しに来てあげたのよ。初対面のひとと口喧嘩なんて、ワヤンったらお子様なんだから」
ヴァンダが声を震わせる。
「ワヤンだと?」
エレンシアは静かに息を吐き、場違いなほど和やかに言い合う青年と女を見据えた。
「ここは聖騎士庁により封鎖された避難区域です。無断の侵入は許されていません。貴方たちは殺し屋と見受けましたが、何者ですか」
リートゥスと呼ばれた女が艶然と微笑む。
「殺し屋じゃないわ。勇者よ」
「……私の前で勇者ワヤンを騙りますか」
赤毛の青年が取り成すように手を振った。
「そんなんじゃないよ。おれたちは魔族からひとを守るために戦ってるだけなんだ。自警団みたいなもので……」
「話しても無駄よ」
リートゥスが青年を制止した。
「彼らは保勇機関。≪勇者の欠片≫を独占し、守護ではなく殺しに使っている。私たちの敵だわ」
エレンシアが眉根を寄せた。
「詳しく聞く必要がありますね」
青年が傷ついたように顔を伏せる。今まで硬直していたヴァンダが一歩進み出た。
「エレンシア、退がってろ」
「貴方は戦える状態ではありません」
「何処がだよ。五体満足で若さが溢れてる。高血圧も治った」
軽口を叩きつつ、山刀に這わせた指はまだ震えていた。
「誰だか知らねえが、利害が反目しあってるらしいな? じゃあ、やるか」
青年はリートゥスに視線で合図をして退がらせる。
ヴァンダは二度深く息を吸い、青年を見据えた。
「……さっきは悪かった。お前が知り合いに似てたから驚いただけだ。面を馬鹿にした訳じゃねえ」
「そうだったのか。おれこそ早とちりしてごめん」
青年は真剣な表情で頷き、小さく微笑んだ。
「謝ってくれてありがとう。おれも敵だからって恨んだり傷つけたりしたい訳じゃない」
「そうかよ」
「……おれ、そのひとにそんなに似てるのか?」
「どうだかな」
ざり、とヴァンダの靴底が地面の土砂を噛む。
隘路に垂れる電線が撓み、火花が散った。火の粉の一粒が地上に落ちるより早く、ヴァンダは斬り込んだ。
「うわっ!」
青年が慌てて防御する。飾り気のない白銀の剣に、ヴァンダの山刀が食い込んでいた。
青年の瞳が焦りで震え、剣の柄を握る籠手が重みで軋む。ヴァンダはもう一振りの山刀を掬い上げるように振るった。
青年は斬撃で円を弧を描いて間合いから脱出する。刃がぶつかり合い、火花が暗い路地裏を照らした。
ヴァンダは重心を低くし、間髪を入れずに追撃を与える。青年は何度も剣を翻して応じるが、袋小路へと追い詰められていった。
物陰からリートゥスが叫ぶ。
「ワヤン、気をつけて!」
「わかってる!」
青年は冷や汗を飛ばしながら呟いた。
「今までの誰よりも強い……おれの手が全部読まれてるみたいだ」
「何百回手合わせしたと思ってんだよ」
「えっ?」
ヴァンダは首を振ると、左手の得物を鞘に戻した。
「ここは弱かったよなぁ!」
ヴァンダは前傾姿勢で、右手を差し出すように山刀を薙いだ。抉り込むような斬撃が青年の肩当てを弾く。青年は死角に回った攻撃に弾かれ、壁に叩きつけられた。
エレンシアは服の襟元を握りしめた。
「ヴァンダ……」
ヴァンダは一歩ずつ青年に近寄る。倒れていた青年は剣を杖代わりに立ち上がった。
「まだだ!」
気丈に叫ぶ口元は焦りと恐怖で引き攣っていた。
ヴァンダが二双の刃を構えたとき、甲高い泣き声が聞こえた。
「子ども……?」
青年がヴァンダに背を向けて頭上を仰ぎ見る。アパートの残骸、朽ちかけたベランダから泥だらけの少年が身を乗り出していた。彼の背後に脆い土人形が迫っている。
「土傀の残りがまだいたなんて……!」
青年が唇を噛み、ヴァンダと子どもを見比べた。祈るような視線だった。
ヴァンダは無言で山刀を構え、投擲した。
青年の肩を掠めて飛んだ刃が土傀を破壊し、バルコニーの手すりにぶつかって跳ね返える。脆い金属の手摺が砕け、少年が落下した。
「危ない!」
駆け出した青年が間一髪で子どもを抱き止める。次いで、完全に破壊されたバルコニーが地面に突き刺さった。
青年はヴァンダをかえりみる。
「ありがとう……」
「興醒めだ。お前みてえなガキが保勇機関の敵になるかよ。帰ってそのガキとジグソーパズルでもやってろ」
ヴァンダが吐き捨てると、青年は一瞬戸惑ってから頷いた。
「また会うよ」
青年が子どもを抱えて駆け去る。白いドレスの女が微笑を残して消えた。
後には、猥雑な路地裏だけが残された。
露出した鉄骨の骨組みと光の消えたネオンの看板を朝日が縁取る。
「ヴァンダ……」
エレンシアが彼に駆け寄った。ヴァンダは泥が跳ねた顔を拭う。
「大丈夫だ。ただ他人の空似だ。いや、もっと厄介かもな。欠片、例えば≪勇者の顔≫なんかを使って権威として利用する奴がいても不思議じゃない。想像できてた事態だ。大した問題じゃねえよ」
「そうですね。保勇機関の脅威ではあります。素性を調べなければ」
「ああ、頼んだ」
ヴァンダは荒い息を吐く。両肩は六十年分の重みにか耐えかねるように震えていた。エレンシアはその背にそっと触れ、額を預けた。
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