君のためなら何回でも
「何ですか、あれは……」
エレンシアは空に頭頂を突くほどの巨人を見上げる。
「螺殿迷宮の最後の機能だ。普段は要塞として魔王を守るが、万一破られた場合、攻めから守りに転じて、侵入者を排除するための自律式兵器になるんだよ」
「ヴァンダ、知っていたのですね?」
「だから、
ヴァンダは苦々しく答えた。エレンシアは彼を横顔を見つめ、不意に目を逸らした。
「報連相の不足は後で指導しましょう。まずは奴を片づけなさい」
「わかってる。お前にも協力してもらうぜ」
「ようやく上司を頼ることを覚えましたね」
気丈に微笑むエレンシアの頰を冷や汗が伝う。心臓を庇うように胸を押さえているのがわかった。
ヴァンダは正面に向き直り、山刀を構えた。
違法建築のマンションをゆうに見下ろす土の巨人が体躯を折り曲げた。ひび割れた体表から蒸気が噴出する。
巨大な拳が振り下ろされた。風圧が瓦礫を薙ぎ払い、円形の波動が飛ぶ。電線の絡んだ電信柱が飛槍のようにヴァンダへ降り注いだ。
「薄鈍がよ」
ヴァンダは山刀で瓦礫を切り開き、即席の壁で防ぐ。アスファルトの盾を貫いた電信柱が土煙を上げて地面に突き刺さった。
ヴァンダとエレンシアは積み重なる電信柱を足場に跳んだ。
蒸気と土埃が視界を塞ぐ。ふたりは倒壊しかけたアパートのベランダに飛び移り、今にも雪崩れそうなコンテナを蹴り、巨人へと接近する。
巨人は波打ち際で遊ぶ子どものように足元を掬い、何かを拾い上げた。
ごうと風を切る音が鳴り、ヴァンダの頭上に長方形の闇が伸びた。投擲されたバスが真っ直ぐにこちら目がけて飛来する。
「私がやります」
エレンシアが短く告げる。触れることもなく、バスの車体が紙屑のように丸められ、爆炎を上げた。
ガソリンの匂いの黒煙と火花が夜空を染める。バスから散ったタイヤが縦横無尽に違法建築の中を飛び回って破壊した。
爆音と駆動音。騒がしい響きに、ぎぃと鋸を引くような音が混じる。ヴァンダは視線を横に振った。
半壊したアパートがずるりと崩れ、内部から渡り鳥に似た黒い影が続々と飛び立つ。建築物を支えてきた釘や細い鉄柱だけが、磁石に引き寄せられるように虚空へ伸びていた。
「迷宮と同じで自由自在ってか」
巨人が身を振った。無数の釘と金属片がふたりへ放たれる。
ヴァンダは両腕から鉄の鎖を伸ばし、猥雑な風俗店や貸金屋の看板を引き寄せた。釘の散弾が看板を抉り、銃撃のように穴を開ける。
ヴァンダは鎖を大きく振るい、遠心力で降り注ぐ金属片を払い除けた。
エレンシアは足を進めながら、ヴァンダを見る。
「話しなさい。貴方はあれを倒す術を知っているのでしょう」
「……耄碌してんだ。覚えてねえよ」
「言いたくないだけですね」
ヴァンダは舌打ちして跳躍した。
巨人の下半身は地面から生え、土や瓦礫と融合している。ヴァンダとエレンシアは殆ど垂直の壁を駆け上がり、巨人の腹へと上がった。
闇に包まれた頭部がふたりを見下ろす。
巨人は今さっきヴァンダが盾にしたばかりの看板を吸い寄せた。
「野郎、学習してやがる」
土の巨躯に突き刺さった看板が、ふたりの進行を阻む。無限の回廊は歩みを止めさせるのに充分な厚みを持っていた。エレンシアが翳る上空を睨んだ。
「破壊します」
「やめろ。心臓に負荷がかかってんだろ」
「それは止める理由にはなりませんよ」
ふたりの背後から高らかな詠唱が響いた。
「
レイピアの刺突が一枚の看板を貫通する。次いで、無数の看板の同位置に等しく穴を穿った。
「≪勇者の博愛≫……」
「リデリック、ジェサ!」
ヴァンダの後を追い上げたふたりが、巨人の体躯の突起に着地する。
「待たせたな、殺し屋ども!」
「遅くなってすまないね。脱出に手こずった」
四人は巨人を見上げた。胸部にはヴァンダが刺し貫いた傷が残り、絶えず蒸気と赤い雫が漏れ出している。
リデリックが目を瞬かせた。
「ヴァンダ、核の位置はあそこかな」
「変わらねえはずだ。だが、潰す方法がねえ」
「ありますよ」
エレンシアは微笑を浮かべた。
「前に言ったはずです。勇者の仲間だった貴方がいる。倒せない訳がないでしょう?」
「前に言ったはずだ。ここに勇者はいねえ」
「もっと前に言ったはずです。私は勇者の更に先を行く、と」
彼女は微笑んだまま、ジェサに耳打ちした。ジェサは目を丸くする。
「構わないが、≪勇者の正義≫は今や通用しないのでは……」
「いいんです。視界を奪ってほしい相手は土傀ではありませんから」
ヴァンダはエレンシアに手を伸ばした。
「おい、何する気だよ」
指先は宙を掻いた。視界が闇に包まれる。頼りない足音が看板の回廊を駆け上がるのが聞こえた。
「エレンシア!」
視界が戻ったとき、ヴァンダの目に映ったのは、土傀の胸の裂け目へと飛び込むエレンシアの姿だった。
土傀の内部は胎内のような熱と仄かな赤い光が満ちていた。
エレンシアは軽々と飛び降り、ひといきれに似た蒸気が埋め尽くす闇中を見回した。壁を這う管は赤い液体が行き交い、心臓の鼓動じみた駆動音が規則正しく続いている。
「一体何人の被害者を飲み込んだのやら。彼女を救おうなど聖騎士庁は甘すぎます」
エレンシアは口角を上げ、目の前にあるものを見つめた。土の繭に覆われた人型のそれは、羽化を待つ幼体のように身体を丸めていた。
「ミリアム、貴女はずっと被害者のつもりでいましたね。事実、そうだったのでしょう。ですが、行為は弱者の反抗の域を超えている。貴女はとっくに加害者ですよ」
異議を唱えるように蒸気が騒がしく噴き出した。
「……土傀を止めるには誰かが中に入って核を潰さなければいけない。そして、その者は崩落する迷宮から生きては出られない。ヴァンダが教えたくなかった理由がわかりました。勇者も同じことをしたのでしょうね」
エレンシアは繭に手を伸ばし、土の覆いを剥ぎ落とした。
「ですが、私は勇者ではありません。殺し屋の仕事はひとつ。標的を殺すことだけですよ」
ミリアムが目を開く。エレンシアは片手を胸に当て、もう片方の手で、握り潰すように拳を固めた。
滝のような土煙がエレンシアを包んだ。足元が崩れ落ち、天地が消える。
エレンシアは自由落下に身を任せ、崩落する迷宮を降り続ける。巨大な土塊が彼女を追うように落下した。
土砂の雨に降られながら、エレンシアは目を閉じる。彼女の真上に一際巨大な土塊が迫った。
赤い鎖がエレンシアの腰に絡みつき、引き寄せる。目標を失った土塊が他の断片とぶつかって同時に砕け散った。
鎖は崩れる迷宮からエレンシアを導き出し、上空へ跳ね上げる。投げ出された先は、倒壊を免れた違法建築のアパートの屋上だった。
ヴァンダはエレンシアを抱きかかえたまま屋上に寝そべり、苛立ち混じりの息を吐いた。
「本当に、父親と同じことしやがって!」
「貴方も他人のことが言えますか」
エレンシアは声を上げて笑う。
「同じことをした勇者が生きて帰ったのです。ヴァンダ、前も貴方が助け出したのでしょう?」
ヴァンダは肺の中の酸素を全て吐き出すような長い息を漏らした。
「ああ、そうだよ。何度だって助けちまうんだ」
ふたりの目の前で、巨大な迷宮が重力に押し潰される。忍び出した土煙が濛々と立ち上り、夜明けの空を黄土色に塗り替えた。
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