地獄辺
遠くで爆発音が響いた。
空中を血の鎖で駆るヴァンダは、一瞬進みを止めて背後をかえりみた。エレンシアが呟く。
「……火の
「いや、馬鹿兄弟が殺ったな」
「案外信頼しているのですね?」
エレンシアの白い頰には緊張が宿っていた。ヴァンダは首を振る。
「信頼じゃねえ、確信だ。土傀が可燃物に引火させたなら連鎖的に爆発が起こるはずだ。だが、音は一回だった。延焼も起きねえってことは、ロクシーが貯水タンクか何かを爆破して消火したんだろ。あの火さえなけりゃシモスが殺れる」
「流石の知見ですね。私の補佐に相応しい」
「その役職初めて聞いたぞ」
ヴァンダはエレンシアを抱えて再び飛んだ。
熱で歪んだコンテナが左右を流れ、未だ消えていないネオンの残骸が尾を引く。
エレンシアは赤い髪を風に靡かせながら言った。
「ヴァンダはあのダンジョンを踏破したのでしょう? 決め手は何だったのですか」
「俺じゃねえよ、勇者が踏破したんだ。あいつがいない今、決定打があるかわからねえな」
「勇者の娘がいるのに、ですか」
「お前はあいつじゃねえよ。お前はよくやってるが、勇者にしかできねえこともある」
「嘘ですね。できないのではなく、させたくないことがある。違いますか」
ヴァンダは片方の眉を吊り上げる。エレンシアは彼の横顔をしばし見つめ、無言で正面を向いた。
瓦礫の山の向こうに、茶色い夜空が聳えている。
天地を埋め尽くすほどの巨大な土壁だ。移動式の迷宮は今、玉座に坐す王のように微動だにせず侵入者を待ち構えている。
ヴァンダは血の鎖を飛ばしながら遠方を睨んだ。
「本陣だな。まず、どう進入するか……」
「入口を探す手間は省けそうですよ。今から造ってくれるようです」
エレンシアが微笑を浮かべる。
真上から豪速で黒い流星が飛来し、地面を砕いて着地した。ヴァンダは大きく身を振って回避し、エレンシアを抱えて地に伏せる。
パラパラと砕ける土片と濛々と立ち上る煙の中で、雷管銃槍を掲げたフレイアンが地に膝をついていた。
「敵襲かと思ったぜ」
「ごめん、ブレーキが効かなかった……」
「元から搭載されてねえだろ。だが、ちょうどいい。あの壁をぶち破ってくれるんだな?」
「そのために来た」
フレイアンは白濁した片目を瞑り、身の丈ほどある武器を振り抜いた。破壊音が響き渡り、聳える壁の一部が砕け散る。
「じゃあ、どうぞ……私は逃げ遅れたひとを探してくる……」
エレンシアは肩を竦めた。
「貴女も加勢してくれれば心強いのですが」
「私は必要ない……すぐにわかる」
フレイアンは雷管銃槍で地を叩き、爆発の推進力で飛び去った。空に尾を引く炎がやがて消えた。
「四騎士はとんでもねえな」
ヴァンダは目を細める。
「最早暗殺とは呼べねえ派手さだが、行くか」
「伝説の
「初耳だ」
ふたりは歩調を合わせ、煙たなびく巨大な黒穴に踏み入った。
ヴァンダとエレンシアに重々しい闇がまとわりつく。
土の迷宮の内部はひといきれに似た生温かい蒸気と、仄かな赤い光が満ちていた。
辺りを見回した瞬間、突如左右の壁が閉塞し、重量を持って迫り出した。
「
「
土壁が透明な手で抉られ、崩れた土砂を血の鎖が絡め取る。即席の防波堤は左右の壁をしっかりと食い止めた。
ヴァンダは眉ひとつ動かさず上方を仰いだ。
「女帝陛下の歓迎だな」
仄明かりの中で細い影が揺らいだ。
「よくここまで来ました、というべきでしょうね。こう言った場面は向いていないけれど……」
現れたのは、女帝の名に似つかわしくない、折れそうなほど華奢で気弱そうな女だった。闇を掻き分けた腕が彼女の肩を抱く。
「ミリアム、お前が恥じることは何ひとつない。恥ずべきなのは薄汚い侵入者だ」
ミリアムの背後から黒尽くめの男が現れた。銅像じみた均一の取れた肢体と整った顔に血の気はない。
「魔王禍ミリアムと土傀エーテルですね?」
エレンシアは口角を上げる。
「薄汚い侵入者はどちらでしょう。遥か昔に勇者が討ち滅ぼしたダンジョンに夜な夜な忍び込んで非合法活動とは」
「ほざくな。遥か昔も侵入者は勇者の方だった。そうだろう、暗殺者ヴァンダ」
「覚えてんのかよ……」
ヴァンダは息を漏らす。
「俺の記憶じゃお前はただの土傀だったがな。今のたいそうな御面相はそこの女が作ってくれたのか」
「≪勇者の欠片≫を使って美青年を侍らす人形遊びとは優雅なものですね」
エレンシアの言葉に、女帝ミリアムは目を伏せた。
「私が欠片を持っていることはご存知なのね」
「うちの暗殺者は勇者と共にあったのですから。ヴァンダ、欠片の種類も予想はついているでしょう」
「まあな。神秘の力を増幅し、自らの特性を強化する。≪勇者の肝臓≫ってところか」
ミリアムの沈黙が肯定を示した。
「だが、≪勇者の欠片≫は魔族には毒だ。土傀をここまで強化できるとは思えねえ」
エーテルが嘲笑を返して進み出た。
「愚かな人間だな。こうは予想できなかったか? 勇者如きにできることはかの魔王にもできると」
エーテルは右手で妻の肩を抱いたまま、左手で胸襟を開いた。死体じみた白い胸には、駆動する紅水晶のような赤い輝きが宿っていた。
ヴァンダとエレンシアが息を呑む。
「それは……」
「≪魔王の欠片≫とでも言おうか。私が保有するのは≪魔王の血≫だ」
エーテルが虚空に手を翳す。
ヴァンダとエレンシアの足元が一瞬で消えた。床の土が砕け散り、ふたりは暗闇を落下する。
「何でもありかよ」
ヴァンダはエレンシアを引き寄せ、重力に任せて降り注ぐ土片に鎖をかけた。
上空から声が響く。
「無駄だ。私とミリアムの目の届く範囲であればこの迷宮は自在」
四方の光景がガラリと姿を変えた。土の欠片が収束し、檻のようにふたりを取り囲む。
「ヴァンダ、支援を!」
エレンシアの声と共に土の牢が粉砕される。間を置かず、壁が回転した。ヴァンダが伸ばした血の鎖は遠心力に千切られ、赤い雫となって霧散した。
「わかっちゃいたが、厄介だな!」
絶え間なく変形するパズルのように、迷宮が迫り来る。ヴァンダは鎖を伸縮させ、壁の間を潜り抜けた。
駆動音と変動。土壁が万華機能のように次々と襲い掛かる。
エレンシアは胸元を抑えた。
「私が一気に破壊します。貴方は隙をついて……」
「馬鹿言え。お前の心臓がぶっ潰れるぞ」
「リスクは承知の上です」
ヴァンダは舌打ちした。
「似てほしくねえとこばっかり父親に似やがる」
ふたりの頭上に広がる土壁が食虫花のように枝分かれした。六片の柱が鋭く伸びる。
「くそっ……」
ヴァンダが防御の構えを取った瞬間、周囲が完全な闇に包まれた。
けたたましい声が迷宮を揺らす。
「
闇の中で駆動音が途絶え、全てが静止した。
ヴァンダは手探りで鎖を伸ばし、瓦礫の山に着地する。エレンシアは盲目のまま微笑んだ。
「フレイアン、ろくでもない加勢を送ってくれましたね……」
「聞こえているぞ、エレンシア!」
底抜けに明るい声と共に、周囲に光が戻った。
ヴァンダとエレンシアがいるのは、渓谷じみた土の巨壁の間だった。
片方の岸には目を見張るエーテルと、怯えた表情のミリアムが立ち尽くしている。対岸には、白銀の剣を携えたふたりの聖騎士が構えていた。
「リデリックにジェサ! こいつは土傀より厄介だな」
ヴァンダは呆れて笑う。
「待たせたね、ふたりとも。だが、攻略法はわかった」
「はい、先生! 目視の範囲で動かせるのであれば、見えなくさせればいいのです!」
ジェサの大声が反響する。
魔王禍と聖騎士と殺し屋は三方で睨み合った。
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