炎絶つ
シモスの左右を等間隔で並ぶ鉄柱が高速で流れる。
「止まれ……!」
シモスは赤く腫れた手で大剣を振るい、闇雲に突き刺した。刃の先端が車のボンネットに食らいつく。勢いを殺してシモスは着地した。
浅い呼吸を繰り返し、火傷の痛みを押し殺す。
辺りは無機質な闇で、まばらな車の影が非常灯の明かりを反射していた。
暗い駐車場が眩い赤に染まる。全身に炎を纏ったイグニスが現れた。
「命知らずだな。痛みを感じないのか? ≪勇者の欠片≫ってやつか?」
シモスは無言で剣を構える。イグニスは凛々しい眉根を寄せた。
「お前ら無慈悲なのは他人の痛みをわからないからだ。だから、平気で殺せる」
「ああ、僕は痛みを感じない。お前が転げ回る様から学ばせてもらう」
シモスは赤く腫れ上がった腕を押さえた。
「≪勇者の義憤≫……
シモスが地を蹴ると同時に、炎が駆けた。
紅蓮の蛇が立体駐車場を這い回り、車を溶けた鉄塊に変える。
シモスは支柱の間を縫って駆け、車を乗せるバレットに飛び乗る。赤いスイッチを剣の背で叩くと、バレットが上昇した。
「殺し屋の武器は得物の数じゃない。活かせる地形と道具だ。ヴァンダさんから学んだだろう……」
自分に言い聞かせるように呟き、シモスは後方を睨む。イグニスは炎の推進力でバレットの上昇を追い上げていた。
「愚策だぜ、シモス! そこじゃ狙い撃ちだ!」
「薄汚い声で名前を呼ぶな!」
熱と光の柱が突き抜け、シモスの額を焼く。
「それでいい」
シモスは上昇を続けるバレットから飛び降りた。全身を鉄骨が打ち、鈍い音がする。
入れ替わりに飛び乗ったイグニスの炎が、細い柱が交錯する天井を焼く。
配管が唸り、スプリンクラーが水を噴出した。埃くさい霧の雨が降り注ぐ。イグニスの炎が勢いを失った。
「これが狙いか!」
「まだ足りない」
ずぶ濡れで髪と服を張りつかせたイグニスの身体の中央に、僅かな光が宿っていた。
「あれが核か……」
シモスは非常灯の光を湛えて、緑の湖のようになった駐車場を走る。水飛沫が跳ね上がる中をイグニスが追った。
絶えず降りしきる水のせいで炎は薄れている。
緑と赤の照り返しを受けながら、シモスは床の白線に沿って駆けた。目の前に一台の黒い自動車がある。
「来い、
シモスはイグニスを引きつけながら走り続け、車を飛び越えた。
「そういって逃げる気か!」
車内を映す窓ガラスに、イグニスの無防備な胸部が反射した。シモスは大剣を刺突し、運転席から助手席までを貫いた。
硬い土を抉った感触がひっ先に伝わる。
「浅いか……」
破れた窓ガラスに赤い光源が輝いた。
シモスが受け身を取るより早く、乗用車が爆発する。膨れ上がった光球が、炎と破片を撒き散らした。
剣を構えて防御したシモスの腕に、焼けたガラスが突き刺さる。シモスは顔色ひとつ変えず、爆風に乗って後退した。
再びバレットの上に飛び乗ると、灰色の雨が止んだ。黒煙の中で新たに燃え盛る炎が煌めく。
「水じゃ足りないか……」
苦々しく呻いたシモスに火球が迫った。シモスはスイッチを押し、バレットを押し上げて車を盾にする。
持ち上がった鉄板の向こうに蛍光色の看板が見えた。シモスは意を決したように頷いた。
大剣を振り回し、立体駐車場に並列するスイッチを闇雲に叩く。
バレットが無造作に上昇と下降を繰り返した。浮島のような鉄板の間を駆け、シモスはイグニスを誘導する。
炎の熱が何度も背を掠めた。
「そっちから喧嘩を売ったんだ! そろそろ正面から勝負しろ!」
「言われなくても……」
シモスは足を早め、眼前に聳える鉄の扉のスイッチを押した。
四角い闇が口を開け、広がった先は大型車用の昇降機だった。逃げ場のない暗闇の中で、無機質な機械が駆動音を立てる。
鋼鉄が炎の熱を移し、シモスの全身から汗が流れ落ちた。
「逃げるのはやめか?」
イグニスが鉄板を踏み締めると同時に、鉄の扉が閉まった。四方が闇に閉ざされる。
シモスは何の衒いもなく剣を構えた。イグニスは怒りに眉を顰め、昇降機についた細い鉄の棒を握った。黒い鉄が赤く染まり、脆く折れる。
シモスが剣を振るった瞬間、焼けた鉄棒が放たれた。肩にぶつかった鉄が鎖骨が砕く。
シモスは構わず剣を突き出した。刃がイグニスの胸を壁に縫いつける。
「俺の核は炎だ。切り伏せられるものじゃない」
「どうだか」
「お前の負けだぜ、シモス。ここじゃ逃げ場がない。俺が炎を出すだけでお前は死ぬ」
「やってみろ」
イグニスは呆れと哀れみの混じった息を漏らした。
「そうだな。部下の仇を打ちに行かなきゃいけない。ミリアムも大事だが彼女にはエーテルがいる。部下には俺しかいないんだ」
炎が徐々に火花を散らした。空気中の埃が炎上し、シモスが握る剣が赤く焼けつく。
「地獄で
「……お前も殺した奴に謝りに行くのか」
イグニスは答えない。シモスが吠えた。
「やれ、土傀」
「やってやるさ!」
閃いた炎の赤が、突如噴き出した煙の白で塗り潰される。火が一瞬で掻き消えた。イグニスは呻きを漏らす。
「何だこれは……!」
「お前らのボスは読み書きも教えてくれなかったらしいな」
シモスは喉を押さえながら片手で看板を指した。
二酸化炭素消火設備、火気厳禁、危険につき立ち入り禁止。
イグニスは目を剥く。
「これで炎を……シモス、お前も窒息死するぞ!」
「覚悟の上だ。四騎士が相手取る敵をただで殺せると思ってない。お前の火と僕の命どっちが尽きるか勝負だ!」
シモスは目を充血させ、砕けた鎖骨を捻って剣を押し込んだ。酸素を奪う白煙が押し寄せる。
シモスは喉を引き攣らせ、酸欠の呻きを漏らした。
「まだ、だ……!」
剣を握る手から力が失われる。
肺に余った酸素を捻り出し、シモスが剣に体重を預けたとき、爆音が轟いた。
天空に空いた穴から白煙が逃げ出し、新鮮な空気が流れ込む。それと同時に怒涛の波が降り注いだ。
激しい水流がシモスとイグニスを包み込む。
シモスは波の間から顔を出し、大きく息を吸った。水中でイグニスの核が仄かに赤く輝いて見える。
シモスはもう一度剣を握った。
「お前がその体たらくじゃ大事な部下とやらも程度が知れるな!」
「俺の部下を馬鹿にするな……」
「地獄に堕ちろ! 土塊ごときに地獄があればな!」
水の奔流を掻き分けた大剣が、イグニスの核を貫いた。大量の泥は即座に溶け出し、波にかき混ぜられて消える。水が土色に濁った。
ぼんと間の抜けた音がして、上から円柱状の塊が落下した。波間に浮くそれは、マンションの給水塔だった。
シモスは沈みかけながら空を仰いだ。
「シモス、無事か!」
立体駐車場の支柱の間からロクシーが顔を覗かせる。
「兄さん……」
シモスは頷く。
「土傀を殺りました」
「馬鹿、無事かって聞いてるんだ! 何てザマだ。どこも無事じゃないな」
ロクシーはかぶりを振った。
「給水塔を爆破したんですか?」
「ああ、クドの置き土産が役立ったな。待ってろ。今拾いに行く」
シモスは気弱な少年の顔に戻って小さく笑った。
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